第16話 迷子

 馬車という空間は非常に窮屈で、広い鳥籠の中で五年間暮したリリアナにとって息をするのも苦しい場所だった。


 進行方向とは逆側に座ったリリアナは歪に過ぎる風景を眺める。五年ぶりに見る懐かしい風景のはずなのに、初めて見るようだった。


(驚きすぎて、結局何もいえなかったじゃない)


 氷の彫刻のように変化したルーカスを、他の者たちのように「こわい」と感じたわけではない。あまりの変貌ぶりに驚いてしまったのだ。


 春の日差しのような暖かさを持つ人だった。似て非なる世界に転生したと言われた方がしっくりくるほどだ。


 しかし、「こわい」とは違うような気がする。リリアナは窓の外を見ているふりをしながら、横目でルーカスの姿を見た。


 向かいに座る彼もまた、逆の窓から外の景色を眺めている。窓枠に肘をつき、何を考えているのかわからない顔で。


 姿形は五年前とさほど変わらない。けれど、纏うの空気の温度がまるで違う。


 リリアナは気を遣うのも忘れて、真っ直ぐルーカスの姿を見た。


(何から聞けばいいんだろう? さすがに五歳の娘から「この五年で何があったの?」とか聞かれたら気持ち悪いよね)


 生まれ変わりであることは、言ってはいけないようなことのように感じる。


 リリアナはうーん、と唸った。


 リリアナの小さな唸り声に気がついたルーカスが窓から視線を戻す。


 真っ直ぐに絡み合った視線。リリアナは目を瞬かせた。


「おと――」


 リリアナが声を発したとき、ゆっくりと馬車が止まった。


(タイミングが悪すぎるっ!)


 気づけば既に王宮に到着していた。長いようでとても短い旅路だ。


 リリアナはルーカスの背を追いながら馬車を降り、唇を尖らせた。


 視線が集まる。前世から視線は集める方だった。これでも世界を救った聖女だったわけだし。ルーカスも聖公爵という尊い身分で、この容姿である。


 最初は全てルーカスに向けられている視線かと思っていた。しかし、それにしてはやけに下向きなものがある。彼の足元、いやリリアナに向けられているものだ。


 ルーカスの娘が珍しい……というわけではないだろう。


 前世でも何度か王宮で開催された式典に参加したことがある。その全ては聖女としてだったが。


 そのとき、王宮に出仕している侍女に聞いたことがある。侯爵以上の爵位を持つ家の子は五才から式典に参加するのだと。


 それは半ば強制的なものだ。国の未来を担う上級貴族なのだと幼いころから叩き込むためだと聞いて、相槌を打ったことがある。


 その証拠に同じ年のころの子を連れた貴族は他にもいる。なぜ、リリアナだけが目立つのか。


 リリアナは小さく首を傾げた。


 ぶつけられた視線を辿ると、目が合う。しかし、すぐに目を逸らされてしまう。そんなことを何回もやっているうちに気づいてしまったのだ。


(お父様が……いない!)


 きょろきょろと辺りを見回す。人、人、人。談笑に耽る人、ソワソワと開始を待つ人、何度も髪の毛をいじる人。


 こんなに人がいるのに、ルーカスの姿は見えなかった。


 迷子。その二文字が頭を過ぎる。


(こういう人混みの中では子どもと手をちゃんと繋いでいないと、はぐれちゃうのよ)


 男親だから、そういうのに疎いのだろう。聖女がいつも甥のエリオットの手を引いて歩くのは義姉だった。


 リリアナは腕を組み、辺りを見回す。ルーカスから離れたリリアナには誰も興味を示さなかった。


 右にウロウロ、左にウロウロ。人の間をかき分け、時にはドレスを広げる大きなボーンに押し潰されながらルーカスの姿を探したが、見つからない。


(王宮なら地図は頭に入ってるから大丈夫だけどね)


 ゆっくり話をする時間が取れかなったことが悔やまれる。


 はあ、と独りごちていると、肩を叩かれた。振り返ると、見知らぬ少年が立っていた。年の頃は十五、六といったところか。リリアナは見上げて首を傾げた。


「お嬢ちゃん、一人でどうしたの?」


 少年はリリアナの前に膝をついてしゃがんだ。彼はニッと笑うと、唇の隙間から犬歯が顔を出す。


 紳士的な態度に、リリアナも笑みをこぼした。


「お父様がね、迷子なの」


 少年は笑った。


「どこの家の子だい? 一緒に探してあげるよ」

「ほんとう? 助かるわ! 私、小さくて足しか見えないの。お父様はルーカス。ルーカス・グランツよ!」

「へえ、君があのグランツ家の末娘か。どおりで小さいのにしっかりしているわけだ」

「お父様を知っているの?」

「この国の貴族ならグランツ聖公爵のことはみーんな知ってるよ。でも、俺が知ってるのはそっちじゃなくて息子のほうね」


 少年は「さあ、行こう」というと、リリアナの手を引いた。


 人混みでどの方角に歩いているのかはわからない。


「聖公爵だから、多分前の方にいるとは思うんだよね。こういう式典は偉い人ほど王族に近いわけ」


 リリアナの手を引く少年が不意に立ち止まった。


「俺より君のお父さんに詳しい人を見つけたよ。エリオット! おーい!」


 少年は手を振り、大きな声を上げた。

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