【完】幼い頃から婚約を誓っていた伯爵に婚約破棄されましたが、数年後に驚くべき事実が発覚したので会いに行こうと思います

菊池 快晴@書籍化進行中

前編

 頭が真っ白になっていく。

 冷たい、痛い。足がつかなくなると、水中で身体がふわっと浮く。


「どうか、お願いします」


 そして、私の心臓は止まった。


    ◇


「メアリー、婚約を破棄させてもらう。私はこの女性を愛してしまった」


 親戚を集めた結婚前のパーティの場で、ゼイン伯爵が言い放つ。

 その隣には見知らぬ女性が立っていた。


 周囲は騒然とし、父が私の代わりに何を言ってるんだと捲し立てる。


 パーティーは中断、私はショックのあまり言葉を失い、母と別室で待機することになった。


 数時間後、父は話を終えて戻ってくると私の手を掴む。


「ちょっと待って――」

「お前とは話さんと、向こうが言っておる!」


 理解が追いつかないまま、屋敷を出されてしまう。


 私とゼイン伯爵の関係は、一言の会話も交わすことなく終わってしまった。

 

 帰り道、馬車に揺られていると、涙が一滴も出ていないことに気づく。

 今までのことは全て無意味だったのか、何とも言えない怒りや嫉妬、悲嘆な感情が渦巻いていた。


 あの女は一体誰で、いつから関係を持っていたのか。


 側から見ても彼と私は仲が良かったはずだ。

 幼い頃、ゼインとは毎日の様に言葉を交わし、将来を誓い合った。

 時には悲しみも分かち合ったのだ。


 悪態をつく父の声と、静かに涙を流す母の顔を見つめながら、私はゼインと初めて会った時のこと思い返していた。


 ◇ 


「馬鹿にしてるの?」


 十年前、八歳の誕生日。私はこの街に引っ越してきた。

 

 貴族学園に転校した数日後、早々にやらかしてしまったのである。

 訛りが強い一人の女子生徒の言葉が聞き取れず聞き返したのだ。


 だがその行為は相当な不快なものだったらしい。

 後から知ったことだが、彼女はこのクラスで相当な権力を持っていた。


 そんな彼女にいじめの標的にされてしまったのだ。


「王都生まれは田舎臭い言葉はわからないってさ」


 その一言の効果は絶大だった。

 

 初めは抵抗していたが、その気力は数ヶ月で奪われた。

 今は下校中、彼女らに追いかけ回されている。


「どこ?」

「あっちかも」


 たまたま入った路地の扉を開け、中に入る。

 見つかりません様にと願っていると、後ろから肩を叩かれた。


「おい、不法侵入だぞ」


 思わず、肩がビクッとなり、振り向く。


「ひゃ! だ、だれ!?」

「誰って……お前から名乗れよ」


 同じくらいの年齢の男の子だった。

 髪は柔らかそうな金色で輝いて、瞳は青く綺麗で、女の子よりも女の子に見える。

 私の黒髪、黒目とは、全然違う。


「……メアリー」


 名前を教えるのに躊躇しながら言った。

 もしかしたら彼もいじめっ子の仲間なんじゃないかと、頭に過ったからだ。


「ふーん、俺はゼイン。なんで勝手に入ってきたの?」

 

 ゼインは私のことを知らなかった。

 ほっと胸を撫で下ろしつつも、外からはまだ彼女らの声が聞こえている。


 虐められているとは、恥ずかしくて言えなかった。

 何か言い訳はないかと見渡すと、多くの物で溢れていることに気づく。


 煌びやかな時計、大きな机、銅像などが無造作に置かれている。


「えっと……外から見て宝物みたいだなって」


 そういえば、外にクローズと書いてあったことを思い出す。

 ここは何かのお店だ。

 どちらにせよ不法侵入には違いないが、ゼインは予想に反して目を輝かせた。


「まじで!? これの良さわかるんだ!? こいよ! 色々教えてやる!」

「う、うん」


 本当はぜんぜん興味なかった。


 しかし、ゼインの話は面白く、どんどんと引き込まれていく。

 いつしか何もかも忘れ、彼の話に夢中になっていた。


 ここは彼のおばあちゃんのお店で、古物商をやっているのだという。


「この机はさ、海底に沈んだ王国のでさ!」

「すごい……でも、海からどうやって持ってきたんだろう」


 楽しかった。この街に来て初めて人と話すのが楽しいと思えた。


「ゼイン。これは?」


 私はガラスの四角い箱に入った、一つの首飾りのネックレスに指をさした。

 煌びやかな金色で輝き、何とも言えない魅力を感じる。


「願うが叶うネックレスさ」

「願いが!? 何でも?」

「ああ、けど……そのために代償を払う必要があるんだ」


 ゼインは今までで一番真剣な表情をした。これを使えば、虐めがなくなるかもしれない。


「人間の命だよ。――『ゴチン』!」


 ごちん?


