第58話 いい案

「別に、僕がどこに行こうと父上には関係ないじゃありませんか」


 エリオットは不機嫌な様子でそっぽを向いた。


(ちょっと! そんな言い方したら余計怒られちゃうでしょ……!)


 リリアナは慌ててエリオットの袖を揺らしたが、改めるつもりはないらしい。

 素直に謝っておけば、なあなあにできたかもしれないのに。

 ひねくれて見えて、そういうところは実直なようだ。そんなところは昔のルーカスによく似ている。

 いつも笑みを絶やさない優しい人だったルーカスは、時折誰より強情になるのだ。そういうときは、誰が何と言っても聞く耳を持たなくなる。


 ルーカスはエリオットの返事にも眉一つ動かさなかった。


「おまえはいい。もう十六だ。あれこれ縛るつもりはない。……が、リリアナはまだ五つだ」

「だから、僕が付き合ってあげたのです」


 エリオットは反抗的な目をルーカスに向けた。

 エリオットがルーカスに対してここまで反抗的な態度を取ったことがあっただろうか。リリアナの記憶にある限りではない。

 ルーカスはただ、静かにエリオットを見下ろすばかりだ。そこにどんな感情が入り混じっているのかは見て取ることはできなかった。


「おまえ一人ではリリアナに何かあったと対処できなかっただろう」


 諭すような落ち着いた声色。しかし、そこには有無を言わせない強さがあった。

 エリオットがちらりとリリアナを見下ろす。

 どうしていいかわからず、おろおろしているところに目が合って、リリアナは作り笑いをすることしかできなかった。

 ぎこちなく笑う顔に呆れたのか、エリオットは深くため息を吐く。


「父上、リリアナはようやく外の世界が広いことを知ったのに、家に閉じ込めておくのは可哀想です。これが父上の優しさなら、絶対に間違えています」


 エリオットの言葉にルーカスの眉がほんの少し動いた。

 その様子を見て、リリアナは目を見開く。

 エリオットがリリアナのために、ルーカスに抗議する姿にも驚いたが、ルーカスの表情がほんの少しでも変化したことのほうが何倍も驚きだ。

 どんな言葉を投げかけても、彼の表情が変化することはなかった。

 もう、笑顔を見ることもできないと思っていたのだ。しかし、たしかに彼の眉が動いた。


 感動していたのもつかの間、ルーカスがリリアナを抱き上げる。


「そうだな。リリアナはもう五つ。出かけたいときに出かけられないのは苦痛だったな」


 ルーカスは独り言のように呟いた。

 リリアナはなんと言うのが正解か悩んだ末、その独り言に肯定するように頷く。外に出やすくなるのは大歓迎だ。

 これから先、どんな問題が生じるかはわからない。毎回、今回のようにこっそりと外に出るのはごめんである。


「……わかった。外に出たいときは言いなさい。安全に外に出る方法を考えよう」

「本当?」

「ああ。今日は何も聞かずに『だめだ』と言ってすまなかった」

「ううん、大丈夫。今日はお兄様が色々連れて行ってくれたから」


 リリアナが笑みを見せると、ルーカスは「そうか」と短く言ってリリアナの頭を撫でた。

 今日のルーカスは饒舌だ。


「話があるからエリオットは執務室についてきなさい」

「ちょうどよかった。僕も父上に相談したいことがあったんです」

「そうか。リリアナは湯あみを済ませて眠る準備を」


 侍女にリリアナを手渡すと、ルーカスは無表情のままエリオットを連れて屋敷の中へと消えていった。

 相変わらず、最低限のことしか言わない。

 けれど、少しずつ変化が見えたようで、リリアナの心は浮足立っていた。


 ◇


 リリアナが部屋に戻ると、ロフは部屋の隅で立ち尽くしていた。

 しかも、真っ暗な部屋で。

 リリアナはため息を吐いた。


「どこにもいないと思ったらこんなところにいたの?」


 いつものロフならば、飄々とした態度でルーカスの後ろに立ち、リリアナを迎えると思ったのだ。

 ロフはにこりと笑みを浮かべる。


「反省中です」

「反省……。ああ、もしかしてお父様が?」

「ええ、お嬢様を危険な目に合わせたことを反省するようにと」


 リリアナの外出で一番割を食ったのはロフだろう。リリアナは苦笑を浮かべた。


「外に出て何かわかりましたか?」

「少しだけ。まず、『聖女の雫』は本当に売られているみたい。多分、ほとんど偽物だと思うけど」


 すべてが本物の『聖女の雫』であることは考えにくい。

 前世では多くの命が『穢れ』の犠牲になっていった。『聖女の雫』が残すほどの余力はなかったはずだ。

 人間には『聖女の雫』とただの水の区別をつけることはできない。

 ただの水をそれらしい容器に詰めれば、信じる者もいるだろう。

 その水の効果などあるわけがない。効果があったと感じたならば、それは気の持ちように過ぎないのだ。


「偽物ならばらよかったではありませんか」

「そうなんだけどね」


 騙されるほうが悪い。

 六年経って『聖女の雫』が出てくること自体がおかしいと疑うべきなのだ。


「何か気がかりでも?」

「うーん。『聖女の雫』で倒れた人がいるって話している人がいて、もしかしたら本物が混ざっているのかも」

「なるほど。ですが、出回っているのはほとんど偽物なのでしょう? お嬢様には関係のないこと。放っておいてもよろしいのでは? それとも『聖女の雫』を勝手に売られるのは許せませんか?」

「正直、今更『聖女の雫』を使って誰が得をしても損をしても構わないよ。騙される人を助けるほど私もお人よしじゃないし」


 前世では名も知らない人たちのために奔走していた。その分今世は家族のためにすべてを捧げると決めたのだ。

 今更、騙された人を救おうなどという殊勝な考えはない。


「でも、聖女の名を勝手に金儲けの道具にされるのを黙ってるのは、性に合わないの」

「たしかに、尊き聖女の名を使って金儲けをするのは許しがたいこと。では、いかがなさいますか?」

「もちろん、全部返してもらうわ」

「どうやって? しらみつぶしに『聖女の雫』を奪って歩きますか?」


 リリアナは腕を組み小さく唸った。

 さて、どうすべきか。

 どうすれば、『聖女の雫』を返してもらうことが可能だろうか。


「そうだ! いいことを思いついた!」

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