第二章

 月がのぞいている。とても黄色い月だ。私は窓ガラスに息を吹きかけ軽く擦って拭いた。そして、外を見渡した。腐片が降っている。確かに西風だ。そうやって私は、いつも風向きを裡で唱えた。降る量は昨晩より少ない。あれ程あかるい月明かりであっても、腐片は透けさせる事は無い。偶に、灯台の灯りが空に線を作る。それは少し綺麗だった。見取れていた。


 昼頃、外で乾燥した崩壊の音がした。

私は外に出た。すると其所には、若い女性がいた。三十歳くらいだろうか。まだ幼い女の子を連れている。扉を少し出て見ていると、女性がこちらに気付いた。


「本当に申し訳ありません。子供だけはご勘弁を…。」

と、彼女は震えながら言った


「いえいえ、幾らでも壊してもらって構いませんよ。どうせ崩れるのですから。安心なさって下さい。」


「本当にありがとうございます。」


女性は子供を幾度か叱りながら去って行った。あの声の震えは、恐怖からではあるまい。おそらく青い水の副作用であろう。してみると、矢張り三十歳ほどであることは確かだ。青い水を服用していた最期の世代に近い人だ。


 青い水が底を尽きたのは、丁度二十年前。三世紀に渡り汲み続けたのだから、枯れて当然である。開発は不可能だった。ただ、汲むしかなかった。私は青い水を服用した事は無い。しかし、青い水を売ったことならある。あれはまだ、一七歳の頃だった。私の他に同い年くらいの女性が、水を売っていたのを覚えている。あの水の、うちに何も這入れぬような輝きは、暗闇の果てで舞い込む埃のような美しさだった。その美しさに人々は日常性を見詰め、又、魔性という仮想敵を拵え得々しているのだ。私も例外では無かった。

その女性はいつも私の隣で水を売っていた。彼女目には、何とも言えぬ和やかさがあった。今でも忘れることはない。暫くして、彼女は現れなくなった。どうやら何処へ越したようだ。彼女が居なくなったその日。私は灯台の光を始めて眺めた。町の上に架かる天の川の如き光を。彼女と話すことは無かったが、とても安心していたのを覚えている。その感覚は何故か消えることはないのだ。

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