いつまでも魔法少女じゃいられない

米占ゆう

いつまでも魔法少女じゃいられない

 「少年老い易く学成り難し」なんて言葉は子供のころ、それこそ耳にたこができるほどよく聞かされた言葉であるわけだけれども、その真意は子供心には全く響かず、むしろ今、アラサー真っ盛りになった時分になってようやっと理解できるわけで、いや、しかし、しみじみ本当に時の流れは恐ろしい。子供だと思っている間に成年し、若者だと思っている間にアラサー真っ盛りで、このままじゃもう、すぐにおじさんになり、おじいさんになり、そのまま棺桶に片足を突っ込んで、人生のエンドロールを爆速で見るハメになるんじゃないかとさえ思えてくるわけだが、であるならば俺――いや、あたしは一分一秒をきっと、もっとずっと大切にするべきなのであり、虚空からひねり出した鉄パイプを獲物に、三枚の三角定規と球体の化け物――マホウツカイを相手取って戦っているような場合ではもうないのかもしれない、なんて思う昼下がり。あたしが鉄パイプをその中央の球体に向けて思いっきり振り下ろすと、そのマホウツカイはさながら三半規管でも狂ったかのようにぐわんぐわんと大きくバランスを欠いた動きで回転し、やがて、操り人形の糸が切れたかのようにバラバラと地上へと崩れ落ちるわけで、一丁上がり。刹那、さらさらと灰になって宙へと消えていくそれを見送りながら、あたしはちょっとセンチメンタルな気持ちになったりもする。

 きっと彼も、いつかは若者だったのだろう。

 この世界では、男性が童貞のまま30歳になると、極稀にマホウツカイになってしまう。

 少なくとも、あたしたち、魔法少女の間ではそう言われていた。


「で、彼女はできたのか? アイアン?」

「いや……まだっす」

 そんな俺の回答を聞くと、先輩魔法少女たちはビールジョッキを片手に、渋い顔をしたり、ため息をついたりした。いや、正確には元魔法少女というのが正しいか。みんな童貞を捨て、魔法少女は引退済みである。マホウツカイに対抗できる魔法少女とは、つまり、マホウツカイの途上のものであって、どういうことなのかといえば、30歳になっていない童貞の男たちが変身した姿なのである。なのでもちろん、童貞を捨てれば、魔法少女の力は失われる。こうして魔法少女は、代替わりしてきたという歴史がある。

「で? アイアンさん、いつ捨てんの? マジ、ちゃっちゃと行ったほうがいいって、フーゾク。いいとこ教えんよ? っつか、ガチで教えますよ? タイプ別で!」

「まあまあ、本人が嫌がってるんじゃしょうがないよ。自然に出会って、自然に関係を重ねるのが一番いいってのも、そのとおりだし。まだ待ってあげてもいいじゃないか。こういうものは焦ってもしょうがないし」

「うむ、拙者としてもなにか助言ができれば幸いでござったが、なにぶんうちは見合いなものでな……かたじけない」

「いえいえ、いいんですって、大丈夫です。これは俺の問題なんですから」

 そんな風に先輩方に頭を下げていると、後ろから嫌に馴れ馴れしい声が響いてくる。

「ぷぷ、もしかしてアイアンパイセン、奥手なんすか? だめっすよー! 男からもうガシガシにいかないと! 草食系男子なんて、モテナイっすよ~絶対」

「マリン、おまえ現役だろ。数年後俺とおんなじ境遇になってたら、殴るぞ」

「うっわ、暴力っすか!? こっわー! そりゃモテないわ! ねー! ホワイト!」

「マ、マリンさん、それくらいにしといたほうが……アイアンさんの眉間がグランドキャニオンみたいになってます……」

「だがな、実際我々は不安なのだ」

 初代魔法少女、サターンさんのそんな言葉に、緩みきっていた場の空気が若干引き締まった。この人は初代である自身が引退したときから、今までにいろいろな魔法少女の行く末を見守ってきた人だ。

