第4章『マロと元少年』(12)
しばらくみんな無言だった。
沈黙を破ったのは、ピチャピチャと液体が滴るような音だ。
異変に気付いた助手席の神谷が、ルームライトを点けた。音の方向を確かめてみれば、志水が運転席で静かにえずいている。
ああ、と志水が呻いた。「まずいな。血吐いた」その手は、どす黒いものでドロドロになっている。
「さっちゃん!」神谷は飛びつくように志水の肩を掴んだ。「さっちゃん、何これ。どうしたの?」
志水は聞き取るのがやっとの掠れ声で答える。「多分、胃潰瘍だ。前にもやった」
「胃潰瘍? ってそれ、大丈夫なの?」神谷は今にも泣きだしそうだ。
「すぐに処置すれば、問題ない。けど」志水は苦しそうに、音を立てて息をしている。「麓まで、二十分くらいかかるだろ。出血、多そうだから、持つかどうか」
「何言ってんですか!」
宮本は跳ねるように立ち上がった。そうだ、ぼんやりしている場合じゃない。早く志水さんを病院に連れて行かなきゃ。
「志水さん、後ろに移動してください。神谷さん手伝って!」
神谷は助手席を降り、こちらに来てくれる。もはや一人では動くことのできない志水を二人がかりで抱え上げ、半分引き摺りながら、後部座席へ移した。
「神谷さん。隣に座って、志水さんを看ててください。二人ともシートベルト締めて」
「いや、さっちゃんは寝かせてあげた方が」
「絶対駄目です」運転席に着き、自分もシートベルトを締める。「五分で下ります。危ないから口閉じて、しっかり捕まってて」
「いや。五分は、無理だろ」
「舐めないでください。ここ、私の実家ですからね? 目閉じてたって余裕ですよ」
声を出すだけでも辛そうなのに生真面目に指摘する志水がおかしくて、宮本は泣いてしまいそうだった。
「志水さん。分かってますよね? ここ、私の故郷なんですからね? こんなところで死んだら、ぶっ殺しますから」
無茶言うなよ。と、志水はやはり生真面目に言うのだった。
転がり落ちるように山道を下る途中、よせばいいのに、志水はほとんどうわ言のように喋り続けていた。泣きながら。血を吐きながら。
「なあ、神谷」
志水は隣に座る親友の方に手を伸ばした。
「そこにいるのか? 暗くてよく見えない」
「いるよ。ここにいる」
神谷はどす黒い血にまみれた手を握り返すことを躊躇わない。
「なあ、神谷。これでよかったのかな」
痛みで弱気になったのか、志水は泣き言めいたことを口にする。
きっと、彼はこんな姿、私に見せるつもりじゃなかっただろう。聞いてはいけない気がして、耳を窓の外の木々のざわめきに集中させた。
「分からない、自信がないんだ」
それでもやはり、志水の声は聞こえてしまう。
「本当はあいつのこと、この手で」
「さっちゃん」
神谷が遮るように言った。彼がこれまで演じてきたどの役よりも、優しい声色だった。
「大丈夫だよ、さっちゃん。この結果は、キミがそんなにボロボロになるまで悩んで、悩み抜いて、やっと辿り着いた答えでしょう? それは、あいつと対峙したほんの数分間の衝動で覆していいものではないはずだよ。正解かどうかは分からないけど、できることは全部やった。最善ではあったはずだ」
「でも。もし、あいつが生き延びたら」
「大丈夫」縋りつくようにして泣く志水に、神谷は力強く言った。「あとは、神様が決めてくれる」
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