第25話 二人分の食卓

 朝起きて、リリアナは首を傾げた。


(なんだろ。すごく慌ただしいというか……)


 いつもの屋敷とは雰囲気が違う。グランツ家はどちらかというとゆっくりとした時間が流れている。しかし、今は屋敷内の緊張感が扉を隔てても尚、感じることができた。


 三度のノックのあと、扉が開かれる。「おはようございます」と言いながら、侍女が今日着る服を持って慌ただしく入ってきた。彼女の手を借りて着替えるのも、その後髪を結ってもらうのも、毎日のルーティーンだ。


 なのに違和感だからけ。


 リリアナは服に袖を通しながら、首を傾げた。


「どうしたの? 今日はなんだか変」

「……お嬢様、落ち着いてお聞きくださいね」


 そういう侍女の声の方が震えている。リリアナは一度だけ頷いた。


「本日の朝食は、旦那様とご一緒でございますよ」


 興奮冷めやらぬ様子だ。リリアナは言葉の内容を理解できず、目を瞬かせた。


「だんなさま?」

「お父様ですよ。お嬢様がお会いしたかったお父様がもう食堂でお待ちです」


 侍女の声には興奮が混ざっている。それが、嘘ではないことを物語っていた。


「本当?」

「こんな嘘、つけませんよ」

「今、食堂にいるの?」

「はい。お嬢様が起きるのをお待ちです」

「じゃあ、急がないと!」

「ええ、髪の毛はブラシでといてまとめてしまいましょう」


 侍女の提案にリリアナは何度も頷いた。


 彼女が髪をまとめているあいだ、リリアナは胸元のリボンを何度も直す。侍女と目が合うたびに、「変じゃない?」と聞いた。


 馬の尻尾のような髪型は、昔を思い出させる。聖女のころは、簡単にできるこの髪型ばかりしていた。


 癖っ毛のせいで毛先がくるくると勝手に巻かれている。そんなところもリリアナと聖女はよく似ていた。


 はやる気持ちを隠すことはできない。五才の子どものやることということで、許してもらおう。リリアナは廊下を駆けた。後ろから侍女とロフが追いかけてくる。


 彼らを待つ心の余裕は持っていなかった。


 食堂の重厚感ある扉は、全身を使って押し開ける。すると、ふわりと優しい香りに包まれた。焼けたパンの香ばしい匂いと、いつも作るスープ匂い。腹が小さく「くぅ」となった。


 食堂の奥にはルーカスが座っている。まるで、最初から置かれていた人形のように、表情一つ変えなかった。


 給仕を担当している使用人がルーカスの向かいに当たる席を引く。


 リリアナはそこだと言いたげだった。


 リリアナはルーカスから自身の席まで視線を巡らせる。長い長いテーブルの端と端だからだ。そんなところではまともな会話はできない。


 前世では長いテーブルの端にみんなで固まって食事を摂っていた。きっと今の使用人たちはそのことを知らないのだろう。


 リリアナはそう勝手に解釈して、ルーカスの側に走った。


 ルーカスは長いテーブルの短辺の席。その席は昔から家長の席だった。その左斜め前が長男の、長男の向かい、家長の右斜め前が妻の席だ。でも、義姉はもういない。ならば、そこがリリアナの席で間違いないだろう。


 子どもには少し大きい席によじのぼる。


 そして、ルーカスに向かってにこりと笑った。


「おはようございます。お父様」

「ああ」

「今日はお仕事大丈夫なの?」


 返事はない。しかし、リリアナの言葉に彼の瞼だけが小さく動く。肯定の意味なのだろう。長いまつ毛が一度だけ上下に揺れた。


(わかりにくい……!)


 目の前に並べられたパンとスープ、そして果物。リリアナはパンを掴み、半分にちぎった。


 焼きたてのパンは湯気を立てる。


 リリアナは懐かしさに頬を緩ませた。オッターの作るパンを朝から家族で食べていた記憶は、聖女が十七才のときまで遡らないとない。両親と兄と義姉。朝は慌ただしいというのに、ここだけは時間の進みが緩やかだった。


 パンに齧りつくと、懐かしさは増す。しかし、ルーカスは目の前のスープにもパンにも興味はないようで、冷めきった珈琲を時折口にしているだけだった。


「お父様は食べないの?」


 リリアナは首を傾げた。


(もしかして、私を待ってる間に食べちゃったとか?)


 起きるのが遅かったのではないかと悩んでいると、ルーカスは静かな声で言った。


「私はいい」


 短く、たった一言だけ。


「おなかいっぱい?」


 精一杯、子どもらしく聞く。彼は肯定も否定もしない。


(そういえば、痩せた気がする)


 雰囲気が変わったため、体型にまで目がいかなかった。しかし、落ち着いて見てみれば、昔よりも随分と痩せてしまったのではないか。


(たくさん食べさせないと……!)


 少しでも食べてもらわなければいけないと、リリアナは思った。このままでは倒れてしまう。この五年、どんな生活をしていたのかは知らないが、数日に一度家に帰る以外は外で過ごすような生活だ。碌でもないに違いない。


 リリアナはパンを皿に置き、一度椅子から降りた。


 ルーカスの隣まで歩み寄る。そして、小さく俯いた。ギュッと目を閉じてみるが、寝起きで目が乾燥しているからか、涙はたまらない。


 口の奥を開いて、あくびをする。


 リリアナはルーカスの服を掴んだ。


 わずかに湧き上がった涙を目にたたえ、彼を仰ぎ見る。


「私と一緒じゃ、ご飯食べたくない……?」

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