牡鹿半島の死角

@usapon44

第1話 弱小新聞社。

 今日はラッキーでや。

 

 勝ったでぇ。


 まことは、ぱちんこやで、一万5000円儲けたことに満足をした。今日は、なんかええことわりそうや。そう想って、鞄の中のポケットベルを確認する。


 えらいこっちゃ。

 支局から、連絡があった。

 大事件がおこってる。


 まことは、かけだし記者である。支局二年目。部数200部。弱小新聞社のさがである。大手のおよそ30分の一の人数でまかなっているため、ひとりあたりの負担が大きい。休みはあってないようなもので、今日もそうである。県外への外出は、届け出が制である。今日は青空で、行楽日和である。


 きょうのような日は、なんにもおこらんやろ。

 そうあたりをつけて、薄給にすこし、来週、いもうとが東京から、遊びにくるので、小遣い稼ぎをしていたら、


 フィーバーや。

 ぱっか、ぱっか、

 ちゅうりっぷひらいたでぇ。ひとつのちゅうりっぷがひらけば、ほかのちゅうりっぷもひらき、ぱちんこ玉が吸い込まれ、

 玉が、ざっくざっく。


 そうして、清算をすませたら、いま、きがつきました。ポケベルが鳴っていたことに。たぶん、フィーバーのときに、ポケベルが鳴っていたと推測されますという旨を、電話で手短に伝えると、それはそれはゆっくりおくつろぎのところ大変だったねぇ、とパチンコ、わかものらしい、はなやかなご趣味をおもちで、と、森支局長がのんびりと、いって、だいたいのところは、NHKの昼のニュースをうつしたから、それに補足する意味で、牡鹿半島に若い女性の死体があがった。


 取材にいってくれないか。


 ASAPという業務命令であった。


 支局長は、上智大学新聞部の卒で、はなしかたが、ゆっくりやわらかくて、よい声でぜったいに声をあらげたりしないが、なんとなく圧を感じる。ちくちくちくちくちくちく。しかし、口調はあくまでも、ええとこのお坊ちゃまの延長線上だ。こっちが切れて、文句をいったら、あん、とお疲れなんだねぇ、という。ある意味、心理ゲームだ。マスコミの仕事は、諜報活動であるということをまことは悟った。そう悟って、外務省に行きたかった中学生の頃を思い出すのであって、もし外務省にいっていても、僕よりももっと語学堪能者が、現地の幼稚園児でもしっとるでぇ、と、いわれるのだろう。


 子どもの頃は、記者という仕事に、正義感の塊という考えがあった。そうして、ときどきまことが想うところの正義感的取材をする。この記事は支局長、大手メーカーに難癖をつけるような、記事になるからして、記事にするのはどうなんでしょうか、と尋ねても、部数200部なんでねぇ、誰もみとらんよ、という。ジャーナリスト精神をふりまわし大鉈を振るうのは、手新聞の特権らしい。記事を大きな力で揉み消されるのも、大手新聞の特権であって、弱小新聞では、それに打ち勝って正義を手に入れた的なことは、おこらないのだ。

 

 そうはいってもポケベルが鳴るときは緊急事態発生のとき。

 

 至急、現場に駆け付けないと、新聞社としての面目がたたない。まことによって、いままでの長年の培われてきた関係性が、失われることになるかもしれない。地元と新聞社とはいままでのまじめな取材活動で、信頼を勝ち取っているのだ。

 だけれども、まことは、警察まわりが、ことさら苦手であった。胸が苦しくなる。ええことなんてなんもない。つきつめればつきつめるほど、灰色になってしまう。心をば、灰色のペンキでぬりかためたみたいになってしまう。


 ほんとうは、記者に向いていないのではなかろうか。

 ジャーナリスト魂ってなんやったんやろ。

 近づけば蜃気楼のように消えるようなものやったのか、それとも、なんやったんやろなあ、とまことがジャーナリスト魂をこどもの頃、感じた事件もよくよく考えれば、政治は遠くにありて想うもの。近寄れば、首相も、ふつうの、校長先生みたいなひとで、あって、御意見を拝聴してしまった。


