過去に取り残された男

狛咲らき

未来への船旅の結末

 パソコンを開け、電源を点ける。ブラウザを立ち上げ、例の配信サイトを開く。そしてメールアドレスやパスワードを入力してログインし、チケットの購入ページへ。そこで数分程の逡巡の後、震える指で『オンライン視聴チケットを購入』のボタンをクリックした。


 画面の前、その時を待つ。

 チッチッチ、と喧しく騒ぎ立てる時計の針が、まるで「覚悟はいいか?」と俺を問い質しているようだ。


 そんなもの、あるのかどうか分からない。俺だって本当は観るつもりはなかった。果たして俺みたいな奴が観ても良いのか、分からなかったから。


 ツイッターを開いてみる。昔フォローしまくった奴らが開演を今か今かと待ちわびていて、インターネット越しからもその熱気が感じられた。

 俺はなんだか申し訳なくなって、そしてやっぱり開くんじゃなかったと後悔しながら、スマートフォンを放り投げた。


 ちょうどその時、画面から音が聞こえた。

 心地良い波の音。観客の歓声。それらと共に視界に映るのは、一人称視点の映像だった。周囲を見渡し、CGで作られた港の映像がしばし流れた後、間もなく大きな客船がやってくる。


 船首に五枚の色の違う花びらが描かれたその客船の名前は『花咲未来号』。やがて客船が港に係留すると、観ている者を招き入れるように搭乗口が開いた。


 階段を上り、船の中へ。そのタイミングでカメラが切り替わり、船が出発するシーンが再生される。どこまでも続く青い海。雲ひとつない青空。そんな風景にタイトルロゴが浮かび上がり、会場は大きな拍手で包まれた。




 カラフルシーズ 2nd リアルイベント “未来への航海”




 その文字を見て、俺の胸に鉛がドスンと落ちた気がした。


 カラフルシーズは、6年前に活動を開始したVtuberグループだ。“いつか花開く才能の種をファンが育てるコンテンツ”と公式が銘打ってはいるものの、結局は個性の強いVtuber達が毎日動画プラットフォーム上で動画を投稿したり、生配信したりと、やってることは他のとそう変わらない。けれどもVtuberの流行黎明期から始まっただけあって安定感があり、CG技術も他と一線を画している。


 そんなグループの活動が着実に実っていった結果、行われたのがこの2度目のライブイベントだった。


 テーマはサブタイトルにもある通り“未来”だ。6年かけて種が芽を出し、美しい花を咲かせた彼女達のこの先。メンバーそれぞれが抱く未来や決意、夢を歌に乗せてファンに伝える。その舞台設定として、未来へ航行する客船に会場やオンラインでイベントを視聴するファンが乗り込んだというのが、今しがた流れたオープニングだ。


「ファン、か」


 割れんばかりの拍手は、俺のクソみたいな独り言を掻き消した。

 しばらくして、暗転したスクリーンから5人の女の子達が現れる。髪の色が赤や青だったり、あるいは角や尻尾が生えていたり、頭上に天使の輪があったりと、皆が皆、Vtuberらしく普通ではなかなか再現しにくい恰好をしている。


『みんなー! 元気ー?』


 中央にいた赤髪の子が会場に向けて叫んだ。それに呼応してファンがサイリウムを振る。


『来てくれてありがとう!』


『我輩も感謝しているぞ!』


 青い髪の子と角を生やした子が続けて叫んだ。


『みんな、ちゃんと船にいるよね? 乗り遅れた子なんていないよね?』


『まさかねぇ、いないですよねぇ?』


 そして尻尾の子と天使の子も。


 それぞれが叫ぶたびに、大きな歓声が巻き上がる。きっとオンライン組も盛り上がっていることだろう。

 なのに俺はむしろ、心臓をキュッと握られたような苦しみに襲われていた。


「やっぱり、5人なんだよな」


 カラフルシーズは元々7人のグループだった。1st ライブイベントが終わって少し後、2年前に2人が卒業という名の引退を果たした。約4年の活動期間はVtuberの中では決して短い方ではない。だからこそどちらにも多くのファンがいたし、卒業配信にはたくさんの人々が訪れた。


