夢枕に立つ女
@redhelmet
第1話
夢枕に立った女はよく透る声で俺の耳元で囁いた。
「あなたの夢をかなえてあげる」
けっこういい女だ。でもこうして枕元に立つっていうことは幽霊なんだろう。
俺はためしにこう言ってみた。
「マリと別れさせてほしい」
「あら、そんなのでいいの」
幽霊はこともなげにそう返した。「お安いご用。ただし、ただしよ。夢をかなえてあげる代わりに、あなたの大事なものを一つだけ奪うことになるわ。それで良ければ」
俺は頷いた。
翌朝、仕事で大型の取引があった。
交渉は難航した。こちらの担保が保証できないという。これは無理かなと思ってると、
「よろしい」
と相手方が決断した。「あんたの会社を信じることにする」
予想もしなかった大型契約が実現した。俺は社内で鼻高々だった。
その夜、恋人のマリと三つ星フレンチのディナーでお祝いをした。
彼女は心から喜んでくれた。
彼女は俺と結婚したがっているのが明らかだった。でも俺はつきあって三年、飽きが来ていた。そろそろ別の女がほしい。できれば後腐れなく別れたかった。
マリは一緒の夜を過ごしたかったようだが、明日も仕事が朝からあるのだと俺は冷たく言い放った。
「じゃ、またね」
と彼女はいつまでも手を振っていた。
翌朝、新聞を見ると彼女の名前と写真が社会面に大きく載っていた。無差別殺人の犠牲者の一人になったという。
夢枕の女の言うとおり、俺はいちばん大事なものを失った。
女が夢枕に立った。
「あなたの夢をかなえてあげる」
俺は言った。
「新しい彼女がほしい」
女は頷いた。
翌朝、出社すると社長から、君もそろそろ身をかためたらよかろうと言われ、自分の娘と結婚するように勧められた。
こんなおいしい話はない。俺は一も二もなく承知した。
会ったこともない社長の娘だが、俺はこの会社で出世することが約束された。
同期の連中はいったいどういう手を使ったのだと羨んだ。男の嫉妬は怖い。まあな、と俺は言うだけにとどめておいた。
翌朝、テレビをつけると、ウチの会社が不渡りを出して倒産したとニュース速報が流れた。ワイドショーやニュース解説は俺の会社倒産の話題で持ちきりだった。
俺は社長の娘とは結婚を前提につきあっているが、ハローワークに通う毎日となった。
俺はいちばん大事なものを失った。
夢枕に立つ女が言った。
「あなたの夢をかなえてあげる」
「ほんとだろうな」
「ただし、ただしよ。今までのことを帳消しなんてないからね」
「わかってるよ。そんな都合のいい話はない。マリは死んだし、会社は倒産した」
「じゃ、唱えてよ。あなたの最後の願いを」
俺の願いはただ一つ。もうこんな世界に住んでいても意味がない。
「この世界を終わらせてくれ」
「世界の終わり……、あなた自身だけじゃなく、世界を終わらせるのね」
「ああ、俺の意識もろとも世界を終わらせるんだ」
「わかったわ。ただし、ただしよ……」
「知ってる。俺のいちばん大事なものを奪い取るって言いたいんだろ。しつこいんだよ、おまえは、幽霊のくせに」
「なによ、そんな言い方しないでよ」
「俺の大事なものは何もない。さっさと世界を終わらせてくれ」
これじゃ、まるで痴話げんかだ。
「わかったわ。楽しみね、世界の終わり」
翌朝、世界は終わっていなかった。
ただ、俺は自意識だけの存在になって世界を彷徨うようになった。
俺は大事なものをなくし損なったのだ。
女が言った。
「さあ、これからあんたは誰かの夢枕に立つの。そして、言うのよ」
「わかってるよ。『あなたの夢をかなえてあげますよ』だろ」
「そう、あんたと私。夢枕の夫婦だからね」
俺はため息をついて、頷いた。
さあて、今夜は誰の夢枕に立ってやろうか。
夢枕に立つ女 @redhelmet
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