「今までに、魔法少女がマホウツカイになったことは一度もない。どころか、27歳を超えて未だに魔法少女だったものもいない。みな、気を配っていたのだ。自身がなにかの手違いで、マホウツカイ化してしまわないように。だが、お前はもう今年で28だろう?」

「はい……」

「無論、本当はこのようなことは言いたくはない。だがな、思えらく、魔法少女はマホウツカイの力が前もって発動してしまった者たちだ。だから、魔法少女がマホウツカイになってしまった場合、普通のマホウツカイよりも強力であることは容易に想像がつく。であるならば、中でもさらに強力な魔法少女である、お前がマホウツカイになったら、一体どうなるか? ……我々には予想がつかない」

「えぇ、分かってます。ご心配をおかけしてすみません」

「――いつまでも魔法少女じゃいられないんだ。頼むぞ」

 そんなサターンさんの言葉に、俺は軽く頭を下げておく。サターンさんに言われるまでもなく、危機感は感じていた。なんせ、マホウツカイになってしまうのは、俺自身なんだから。

 ツイッターでフォロワーを集めていた、恋愛工学マイスターを名乗るどことなくひろゆきの面影がある男「こいゆき」のコーチングに参加したのも、その危機感が理由だ。

 こいゆきはこう話す。

「恋愛工学ってのは、工学って名前が付いてるんですけど、実は学問でもなんでもなくって、アメリカのピックアップアーティストって呼ばれている人たち、要はナンパ師が言ってることの焼き直しに過ぎないんですよ。じゃあなんでこんな名前が付いてるかっていうと、これは藤沢数希さんって人が、自分の本を売るためのブランディングなんですね。なんで、恋愛工学を学ぶぞ―! って思っている人は、学問を学ぶつもりでこれを学ぶんじゃなくて、ナンパ術を身につけるぞ―! って気持ちでこれを学んだほうがいいんですよ。とまで言うと、大概なんか嫌そうな顔をする人がいるんですけど、ナンパは嫌いですか?」

「まあ、どちらかといえば……」

 いい印象は持ってはいない。前に会社の後輩に手を出そうとしたナンパ師が、会社までついてきたのを追い払った経験がある。しつけえし、迷惑だし、それにかっこ悪い。それが俺のナンパ師の印象である。

「でも、本当にかっこ悪いんですかね?」

「はい?」

「だって、ちょっと考えてみてほしいんですけれども、今の世の中、お見合いでもない限り、ナンパ的な手法を全く取らずに、パートナーを作ることって、難しくないっすか?」

「……でも、さすがにしつこく付きまとうのは迷惑では」

「わかりました、じゃあ、それはやめましょう。今はマッチングアプリっていう便利なものがあって、一度も会わずにアポを取れる時代になってるんですよ。ちゃんとデートの予定を取れば、”あいあん”さん的にも問題ないっていうラインなんですよね?」

 かくしてこいゆきのレッスンはスタートした。うさんくささはあったが、しかし反面、ロープレ形式による彼の教え方は非常に具体的かつ実践的なもので、俺は少々驚いた。どうやら、現代のナンパ術は、定跡的なものが確立されているらしい。

 しかしである。そんな、マニュアル化されたもので、本当に女性が靡くのだろうか? いや、靡くはずがないだろう。人間を相手取ったコミュニケーションに、マニュアルなんて本来存在してはならない。ハーバーマスを参照するまでもなく、コミュニケーションというのは、双方向のアクションがあるものであって、一方的なマニュアルでどうこうなるものではない。もしそんなことが可能であるならば、ロボットにだって女性を口説き落とせるということになる――

 レッスンを受けながらも、俺は頑なにそう思っていたものだから、初デートした相手の反応が、思いの外良かったことでとんと拍子抜けしてしまった。

 なんだか明るい、でもどことなく古風な趣のあるこいゆきイチオシのカフェで、女の子――ゆきちゃんはけらけらと甲高い笑い声を上げる。

「”あいあん”さんって、なんか変な人ですよね。って言っても、悪い意味じゃないんですけど……。ふふっ、それにしても”あいあん”さん、女慣れしてますよね? いつから彼女いないんですか?」

