こんなに愛しているのに。。。(杏子と賢三の物語)

@k-n-r-2023

第1話

 5月の日差しは眩しくて、真夏のそれとは全く違う暑さを伴い、紫外線は真夏よりも強いという。男女ともに学生服は冬服。男子は学ランの前を開けて歩いていると、不良だと言われる。。。通勤ラッシュの電車やバスの中は冷房が効いていても人と触れ合わなければいけなかったり、吊革につかまるために腕を上げている人が多いので、失神しそうなくらい汗臭い。 林賢三は中学の頃からアルトサックスを習い、ジャズを聴くような、ちょっと大人びた、生意気な高校生だ。ちょっと不良っぽい見た目とは正反対に人当たりがよく、商店街を通れば、お店の人達が声をかけ、時間によっては「ほらよ!」とお土産をくれる。今日はお肉屋さんのおばちゃんが、三角コロッケを2つもくれたし、八百屋のおじさんは、りんごを1つ投げてきた。

「よぉ、賢三! 次のライブいつ? また聴きに行くぞ。」

「何だよ、オッチャン、メロンぐらい投げてみろよ!(笑) ライブは当分ないよ。。。色々と聴きには行きたいんだけどね。富士ロックやライブ・アンダー・ザ・スカイのチケットは買ったんだ。。。当分バイトしなくちゃ。。。」

「高校生のお小遣いだけじゃ無理だよな。 そう言えばさ、本牧の居酒屋でバイトする気ない? その店の真向かいにライブハウスがあるんだけど、ほとんどがソウルかブルースやってるんだ、きっとジャズの日もあると思うぞ。よかったら連れて行くよ、バイト先の紹介を兼ねてだぞ。本牧ならオマエ、バイクでいけるだろ?」

「うゎ!それ大歓迎! ソウルもいいよね。行く、行く! 居酒屋のバイトって、高校生でもいいの?」

「バイトなら16歳以上はOKだよ。賢三なら酔っ払いも相手にできそうだしな。(笑)」

「雨の日のこともあるし、バイク以外で行ける方法考えないと。。。でも、とにかく連れてって!」

「居酒屋と言っても、今ふうに言うとカフェバーかな?? 場所柄米兵も多く来るよ、英語の勉強にもなるさ。それに、うまくするとそういう人が基地内のコンサートとか招待してくれるよ。パスポート作っといたほうが良いぞ。基地はアメリカ国土ということになってるから普通の日本人はパスポートが必要なんだ。業者なら何か他のIDでもいいんだけどな。。。」

「パスポートか、作っておくよ。いつ何時海外行くかわからないもんな、俺。(笑)」

「あ、そうだ、今度の土曜に配達があるから、ついでに行こう。配達だし、軽トラだけど、我慢しろよな。(笑)じゃ、夕方5時にここ来て。」

「わかった。じゃ、土曜日よろしく!」



 本牧は、横須賀でも横浜でもない独特の雰囲気がある。かと言って沖縄のような本格的なアメリカ情緒はない。異国情緒のある本牧は面白い。そんな場所にあるカフェ・バーとライブハウス。かっこいいに決まってる。


「高校生でも大人っぽいよね。 サックス吹いているって、珍しい。背も高いし、バスケとかやってないの?」

「運動は好きだったんですけど、中一のときに足を骨折しちゃって、それ以来音楽だけになりました。観たり応援するのは好きです。」

「そうだったんだ。。。中学生で骨折は精神的にもショックだよね。。。でも、サックスとか、打ち込めるものに出会えてラッキーだったんじゃない? さてと、未成年だから、お酒を作ることはできないけど、今後のためにやり方は教えてあげるね。ウェイターがメインだけど、家の店はマナーを重視してもらっているんだ。きっとなじみ客とかできると思うけど、店の中だけはお客に敬語で接してね。 あと、貴方はモテそうだけど。。。ま、その辺は適当に。(笑) 前のライブハウスから流れてくる客は多い、良い曲で高揚していることもあるから、気をつけてね。高揚の意味、わかる? お酒の酔いとの違いもすぐわかるようになる。。。深入りしちゃダメだからね。 わからないことや、困ったことがあったら、僕か僕の奥さんに聞いてね。 ほら、あそこ、編み込みにしてる女性、彼女が僕の奥さん。今呼んでみるね。 みっちゃん! ちょっと来て。」

