伝えたいのは
足を止めたその時から後悔していた。
待ち合わせ場所の駅へ向かう大通り、そのひとつ手前の通りにあるお花屋さん。いつも通ってるはずなのに、なぜか今日、初デートの日に限って私の目に留まって、不思議と心を掴まれた。
可愛いお店だなってちょっとだけ思って、あの子、もしかしたらお花とか好きかもしれない、なんて、そんな考えが頭をよぎって、立ち止まってしまって。
お店の前に飾られた花をじっと見つめている数秒のうちに、すぐそばに居た店員さんに「いらっしゃいませ」と声を掛けられて、私の中で芽生えていた後悔が一気に膨れ上がった。
「何かお探しですか?」
あっ、とすごく小さいけど変な声が漏れる。
「え、と、は、はなたば、とか」
「お作りできますよー。色やイメージとかご希望ありますか?」
もうダメ。今すぐ全力疾走で逃げたい気持ちになる。今までお花なんて一度も買ったことない。何をどうすればいいか見当もつかない。あまりにも無謀すぎる挑戦。それまで見ていたお花たちから視線を落として、足元のアスファルトを見つめる。
「どなたかにプレゼントですか?」
私の様子を見て何か察したのか、店員さんが優しくフォローしてくれるけど、心はますます緊張する。
「えっ、その、こ、恋人に」
「素敵。記念日ですか」
「い、え、あの、そういうの、じゃなくて」
そうそう。そもそも何でもないのに花束をあげる意味なんて無いし。いきなりこんなの渡されたら困りますよね。だからやめておきます。ありがとうございました。心の中でそんな台詞を早口で繰り返すけど、口から出すことができない。
「アンバースデーですね」
一瞬、何か聞き間違えたかと思って、私は「え?」と顔を上げた。
にこりと優しく微笑んだ店員さんと目が合う。
「アンバースデー。誕生日じゃない日、つまり、何でもない日ってことです」
「何でも、ない日」
「ええ。日ごろの感謝を伝えたいとか、落ち込んでるから元気づけてあげたいとか、何でもない日でも花束を買っていかれる方は多いんですよ」
「へえ」
お花って、何か大切な日に、特別なことのためだけに買うものだと思ってた。花束なんて、ましてそう。でも、別に何でもない日でも渡していいんだ。
じゃあ、私はあの子に何を伝えたい? 日ごろの感謝? 励まし? たぶん、違う。
そういうのじゃなくて、もっと、言葉にできない、できたとしても、その言葉だけだとほんの少ししか伝わらないような、そんな気持ちが私の中にある、と思う。
「お相手の好きな色とか、雰囲気とかわかりますか?」
店員さんの質問に、私はあの子の姿を思い浮かべる。
「いつも、白とか水色の、可愛い服着てて、明るくて、前向きで、いつも笑ってて、それから、えっと、あっ」
途中でただの惚気になっていることに気付いたけど、すでに手遅れ。店員さんが可笑しそうに私の方を見ている。恥ずかしすぎる。
「ふふっ、ご予算はどうしましょう」
「よさん、あ、ぇ、っと」
予算。つまりこの花束にいくらお金を払うかということ。まず花束の大きさが価格によってどれだけ変わるかなんて検討つかない。幸いお小遣いはまだある。けど、もちろん限度はある。今月は新しい漫画も買いたいし。でも、それでケチって小さな花束になっちゃったらどうしよう。
私が左右に目を泳がせていると、また何かを察したのか、店員さんは両手で輪っかを作った。
「千円でこれくらいです。ミニブーケよりひとまわり大きめ。二千円だとこれくらいですね」
二千円。今月のお小遣いの半分くらい、漫画の分は残る。けど、そんなに大きいのだとびっくりされるかな。でも、小さいとなんだか物足りない。せっかくなんだから、いや、何の記念日でもないけど、でも、なんでもない日の記念日だから。
そんな思考が一瞬で頭の中を駆け巡る。
「じゃ、じゃあ、二千円で」
「はーい、よければ中へどうぞ」
お店の中には外よりもたくさんのお花が並んでて、店員さんがその中から何本かを抜き取っていく。瞬く間に店員さんの手の中に、花束ができあがっていた。
「こんな風でいかがでしょう? ちょうどこの前ブルースターが入ってきたので入れてみました、この青いお花です。あとは白と薄めのピンクを選んでみました」
お花の名前はまったくわからない。けど、白くて小さなお花畑の中に、ピンク色の大きくて丸いお花と、優しい空色をしたブルースターのお花が顔を覗かせていて、とても優しい雰囲気で、あの子のイメージにぴったりだった。
「すごい、素敵です」
「こちらでよろしいですか?」
店員さんの言葉に、上下に強く頷く。ありがとうございます、と言った店員さんはカウンターの奥でラッピングを始めた。
それから花束を受け取るまで、私は何も言葉を発することができず、なんだか落ち着かない心地で花束の完成を待っていた。言われたとおりにお金を渡して、五分くらい待って、ビニール袋に入った花束を受け取る。
「お水、多めに入れたのでしばらくは持つと思います。お家に帰ったら早めに花瓶に移すようにお伝えください」
「あ、ありがとうございます」
かろうじてお礼だけ言って、足早にお花屋さんから立ち去った。
私の足の動きに合わせて、ビニール袋がガサガサと大きく揺れる。途中で我に返って、慌ててビニール袋の中を覗く。さっき店員さんが見せてくれたままのお花たちがそこにいた。
ビニール袋の中から出してみる。水色のラッピングに包まれた花束。なんていうお花なんだろう。帰ったら調べてみようかな、でもあの子にあげるから私の手元には残らないし。今度は自分用にも買ってみようかな、なんて。
そこではっとする。
「やばっ、時間」
お花屋さんに寄ったのもあって、待ち合わせ時間はもう十分も過ぎている。あの子が乗った電車はとっくに到着しているはず。
私は小走りで、でも両手で持った花束はできるだけ揺らさないよう気を付けて、駅前の広場へ向かう。小さな時計台の下で佇んでいるあの子の姿は、どれだけ遠くからでも絶対に見つけられる。だって、私の大好きな人だから。
伝えたいことなんて、数えきれないくらいある。
でも、何かを伝えたいっていうのは自分ごとで。
それよりも私はただ、あの子に喜んでほしい。幸せになってほしい。
ただ、それだけ。
「お、お待たせっ!」
フリルがついたスカートがひらりと舞って、あの子が振り返る。
私の手元を見たあなたの顔に、ぱっと明るい花が咲くのを見た。
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