第2話 処女をもらってほしいの

 もしかしたら、これを頼むことによって、ユーゴとの友情が壊れてしまうかもしれない。だけど……――どちらにせよ、もう二度と会えないのだ。私の胸を、甘苦しい感情が締め付ける。

このまま別れるよりは、思い切って踏み出して後悔したほうがいい。頼むなら、この人しかない。


「ユーゴ、あなたにお願いがあるのだけど」

「なんだよ、第二ボタンか?」


 タキシードの下のドレスシャツのボタンを指でつまんでみせて、ユーゴがからかうように笑う。なんでも彼の国には、卒業の際に好きな異性に第二ボタンをねだる風習があるらしい。緊張感のない彼の表情を見て、ちょっと肩の力が抜けた。


「まあ、それに近いと思ってくれていいわ」

「へっ?」

「一生のお願いよ、ユーゴ」


 私はユーゴの正面に向き直り、彼のがっしりと大きな手を、力強く握りしめた。


「私の処女を、もらってほしいの」


 遠くで、緩やかなワルツの音と、友人たちの笑いさざめく声が聞こえる。めったに狼狽することのないユーゴが、深紅の瞳を見開いたまま、あんぐり口を開けて固まった。



**********************************



「よーし、じゃあ整理しよう」


 あのあと、すぐに自分を取り戻したユーゴは、「詳細は場所を移して聞く」と迅速に私を卒業パーティーの会場から連れ出した。てっきり学園の寮にある彼の部屋にいくのかと思いきや、友人の家だとか言う立派な邸宅の離れに、馬車で連れて来られたのには少し驚いた。――妙に手際が良い。もしかしたら、彼はこういう事態に慣れているのかもしれない、と頭の隅で思った。

 ユリが2本絡まった紋章を掲げる豪奢な邸宅の一室に、わが物顔で押し入ったユーゴは、勝手知ったる様子でメイドに人払いを求めた。そしてビロード張りの上質そうなソファにどっかりと腰かけて、私に向き直る。いつも通りの、彼の落ち着き払った低い声が、今はとても心強い。


「えーと、つまり、おまえは望まぬ婚約をしていて、その最低最悪な婚約者だけに一生身を捧げることは耐えきれず、結婚前のひそかな思い出として、ほかの男に処女をもらってほしい、と?」

「ほかの男じゃなくて、ユーゴに、よ」


 ひとまず一番重要な点を訂正すると、ユーゴはかなり意外そうな顔をして、それからすっと目を細めた。深紅の瞳が、ギラリと光る。普段はヘラヘラしているが、こういう表情をすると、ユーゴはかなり迫力が出るな、とぼんやり思った。


「それは、もしかして…」

「そのとおりよ。つまり、回復魔法が得意なユーゴなら、処女膜も回復できるんじゃないかと思って」

「……――処女膜かいふく……」


 次の瞬間、ユーゴの目からギラギラした光が消えた。そして、私からあからさまに視線を逸らし、へにゃーっと肩を落とす。さすがにはしたない言い方だったか、と私は頬が赤くなるのを自覚した。


「ごめんなさい、もうちょっと言い方を考えるべきだったわ」

「いや……ちょっと思いがけない方向すぎて……」


 咳払いしてユーゴが顔を上げ、姿勢を正す。そして、真面目な表情でじっと私を見据える。


「真剣な話なんだな」

「…そうなの。切実なお願いなの」


 やっぱり、ユーゴは私の気持ちをわかってくれている。それが泣きそうなくらいうれしかった。


「婚約の条件に、処女で嫁ぐこと、という項目があるのよ。これが守られないと、婚約を破棄されて、うちの伯爵家が先方から受けた援助を全額返金しなきゃならないの」

「なかなかエグイ条件だな」

「向こうはお金持ちで、専属の鑑定士がいるから絶対にごまかせないの。だから、残る手段は……」

「処女膜を破った後、跡形もなく魔法で回復させる、か」


 ユーゴが深く息をついて、髪をかきあげた。私はドキドキと高鳴る心臓をおさえて、目の前の彼を見つめる。ちなみに、鑑定士とは体の状態や魔力などのステータスを鑑定できるスキルを持った人のこと。貴重な存在なので、大金をはたいて専属の鑑定士を雇っているのは相当お金持ちの貴族だけだ。高位の鑑定士の目を欺くためには、かなり高度な回復魔法が求められる。


「どう?できそう…?」

「回復自体は全く問題なくできるけど」


 ぱぁっと顔を輝かせる私に、ユーゴは困ったように肩をすくめて見せた。


「でも、本当にいいのか?取り返しがつかないぞ」

「このままあの男に処女を捧げるほうが、一生後悔するわ」


 ブンブンと首を振って否定すると、ユーゴは一瞬考える顔をして、それからいつものいたずらっぽい顔で笑った。


「オッケー。引き受けた」

「本当に!?恩に着るわ…!」


 さすがに少しは渋られるかと思ったけれど、思ったよりもあっさりOKが出て、私は思わずソファから立ち上がってしまう。そして、善は急げとばかりに身をのり出す。


「さすがに朝帰りするわけにはいかないし、あまり時間がないのだけど…」

「いいよ、すぐに始めようぜ」


 言うが早いか、ユーゴが立ち上がって私のほうへ歩み寄り、ぐいっと思いがけず強い力で腕を引き寄せた。今までにない近い距離で彼の腕に抱き留められ、私はビクッと体を硬直させる。

 ユーゴの手が、優しく私の髪を撫でる。


「正直、おまえの婚約者のことを勘違いしてた。貴族にしちゃ珍しく、女性の進学にも理解があってずいぶん器の広いやつだと思ってたら…」


 ユーゴの低い声が、すぐ耳の上から聞こえる。くすぐったくて、恥ずかしくて、私はうつむいたまま動けない。


「魔法を学びたかったのは本当だけど、研究科に進学したのは、婚約を引き延ばしたいのが一番の動機だったわ…」

「そっか。まぁ人にはそれぞれ事情があるからな」


 いかにもユーゴらしい飄々とした言い方で、私は思わず笑ってしまう。ちょっとだけ、体の緊張が解けた。ユーゴが優しく私の頬に触れ、顔を上げると、彼の深紅の瞳がすぐ目の前にあることを改めて実感する。7年間、見慣れたはずのユーゴの整った顔が、初めて見る人のものみたいに感じた。


「じゃ、まずは身支度だな」


 私を励ますように軽い口調で言って、ユーゴはメイドを呼んだ。

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