「はじめまして、美津子です。何でも聞いてきてね。マスターとは年が離れているから娘みたいに見えるでしょ? (笑)でも、もう30なの。高校生から観ると、オバサンよね。。。(笑) とにかくよろしくね!」

「林賢三です、よろしくお願いします。」

「さてと、今日は向かいのライブハウス、良いのが来てるよ。バックヴォーカルの女の子がいるんだけど、まだ大学生でね、どこのバンドにも所属しないんだ。でも、どこのバンドの要請でも受けてる。上手いんだよ。彼女を観ないで聴くと、まるで黒人のアメリカ人が歌っているように思えちゃうんだ。帰国子女なんだけど、黒人音楽を黒人の町でしっかりやってきたらしい。後で一緒に観に行こうね。 じゃ、先に仕事の手順など教える。黒Tシャツと黒いGパンとこのエプロン、後は自由にして。マニキュアもピアスもタトゥー、ついでに化粧だってOKです。あ、でも、美津子はタトゥーが嫌いなんだ。。。彼女は『消えない落書き』って呼んでるよ。。。もしもすでにやってたら、長袖のシャツでも黒ならいいからそれ着てほしいかな。」

「分かりました。俺、タトゥーには興味ないですから、大丈夫です。(笑)」


  向かいのライブハウス『ストンプ』は、中に入るとびっくりするくらい広い。音響などしっかりと整えてあって、スピーカーはすべてJBLだ。最近はBOSEを使っているところが多いのに、さすが、ソウルとブルースにこだわったお店みたいだ。ステージのアンプなどは常設がマーシャル、本格的な音を出すということなんだろうな。こういう店は、横浜や東京には少ないだろうな。。。 店の中はすでに満員、アメリカ軍の兵隊とその連れもおおいから、ちょっと外国にいる気分になる。

 今日のバンドは、ソウルもブルースも、時々ジャズも演奏できるらしい。ギターの人がヴォーカルもやってる。バックで歌っているのがマスターと源さんが言ってた上手な女子大生みたいだ。小柄だけど、スタイルが良くて可愛い。恥ずかしがり屋なのかな? 前に出てこようとしない。

「良い曲やるでしょ、このバンド? この辺じゃ人気があって、いつも満席だよ。 今日は君が見に来るって伝えといたんだ! そしたらね、1曲ジャズやるってさ。サックスの上手いやつも入ってるから、よく聴いてみると良いよ。」

「うわぁ~ すっごく嬉しいです。プロのサックス、ここで聴けるって最高! ところで、ここのお店、BOSEじゃないんですね、俺が行くところみーんなBOSEなんですよ、ちょっとキンキンしててあまり好きじゃなかったから今日は感激!」

「ハハハ! ここはライブハウスであって、カラオケ屋じゃないからね。BOSEはカラオケ屋に多いんだ。がっかり来るような金属音に似た音出すのは、黒人音楽には向かない気がする。良いスピーカーなんだけどね、値段もめちゃくちゃ高いし、高級感出してるのを狙っているけど、俺達の音じゃない。」

「なるほど、俺はまだ若輩者だけど、すごく意味がわかる気がします。」

「音楽の『音』は、生まれる前から、要するに母親のお腹にいるときから良いものを聞かせることが最良なんだよ。だから、若輩者、大歓迎!」

「えー。今日はジャズ好きが来てるということで、ジャズを一曲やりますね。ヴォーカルは紅一点の山本杏子です。サックスは我がバンドの主砲、近藤章がマイケル・ブレッカーを彷彿させますので、乞うご期待です。曲は『The Dry Cleaner From Des Moines』じゃ、どうぞ!」