 俺が推していたのは、好きだったのは、その内のひとりだった。


 地味めな外見とは裏腹に活発で、ノリが良く、歌が得意。イベント事にピッタリだった。きっと彼女がこの場にいれば、もっと盛り上がるようなコールを掛けていたに違いない。


 その子は俺が初めて見たVtuberだった。ふと動画サイトで見かけたサムネに惹かれて開いた配信。Vtuberのことをほとんど知らなかった当時の俺は衝撃を受け、その日から彼女を応援するようになった。


 チャンネル登録はもちろんのこと、ツイッターのアカウントもフォローし、配信の告知は毎回リツイートした。毎日のように行われる生配信もリアルタイムで観て、それと平行してツイッター上で彼女の配信タグを付けてその内容をツイートする『配信実況』もやった。


 少しでも、彼女がもっと多くの人に見つけてもらえるように。彼女を『育ててくれる』人が増えてくれるように。


 それが彼女のためになったのかは分からない。だが、ファンは間違いなく増えていったし、いろんなイベントに呼ばれるようにもなった。彼女も彼女で、俺が初めて観た時よりもずっと楽しそうに配信しているように見えた。


『みんな、いつもありがとう』


 雑談配信のたびに、いつも彼女はそう言って笑っていた。



 だが、そんな彼女は美しい花を咲かせてすぐに姿を消した。

 特に問題などなく円満に。けれども泣きながら別れを告げて。



 不満はない。ただ運営との契約が満了しただけのこと。寂しくはあったものの、今までありがとうという気持ちの方が強かった。


 ……いや、不満はあったのだろう。だからこそ、現に俺は船に乗り込んでしまったのだから。


『──それでは、早速1曲目に行っちゃいましょー! 最初に歌うのは~この子だっ!』


『だぁっ!』


 再びスクリーンは暗転する。数秒程の静寂の後、現れたのは角の子ひとりだけだった。しかしステージ全体はガラリと変わり、太陽の日が反射してキラキラと輝く広大な海が背景として広がっている。


 すぐに曲が始まった。またしても歓声が上がる。会場にいる者、否、このイベントを観ている者なら誰もが知る歌。要は角の子のオリジナル曲だ。


『最初を飾るのはこの我輩だぁ! お前ら、初っ端からブチ上げて行くぞぉ!!』


 激しいイントロと共に角の子は咆える。開幕から重低音のエレキギターが観客を殴りつけるように響き渡る。ロックが好きな彼女に相応しい激しい歌だ。しかもコール&レスポンスもあるから更に盛り上がる。彼女のソロライブの時に初披露されたのだが、やはり何度聴いても心が湧き立つ。


 角の子が歌い終えると、また暗転。今度は天使の子が同じくオリソンを披露する。

 クラシック曲を複数取り入れた、気品を感じさせる歌だ。けれども落ち着いて聴けるほどスローテンポではなく、角の子が作った熱気を冷ますことはない。また歌詞中には、お嬢様ながらやや口の悪い彼女の歌らしく、お嬢様言葉と皮肉や毒舌を含んだフレーズがいくつもあり、聴く者をクスリと笑わせる。彼女の性格をそのまま曲として落とし込んだ見事な歌だ。


 歌が終わると今度はMCパート。そしてまた歌が始まる。


 青髪の子の圧倒的な歌唱力に聴き入り、赤髪の子の戦隊物風な曲に再び熱くなり、尻尾の子の可愛らしさに癒やされる。


 どれもそれぞれの個性が光る良い歌。俺の大好きな、大好きだった歌達だ。


 あの子のことを推し始めてから、他の子達の配信も観るようになった。“カラフル”の名は伊達ではなく、一人一人全く別の個性で面白い子ばかりだから、すぐに皆を応援するようになった。


 メンバーシップも勿論全員分加入したし、グッズが出るたびにお金を落とした。各メンバーのソロイベントが開催されれば、現地参加の抽選券を購入して『チケットをご用意できませんでした』の文字に何度も涙を流したものだ。


 しかし、初めて現地参加できたのがグループ全体の1stイベントだったのは良い思い出だ。オンラインでは感じられないあの熱。周囲に同じVtuberを推している仲間がいるという一体感。そして何より推しと同じ場所にいるという喜びが、イベントの楽しさを150%まで引き上げてくれる。2年前の出来事ではあるが、今でも昨日のことのように思い出せる。