 校長先生の恥部をわざわざ暴き立てて、


 ここに正義あり。


 なんていう生徒なんてひとりもおらんかったもんなあ。

 いったい僕は何に向いていたんだろう。


 給料は安く、えっ、まことくん、ここだけの給料で食ってるの。


 とみんながいう。みんな実家が裕福で駐車場経営、アパート経営の副収入があり、松尾芭蕉が、曾良さんを連れて、全国行脚にでているような優雅さがある。


 なんか、ひとりだけ場違いなところにはいってしもた。

 もともと、まことは、IT業界にはいろうと考えていたのであったが、


 おたくのITで21世紀、何がつくれますねん。

 僕の夢はねぇ、そうやな、ドラえもんの恋人の白い猫、一緒に暮らす独居老人や、一人暮らしのOLさんたちのペット的なものをつくることですねん。それには冷たい鉄の塊やったらあきまへんねん。体温と息遣いがなくてはいけませんねん。誰もペットの猫に、最適解をもとめるものおりまへんやろ。


 というような面接をしたので、そんな調子じゃどこもとってくれないよ。ご自分でおもちゃメーカーではつくったら、と言われた。そやから、その技術を盗もうと想ってゆってますねん。


 そういうと眉間に皺をよせ、


 だから、文学部のやつらは、と、IT業界も実は軍事産業であり、思想的にあなたのような方は、問題視されて、弾き飛ばされる不良データー、統計的数値になんら問題がないものであって、業務のスムーズな流れをとめるもの、とみなされます、とどうしてもIT知識が欲しければ、小さな小さな会社でプログラマーから修行することですな、と言われた。まことは、ワープロさえ、うつのが困難であって、すらすらキーボードにも向かいづらいのに、自分が映画監督のようになって、自分のあたまのなかにあることをささっと、ドローイングして、それに従って、21世紀にむけて、こんなこまい白い猫のロボットをつくりたい、つくれればいいな、というと、もう、就職活動はことごとく全滅で、あった。


 そうや、留年しよう。


 坪内逍遥記念館でたくさんの脚本を読んで、映画監督になろう。シナリオライターの学校に通ってシナリオライターもいいかもしれない。もうすこし自分の考えを整理するために、早稲田大学第一文学部の学生であるという特権階級をあと一年延長するのだ。あほか。そんなこと。いもうとも東京の私学にやっとるさかい、就職してくれ、と、おやじがいった。


 映画監督かシナリオライター。いつも目がでるかもわからんし、日の目をみんで、この世をあとにしたやつを、たくさん、とうさんは、しっとる。とおやじはいったので、毎日、おんなじ通勤電車で、出社して椅子に座って、休日にはゴルフいって、接待漬けになって、おやじはいっつもそうや。ぼくだけは特別な椅子が用意されとって、いっつもそこにある椅子に座って、映画館でも、観客になることしか考えとらん。合唱部でもその他大勢のコーラス部隊になることしか考えとらん。僕はもっと、壮大な男のロマンを抱えておるんや、というと、いかれちまった。そもそも早稲田大学第一文学部にやったことが間違いやったなあ、といいだしたのであった。


 映画監督の何があかんねん。


 映画監督いったら、このアパートの大家さんの息子さん、みたいな身分のひとしかなられへん。おやじはそう言い切った。金がいる。いま住んでる家一軒売っても、しょうむない30分映画しかつくられへん。それが中堅地方サラリーマン家庭の現実や。まことは、おやじはポンコツや。中古車ばっかりおかんにあてがって、しょうむない。もっとロールスロイスにのってハリウッドを走るような夢を僕はみたいんや、といったら、


 何ぬかしけつかる。


 と、勉強机の椅子を振り上げ頭を殴ってきた。脳震盪をおこし、しばらく意識がなくなって、目をあけたら天井がみえた。古い、古いアパートの天井をみていると、祖父の家で、日射病にかかって、祖母に、うちわで優しく仰いでもらった、夏の想い出がよみがえった。貧乏が敵や。貧乏が敵やのに、金がない、という理由でなにもかもあきらめなあかん。おやじもそうや。おやじも、自転車で通える大学にいって、奨学金借りて、金に支配されたじんせいや。


 金があかんのやろうか。

 資本主義社会で金儲けの方法をまなぼうとせんのが、あかんのやったんやろか。

 哲学書ばっかり読んどったら、金儲けからますますとおいとおい位置におるもんなあ。


 そやけど、夢がかなえられへんのは、金がないのがあかんのやろな。

 大きく金儲けできへん血筋があかんのやろかな。

 なにがあかんのやろ。


 そうおもっておやじの顔を、優しい瞳でみたら、おやじがとっておきのやさしいこえで、まことは映画監督やシナリオライター以外やったらいったいなにになりたいんや、ときいて、


 それで、新聞記者になりたいな、なれればいいな、というと、細い細いこねをみつけてきて、この、テレビ局が主体の、なんちゃって新聞、弱小新聞に、入社する運びになった。社長は、新聞を、anan族に向けて発信したいという意志をおもちであって、anan族向けの記事、のようなものに重きを置いている。