軽快なドラムから始まるこの曲、杏子のヴォーカルはスムーズに入っていった。賢三は初っ端から圧倒された。後半は自分がやっているサックスの演奏はすばらしいものだった、でも、目が離せなかったのはヴォーカルで、日本人が歌っているとは思えない発音とリズムのセンス。。。そして彼女の容姿と表情は完璧に賢三の好みだった。完全に落とされた。。。

「おい、林君、どうした?? 心ここに有らずだな。。。プロは凄いだろ? 圧倒されちゃった? 良い音だったでしょ?音へのこだわりはライブハウスのオーナーが徹底してるからね。だから下手くそなバンドは使ってもらえないんだ。デモテープ持っていって、OKが出たら演奏できる。ま、今のところプロしか演奏してなさそうだけど、稀にアマチュアの上手いバンドが来るよ。今日のバンドは一部プロ。ヴォーカルの女の子はまだ大学生だ。彼女は抜群に上手、でも、恥ずかしがり屋なのかな??なかなかリード・ヴォーカルを取りたがらないんだ。だから今日はラッキーだったと言える。。。ははーん、、、もしかして林君、杏子さんのファンになっちゃった? 彼女はすぐ帰っちゃうぞ、サインもらうなら、今すぐ外で待っててごらん。」

賢三は慌てて外に出て、楽屋口の方に向かった。楽屋の外で杏子は1リットル入りのミネラルウォーターを飲みながら空を仰いでいた。賢三に気づき、優しく微笑んでくれた。その笑顔は、限りなく優しく、大きくて黒目がちの目は、吸い込まれそうに美しい。賢三は見入ってしまった。

「こんばんは。観てくれてたでしょ? 貴方ね、ジャズが好きという高校生。貴方のための1曲だったのよ。どうだった?気に入ってくれた?」

「・・・・あ、はい。すごかったです。感動しちゃいました。」

「ありがとう。よかったわ。 ん? どうしたの? 私の顔、なにか変かしら? 」

「あ、すみません。 杏子さんきれいな人だなって、、、英語も上手だったし。カッコよかったから。。。」

「きゃ!嬉しいこと言ってくれるのね。(笑)私は常にあのバンドと一緒じゃないけど、ここのクラブではよく歌わせてもらうの。バッキングボーカルとしてね。また聴きに来てくれると嬉しい。」

「あ、俺、あそこのカフェバーでバイト始めたんです。演奏の帰りに時間があるときがあったら、よってください。お好きなお酒一杯、奢らせてもらいますから。」

「あはは、、、それは嬉しいけど、バイトの人に奢ってもらうわけにはいかないでしょ。(笑) でも、必ず行くわ。あそこは数回だけど演奏の後に反省会しにいっているよ。雰囲気いいところだからリラックスできる。楽屋じゃなかなかね。。。 さてと、帰らなくちゃ。今日は観に来てくれて、ありがとう、またね!」

「あの、こんなに遅くに一人で大丈夫ですか? 俺、送ります。今、マスターに言ってくるので、待っててください。」

「大丈夫よ! バス停そこだし、もうすぐバスが来るし、いつもこんな感じだから。 優しいのね。 お名前、なんていうの?」

「俺、林賢三です。17歳です。」

「17歳かぁ。。。体が大きいから大人っぽいよね! いいなぁ、高校2年生だよね。。。青春真っ只中!(笑) 私は山本杏子、フリーランスのヴォーカリストってとこかな?スタジオ・ミュージシャン。 大学は語学力を利用して語学部、英語学科。帰国子女なのよ。英語の勉強、教えてげるよ。あ、バス来た。じゃ、またね、賢三くん。」

賢三は走ってバスに乗り込んだ杏子をじーっと見つめていた。 

「あぁ、なんてこった。。。めちゃくちゃタイプなんだよな、彼女。。。ありかよ、これ。。。」

以来、賢三はバイトに行くことが楽しみで仕方がなかった。ライブハウスのスケジュールはしっかりと教えてもらい、どんなバンドが演奏するかなど、頭にいれることにした。ただ、杏子の出演は決まってない事が多く、見逃さないために、毎回バイト前にクラブに行って『本日の出演者』を確認していた。そう簡単に会えるものではなかった。。。