 女慣れなんてしてないよ、なんて言葉をぐっと飲み込みながら、俺は頭を回転させる。『いつから彼女いないんですか?』――こいゆきに言わせると、それは女の子から発せられる『クソテスト』のテンプレ。この手の質問に真面目に答えてはいけないのは恋愛工学では常識なのだそうだ。もし素直に「いたことない」などと言えば、彼女は俺の顔に「非モテ」の紙を貼り付け、楽しいゲームはそこで終了。俺は彼女から”資格”を剥奪されてしまうに違いない。故に、こう返す。

「半年前くらいかな。ゆきちゃんとは正反対のタイプ」

 半年。短過ぎもせず、かと言って長すぎもせず、ちょうどいい間隔。ここにさらにあえて「正反対のタイプ」という情報を付け加えることで、ネグという女の子を軽くディスるというテクニックも自然に盛り込んである。こいゆきイチオシの返し方だ。

「ふーん、なるほど」

 ゆきちゃんは微妙な反応だ。普通ならこの反応はつい焦ってしまうものだろうが、しかし、恋愛工学的にはこれは目論見通り。なんでもこいゆき曰く、女性は男性が思っている以上に他の男性から言い寄られている経験があるらしい。故に、恋愛工学では、相手を軽くディスったり、ちょっと突き放したりすることで「私はあなたを狙っていませんよ」という意思表示を行う。こうすることで、自分の価値を相対的に上げる一方で、女の子側には追いかける立場を押し付けることができるのだ。「恋愛というものは、まず第一に、ポジショニングが大切だ」とは、こいゆきの恋愛座右の銘であった。

「そうそう、なんかめっちゃサバサバしてる子でね。でも、遠距離になっちゃったから」

「なるほど、遠距離ですか。。遠距離ってつらいですよね……あたしも、絶対無理って思いますもん」

 そう言って同情してくれるゆきちゃんに対し、湧き上がる幾ばくかの罪悪感を俺は必死に押し殺すと、まあね、と意味深長げな表情を浮かべる。恋愛にバカ正直なのは非モテの証だとこいゆきは言うが、こればっかりは性に合わない。正直な話、彼女の顔を覗くたびに心のヒットポイントがガシガシと削れていくような気持ちがする。いや、これで被害者ぶってちゃ世話ないって話ではあるんだけど。

 ――てなわけで、こいゆきへの定期連絡のために、トイレに入ったときは、思わずため息が漏れてしまった。すごい疲労感である。ナンパってのはこんなにつかれる趣味なのか、それとも慣れればどうってことなくなるのか。恋愛経験の多い人間のことを「百戦錬磨」なんて言ったりするが、その意味が今痛いほど分かる。恋愛ってのは、結局人間力をかけた闘いなのかもしれない。「恋は戦争」なんてよく言ったものだ。

 しかし――である。一方で、かすかな幸福感も感じていた。ゆきちゃんはよく笑うし、よく喋る。女の子とこんなふうに喋ったのは、本当に久しぶりだ。俺一人だったら、ガチガチになっちゃって、こうはいかなかっただろう。あの、うさんくさいこいゆきの先生も、腕は本物だったということだ。感謝したほうがいいのかもしれない。


 に、しても。……こんな手法を知っていたら、彼女との関係も、うまくいったのだろうか。

未だに本当にやることが何もないようなときに、ふと彼女のことを思い出すことがある。放課後。高校の屋上。なんとはなしに入った天文部で、ひときわ熱心に活動をしていた彼女。



 ――私は高いところが好きでさ。いつか月に行くって決めてるんだよ。

 ――で、振り返ってから、置いてけぼりにした地球を眺めるのさ。

 ――きっとさぞかし小気味よいだろう。……そうは思わないかい?


