第3話 寝室

 その後は、何か考える余裕もなく、あわただしくメイドたちにドレスを脱がされて、寝室の脇に備え付けられた浴室で体を洗われた。どなたとも知れない方の浴室を許可なく借りるなんて…とちょっと狼狽したけれど、ユーゴを「旦那様」と呼ぶメイドたちの口ぶりを見るに、彼の親戚筋の家柄らしい。

 我が家の浴室の2倍はありそうな広いバスタブの中で、たっぷりバラの花びらを浮かべたお湯で丁寧に体を清められ、髪を梳かれ、体が透けるようなナイトドレスを着せられる。鏡の中に映る自分の上気した頬を見ると、少しずつ実感がわいてきた。

――これから、ユーゴに抱かれるのね。


 私はふと、彼に初めて会ったときのことを思い出した。15歳だった私たち。入学セレモニーの最中、隣の席に座っていたユーゴがつぶやいた。

『どこの国でも、えらい大人の話っていうのはつまんねーもんだな』

 壇上では、立派なひげを生やした学長が延々とつまらない講釈をたれている。いかにも留学生という風体の彼の率直な物言いと、貴族らしからぬアクセントに、私は思わず吹き出した。

『これから尻上がりにおもしろくなる可能性もあるでしょ』

 こっそり言い返すと、彼は驚いたように私を見た。そして、深紅の瞳を輝かせて、にかっと笑ったのだった。

『じゃあ賭けようぜ。このあと1回でも笑いが起きるかどうか』

『いいわよ。ほら見て、副学長があそこでスタンバイしてるでしょ。絶対何か仕込んでるわよ、合わせ技』

『なるほど、確かに……。やっぱ俺、笑いが起きるほうに賭ける』

『あっ、そんなの卑怯よ!』

 入学セレモニーの間中、私たちはそんなふうにコソコソ笑い合っていた。まるで昨日のことのように思い出す、大切な記憶。


――本当に、ユーゴにこんなことを頼んでよかったのかしら…。

 彼だって、それこそ婚約者が本国にいるのだろうし、もしかしたら初体験を奪ってしまうことになるのかも。今さらながら、少しだけ胸が痛んだ。

それでも、ユーゴは引き受けてくれた――…なんでもないことのように、あっさりと。きっと色々と言いたいことがあっただろうに、私との友情を大切にしてくれたのだ。私は静かに目を閉じて、彼への感謝を嚙み締めた。


 呼吸を整え、覚悟を決めてから寝室に入ると、ユーゴはすでにくつろいだ格好で、ベッドの上に腰かけていた。普段は長いローブ型の制服に包まれていて意識したことがなかったが、全身が鋼のような筋肉に覆われているのがわかる。

 いつまでも立ち尽くしている私を、ユーゴが訝しそうに見上げる。


「何やってんだ?早く来いよ」

「さ…さすがに緊張するわ…」


 思わず声が震えてしまう。ユーゴが大股でこちらに近づいてくる。無造作に髪を下ろしているので、いつもより幼い雰囲気のはずなのに、こちらを射抜くような目で見つめる彼から、あふれ出すような色気を感じるのはなぜだろう…。


「覚悟決めたんだろ?」


 恥ずかしさに耐え切れず視線を逸らそうとする私の頬を、ユーゴが両手でしっかり挟み込み、まっすぐにのぞき込んでくる。ドクン、と心臓が鳴った。

――あ、なんか、やっぱりまずい感じがするわ…!

 反射的に体を引こうとするが、ユーゴの手はびくともしない。ユーゴが、にやりと唇の端を上げて笑った。


「何ビビッてんだよ」

「あ、あの、ユーゴ、やっぱりちょっと早まったかも……」

「今さら取り消せるわけねーだろ」


 アワアワしているうちに、ユーゴに抱きかかえられて、ベッドへと運ばれる。決してスリムとは言えない自分の体を、ユーゴがあまりに軽々と抱き上げるので、私はろくに抵抗もできずにシーツの上に押し倒された。

 ユーゴの深紅の瞳が、すぐ目の前に迫ってくる。心臓が早鐘のように鳴る。


「あ、あ、あの、ユーゴ、やっぱり私……」

「言っただろ、取返しつかないって」


 一瞬、ユーゴが優しく微笑んだ気がした。次の瞬間、私は彼にキスされていた。

 生まれて初めてのキス。ギュッと目を閉じて体を固くする私の肩を、ユーゴの手が優しく撫でる。触れるだけのキスから、徐々にキスが深くなっていく。


「……っ……!」


 すぐに息が苦しくなってきて、慌てて顔をそむけると、ユーゴの手でまた正面に向きなおされた。


「あ、ちょ、っ…」

「鼻で息しろ」


 言葉少なに言って、再びユーゴの唇が私のそれに重なる。そして、彼の舌が強引に唇を割って侵入してきた。頭が真っ白になって、反射的に彼の体を押しのけようとするのだけど、がっしりと体を抱きしめられていて、びくともしない。その間にも、ユーゴのざらりとした舌に口内を舐められ、上あごをかすめられて、くすぐったいような不思議な感覚に襲われ始めた。


「…ふっ…んん……」


 全身の力が、少しずつ抜けていく。彼の熱い舌が私の舌に激しく絡みつき、唇の端から唾液がこぼれてしまうのがわかった。


「ふぅっん……」


 やっとユーゴが唇を離す。どちらのものともわからない唾液が糸を引いて、私は恥ずかしさのあまりうつむいた。ユーゴの指が、優しく私の唇をぬぐう。恐る恐る顔を上げると、ユーゴがギラギラと炎のように煌めく目で私を見つめていた。

――彼が、これでもものすごく我慢してくれていることが、初めてわかった。

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