首吊りoneチャン

川詩夕

「ねぇ」

 高校卒業後、大学へ進学するでもなく、地元で就職するでもなく、人生設計をせずにフリーターになるという道を選択し二十歳を迎えた。

 成人式を終えたという事もあって公然に店や人前で酒を飲めるようになり、飲酒する楽しみを覚えたのも丁度この頃だった。

 といっても、酒は未成年の頃から人並みに隠れてたしなんでいたけど。

 年末の大晦日、小中高と地元の腐れ縁だった幼馴染み三人で酒を飲みながら新年を迎えようという話になり、俺は太一たいち千里ちさとと昭和後期に建てられた築二十数年のワンルームのボロアパートの一室で炬燵こたつを囲んでいた。


「ガキの頃、正月が嫌いだったわ」

秋人あきひとは今でもガキじゃん」

「うるせぇ、お前に言われたくねぇよ」

「元旦の挨拶とか、おせち料理って本当勘弁してほしいよな」

「おせち料理は同意、見た目なんていかにも不味そうだし、ってか実際不味くていつも家族の中で私だけモスドのハンバーガー買いに行ってもらってた」

「だろ? 新年の挨拶がうぜぇのなんのって、家ではきちんと挨拶しないとお年玉貰えなかったんだよなぁ」

「明けましておめでとうって意味がよく分からないし、こっちからしてみれば、めでたくもなんともなくてさ、いかにも古臭い日本のしきたりって感じだよね」

「おじんとおばんの家に行かないとダメだし、行ったら行ったでテレビを見る事しかする事がなくて、その頼みの綱のテレビ番組もどれも似たような雰囲気で本当につまらないんだよ」

「分かるわ」


 自分が座っている床に置いていた煙草の箱に手をやると、中身が空っぽになっていた事を思い出した。

 自分以外は非喫煙者の為、貰い煙草なんて事は勿論できるはずもない。

 万年床の傍に転がっている目覚まし時計に目をやると、午前零時をとうに過ぎており、時刻はまもなく午前一時になろうとしていた。


「もう年越しちゃってるじゃん」

「ほんとだ、全然気付かなかった」

「なぁ、煙草持ってないよな?」

「持ってない」

「吸わないからね」

「あれ? もしかして煙草も酒も切らしちゃった?」

「嘘だろ? もう全部飲んだのかよ? お前らペースが早いんだよ」

「まだ飲み足りない」

「面倒だけど買いに行くしかねぇな」

「私、末端冷え性だし、寒いの苦手だから代わりに買いに行って来てよ、お留守番しとくからさ」

「お前が一番飲んでるんだから、お前が買いに行けよ」

「私は今まで真っ当に生きてきたのに、大晦日にそんな酷い仕打ちを受けるの? ひどい!」

「うるせぇよ、何が真っ当だよ、千里は真っ黒だろ」

「はぁ? 真っ黒? ねぇ太一、今の言葉聞いた? 秋人ひどくない?