「ゼイン! まーたいつもの不法侵入かい! 早く帰りな! 何時だと思ってんだい!」


 後ろからおばあちゃんが現れ、ゼインの頭を拳で殴った。

 彼は呻きながら頭を抑える。


「いってえ! 叩くことねーだろ!」

「ご、ごめんなさい。お婆さま……」


 時間を確認すると、驚くほど経っていた。すぐに帰らないと親に怒られる。


「ちぇっ、帰ろうぜ。メアリー!」

「すみません、勝手に入ってしまって……」


 だが、「またおいで、今度は営業時間にね」と、おばあちゃんは私にだけ優しかった。


 ゼインはお店が好きで、遊びに行ったり、店番をしてるとのことだった。


「お前、三組!?」


 ゼインは私と同じ学園だった。彼は二組、私は三組。

 初めは嬉しく思ったが、同時に怖くなる。

 

 私の噂を聞いてしまったら、この関係は崩れてしまうのだろうと。


「また明日な! 休み時間に続き話してやるよ!」

「わ、わかった。またね……」


 そんな不安を抱えながら、この街で初めての友達に手を振った。


 ◇ 


「なんか臭くない?」


 お昼休み、裏庭に引っ張り出されていた。

 いつもの彼女と取り巻きが、ゴミをぶつけてくる。


「やめて……」


 逆らうと余計に酷くなる。それは経験から知っていた。

 耐えて、授業が終わったら、走って家に帰る。

 それまで頑張れ、と自分に言い聞かせていた。


 男の子が来るまでは。



「ぎゃっはは! やりすぎかな?」

「いいんじゃない? ほどほどにね〜」


 同じクラスで私のことを遠巻きに見ていた男の子だった。

 彼女らと仲が良かったらしく、私の髪を掴み、乱暴にぶん回す。


「いたい、いたいやめて!」


 男の腕力は女性とは違う。体を振り回されながら、私はボロボロと涙を流していた。


 苦しい、助けて、誰か、誰か――。


「お前ら! 何してんだよ!!」


 どこかで聞いたことのある声がした。そう思った瞬間、掴んでいた髪が下ろされた。いや、虐めっ子が吹き飛ばされたのだ。


 助けてくれたのは――ゼインだった。


「メアリー、大丈夫か?」

「ゼイン……どうして」


 目の前の出来事が信じられなかった。

 いつもの虐めっ子は怯えながら後ずさりする。


「俺の友達を……ぜってえ許さねえからな!」


 ゼインの覇気で、虐めっ子は叫びながら逃げ出した。


「とりあえず保健室行くぞ」

「え……」


 怖かった。前に先生に伝えようとしたが、それがバレて余計に酷い目に遭わされたからだ。


「大丈夫。俺が守ってやるから」


 しかし、ゼインは何も言わずともわかってくれていた。私を保健室に連れて行ってくれた後、先生の制止を振り切って消えていく。



 これは後から聞いた話だが、あの後ゼインは授業中にも関わらず乗り込み、いじめっ子に全てをその場で白状させたのだという。

 また、彼の親はこの街でも有名な家系だったらしく、成績優秀も相まって先生からの人望も厚かった。


 数日後、虐めっ子は全員退学になっていた。


 全てが落ち着き、放課後。ゼインに帰ろうと誘った。


「どうして……ここまでしてくれたの?」


 一度、たった一度しか会っていないのにも関わらず、なぜここまでしてくれたのかを聞きたかった。


「友達がいじめられてたら嫌だろ」


 気づいたら涙を流していたが、彼に心から感謝していたのだ。



 それから私とゼインは、毎日話す間柄になった。

 徐々に友達も出来たが、放課後は一緒に帰るというのが私たちの暗黙の了解だった。


 なぜならおばあちゃんの古物商に行くのだ。

 またおばあちゃんは厳しく、とっても優しい人だった。


 曰く付きの宝物の信憑性は、「ありゃ嘘さ」という、何気ないおばあちゃんの一言で唐突に終わった。もちろん、ゼインには伝えなかった。


 上級生になる頃、ゼインはすっかり大人になっていた。

 背は誰よりも高く、女性であれば視線を奪われるほどの美形になっていた。


 私はゼインの事がずっと好きだった。何度も伝えようとしたが、関係性を壊してしまったらどうしようと怖くてできなかった。


 また一つ学年上がった時、悲しい出来事があった。


 古物商のおばあちゃんが老衰で亡くなってしまったのだ。

 私とゼインは一日中まぶたを腫らし、夜通し二人で思い出話を語り合い、慰め合った。

 彼は引き継ぎたいと家族に主張したが、夢は叶わず、数ヶ月後に空き店舗になっていた。