「どうした?賢三。今日もお目当ての杏子さんは出ないのか? オマエ、とんでもない推しになってんだな。 可愛いもんな彼女。そのうえ、歌わせればダイナマイト、すごいよな。彼女はね、子供の頃アメリカの黒人街の教会に通って、ゴスペルを習ったらしいよ。ちゃんとクワイアーに入ってね。だから呼吸法その他、ソウルを歌えるような人たちと同じ訓練を受けたし、声質が良いから恐れ入っちゃうんだ。スタジオ・ミュージシャンでもあるから、何かの録音があると忙しいらしい。 ま、待つ身は辛いよな。。。」

「そうなんですよ。。。もう一度話してみたくて。。。彼女、めちゃくちゃタイプなんです。 彼氏とかいるのでしょうね。。。」

「あれだけ美人だと、彼氏くらい当然いるさ。。。なーんてね、今はいないぜ。だからチャンスは賢三くんにもあるさ。君は大人っぽいし、彼女はどんなことに対しても偏見がないから、年齢差は関係ないと思う。当たって砕けろ!!かもしれないぞ!」

「俺にもチャンスありますかね。。。 相手にしてくれるかな?。。。 普通、年上の女の人達って、俺のことめちゃくちゃからかって来るんですよ。『坊や、いい子ね、お姉さんと遊ぼ!』っていう感じ。。。それもたった1つ上ってだけでそれでした。。。杏子さんはからかってきたりしないから、相手にもしてくれないかもって思って。。。」

「なによ、賢三くんったら、ずいぶんと弱気じゃない?? マスターも私よりも年下よ。(笑)落とせるかもよ。。。ただ、杏子さんはすごく賢い女性だからね、貴方のことを優先して考えるかも?? だから学校の成績、落としたら、話もしてもらえないと思いなさい。成績落ちたら、ここのバイトも首だからね!(爆笑)」

「えー!勘弁してくださいよ。。。頑張りますから。。。」

「ははは、、、青春だよな。。。やれるだけやってみろ。応援する。ただし、彼女のハードルは高いぞ。賢三はソウルやブルースを網羅してないだろ? 彼女はゴスペルからローファイ・ヒップホップまで全部聴けているぞ。 そう、偏見ないからな。クラシックのコンサートも行ってたし。 ただ、賢三みたくジャズ一筋男は好きかもしれない。 あと、彼女狙いはたくさんいるからな、頑張らないと、サッと拐われるぞ。」

「あら、それは賢三くんにも言えるわよ。 すでに賢三くん目当てでここに来る女の子は多いのよ。『今日はあのちょっとロン毛の子いないんですか??』って何度も聞かれているんだから。うちは商売繁盛に繋がって嬉しいけどね。(笑)」

「杏子さんと話がしたいんですよね。。。俺じゃ子供だって一蹴されちゃうかもしれないけど。。。あんなに素敵な人、今まで逢ったことないし、もっときちんと知り合えるチャンスが欲しいなって。。。」

「分かった。俺からもストンプのオーナーに聞いてみるよ。ま、焦るな。すぐに会えるさ。(笑)」

 

 それから10日近く経ったある日、杏子はカフェバー、カウンティング・スターのドアを開けた。

「こんにちは。ご無沙汰しました。今日は賢三くんいますか?」

「ほら、賢三くん、杏子さん来てくれたよ。」

「あ、杏子さん、こんにちは。 もう来てくれないのかなって思ってたんです。忙しかったんですか?」

「スタジオの仕事が立て込んじゃってて。。。せっかく賢三くんが一杯奢ってくれると約束してくれたのに、なかなか来られなかったの。やっと今日、約束が果たせるわ。 スロー・ジン・フィズ作ってくれる? あと軽いおつまみも一緒に。」

