第15話 初対面

 リリアナとして生まれて約五年。初めて屋敷を出る。グランツ家は広いから窮屈な思いはしなかったが、今の気持ちは鳥籠の小さな出入り口を空けられた小鳥だ。


 侍女の手によって今できる最大限のおめかしをしたリリアナの姿が、鏡に映し出される。伸びてきた髪は下ろしていたほうが可愛いからと、上半分だけ三つ編みで結い上げていた。


 癖の強い髪が波打つ。おそらく母親譲りの薄い茶色の髪は柔らかくておいしそうだった。


 ドレスはほぼ黒に近い紺色だ。追悼式典だからだろう。折角のドレスなのだから、赤やピンクがよかった。しかし、皆にとっては世界を救った聖女の追悼式典だ。そんな元気な色で良いわけがない。


 こんなに暗い色のドレスなのに、気持ちは赤やオレンジよりも元気だった。


「嬉しそうですね」


 ロフが鏡を覗き込んで言った。彼は式典にはついてこない。貴族のみが参加できるようで、使用人といえど、同伴は許されないからだ。


 魔王の力を使えばなんなく参加できないわけではない。しかし、彼は聖女の追悼式典というイベントには興味を示さなかった。


 リリアナ自身、自分の前世の追悼式典など行きたくはない。今、自分は生きているのに死んだことを憂う人を見ることになる。喜怒哀楽のどれとも違う感覚だ。しかし、今日はそんななんとも言いがたい気持ちを吹き飛ばすほど、わくわくしていた。


「ようやく会えるもの」


 父親に。会ったのは確か、五年と半年ほど前。前世で聖女が帰還したときだ。凱旋のあと、彼は王宮に駆けつけぎゅっと抱きしめてくれたときの温もりは忘れられない。


 理由もなく溢れた涙を拭き、もう一度強く抱きしめてくれた兄の優しさを忘れるわけがないのだ。


 両親を亡くし、多くの死と向き合っていた聖女の心は疲弊していた。疲弊していることも忘れるくらいがむしゃらだった。兄の温もりを受けて、聖女は一度だけただの伯爵令嬢に戻ることができたのだろう。


 あのときの感謝の気持ちを、聖女は伝えられずにこの世を去った。


 グランツ家が伯爵から聖公爵となり、聖女は平和の象徴として色々なところに出向かなければならなかった。半年のあいだに多くの国の要人が出向き、聖女に頭を下げる。それを偉そうな態度で受けなければならない。


 そんなことをしているあいだにあっという間に半年が過ぎた。兄も妹もただただ忙しかったのだ。


 聖女は兄に救われた。兄がいなければ、最後の時まで強く立ってはいられなかっただろう。だから、形は違えど、この積もり積もった恩を娘として返せるのは幸せだと思った。


 コンコンコンと扉が叩かれる。規則正しく三回。侍女のものだ。


「お嬢様、お迎えがいらっしゃいましたよ」

「はーい」


 子どもらしい元気な声で返事した。つい最近まで大人だったから、子どもというのがどういう反応をするのか分からない。


 勘のいいルーカスに聖女がリリアナに転生したのだと、感づかれたくはなかった。娘と父親という関係は崩したくない。


(会ったらなんて言えばいいんだろう。五才だし。「パパ」とか呼んで抱きつけばいいのかな。それとも、お嬢様らしく「はじめまして、お父様」? いや、さすがに嫌味っぽいか。)


 侍女が廊下を先導する。その足を追いながら、リリアナは真剣に考えた。五才をやるのは三十年ぶりだ。その頃の記憶があるわけでもない。五才の子どもと接する機会もほとんどなかった。


 大勢の使用人に見送られながら、玄関を抜ける。正面には大きな馬車が舞っていた。見知らぬ執事がリリアナを見て一礼する。――ルーカスに付いている執事だろうか。その顔も見知ったものではなかった。


 ロフが以前、「使用人はほとんど入れ替わっている」と言っていたが、本当なのだろう。


 執事が馬車の扉を開ける。胸の鼓動が早歩きになった。トクントクントクンと波打つ胸を、手の平で落ち着かせるが、効果はない。馬車の奥に人影を見つけて、更に鼓動が駆けだした。


 馬車のステップの前でリリアナはゆっくりと見上げる。


 馬車の奥に座る男の金の髪が揺れた。癖のある柔らかい髪。それは、記憶に懐かしい兄のもので間違いなかった。


 嬉しさがこみ上げ、ステップに足をかけようとした瞬間、リリアナは足を止めた。


 聖女とお揃いの青い瞳がジッとこちらを見つめる。まるで、水底のように冷たい色をしていた。


(誰……?)


 癖のある金の髪も、透き通るような青の瞳も、リリアナの知っている人のものだ。微笑むと物語から出て来た貴公子のようだと、多くの人から言われていた。しかし、彼はまるで別人だった。


 人形のように生気を失った瞳は、北方の冬の風よりも冷たい。その瞳に射貫かれて身震いした。


 彼は一言も発しない。


 リリアナからかける言葉は用意していたのだ。「お父様」と、そうすれば彼は優しく頭を撫でてくれると思っていた。口から声が出ない。


 思考すら凍り付いて、ただ見上げることしかできなかった。


「お嬢様、さあ、遅れてしまいますよ」


 名も知らぬ執事が、優しくリリアナの背を押した。

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