ヴォルコン湿原にて

 王都を東に出て、商業都市ミラレオンに向かう途中、北に馬車で丸1日かけて進む。


 そこは先時代の大戦の傷が残る、湿った草木とそれらを捕食するモンスター、深く沈むような暗さを伴う霧だけがはびこる湿原。

 行商人や旅人が迂回し、一部の冒険者でも近寄らない危険区域――ヴォルコン湿原だ。


 そんなところに足を踏み入れるのは、我らが『セレナ団』である。


「ここが、幽霊屋敷の目撃情報があったところなんだよね?」

「そうだ。ヴォルコン湿原地帯……2か月前、近くの街の住人が、幽霊屋敷が歩いているのを見たらしい」


 湿り気のある雑草を踏みながら、一行は霧の中を歩いてゆく。


「あたし達も聞き込みしたのに、そんな話、全然知らなかったよ!」

「ダンテはどこで情報を仕入れてるの?」

「知りたいことを何でも知ってる、お友達がいるのさ」


 メンバーの最後方を歩くダンテは、3日ほど前の会話を思い出しながら言った。

 彼は事前に、喫茶店でマスターから情報を仕入れていた。


『――ダンテさん、こちらが幽霊屋敷の資料です』


 カウンターに置かれた書類は少なく、記された内容も薄っぺらいものだ。


『目撃証言と姿かたち、以前のクエスト受注者……これだけか。こいつの正体についても、聞いておきたかったんだが』

『申し訳ありません。まだ存在していない情報は、流石に揃えられませんので』

『王国の貴族全員の弱みを握ると言われたマスターでも、知らないことがあるんだな』

『一皮むけば、私もただの人間ですからね』


 特級冒険者時代に世話になった喫茶店でも、正体不明のモンスターは専門外らしい。

 だからダンテも、大人しく他の冒険者のように、自分の足でヴォルコン湿原を歩き回るしかなさそうだと思った。


「俺が知っているのはこれだけだ。後は根気よく、手掛かりを探すしかないな」

「だね! よーし、幽霊屋敷を見つけて、めざせ10万エメトだーっ!」


 セレナがぴょんと跳ねて、霧の深い方へと駆けてゆく。

 元気なのはいいことではあるが、あの調子だと底なし沼にはまっても気づかなさそうだ。


「あまり離れすぎるなよ。霧が濃いし、はぐれるぞ」

「大丈夫、だいじょーぶっ! あたしについてこーいっ!」


 きょろきょろと辺りを見回し、あれでもない、これでもないと石をひっくり返し、木々の隙間を覗き込むセレナを見て、ダンテはため息をついた。


「ったく……金のことしか頭にないのか、あいつは……」

「それがセレナのいいところで、悪いところ」


 リンはダンテの隣で、相変わらずの死んだ魚のような目でセレナを眺めていた。


「リンは平気なのか? 女の子は、お化けや幽霊が苦手な子が多いだろ?」


 素朴そぼくなダンテの疑問を聞いて、リンが鼻を軽く鳴らす。


「ダンテ、発想が古臭い」

「余計なお世話だ」


 古臭いというのは彼自身、存外気にしている点である。

 彼の痛いところをついた自覚があるのか、リンはちょっとだけ笑った。


「前にも言ったけど、ボクはお化けなんて信じてない。生き物は皆、死んだらいなくなるだけ。出てくるのは全部、モンスターが起こす現象だから」


 魔導書を揺らしながら歩くリンの発想は、冒険者の中でもかなりドライな部類に入る。

 モンスターを倒し、悪党を殺した後にとむらいをする冒険者も少なくない中で、リンはどうやら、生命の行く先も魂の所在も、まるで興味がないようだ。

 確かに魔法使いは、こういった考えの持ち主が多い。

 もっとも、あくまでダンテの経験則の話だが。


「ゾンビは中に魂なんか入ってない。ゴーストは人間が怖がると知ってるから、そういう見た目をしてるだけ。ボクは筋金入りの魔法使いだ、理屈の通らないものに惑わされないよ」


 ただ、リンはどうやら、ドライさの中に恐れを抱いているようでもある。

 人の恐怖や不安に敏感なダンテの目は、誤魔化せない。


「……やけに早口だな」

「うるさい」


 どうやらリンが口早に話す理屈は、恐怖を隠すヴェールでしかないようだ。


「ま、ビビって身動きのひとつも取れないよりはずっとましか」


 強がる子供の頭をわしゃわしゃとでながら、ダンテは少し離れたところにいるセレナに声をかける。


「セレナ、どうだ? 変な匂いはしないか?」

「ダメだね、匂いは霧でかき消されるし、尻尾はなーんにも反応しない! 幽霊屋敷どころか、モンスターの気配だってちっとも感じないよ!」


 五感が優れているとされる獣人でも、猫耳族はより多くの知覚が敏感びんかんだ。

 人間が見つけられない遠くのものを見たり、ドワーフやエルフ族が感じ取れない匂いを嗅ぎ取ったりは朝飯前。

 そのセレナが見つけられないと言うのだから、周辺にいない可能性は高いだろう。


「本当にここにいるのかな」


 リンがぽつりとつぶやいた、証言への不安も頷ける。

 ダンテとしても、そうそう簡単に見つかるとは思っていない。


「最後の目撃情報が2か月前だから、別の地域に移動した可能性は少なくない。もし、見つからないと判断したら、手掛かりを探す方に切り替えるとするか」

「うん、手掛かりだけでも1万エメトはもらえるし、損はしない――」


 本命とは別のセカンドプランも考慮しておくべきだと判断した、その時だった。


「――ふたりとも、動くな」


 不意にダンテが足を止め、真正面を見据えた。


「「え?」」


 何が起きたのかと、セレナも彼の元に戻り、猫耳をピンと立てる。

 リンも含めた3人は、じっと深い霧の奥にピントを合わせた。


「……いる。霧の奥から、俺達を見てる」

「でも、何の気配もしないよ?」

「とにかくじっとしてろ。あっちの方から来るぞ……」


 ダンテが警告すると、ずしん、と湿原を揺らす足音が聞こえてきた。

 つま先や尻尾が揺れを確かに感じているはずなのに、重みがまるでない不思議な足音は、少しずつ近づいてくる。

 霧の中に影が現れ、やがて3人の前に姿を見せる。

 そう、それはまさしく。




「……これが、『幻影の幽霊屋敷』……!」


 巨大な――本当に巨大な、古びた屋敷だった。

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