第20話 決心



 俺が涼夏に関する噂を聞いたその日の放課後、帰宅のためバス停へと向かった俺は、涼夏に会った。

 ぽつんと佇む彼女が儚くて、声をかけようか迷うほどだった。

 そんな俺に、彼女はなんでもないように話しかけてきた。


 勉強はできてる? とか、家じゃ何してるの? とか。なんの意味もないような世間話を繰り返して、バスに乗ってもその世間話は終わらずに、結局それぞれの家に入るまで俺たちは喋り続けた。

 なんでいきなり、とは言えなかった。明るく笑う彼女にそんなことを言えば、すぐに俺たちのこの関係は崩れて行くような気がしてしまったからだ。


 次の日も、バス停に彼女がいた。偶然だとは思わなかった。

 くだらない会話を家に着くまで繰り返す。俺が願っていたはずの日常。

 だが不思議なことに、俺はこの日々を喜ぶことができなかった。


 勉強会のことを謝った。おかしな噂を作ってしまってごめんと頭を下げた俺に、涼夏はなんでもないように「別にいいわよ」とだけ答えた。

 傷ついているのは涼夏のはずなのに、それを噯にも出さず、彼女は生活を続ける。


 しかしそれでも、噂は容赦無く彼女の心を傷つけ続ける。

 どれだけ強くても彼女は一人だ。人間は一人で生きていけるほど強くはできていない。


 だからこそ、彼女は俺を選んだのだろう。

 少しでも痛みを忘れるため、少しでも現実から逃げるため。


 それは俺である必要はなかったのだろう。ただ彼女から離れず、話をしてくれる人間だったのなら誰でもよかったのだと思う。

 しかしそのことについては俺は何にも問題はない。俺なんかで涼夏が心が少しでも楽になるのなら、擦り切れるまで使ってくれというものだ。


 しかし、近頃見せる、太陽よりも眩しい彼女の笑顔を、俺は素直に喜べない。自分の本音を押し殺して搾り出している笑みにしか見えないからだ。


 俺の力で涼夏の心を救ってみせると息巻いて色んなことを喋ってみたはいいものの、あまり大した役にはたっていなさそうだった。俺はカウンセラーには向いていないようだ。

 俺じゃどう足掻いても癒せない彼女の傷に、俺の心も痛んだ。




 ダラダラと会話を続けながら涼夏と下校する日常は、今日も続いていた。


「じゃあ、また明日」

「おう」


 お互いの家の前で、手を振り合う。少し歪で、割とまともな日常。

 それなのにこれほどまでに疲れるのは何故だろうか。


 制服も脱がずにベッドに飛び込む。肺の中の空気を全て取り出して、新たなものへ入れ替える。一瞬身体が死に近づいて、また生き返っていく。


 涼夏と共に帰るようになって数日経つが、やはり慣れないもんだ。

 近くに涼夏がいて、当たり前のように喋って当たり前のように一緒に帰る。数か月前の俺が聞いたら血涙を流しながら悔しがること間違いなしだろうが、実際は毎日が疲労困憊である。


 当たり前だが、涼夏が俺と帰りたがるなんて異常事態だ……自分で言ってて悲しいが、事実なのだ。


 彼女が俺と一緒に帰っているのは、そうしないと心を保てないからなのだろう。

 クラスでは一人ぼっちで、誰も助けてくれない。しかし家でそんな姿を親に見せるわけにもいかない。そうなると、言葉は悪いが俺という存在は涼夏にとって非常に都合のいいものであったわけだ。


 実際に、俺と喋っている時の涼夏はどこか無理をしているように感じる。

 いつもクラスで見ていたような涼夏であることは間違いないのだが、それを「俺」にするということは今までの彼女を考えるとありえないことだ。


 涼夏と仲良くなれたんだからいいじゃないかと、心の中で囁く自分がいる。

 今の涼夏は俺に縋ることしかできない。じゃあそのままでいいじゃないかと、心のあちこちでそんな声が聞こえる。



 けど、俺が知っている涼夏は、誰よりも明るくて、誰よりも綺麗で、誰よりも強い人間なのだ。

 そんな彼女が弱っている時に俺がそこにつけこんでいいのか、いや、いいわけがない。



 むくりとベッドから起き上がり、カーテンを開ける。すぐ前に見える涼夏の部屋の窓は、いつも通りカーテンがきっちりと閉じられている。


「困った時はお互いさま、か……」


 いつか涼夏に言われたことを思い出す。

 お互いさまなんて言いつつ、俺が涼夏を助けたことなんて一度たりともなかった。


 だからといって、今回も何もせずにことが鎮火するのを待つべきだろうか。そんなはずはない。


 俺は携帯を取り出し、知己と智に連絡を入れた。


 正直、この現状を何とか解決する方法が一つだけある。

 一つだけあるのだが……本音を言うとあんまりやりたくはない。なぜなら上手く行こうが行くまいが、俺が涼夏から嫌われるのは確定しているからだ。



 せっかく縮まり始めた俺たちの距離を優先するか、涼夏の高校生活を優先するか。









 ──答えは案外すぐに出た。


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