 ――なんなら、一緒に目指さないか? 月。

 ――君とだったら静かの海に一ヶ月いたとして、きっと退屈しないような気がするんだけど。



『だめっすよ、”あいあん”さん』

 こいゆきの言葉が脳裏に思い出される。

『中学時代、高校時代、あるいは大学のサークルなんかで、ファムファタルみたいな、とんでもない美女から気まぐれに好かれることなんて、人間誰しも確率であることなんですから。でも、それをいつまでも引きずってるのは、バカのやることですよ。そうじゃなくて、もっと近視的に物事を考えるんです。まず、目の前にいる女の子を、いかにおちょくり、惹きつけ、気持ちよくさせて、ベッドまで連れ込むか。それが我々の考えるべき唯一のことなんですよ。いいですか、もう一度言いますよ、まず、目の前にいる女の子を、いかにおちょくり、惹きつけ、気持ちよくビィィィィィィィィィイイビィィィィィィィィィイイビィィィィィィィィィイイビィィィィィィィィィイイビィィィィィィィィィイイ!!!


 緊急出動の合図。スマホを確認する。

 緊急度は――A。眉根を寄せる。地区は――大体15分程度か。

 付帯情報を流し見しながら、恋愛モードだった思考回路が、瞬時に魔法少女用のそれへと切り替わっていくのを感じる。と同時に、それまで脳の中に広がっていたもやもやが晴れて、一気にクリアになっていく。その感覚が、なんとはなく、心地よい。

 ――そう。俺は魔法少女だ。ならば、出動しなければなるまい。

「ゆきちゃん! ごめん、緊急で会社に出勤することになっちゃって! これ、料金! 絶対足りるから! 五千円!」

「え!? ちょっと!」

 そう言って目を丸くして立ち上がるゆきちゃんを尻目に店を飛び出すと、俺――いや、あたしは瞬時に魔法少女の姿へと変身する。ビルの壁を蹴りながら、現場へと急行。融通の効かない車や、よく停まる電車なんかよりも、よっぽど早い移動手段。

「他に誰か向かってるの!?」

 そう言うと、胸ポケットからスマホが飛び出してきて、あたしの質問に答えてくれる。

「マリンとホワイトがすでに接敵してるみたいシリ!」

 マリンとホワイトか。あの娘達、むちゃしてないといいけど。緊急度Aだなんて、よっぽど強いマホウツカイなんだろう。緊急度は高ければ高いほど、慎重に戦うことが大切だ。よもや突っ込んだりしてなければいいのだけれども……と内心呟きながら、あたしは現場に急行するのだけれども、しかし。

 人間の予感というものは、信頼に足るものである。

 特に、嫌な予感の場合は。

 なにか強い力で思い切り投げ出されたのか、ホワイトはえぐれた木を背にぐったりと崩れ落ちてしまっており、息も絶え絶え。で、マリンは――マリンは、どこだ?

「マ、マリンさんは、あ、あそこです……私を……庇って……!」

 ホワイトが震える指でさした先を見やる。そこあるのは、地上から遥か天高くまで伸びる、さっきまでは存在しなかった巨大な銀色の塔。周囲には、アスファルトを破って伸長する、無数の土色をした巨大な腕が虚空を捕まえんと必死に蠢いているのが見える。

 ……あれが今回現れたマホウツカイらしい。なるほど。

 刹那、あたしはうち一本の腕に向かって地面を蹴り出し、同時に虚空から鉄板を引っ張り出すと、その手首に向かって、さながら巨大手裏剣が如くぶん投げる。狙い通り、すっぱりと手のひらと腕は切り離され、握った手のひらがほころんだそのすきに、あたしはその手のひらの中に侵入し、中で青い顔をしていたマリンを盗み出す。

「アイアンパイセン……やっぱデート抜けてきちゃったんすね……」

「もちろん!」

 そう頷くと、あたしはマリンを抱えながら、無数の腕たちの間を縫ってマリンをホワイトのいる安全な場所に避難させる。しかし、あのマホウツカイ。なんてデカブツなんだ。きっと元になった人間も、相当身長が高かったものと見た。だったら、マッチングアプリにでも登録すれば、軽々とマッチングできただろうに……。なんて思考にあたしはチッと舌打ちを打つ。なんだ、恋愛脳か? やめろやめろ。そんな集中力の欠いた状態で、ホワイトとマリンを戦闘不能にした奴にかなうわけがない。第一、