「まぁまぁ、みんなで一緒に買いに行けば良いじゃん? コンビニもそう遠くないんだしさ?」

「ったく……しょうがねぇな……」

「外はきっと寒いぞぉ」

「しっかり着こまないと風邪引くよ」


 築二十数年のボロアパートを出てから十分も掛からない内に、コンビニエンスストアの見慣れた看板が見えてきた。

 看板の灯りは所々が消えおり、少なくとも数年間は電球を交換せずに放置されたままだ。

 きっとコンビニのオーナーがずぼらな性格なのだろう。

 ビールと酎ハイと酒のつまみを購入してから、ホットスナックを店頭で齧っていた。


「歩いて来たからか、そこまで寒くないな」

「今年の冬は暖冬って言われてるしね」

「寒いよ、早く帰ろうよ」

「気分転換に場所変えて飲まねぇか?」

「良いね、どこで飲む?」

「えぇー? 帰ろうよぉー?」

「近くの小学校とかどう?」

「小学校って懐いね、良いじゃん」

「だるいよぉー」


 コンビニから子供の頃に歩き慣れた懐かしい道を十分程度歩いていると、当時俺たち三人共が揃って通っていた小学校へと辿り着いた。

 冷えた手でダウンジャケットに入れていたスマホを確認すると時刻はまもなく深夜二時になろうとしていた。

 小学校の灯りは全てが消えていて、死んでしまった街の様に真っ暗で静かだった。

 所々塗装が剥げた大きな灰色の門は子供達や教師が冬休み期間の為、当然施錠されている。

 小学校の敷地全体を囲っている背丈の浅い錆びたフェンスを順番に乗り越えて、想像通り容易に侵入できた。

 特に行く宛てもなく歩を進めると小学校の正面玄関へたどり着いた。


「正面玄関ってあんまり来た覚えがないな」

「子供達は下駄箱から昇降口を利用するからね、正面玄関は教師とか来客用だよ」

「ふーん」

「それにしても、この雰囲気すげぇ懐かしいな」

「ここの階段に座って飲もうか」

「良いじゃん、絶景だよ」

「どこが絶景なんだよ」

「正面から真っ直ぐ敷地外の道路まで見えるじゃん、隣は校庭も見渡せるし良い景色だよ」


 正面玄関には段差が低い緩やかな階段が三段しかなかった。

 一番上に寝そべって脚を伸ばすと階段を通り越して、その先の道まで届いてしまう程度のものだ。


「飲もうか」

「そうだな、つまみの揚げ物もあるぞ」

「私それ食べたーい」


 三人で校舎の正面玄関前に座り込み、再び酒を飲み始めた。

 二十分ほど経過した辺りで千里の口数が極端に少なくなった。

 耳を澄ますとかすかにいびきが隣から聞こえてくる。

 いつの間にか千里は横に寝そべる体勢を取り静かに眠っていた。


「寝ちゃってるじゃん」

「これ飲み切ったら起こして帰ろうか」


 太一は手に持った缶ビールを俺に掲げて見せた。

 しばらく互いに無言で酒を飲んでいると、ある事について少し違和感を感じ始めていた。


「太一」

「ん?」

「見えてるか?」

「見えてるかって、アレの事?」

「うん」

「一応ね、見えてるよ」

「見えてるのか、良かった、俺にしか見えてなかったらどうしようかと思ってた」


 視線の数十メートル先に人影が立っているのが見えた。


「犬の散歩してるよな?」

「してるね」


 距離が縮まるにつれて、次第にその正体は明らかになった。

 髪の長い女の人がリードの様な物を引き犬を連れて散歩をしている姿だった。


「それは別に良いんだけどさ」

「うん?」

「何回この前を通った?」

「何回って?」

「普通、犬の散歩で同じ道を何回も通るか?」

「日課なんじゃないの?」


 俺は缶チューハイを片手に犬の散歩をしている女を凝視した。

 俺たちが座っている場所から犬の散歩をする女の顔の表情は、はっきりと見えない距離感だった。


「太一、さっきあの女が見えてるって言ったよな?」

「あぁ……」


 俺と太一は互いに息を呑むような間が開いていた。


「俺の言ってる意味……分かるよな……?」

「分かる……」


 身体がむずかゆく、どこか嫌な感覚がまとわりついている。

 交わす会話は途切れ途切れで奇妙な間が開いてしまい、どこか釈然しゃくぜんとしなかった。

 