 それくらい、このグループのことが、彼女達のことが、大好きなはずなのに。



『──さて。じゃあそろそろ、次の子達の準備ができたんじゃないかしら』


 何度目かのMCを終えて暗転、また会場に光が灯った瞬間。舞台に姿を現したのは、赤髪の子と青髪の子と角の子だった。スポットライトに当たる彼女達は角の子をセンターに、全員が俯き両手を胸に当てている。


 曲が始まった。さながら花が開くように、3人の両腕が大きく広げた。

 一音目ですぐに分かる。このグループを追ってきていたファンならば心で理解できる。


 ピアノとギターのハイブリッド。次第に楽器の数が増えてきて、さながらオーケストラとロックバンドが掛け合わさったようで、しかし不思議と調和のあるイントロ。


 俺が知らないはずがない。2年前にあの子と一緒に卒業した、もうひとりのメンバーの曲だ。


 彼女はグループの中でも1、2を争うほどの人気だった。月に数回程度しか配信しなかったけれども、そのたびに他のメンバーの3〜4倍の数のファンがチャンネルに駆け付けた。ツイッターでも配信するたびに彼女の名前がトレンドに入り、どんどんと新規ファンを獲得していった。


 何故それほどまでの人気を博したのか。単純に面白かったからだ。


 雑談配信なんてせず、多様なゲームを実況する。そのほとんどが所謂クソゲーで、キャラのおかしな挙動や虚無のようなゲームシステムに持ち前のセンスで的確なツッコミを入れる。そのうえゲラで笑い声も豪快なものだから、どこを切り取っても賑やかで、観てるこっちも自然と笑みが溢れてしまうのだ。


 そんな彼女だからこそ、カラフルシーズでは最初にソロイベントが開かれた。その時に初披露されたのがこの曲だ。


 あのイベントも楽しかった。まさか会場でもクソゲーをやり出すとは思わなかったが、『配信は終了しました』の文字が出た時には口角が痛いくらい上がっていたのを覚えている。


「それにしても、まさかこれもやるとはなぁ」


 未来がテーマだから、もういない子の曲はやらないと思っていた。いや、やってほしくなかったと言ったほうが正しいか。


「……」


 彼女の面白さを再現したかのような曲なのに、聞けば聞くほど辛い気持ちになっていく。


 俺が一番推していたあの子は、ソロイベントはもちろん、オリジナル曲ももらえずに最後の配信を終えた。


 確かに人気は低い方だったと思う。でもいつか来たるソロイベントを信じて、必死に頑張っていた。毎日毎日楽しげに配信して、新規のファンが来やすいように時折動画を作って、歌配信も毎週ようにして。


 なのに、ひとり、またひとりと彼女を置いて他の子達にソロイベントやオリジナル曲が手渡される。現実は残酷であり、彼女の努力は遂に報われることはなかった。歌もトークも、他の子達と遜色ないレベル──というより、贔屓目無しでもかなりのものだったのに。


『私もっ、みんなにオリジナルソングを聴いてほしかったっ……!』


 引退配信前、最後のゲーム実況中に涙ぐみながらそう漏らしたあの声は、俺の心に突き刺さっていつまで経っても抜けやしない。


 大好きだったあの子の夢の先を、どう足掻いても決して見ることはできない。彼女のことを思い出すたびに、そんな苦しみが襲ってくる。


 本当はあの子も日の目を浴びる機会が用意されていたのかもしれない。あるいは、彼女と運営とで何か衝突があったのかもしれない。ちょうどその時に流行りを見せた例の感染症の影響もあるだろう。