 だけれども警察との強い信頼関係は新聞社にとっては、たいせつなことで、大手新聞のやつらは、朝駆け、夜討ち、といって、家まで重要な事件のときには、取材にいき、少しでもはやく、犯人につながる手がかりを手に入れ、そうして大スクープをねらう。ほかの新聞社で大スクープがでることを、ぬかれる、という。

 そやけど、僕には苦手や。

 警察の人の、高圧的な外股の歩き方も苦手。

 高圧的な話方も苦手や。

 それに大手新聞は東京大学文学部卒の、女性を配置しとる。

 僕のような野郎よりも、女性の方がいい、というのが、一般的な考えであって、そのすべてのそういう思考回路、が苦手、苦手である。

 殺人、恐喝、暴力団。

 概ね、anan族は、知ろうともしないし、そのような恐ろしい、殺人鬼が、明日、お嬢ちゃんをねらうかもしれませんよ、ということはデパートに向かう人の波を減らしてしまう原因になってしまうので、こう、絶妙に、テレビのニュースでも、殺人事件の取り扱いには、ある独特の報道技法がなされ、また、できる記者は、殺人事件が起こったら、まず、被害者の写真が必要で、その争奪戦みたいなものを、やっぱりかわいい、おんなのこが得なのであって、そういうのも、胸が灰色のペンキでぬりかためられる、殺人事件もルーチンワークのひとつとなると、苦しみも倍増され、ああ、苦手、苦手。すべてが苦手。給料も雀の涙ほどしかもらってないし、誰かが殺されて、その犯人につながる、胸が苦しくなるような情報を、ええことやないのに、それをいちはやく知るためにがんばる、がんばれる、大手新聞社のやつらと、僕はちがうんや。僕は人間の魂を大事にしたいんや。そやから、新聞は、僕は、テレビ欄からしかみん。そやから、あほのかたまりなんや、って記者仲間の大島くんはいう。そやけれども、僕は僕の流儀がある。所詮、あんたら、東大卒とは違うねん、というと、関西弁の皮肉や、というあだ名をつけられた。


 関西のやつは、皮肉やだから、なあ。

 

 確かに、戦後歴代総理は関西からでていない。それはやはり、政治批判が好きな皮肉やが多いこともひとつの要因ですよ、と小学校の女先生にいわれたことがある。


 しかし、警察まわりがことのほか苦手というのは、そこに、正義はあるのか、という問題は、新聞記者、としてのながい、ながい人生を歩いてきたものは必ず突き当たる壁なのだ。裁判を傍聴すると、すべての記事は甘いコーディングがなされたいたことにきづく。このような恐ろしいことが、おこって、死者の絶望。その絶望といったらなんであったのだろうと、死体ありき、で話をすすめ、つるっとした顔の、大手新聞の女性には、なんだか、新人類、と僕たち世代をなづけたひとのきもち、がわかる。

 死者の魂のことを考えると、いたたまれない。人が死ぬことをルーチンワークみたいにとらえないと、うまくいかない。アンドロイド嬢はそのへんのところ、うまい。僕も、そうはいっても写真を撮り、現像室で写真を焼き、僕なりにの記事を書く。真実一路魂は、すみっこにいる、まことの原稿を校正するちゃんじーに引き継がれている。ちゃんじーはなにもいわないで、なにもつげないで、煙草をふかしながら、サバンナの、草食動物みたいに、遠くを、遠くをみて、大きな夕日を、みているようにみえるけれども、鋭い眼光は、何かを見逃さないのだ。

 ぽかをやらかしても、あはははは、と若いっていいねぇ、といってくれる。

 ぼくなんて、うちで、寝転がって、ニーチェを読んでますよ。パチンコやにいきたいだなんて、さすが、早稲田大学第一文学部だなあ。俺とは違うよ。


 ちくりと胸が痛い。

 すざまじい。

 すざまじい嫌味攻撃。


 ポケベルが聴こえるような静かな、ところにいて、明日のために、切磋琢磨するために文章力をつけなさい。それには、哲学的思想が不可欠だ。そんな、ことばを受け取ったような気がする。当たらずとも遠からずだ。