「明らかにおかしいだろ……」

「おかしいね……」

「あの女、途中で消えてないか……?」

「…………」


 犬の散歩をしている女は唐突に道路に現れては俺と太一と千里の前までゆっくりと歩いて来る。

 まるで俺たち三人を目印としているかの様に近くまで来るとUターンを行い背を向けて去って行く。

 そして、ある一定の距離へ到達すると犬の散歩をしている女はふっと消えてしまう。

 何度も、何度も、同じ場所で、同じ事を繰り返している。


「千里! 起きろ、起きろよ!」


 俺は慌てて千里の目を覚まさす為、強引に身体を何度も揺すった。


「なに? やめてよ、痛い、分かった、起きるからぁ」

「早く起きろって! やばいんだよ!」

「何がやばいの? てか、寒っ!」


 太一は犬の散歩をしている女の方をじっと凝視している様だった。

 千里が身体を起こし寝ぼけ眼で辺りを確認する。

 俺はその場で立ち上がりゆっくりと犬の散歩をする女が居る方へ振り返った。

 犬の散歩をする女は丁度Uターンしていた場所で立ち止まると同時に一瞬でその場から消えてしまった。


「なに今の!?」

「うっ……」

「…………」


 校舎内の廊下を歩く足音が何処からか聞こえてきた。

 その足音は無人の校舎内を反響する様に響いている。

 足音は次第に大きくなり、明らかにこちら側へと近付いて来ていた。

 俺はその場に立ったまま、まるで金縛りにあったかの様に動けずにいた。

 横目で太一と千里の存在を確認すると、二人共その場で二宮金次郎像みたいに固まってピクリとも動きを見せなかった。

 足音は間近に迫っていた。

 何度か映画で観た事のある走馬灯のシーンが頭の中で高速再生された。

 映像は俺たち三人が置かれている状況を俯瞰ふかんした様な内容だった。

 廊下を歩く足音が真後ろで聞こえた途端、俺は息を飲んだ。


「「ねぇ」」


 耳元で聞いた事のない女の声が聞こえた。


 俺は声にならない声を張り上げ、その場を飛び退いた。

 太一と千里も悲鳴を上げて転げながら後ろを振り返っていた。

 しかし、そこに女の姿はなかった。

 三人共が驚愕しながら周囲を確認するものの誰の姿もなく、只々真夜中の静けさだけがそこに在った。


「真後ろに誰か居たよな!?」

「耳元で女の声が聞こえた……」

「足音は確かに聞こえたけど、声なんて聞こえなかったよ?」

「え……?」

「千里、女の声で『ねぇ』って聞こえなかったの?」

「何も聞こえなかったよ?」


 太一は顔を顰めて何かを思い出そうとしていた。


「そういえばさ、俺たちが小学五年生の時の運動会で何が起きたか覚えてる?」

「五年生?」

「もしかして……プールの隣の……アレ……?」

「そう、それだよ」

「なんだよ、何があったんだよ?」

「秋人、本当に覚えてないの? 運動会の真っ最中にプールの横にある大きな木で、女が首吊って死んでただろ?」


 一瞬にして当時の記憶が鮮明によみがえってきた。


「あっ……あったなそんな事……今思い出した……」

「話には聞いてたけど、私はそれ直接見てないんだよね」

「女が首吊り自殺してたんだよ、そのせいで運動会は昼間で中止になった」

「俺……そういえば見たわ……」

「見たって……何を……?」

「その女だよ……首吊ってる女の死体を見た……友達に誘われて一緒に見に行ったんだよ……そしたらさ……その女が本当に地面から宙に浮いててさ……顔の表情までは見えなかったけど首がこう……ぐにゃって折れた様に曲がってたんだよ……」

「俺もその女を見たよ、服装までは覚えてないけど髪の長い女だった事だけは覚えてる」

「そうなんだ……」

「その時に自殺した女って事……?」

「かもしれない……」


 気温が低い事も相俟あいまってか、その場の空気が一変に冷え込んだ気がした。


「違うの……そうじゃないの……」

「違うって、何が違うんだよ?」


 千里が急に首を左右に振りながら言葉を続けた。


「さっき太一は女の人の声が耳元で聞こえたって言ってたでしょ?」

「あぁ、言ったね」

「私には荒い息遣いか聞こえたの……何だか首が閉まってて……苦しんでる様な感じの……」

「何だよ……それ……」

「そんな息遣いは聞こえなかったよ……」


 千里はうつむきながら両肩を少し震わせていた。


「足音は……足音はどんな音だった……?」

「足音は、ヒールまでとは言わないけど、靴底が硬い様な感じの音だった」

「たしかにそんな感じの足音だったな、それがどうかしたのか?」

「私には……私には犬の足音が聞こえたの……犬が四つん這いで歩く時の……爪が床に当たって鳴る音があるでしょ……その音だった……」

「確かに犬の散歩をしてた女だったけどさ……」

「校舎の中から聞こえてきたのは人の足音だったよな……」


 千里は何かに怯えている様に見えた。


「運動会の後にさ……もう一つ有った事……覚えてない……?」

「もう一つ?」

「犬がさ……その……同じ木で……」

「あっ、そういえば……」


 太一は何かを思い出し千里の目を見つめた。


「犬が首吊ってたやつか……」

「違う、あれは変質者に殺されたんだよ。学校で飼ってた犬の首にビニールの紐がぐるぐる巻きにされて木に吊るされたんだよ、たしかそうだったよな? 千里?」


 千里の目からポロポロと涙が溢れていた。


「千里……」

「おい……どうした……?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

「千里、大丈夫か?」

「犬を殺したのは……私なの……」

「えっ?」

「千里が……? どうして……?」


 俺は少しの間、千里の言った言葉を上手く理解できなかった。


「私……運動会の時にね……首を吊って死んだ女を見れなくてさ……すごく……凄く悔しかったの……運動会が終わった後もしばらくの間はその話題で持ち切りで……その……クラスで話してるみんなの会話についていけなくなって……それで……犬……犬の首吊りを……自作自演して……私が最初に発見した事にして……クラスのみんなに自慢したかったの……」