 まだ残っていた品は競売にかけられたが、数点だけおばあちゃんの遺言により分配された。

 私はあの首飾りのペンダントを頂いた。


 それから数日後、ある決心をしてゼインを待っていた。


 時間は無限ではないとわかったからだ。

 私はゼインと友達以上の関係になりたいと強く願っていた。


「ゼイン!」

「メアリー、探してたんだ」


 帰り道、勇気を振り絞ろうとしていたが、なかなか言い出せずにいた。

 その時、ゼインが私の名を呼んだ。


「ずっと言いたかったことがある。――メアリー、俺はお前が好きだ。俺の婚約者になってほしい」


 驚いた。まったく同じ事を思っていた。

 嫌われているとは思っていなかったが、女性として見てくれていたことが嬉しかった。


「私も好きだった。……ゼイン、本当に嬉しい」


 その日、私たちは婚約者となった。

 関係性が大幅に変わるという事はなかったが、手を繋いだり、会う回数を増やしたりと、順調に距離を縮めていった。


「俺たちは二人で一つだな」

「どういう意味?」

「どっちかが居なくなったら、生きられないなって思って」

「そうね、私たちは二人で一つだね」


 卒業後、私たちは正式に結婚するため、日取りを決めたり、式場を探したりしていた。


 仕事の関係で結婚式が少し先になったので、その前に盛大なパーティでもしようとなった。


 今はその帰り道、ゼインと二人で歩いて帰っていた。


「メアリー、好きだ」


 突然、ゼインが私にキスをした。

 驚いて目をまん丸とさせたが、すぐ身を委ねる。


「……結婚もしてないのに、誰かに見られてたら」

「どんなことがあっても、俺は君を守るから」



 しかし――その日を境にゼインと会う回数は日に日に減っていった。


 少し会えたとしても、彼の家の近くですぐに帰っていく。

 どこか上の空で、あの元気なゼインが懐かしく思える様になった。


 もしかすると、結婚が嫌になったのだろうか。

 結婚後は一緒に住む話をしていたので、そんなことないと言い聞かせていた。


 そして迎えた、結婚前のパーティー当日。


 私は婚約破棄されたのだ。


 ◇


 馬車から降り、家に辿り着く。

 二階の自室に戻ると、学生時代に彼から頂いた私の絵を眺めていた。

 数十分、数時間、時間の感覚がわからない。


 まるで夢だ。悪い夢。しかし、決して覚めない夢。


「こんなもの!」


 気づけば、私は絵を破り捨てていた。

 いつからなんだろう。ゼインが私のことを嫌いになっていたのは。

 どんなきっかけがあったのか、聞いてみたかった。


 それが納得いくものであれば、改善したいと思っていた。


 しかし床に破れた絵を眺めているうちに、ようやく涙がこぼれはじめた。

 何かが崩壊したかの様に、止まらなくなる。


「ゼイン……どうして……ゼイン……」

 

 私とゼインの関係は、この絵の様に一瞬で破り捨てられた。



 

 それから長い間、私は家から出ることができなくなった。

 これは永遠に続くのだろう。そう思っていた。



 しかし五年後――私は生涯で一番辛い思い出として、かろうじて押し込むことができていた。


 あの日から一度も、ゼインと会っていない。

 噂によると、女性と駆け落ちしてこの街にはいないらしい。


 詳しくは知らないが、彼の父親が亡くなってから御家問題があったらしく、輸入業が成り立たなくなったらしい。


 まあ、どうでもいい。


「買い物に行ってくる」


 何度か男性と接点はあったものの、やはりどこかブレーキがかかってしまう。


 外は雪が降っていた。

 路地に入ると、一つの空き店舗の前で足が止まる。


「おばあちゃん……」


 遺言でもらった首飾りのネックレスは、いつも身に着けていた。

 命を代償に願いが叶う。

 そんな魔法はないとわかっているが、なんだか勇気をもらえるのだ。


「メアリーさんですか……?」

 

 突然、女性から声をかけられた。

 誰だろうと思い記憶を探っているが、思い出せない。


「誰ですか?」


 学生時代の友人だろうか、それにしては一切記憶がない。


「覚えてらっしゃらないでしょうか」


 違う。記憶がないんじゃない――消していたんだ。


「あなたは……」


 長年閉じ込めていた記憶が無理やり呼び起こされる。


 こいつは――私からゼインを奪った女だ。

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