 すいませんでした、と電話ボックスの中で、頭を下げる。

 まことは、支局から貸与されているパジェロに乗り込む。このくるまを運転していると、新聞記者になったという快感をあじわえる。高速も取材だと無料だ。


 海岸にひとだかりがしていた。

 青いあっぱっぱ、を着た被害者の死体がまだあった。


 お人形さんみたいやなあ。


 綺麗なお人形さんみたいや。


 まことは、死体をみて、おもわず、そうつぶやいた。

 こんな綺麗などこかのうら若いお嬢さんが、なにを想って、こんなところで、しにはったんやろ。なんとなく、その靴下の白さが目に入って、これは自殺やあらへんのちがうやろか、と感じた。こんな綺麗なひとがこんなところをわざわざ死に場所に選びはるやろか。そういうふうなことをなじみの刑事にいうと、確かにな、一理あるな、といった。死因は水死らしいが、都会的な雰囲気の死に顔に、ここの場所をわざわざなにゆえに、死に場所に選んだのか、というと、刑事は、少女の頃、家族旅行に夏休みにきた場所だからかもしれないな、といった。ああ、それだったら、僕もなんとなくわかる。僕が首を吊る木を探しに、裏山の、クワガタを取りに行った、木をわざわざ選んで、汚れちまった哀しみに、吾の生まれ変わるべき。みなさんありがとうございました。生きていること自体が、みなさんへの迷惑でした。ごきげんよう、また来世、という感じですかね、というと、若い女性の死体に向かって、汚れちまった哀しみ、というのは、死者に対する冒とくではないかね、とたしなめられた。

 

 その予感が的中したのは、死体解剖の結果、肺に入っていた水は真水であり、海水ではなく、どこか別の場所で殺害されて、ここに運んできて遺棄された、ということである。ラブホで殺したんや。まことは、そう感じた。ラブホで、女に甘い夢をみさせて、殺害したんや。おんなはあっぱっぱみたいなものしか身に着けておらず、殺した後、着せるには好都合や、と、感じた。しかし、まことも、ラブホ、の異質空間と、でてきたときの、外の空気感のギャップを、こないだ、感じたばかりであって、まことは、大学時代からのかの女とだからいいけれども、いいけれども、家庭もちの男のしわざではなかろうか、とふと想った。まことすら、自由な学生時代がなつかしくて、ほんとうにたまにやってくる、大学時代からのかの女と、ラブホにしけこむと、時間がワープされて、出たら、ともだちたちと麻雀したり、ビリヤードしたりしていた、通りがすぐそこにあり、大学四年間だけに許されたぼくたちの、思想散歩時代が、再現するようなきもちがするけれども、こないだ、かの女からは、もう、すっかり変わってしまったわね、とガーターベルトなどを着用して、脱がせるのに手間がかかって、それをかの女が鼻でせせら笑って、すっかり、いなかものになったわねぇ、もっと、まことさんは、わたしの先を、あるいているような、そんなかんじが好きだったのにといわれて、まこともラブホで逆上、という気持ちが、わかるのである。


 男はバカボンドや。


 男は始発駅になりたいと想い、おんなは終着駅になりたいと想う。

 あたらしい私服を着て、まっさらな恋をしてみたい。せめて、旅するように。海岸で貝殻を拾っている少女のようなひとに、恋をしてみたい。


 やはり、女性にははつこいのような少女に感じた透明感を、白い指先を、求めてしまう。大手新聞社の精鋭女性記者も、指先は、綺麗にしている。それに色っぽさを感じてしまう。その指先から流れ出るような美文字をみていると、ほほぉ、と想う。聞き逃したことも、みせてくれたりする。だんだんと、だんだんと、職場になじんできている。だけれどもそれとは裏腹に、早稲田大学第一文学部のドイツ語の授業、みずうみ、の翻訳をしていたときに知り合った、ぴあのが弾けるかの女とずっとずっとこれから先も一緒にいて、もうじき、仙台に引っ越してきてくれるかと想っている。そうして玉ねぎスープをつくってくれ、僕のそばで、難しい本の講釈をしてくれるのだ。

 

 しかし、それはぼくだけの絵空事の空想ばなしやなあ。


 とよく殺人理由にある現実と空想が区別がつかない幻覚状態に陥るという意味さえ、こどものころは、いかれたおっさんだけにおこること、とおもっとったけれどもあいつはもうおるな、うんと年上の男が、と、考えるのであった。