 しかし、契約を更新して活動し続けるという道もあったはずなのに、どうして辞める選択をしてしまったのか。


 俺はただのいちファンだ。彼女の心はもちろん、運営や関連企業の思惑を知る術はない。でも、だからこそ──。


『……そろそろ終わりが近づいてきたね』


 公演も終盤、赤髪の子が言った。


『なんかあっという間だったわね』


『もっと歌いたい〜!』


『楽しい時間ってどうしてこんなにも早いのでしょう……?』


『ほんとそれ!』


 彼女に続いて、それぞれが壇上で演技臭いセリフを口にする。

 時計を見てみる。真剣に観ていた訳ではないのに、なんだかんだでもう1時間半も経っていた。


『みんなどうだった? この船の居心地は?』


『お前らのお陰でここまで来れたんだ! 感謝しているぞ!』


『そうだね。本当にありがとう……そうだ。折角“花咲未来号”っていう船に乗っているんだし、未来の抱負とか、将来の夢とかを発表していこうよ』


『良いですわね。じゃあわたくしから』


 そう言って天使の子が前に出た。

 何やらもっと歌を唄いたいだとか、来年も再来年もこんな風に楽しいイベントをしたいだとか、そんな感じのことを話しているが、俺の心は次第に冷めていくばかりだった。


 あの子が卒業した結果、今までカラフルシーズに対して抱いていた熱も一緒にどこかへ消えてしまったらしい。2年前に彼女が姿を消してから、俺は他のメンバーを追いかけなくなってしまった。積もりに積もったアーカイブに手を出す気も持てず、動画サイトを開けば彼女達とは全く関係のない動画ばかりがオススメに表示される。


 あの頃は確かに彼女達を推していた。もっと人気になってほしいと信じていた。しかしその実、他の人の視点からあの子の話を聞けたり、あの子とコラボ配信したりするのを待ち望んでいただけだったのだ。


 天使の子から代わって、今度は青髪の子が話し始める。


 この場にあの子がいれば、何を話してくれただろうか。どんな夢を教えてくれただろうか。



 どんな歌を、聴かせてくれたのだろうか。





「……もういいや」


 自分の醜さに嫌気が差し、俺は配信画面を閉じた。


 やっぱり、俺はこの船に乗ってはいけなかった。皆が未来を見て、未来の話をしているのに、俺だけが過去に囚われている。取り残されている。

 形骸化したツイッターのタイムラインを覗いてしまったばっかりに、つい出来心を起こしてしまった。


 彼女達は、一緒に歩んでくれるファンを求めているのだ。もういない子の幻影を追い続けるような人間なんて、端からお呼びではなかったのだ。


「……疲れたなぁ」


 何気なく、俺は動画サイトを開いた。

 あなたへのオススメと、様々な動画やチャンネルが表示される。俺はそれを適当に観て回った。


 美味しそうな飯を作るショート動画、よく見るゲーム実況者の実況動画、知らないVtuberの切り抜き動画、そして────。


「……」


 関連動画に表示されたとある個人勢Vtuberのサムネイルを見て、俺は動画サイトを閉じた。


 あの子が卒業して1年後、つまり去年のこと。あの子とよく似た声のVtuberが現れた。それだけじゃない。話し方も、性格も、あの子とそっくり。しかし名前と見た目だけは違う。


 調べずとも分かる。要はあの子が転生した姿という訳だ。


 別に俺は転生を毛嫌いなどしてはいない。Vtuberの本質はではなく、それを使いこなす中身、即ち魂だ。ファンの多くはその魂に惹かれ、追い求める。きっと彼女のファンの一部もそんな風に、転生を知ってすぐに彼女の元に走りだしたのだろう。


 でも俺は、何もあの子の魂だけが好きだったのではない。

 外見、設定、グループ内での立ち位置、他メンバーとの関わり方……あの子にまつわるあらゆる要素が愛おしかったのだ。


 転生なんて、所詮はあの子と同じ思考回路を持った何かに過ぎない。同じようで全く違う、到底受け入れがたい存在なのだ。


 それでも彼女はゆっくりと、着実にファンを増やしている。きっとかつての日々のように楽しく配信していることだろう。毎日を頑張って過ごしているのだろう。


 それにしても、一体どうして彼女はまたVtuberを始めてしまったのだろうか。そうなるのだったら、カラフルシーズを辞めなくてもよかったではないか。『あの子』のままで、活動を続ければよかったではないか。


 だって、もし彼女があの子よりも人気になってしまったら。


 もし彼女がソロイベントを開いて、オリジナル曲を披露してしまったら。


 もし彼女があの子の時よりも今の方が楽しいと言ってしまったら。



 そうなれば。そうだと知ったら。俺は。









「……キッショいな、俺」


 椅子から立ち上がった俺は冷蔵庫へと向かい、胸の内から溢れ出んとするソレを押さえつけるように、冷えた缶ビールを喉に流し込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

過去に取り残された男 狛咲らき @Komasaki_Laki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