「パイセン、ここは援軍を待ちましょう。緊急度Aですから、きっと区外からも援軍が来てくれるはずで――パイセン?」

「大丈夫」

 瞬間、あたしはマホウツカイの元へと再び走り込んでいった。迎える無数の腕たちは、待ってましたとばかりに、あたしに掴みかかろうとするわけで、しかし、これをするりと避けるとあたしは天高くそびえる摩天楼が如きマホウツカイの側面を鉄パイプ一つ持って駆け上がる。

 あたしは、ある確信があった。

 やはりあたしの後を追うように伸びてくる無数の腕たち。高さは既にゆうに付近の駅舎や低めのアパートの屋根の高さを超えた。流石にこの状態で捕まったらひとたまりもないだろう。死んでしまうかもしれない。走りを止める訳にはいかない。鉄パイプも次第に重たく感じられてきた。ぽいーとそのまま捨てると、鉄パイプは何本かの腕を巻き込みながら、自由落下していく。そのまま息が上がるのも構わず、マホウツカイの側面を登り続ける。しかし、あまりにも高すぎる。一体いつまで登らせるつもりなんだ――と思ったとき、頂上が見えてきた。そんじょそこらのマンションよりもずっと高い。鉄パイプをかわした無数の腕たちは、蠢きながら、そのスピードを一切落とすことなくあたしの後ろを追い続けている。もし、あたしの賭けが外れていたら、そのときは一巻の終わりかも。逃げ場だってなさそうだし。なんて嫌な予感を飲み込み、あたしは頂上めがけて足の回転数を上げる。

 そして、頂上。

 やはり、あたしの読みは当たっていた。マホウツカイの風貌にはマホウツカイとなった当人の心内風景が強く影を落としているらしい。腕を伸ばすということは、その先に、なにか手が届かなかった物があるということ。腕は頂上まで伸びることはできなかったのだ。あたしは眼下に虚しくうごめく腕たちを見下ろす。頂上わずか10cm下。そこが、彼の限界点だったのかもしれない。

 ――あたしは、頂上に浮かぶ、艶めかしく輝く球体を眺めた。球体の表面には無数の色がさながら木星の渦のように混ざり合い、なるほど、確かに美しい。これがきっと、彼が追い求めたものなのだろう――そう思ってあたしが球体に触れると、なんということか、球体は直ちにその色を失い、輝きも褪せてしまった。そして、球体を浮かべていたその不思議な力も雲散霧消してしまったのか、球体はその下にポッカリと空いている穴――つまり、このマホウツカイの胴体に空いた空洞――に向かって自由落下運動をはじめ――やがて、地面にぶつかったのか、なにかが砕け散るような音が穴から反響音として聞こえる。瞬間、あたしをなんとかして掴み取らんともがいていた腕たちも完全にその動きを停止。おそらく、死んだのだろう。そう思いながらあたしは、ゆっくりとマホウツカイの頂上にゆっくりと腰を下ろす。その金属質な冷たい体温が肌に伝わってきて、なかなか気持ちが良い。

 空を見上げると、月がのぼっていた。不可抗力。あたしは件の”ファムファタル”を思い出してしまう。

 そういえば、彼女はアメリカに留学したらしい。パデュー大学。多くの宇宙飛行士を輩出してきた名門大学。

「私はいつか月に行くんだよ」

 あるいはそれは、高校生にありがちな何者かにならなければという刷り込みから出た言葉だったのかもしれない。あるいはプライドの高い女性特有の、満ちることのない上昇志向の言い換えだったのかもしれない。でも、それで実際にアメリカに渡り、宇宙工学を学んでいるというのだから、それはもう、本当だ。だから、あたしは彼女ならきっといつか、月に行けると信じている。

 そして――また同様に、あたしはきっと月に行くことはないだろう。


 ――と、こいゆきからLINEが来た。

「どうだった?」

 ちいかわのうさぎが草むらから飛び出しているスタンプ。ひろゆき顔のくせに、こういうところはマメなのか、なんて思う。いや、モノホンのひろゆきの人柄について詳しいわけじゃないんだけども。