「分かりました。少しお待ち下さい。」

「マスター、あの、スロー・ジン・フィズとおつまみ、何か見繕ってください。俺の支払いでお願いします。」

「かしこまりましたー!!(笑) この1杯を出したら、もう上がっていいぞ。バイト代は俺の奢り。上手くやれ!(笑)」

賢三は、いつになく緊張していた。まさか、ストンプでの出演じゃなく、ここに来てくれるとは期待してなかったから。。。

さて、どんな話しをしたらいいのかな。。。

「お待たせしました。スロー・ジン・フィズと、トルティアチップスにサワークリームとチャイブのディップを着けました。後からサラダとチーズボードが来ますから。楽しんでくれると良いな。。。」

「うわぁ~、豪華だわ。遠慮なくいただきます!」

「杏子さんはヴォイストレーニングとかしているんですか? 楽器とかなにかやってますか?」

「ヴォイストレーニングは、私が子供の頃に習ったやり方で独自に毎日やっているの。楽器はピアノを子供の頃から弾いたけど、嗜む程度。私は音楽を聴くことが最大の楽しみ。」

「そうなんだ。。。俺は中学に入ってから吹奏楽に興味が湧いたのですが、ジャズがすごく好きになって、アルトサックスを始めたんです。今はそこそこの曲は吹けます。ピアノもやりますよ。パソコンに入れて、自分でサックスを合わせられるようにしてます。杏子さんはゴスペルを歌うんですね。」

「ピアノとサックスができるって凄いじゃない! しっかりとジャズバンドが作れそうね。ソロでできるなら、今度前のお店での演奏に参加してもらうかもよ。(笑)これ、マジで。実はサックスの人、ちょっと体壊しちゃって、しばらく演奏できないっていうのよ。グループを作ってたわけではないからみんな気にしないのだけど、サックスがあるとないとでは大違いだからね。助っ人が欲しい時連絡しても良い? あとで連絡先を交換しようね。 じゃ、私の自己紹介を含めた音楽の好みとか教えとこうかな。 誰かに聞いたみたいだけど、私は両親の仕事でアメリカに住んでいたの、結構長く。4歳の頃に渡米したのだけど、比較的近くに黒人街があって、そこの教会に通っている友だちができて、入れてもらえて一緒に通うようになり、声質が良いと言われて、クワイヤー、つまり教会の合唱団に入るように薦められ、両親は大喜びで連れて行ってくれたの。そこでのヴォイストレーニングが今の私の基本。楽しかった。 10歳を超えると本格的になってきて、合唱団の中でもすごく競争心がでてくる子が多くなってね。嫌な思いもしたの。 黒人って、白人から嫌な目にあっていると、卑屈になる人もいるのよね。。。人の下に人を作りたいって願うような態度。。。私はたった1人の東洋人だったから、ターゲットになった。その後怪我しちゃったり。。。リード・ヴォーカルを取れないって、そこから来ているの。まぁ、スタジオミュージシャンが性に合っているというのもあるけど。でも、そういう人たちから守ってくれた人もたくさんいて、今でも親友と言える友達がシカゴにいるの。お金をためて私が行ったり向こうが来たり、良い関係は続いてる。幼馴染って良いものよね。音楽も彼女から情報が来る。彼女もクラブで歌っている。 私には妹がいるの。とっても年が離れているのよ。だから可愛くてね。彼女も私と音楽聞いてるから耳は肥えているわ。でも、彼女は数学とか大好きだから、私とはぜんぜん違う。両親と一緒にシカゴに住んでる。今は私が育ったところには住んでないから、もっと白人の多いところみたい。だから私達姉妹は英語はバッチリ。 賢三くんのご家族は?」

「俺の家族は特筆するようなところはないですよ。親父はオーディオメーカーに勤めてます。母親は高校教師、兄が2人。長男は大学出たばかりで、食品メーカーに勤めだしました。次男はまだ大学生、杏子さんよりも1つ下になるかな? 俺は末っ子。ジャズが好きなのも俺だけ。サックスは中学に入ってすぐ始めました。平凡な家族だけど、両親はけっこう理解あるし、楽しくやってますよ。」

