中編

 こんなに大切にするのならば、早々に婚約を結んでくださればいいのに。

 そんなわがままなことを思うなどもしましたが、きっと殿下には殿下なりのご事情があるのだろうと口にすることもありません。


 それでもわたしの心が伝わってしまったのでしょうか。

 お忍び先で跪かれ花を贈られながら、殿下に囁かれました。


「不安にさせてすまない。一生君だけを愛するよ」


 一生、わたしだけ。

 その時、泣きそうなくらいに喜んでしまったわたしは愚か者です。嬉しくて嬉しくて、この世で一番幸せだと錯覚さえしたほどでした。


「だから、君には手伝ってほしいことがあるんだ」


 婚約者としての筆頭候補は二人。

 一人は、もちろんわたし。けれどもう一人、同程度に有力とされる令嬢――イルマ・ペンティ伯爵令嬢を秘密裏に排除してほしいと、殿下はおっしゃいます。


 排除。

 なるべく穏便な手を使うなら脅迫、それでもダメなら暗殺してくれないかと、そういうことでした。


「で、ですが殿下……」


「君が頼りなんだ。早く君と結婚したいという私のわがままに過ぎないけれどもね。

 私の願いを、どうか聞いてほしい」


 殿下と結ばれる未来のためなら、と。

 グッと唇を引き結び、殿下の言葉の通りに行動しようとしたわたしは、彼の掌の上で転がされていました。転がされて転がされて、やがて使い捨てられていたに違いありません。


 とある方が、恋に曇っていたわたしの目を覚まさせてくださらなければ。


 殿下の計画ではきっと、わたしはただの道具だったのでしょう。

 幼き日から企んでいたのか、それとも単に心変わりしただけなのか、それはわかりませんけれど……イルマ嬢とどうしても、結ばれたかったのだと思います。

 イルマ嬢は没落寸前の伯爵家の御令嬢。有力な婚約者候補でも何でもなかったことなんて、冷静になってみればすぐにわかってしまいます。


 それでもなお心情的には、信じたくないのが正直なところ。

 しかし、今日のパーティーについて事前に「君との婚約を発表するから」と殿下から聞かされていたにもかかわらず、声高に断罪されている現状を見れば、間違っていなかったのは一目瞭然です。

 今まで交わしてきたのは全部口約束。反故にしても一切の瑕疵が生じないとお考えだったのでしょう。


 わたしはとうとう、初恋を捨てました。


 殿下を愛していたのです。

 初めて出会った時から、ずっと。


 でもわたしは真正面から糾弾しなければならない。


 責任を全てわたしになすりつけようとしていること、長年わたしを嘘で縛り続けていたこと。殿下から受けた仕打ちの全ては、許されていいものではありませんから。


「わたしが行ったことは全て、殿下に指示されたものです」


 わたしが反論するとは思わなかったのでしょうか。

 ほんの少し驚いたように、殿下が眉をしかめます。


 しかしそれもほんの一瞬。すぐに無表情になりました。


「……言い逃れする気か。しかも私を嘘つき呼ばわりするとは、いくら私と君が旧知の仲といえど命知らずもいいところだ。私がイルマ嬢を殺めようとするわけがないだろう」

「言い逃れではございません」

「よくもぬけぬけと!」


 「ラウノ様……」と不安そうな素ぶりで殿下を見上げるペンティ伯爵令嬢、彼女を支えながら正義の味方のような顔をする殿下。きっと、参加者たちの同情を集めるために裏で打ち合わせしていたのですね。

 殿下と観に行った劇の中の一つと、本当にそっくりです。そこから今回の余興を考えついたのでしょうか?


 劇であれば、醜く言い訳を重ねた悪役令嬢は投獄されてしまいますが。

 それは本当にヒーローが正義の味方であったなら、という話。


 これからわたしが演じるのは、悪役令嬢の逆転劇。

 監修するのは陰で控えているとある方・・・・です。


「なんと言おうと君が悪事を働いたのは明らかだ。君の家の使用人数人からの証言、そして殺し屋への依頼書が出ている。家の者にやらせて尻尾を掴まれるのが嫌だったのだろうが、仇となったな」


 わたしは確かに裏社会の者に依頼をしました。あえて、依頼書だけ残す形で。


「殿下のお言葉に従わなければ、皇家への裏切りと捉えられ処されかねませんから。わたしのこの発言も事実無根だと殿下はおっしゃるのでしょうが――そんなものよりも確かな根拠を、わたしは持っています」

「根拠?」

「皇家の影の報告書でございます」

「なっ……!!」


 たった一言。

 それで、殿下の立場はがらりと一変してしまいます。


 そのことに瞬時に気づいたのは、殿下だけだったようですが。


「ど、どうしたんですか、ラウノ様?」

「そんな、馬鹿な……馬鹿なことを言うな。どうして影と接触できた!」


 皇家の影。それは常に王族の傍にあり、警護すると共に王族の一挙一動を記録する者たちのこと。

 影というだけあって上級貴族でも決して接触できない彼らの報告書をわたしが手にするなんて、夢にも思わなかったでしょう。


 報告書に押された皇家の印をパーティー参加者たちに見せびらかしてから、ゆっくりとページを開くわたし。

 殿下の愛の言葉が詰まった報告書です。なんとも懐かしく、切なく、憎らしいその文面を、わたしの声でなぞり始めます。

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