第19話 魔族の存在

 霧が晴れたような気分だった。事情が少し明るみに出ると、その痛いほどの視線も理解ができる。憎悪は少なく、好奇心の混じるような探るような目だ。


(ああ、なるほど。さながら私は魔女の娘であると言われているのか)


 エリオットの服の裾を掴みながら歩く。手を繋ぐのは嫌がられた。だから、仕方なしに服の裾を掴んだのだが、それは嫌な顔をしながらも許されたのだ。


 もしも、本当に義姉が魔女として裁かれたのだとしたらグランツ家の立場は複雑だ。聖女の生家であり、魔女を妻に持った家。


 この状況がリリアナを更に冷静にさせていく。聖女の死からたった五年でグランツ家の世界は変わった。魔王が人の世界に侵食して二年で聖女を取り巻く世界が一変したように。


 五年で二人がこれほどまでに変わってしまったのも頷ける。全ては聖女の死がもたらしたものだ。


 裾を掴む手に力が入る。


「あまり強く掴むと皺になるだろ」


 エリオットが顔を歪めてリリアナを見下ろす。


「離したら迷子になるでしょ?」

「おまえがな」


 リリアナは今まで以上に手に力を入れ、裾に皺を刻んだ。これを離したら溺れてしまいそうだったのだ。何に? 何にかはわからない。


(前向きだけが私の取り柄なのよ。しっかりしなさい、リリアナ)


 自分が聖女として一人で魔王と戦わないといけないとわかったときも、『穢れ』の治療に必要な『聖女の雫』の精製に間に合わず、多くの人も大切な両親すら失ったときも。死んで生まれ変わったときも、泣かなかった。


 前を向いて歩く。それがリリアナに今できること。


(義姉様のことは今はどうにもならない。そうでしょ? 今は二人のことを考えるべきよ)


 きっと義姉が側にいたらそう言うに違いない。


(前を向くのよ、リリアナ。そのために生まれ変わったんだ)


 亡くなった両親も、義姉も皆、家族である聖女を支えた。聖女が前向きであったのは、いつも泣き言を言わずに背中を押してくれた家族がいたからだ。


 街中、国中が『穢れ』の影響を受けているとき、それを救えるのは聖女が作った『聖女の雫』だけだった。それは、癒やしの光から作られる特別な薬。一気に全員分が作れるわけではない。


 聖女の力が目覚めた最初のころは一つ作るのにも手こずった。慣れてきたころにはどんどんと『穢れ』による病の罹患者が増えていき、結局薬は足りないままだ。


 聖女は家族や屋敷の者が罹患してもすぐに治せるように、人数分の『聖女の雫』を屋敷に保管し、隣の街に出た。そのとき、聖女ができる家族への精一杯だった。本当は、ずっと側にいたい。その気持ちをしまい込んで、一人で外へ出た。


 しかし、次に帰ってきたときには両親はいなかった。


 街中の人が苦しみ、聖女の力を知ったものたちがグランツ家に押し寄せたのだという。


 両親は「このままでは二人の子が死んでしまう」と涙した男に自分たちの分の『聖女の雫』を分け与えたのだ。


「お嬢様? 大丈夫ですか? リリアナお嬢様?」


 深い深い水底から引っ張り出したのは、穏やかな声だった。


「あ……れ?」


 ぽかんと、目の前のロフの顔を見やる。なぜ、その顔が目の前にあるのか、リリアナは状況がつかめずにいた。だって、式典を終えて、馬車に乗って。そこから記憶がない。


「式典でお疲れですか?」

「いつの間に屋敷に?」

「面白いことをおっしゃいますね。自らの足で馬車を降りて、部屋まで戻って着替えまでされたではありませんか」


 ロフは首を傾げた。


 リリアナは自身の姿を見る。紺のドレスではなく、いつも着るワンピース。侍女の趣味なのか、可愛らしい色が多い。今日は桃色だ。


「何かわかりましたか?」


 ロフの言葉にハッとなった。


「お父様は?」

「旦那様でしたら、お嬢様を馬車から降ろしたあと仕事だと言って出て行かれましたよ」


 ごく当然のように彼は言った。そうだろうな、とリリアナは相槌を打つ。


「収穫はございましたか?」

「少し……。ううん、とってもあった。怖いくらい」

「それはよろしゅうございました」

「良いのか悪いのか」

「知るということは進むということです」

「それは、どの本の受け売り?」


 リリアナは笑った。彼が語る“心に響く良い言葉”は大抵が何かの本からの引用だ。彼がそれを吸収して人間になっていくような感覚すらある。


「そうだ。ロフに、いいえ、魔王であるあなたに確認しておきたかったのだけれど」

「なんでしょうか?」

「あなたには魔王の死を憂う魔族は存在するの?」


 宰相は確かに「魔族が魔女を遣わした」と言った。それを確かめる手立ては今のところロフしかいない。


「聖女だったあなたが一番分かっているではありませんか。私は王とは名ばかりの存在。魔族などという仲間はおりません。それに、私は死んでおりませんし。私に眷属しているとすれば、私の生は本能的に分かるはずですよ」


 リリアナはこくりと頷いた。


 聖女は一度だけ、北方の森の奥――魔王の根城へと赴いたことがある。人は寄りつかない寒くて深い森を抜けると、岩肌を削って作られた城がある。木枯らしが吹き荒れ、門を守る者はない。時折、小さな妖魔が横切るが、聖女の存在で消滅してしまうか弱き存在だった。


 彼はその冷たくて暗い岩の城で、たった一人で生きていたのだ。

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