 しくじりましたと送ると、こいゆきからは爆速でスタンプが帰ってきた。ちいかわがピザを食ってるスタンプだった。ちょっとイラッとした。しかし、こいゆきが送ってくるスタンプはちいかわばかりだ。女の子に送るため、ちいかわのスタンプばかり買っているのかもしれない。あたしも買ってみようかな。そしたら、もしかしたら彼女ができるかも……。

 なーんてね。そんなはずはない。そんなことで彼女ができるなら、世の中、マホウツカイなんて一体もいなかっただろう。現実はそうじゃない。

 そのとき、塔のマホウツカイが崩れ落ち、灰へと変わっていく。無論あたしの座っていた足場も崩れ落ちて、あわれ、月を眺めていたあたしは頭から地面に墜落――


するはずがない。


猫のようにくるりと一回転して、そのままさながらアイアンマンが如く、見事に着地――するつもりが失敗して、すっ転んだ。思いっきり顔スライディング。とても痛い。

「大丈夫ですか……?」

 顔をあげると、若い男がこちらに手を差し伸べていた。後ろには、お似合いそうな同年代の若い女。二人はきっとカップルなのだろう。

「……大丈夫ですよ」

 そう言いながら、地面に手を付き、彼の手を握り返すことなくひとりで立ち上がる。

 あんな高所から落下したというのに、身体はピンピンしている。当然っちゃ当然か。なぜならあたしは、

「魔法使いなので」

 さっきの言葉によそゆきの笑顔でそう付け加えた。彼らはそれでもまだ何かを心配しているのか、なにやらまごまごしていたが、やがて去っていった。

 なので、あたしは一人、空を見上げることができる。

ここからはビルがあまりに多いので、月を見ることはもちろんかなわないが。でも、空を見上げると、落ち着いた気分になることは変わらない。

 ヴヴ、と突然スマホが揺れる。見ると、どうやらマリンが意識を取り戻したらしい。死んだとはもちろん思っていなかったし、治癒力の高いホワイトに一緒についてもらっていたから、あまり心配はしていなかったが、それはそれとして「よかった」とメッセージを返しておく。マリンにはあとで稽古をつけてやらないとな。魔法少女は危険と隣り合わせの活動だ。何もマホウツカイになることだけがバッドエンドルートじゃない。

 かくして、家路。

……にしても、今日はもったいなかったかもな、なんて思う。せっかくいい雰囲気で話が進んでたのに。ま、でも後悔してもしょうがない、もっかい一からアポ取るしかないか……と指をマッチングアプリの上にすすすと持って行って初めて一件、通知が来ていることを確認する。通知? ――やば、もしかしてゆきさんから怒りのメッセージかな。まあ、無茶な抜け方しちゃったから、しょうがない。一旦謝って次に向かうか――と思ったら、「お仕事、大丈夫ですか? お疲れ様です!」との優しいメッセージが書いてあって、もしかしたらまだ諦める必要はないのかもしれない。よかった――

なんて思ったら次に続くメッセージで泡を食った。


>そういえば、“あいあん”さん。もしかして、女の子に変身する能力? みたいなの持ってたりしますか?

>実は“あいあん”さんがお店を出ていったあと、ちょっと追いかけちゃったんですけど、“あいあん”さんの姿が女の子に変わって、ビルの壁を蹴りながらどこかに飛んでいくのを目にしちゃって……見間違えだったらいいんですけど、もしかして“あいあん”さんって、魔法少女なんですか?


 そうそう、いい忘れていたが、魔法少女はプリキュアとは違う。別に正体を明かしても特別相手に危険が及ぶ心配もないし、特に仲間内で罰則も設けられてない。

 だが、自分が魔法少女であることを打ち明ける人間はほとんど誰もいない。特に女の子に対しては。

 何故って? そりゃ、簡単な理由がある。


>やっぱり! そうだと思ったんですよ! あの、よければ今度、女の子バージョンでもう一回デートしませんか? あたし、“あいあん”ちゃんにどーしても着てもらいたい服が一着だけあって――


 魔法少女の卒業が、一歩遠のくのだ。

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いつまでも魔法少女じゃいられない 米占ゆう @rurihokori

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