「そ、それで殺したのか?」

「うん……」


 太一は俺と目を合わせた後、気まずい沈黙を破ろうとするかの様に体を動かし始めた。


「まぁ、子供の頃の話だしね、時効だよ時効、秋人もそう思うよね?」

「…………」


 太一は小声で「おい」と言い俺の肩を軽く揺すった。


「そ、そうだな、時効だよ、ガキは残酷な事を平気でする年頃だからな、はははっ、やっぱ千里は真っ黒じゃねえか! なぁ太一?」

「フォローになってないよ……」

「ごめんなさい……」


 千里は泣きながら何度も俺と太一に謝った。


「千里、謝る相手は俺達じゃないだろ?」

「たしかに」

「明日またここに来ようぜ、線香とドッグフードを持ってよ?」

「そうしよう、それが良いよ千里、今日はもう大人しく帰って寝よう」

「うん……そうする……」


 翌日の昼過ぎ、俺たち三人はコンビニでドッグフードと犬のおやつを買って昨日の深夜しこたま酒を飲んだ小学校へと赴いた。

 線香は実家住みの千里が仏壇の引き出しから持ってきた。

 小学校へ着くと、プールの横にある女が首を吊って死んでいた木のある方へと向かった。


「ここだよな?」

「大人になってから見てみると、案外小さな木なんだね」

「まぁ、背の低い女の手が届く範囲じゃないとな」


 千里は神妙な面持ちで木の下へしゃがみ込むと、地面の砂を寄せ集めて小さな山を作った。


「何だよそれ? 墓のつもりか?」

「違う……お線香を立てる為……」

「おう……」

「ライター貸してくれる?」


 俺は無言でポケットにつっこんでいたライターを千里に手渡した。

 千里は長細い箱から線香を数本抜き取り木の下に作った砂山へとつき立てた後、先端に火を灯した。

 千里はその場にしゃがみ込んだまま、目を閉じ両手を合わせて拝んでいた。

 俺と太一はその光景を見て、手に携えていたドッグフードと犬のおやつをお供えものとして千里の作った砂山の横へ置いた。


「手合わせとくか」

「そうだね」

「女はどうする?」

「女?」

「犬だけじゃなくて、女も死んでるだろ?」

「女の冥福も祈ろう」

「あぁ、ついでだしな」

「ついでって……」

「俺は自殺するような弱い奴は嫌いなんだよ」

「弱いからって自殺する訳じゃないでしょ」

「自殺する奴より、犬や人を殺すような奴の方がパワーがあって好きだわ、コイツみたいによ」

「千里は犬を殺したけど、人は殺してないよ」


 千里は無言で俺と太一をにらんでいた。

 相変わらず人相が悪い。


「よし、終わった、これで満足して成仏しただろ?」

「ドラマとか映画だと一応これでハッピーエンドだね」

「寒い寒い、もう行こうぜ」

「千里、大丈夫?」

「うん……大丈夫……」

「ラーメン食いたい気分だ」

「首吊りのひもからめんでも連想したの?」

「おう、そうだよ、悪いか?」

「私、味噌ラーメンが食べたい」

「コンビニ寄って買って帰ろうぜ」

「ラーメンは醤油以外は邪道だと思うんだよね」

「うるせぇ、腹に収まれば何でも良いんだよ、なっ千里?」

「うん!」


 翌日、千里は小学校のプールの横にある件の木で首を吊って死んだ。


 太一曰く、俺の心無い発言を真に受けた首を吊って死んだ女小学校の運動会でが千里を殺したとの事だった。


 訳が分からない事を吐かされて、ムカついた俺は微笑を浮かべる太一の顔を一発ぶん殴ってやった。


 犬殺しも、人殺しも、スピリチュアル野郎も、ろくなでもない奴ばかりだ。

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首吊りoneチャン 川詩夕 @kawashiyu

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