「良い環境で育ったのね! ねぇ? ソウルやブルースは聴かないの? よかったらCD貸すよ。今度、賢三くんのサックス聴かせて。今日、持ってきてる?」

「はい、いつも持ってきてます。気が向くと帰り道、河原でちょっと吹いたりします。」

「そうなんだ! じゃ、後でストンプの楽屋行こう! 完全に防音だから、あそこでちょっと吹いてみてよ!」

「はい! これ食べたら行きましょうか?」

 2人はストンプの楽屋に入った。賢三はサックスを出して準備した。

「何を演ってくれる?」

「えっと、、、ケニー・ギャレットの曲で、November 15 をやります。」

「OK ソロで大丈夫よね? 私、知ってる曲なんだけど、ピアノで合わせるのは無理かも。。。」

「ソロで最初の部分だけにしますから。。。」

賢三の演奏は、高校生とは思えなかった。杏子は聞き入った。そして、実力があることをストンプのマスターに報告し、次の杏子の出るバンドでここのデビューにさせたいと押し切った。

「ねぇ、賢三くん、クルセイダーズって知ってる? ジョー・サンプルのバンド。その中のサックス奏者はウィルトン・フェルダーって言うの、物凄く素敵なサックス奏者なの。彼はベースも弾けるのだけどね。彼らの日本ですごく受けた曲にね、『ストリートライフ』というのがあるのだけど、ヴォーカルはランディ・クロフォード、私の大好きな女性ヴォーカリストなの。彼女ってね、どんなに悲しい曲でも笑いながら歌うのね、それがものすごく素敵な笑顔で、私、大好きなの、だから、その曲を演ることにするからウィルトンのパート、できれば来週末までに吹けるようにしてきて欲しい。ランディのパートは私が歌うから、やってみない? CDと楽譜、今、オーナーさんが持ってきてくれるから待ってて。」

「え、良いんですか? 杏子さんと一緒にセッションできるって、夢みたいだな。。。(笑)」

賢三は、ウィルトン・フェルダーのストリートライフを完璧にコピーすると決めて、学校でも音楽室を占領する勢いで練習を重ねた。杏子のヴォーカルを邪魔しないようにするには、ヴォーカルの入るところ、そして、ヴォーカルからパートを渡されるタイミングなど、本来なら杏子と一緒に練習したかった。彼女に観てもらいながら練習したかった。

 当日にたった2回のリハーサル.ほぼブッつけ本番のストリートライフ。高校生のサックス奏者はどこまでできるか?? みんな期待していた。向かいのカウンティング・スターのマスターと奥さんの美津子さんもしっかりと聴きに来てくれた。

賢三はリハーサルの時点で杏子のヴォーカリストとしての実力を嫌と言うほど堪能した。彼女のヴォーカルを邪魔しない。自分はジャズのサックスを得意としているからどんなときもスムーズじゃなければいけない。そう頭に叩き込んだ演奏は大成功だった。誰が宣伝してくれたのか、客席は満席。多くの米兵が聴きに来ていた。その中で、賢三は堂々と演奏できた。杏子は心底満足していた。

「賢三くん! 大成功よ! これで私と同じようにここでの演奏してもらうことが多くなる。よかったね、一緒に色々とやっていこうね!」

「杏子さん、ちょっとハグしていい?」

「いいよ!」

二人は歓喜のハグをした。たった10分強の1曲だったのに、全力投球した後で二人共にうっすらと汗をかいていた。賢三は杏子のことを離さなかった。最初、小さく驚いた杏子も、それを受け入れて、もう一度抱きしめ直した。賢三の首からそっと手を離し、彼の顔に両手をそっと動かし、髪を指で梳いて瞳を見つめた。賢三の我慢はすでに大きくキャパシティを超えていた。最初はタダ触れるように・・・そして、静かに深く舌を絡めるキスをした。

「杏子さん、、、好きです。付き合ってもらえませんか? 高校生じゃダメ?」

「うん。私も好きだよ、賢三。 高校生だろうが片足棺桶に入っているような爺さんだろうが、好きな人は好きなのよ。これから一緒に楽しく過ごしていこうね。」

「あぁ、俺もう嬉しくって泣きそう。。。」

二人は何度も何度も確認するようなキスをした。 そう、この瞬間が、杏子と賢三の物語のはじまりとなった。



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