 男と女のラブゲーム。

 都会の遊戯的に語られる。まことも、そういうものが都会にはあることを知ったひとづてであるけれども。


 被害者の身元は、行方不明者の中からすぐに割れ、そうして、ちょっとした聞き込みから、犯人は、不倫関係にあった、医者であった。横浜に5DKの住まいを構え、本妻とこどもたちはそこに住まわせ、自分自身は、病院から、徒歩5分のところに単身赴任をしていた。女は、おなじ病院で働いていた看護婦である。女の名は京子といった。年齢は、二十四歳である。犯人は、四十歳の、内科医、名前を、酒井幸太郎といった。学生運動でキャンパスが荒れ狂う中、真面目に、こつこつと勉学を積み、医者になった。妻は貿易商のお嬢さんで、男の子ひとりは、神奈川県の名門私学に通っている。医者と看護婦。年が十六も違う二人が、なさぬ仲になったのは、看護婦が熱を出してワンルームのアパートで寝ていたときに、蜜柑をもって、男が尋ねて行ったことがきっかけだそうだ。看護婦は少女の頃読んだ漫画の、蒼い薔薇のひと、に医者が似ていて、ずっと、遠くから見守ってくれている、手のとどかない憧れのひとだったそうだ。マッチ一本火事の元ならぬ、蜜柑ひとつ、恋の発火装置。蜜柑かあ。芥川龍之介のはなしを思い出していた。蜜柑はいなかっぺだった少女の頃を思い出させたのかなあ。最初は、納得づくの、仲であった。だけれども、女性が、妻はつまらないおんなだ。君のように、白百合のごとき女性が好きだ、といわれて、だんだんと、所帯をもつ夢を抱いたそうである。男は邪魔になって、風呂で溺死させて、遺体を、車で牡鹿半島まで運び、遺棄した。なんや、なんや、殺す事あらへんやないか、あんな別嬪さんの体を弄んで、殺すなんて、非情な男。それまでまことは医者といえば、沈着冷静に、死体にも迎える冷静な知性のもちぬしとおもっていたが、あっさり、あんなべっぴんさんを、ものいわぬ、おにんぎょう、みたいな死体にしてしまったことで、もともと、そういう、性的嗜好の持ち主ではなかろうか、と、実は永遠に自分のものだけにしたかったのは医者ではなかろうかと、ひとりで、推測し、支局にもどって、情事のもつれ、というたった、六文字。書くとたった六文字におさめて記事にした。記事を書いて、パジェロに乗ってマンションに戻った。冷蔵庫から豆腐をだし、麻婆豆腐をつくった。弱小新聞社やけども。それだけひとのことがようわかるんかもしれへんな。まことは、自分の推理が概ね当たっていたことでそう想った。

 大手新聞のやつは、特権階級で、潤沢な取材費がある大手新聞が羨ましくおもっとったけれども、そうともいえん。葱を刻みながら、葱ばっかり、刻む仕事があるはなしを思い出していた。それは子供の頃の話で厨房の奥に葱ばっかり刻む男が、腰が曲がっても葱ばっかり刻み続けていて、その男の葱をざるそばに、いれて食べることで店に行列ができているというはなしである。当時は、そういう丁稚奉公世代のひとが、もう小学生の自分からずっと葱だけを刻む仕事についていて、もう、あそこであんなおいしい葱とともにそばをいただくことは、もうすぐ、その人の引退の日が近づいているから、食べれないよ、などと聴いていて、その頃に、長嶋茂雄が、引退したのであって、葱ばかり刻む仕事よりも学歴をつけて、18歳までの努力で、楽をして生きなさいね、的な思想があった。

 しかし、葱刻みの仕事は、奥が深い。なんというか、やっぱり支局にいるちゃんじいと同じで、ちゃんじいは、じいちゃんをひっくりかえしたモデルのことをデルモというふうな言い方だけれども、全然、なんにも語ってはくれない。取材をして、話を聞き出せんでも、なんとなく、語らない同じ思いを抱えて、夕日をみたい。取材をして得られるとっておきの情報も別にいいや。


 電車に乗ってやってきたかの女に、その殺人事件の話をしたら、かの女は、その女性の恋のブレーキが利かなくなって暴走マシーンみたいになって、たぶん、手に負えなくなって、それで、自分の領域を守って、恋をさらさら紡ぐ男は、面倒になって、殺したんじゃないかなあ、といった。


 恋は、結局、身勝手な、わがままな、Selfishの延長線上にあるわ。


 身勝手でもかまわないさ。

 僕は、そういった。


 そう。

 かの女は、遠くをみていた。


 ああ。

 勝手な思い込みみたいなところがあるもんな。


 かの女は、ふくみ笑いをした。

 わたしね。おいしいハンバーグのつくりかたを、手に入れたのよ。つくってあげる。まことさん好物でしょ。

 このこのこの。

 ぼくはかの女のほっぺをつねった。

 食いしん坊Girlめ。



 

 

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