第12話 泣きすぎで草

 脱衣所にやって来たウォルトは、ファムからいろいろと説明を受けていた。


「ボロボロの服はこのカゴに入れておきな。新しい服は後でフロルに持って行かせるからね。浴室のシャンプーやら石鹸やらは好きに使っていいけど、無駄遣いは厳禁だよ」


「了解しました。ありがとうございます」


「この風呂は私らが個人的に使う風呂だから、他の客のことは気にせずゆっくり心の疲れを取るといいさ」


 説明を終えたファムが脱衣所から出る。

 一人になったウォルトはボロボロの服を脱いで指定されたカゴに入れ、裸の状態で浴室に入る。


「うぉ……! これはヒノキの香り……っ!」


 床こそ石造りだが壁は板張いたばり、浴槽よくそうも木製である。

 立ち込めるヒノキの香りはかぐわしく、入浴する者を大自然の中にいるかのように錯覚させる。

 そう、それは入浴と森林浴を同時に行うような贅沢……のはずなのだが。


「フングラの樹海に逆戻りしたみたいで草」


 大自然の中を三か月間全裸で駆け回っていたウォルトにとって、今の状況は少し前までの日常。

 普通の人間なら感動する木々の香りも、ウォルトの鼻にとっては慣れたものだった。


「しかしながら、従業員で使う風呂がこのレベルなのはすごいな……」


 壁にはシャワーヘッドが取り付けられ、バルブをひねるだけで温かな湯を浴びることが出来る。

 これはそこらへんの民家どころか、王都の住宅でもまだあまり見かけない最新設備だ。


 騎士たちが暮らす設備の整った宿舎で生活していたウォルトにとっては、このシャワーだって見慣れたものではある。

 ただ、その当たり前が世間では当たり前ではないことは知っている。


(ファムさんには宿以外にも収入源があるんじゃなかろうか)


 そんなことを考えながらバルブをひねり、温かい湯を浴びるウォルト。

 その瞬間、全身が喜びに打ち震えるのを感じた。


「ああああああーーーーーーっ! 気持ち良すぎて草ァ!!」


 樹海にいた頃も定期的に水浴びをしていたが、温かなシャワーの快感はその比ではない。

 勢いよく体に打ちつけられる湯に、ウォルトはしばらく放心状態になった。


「ウォルト、大丈夫!? 何か大きい声が聞こえたけどっ!?」


 脱衣所にフロルが飛び込んで来る。

 浴室と脱衣所を仕切る扉にはくもりガラスが使われているため、直接裸を見られることはない。

 だが、ウォルトは年頃の女子のように慌てて浴槽に飛び込み体を隠した。


「あ、ああ……ごめん! 久しぶりのシャワーが気持ちよくって、つい草を生やしてしまって……!」


「まあ、大丈夫ならいいんだけどね。さっきから『あひゃひゃひゃひゃwwwwwwwww』みたいな奇声がエントランスの方まで聞こえて来てたから、心配になって飛んで来ちゃった」


「うわぁ……申し訳ない……」


 どうやらシャワーが気持ち良すぎて放心状態になっている間、ウォルトのだらしなく開いた口から『口述式こうじゅつしきワロタグリフ』が漏れ出していたようだ。


 文字として刻む『w』を音声で表す口述式ワロタグリフには未だ謎が多い。

 ただ、ウォルトの感情が高ぶると言葉の節々ふしぶしに口述式ワロタグリフが現れる傾向にあることはわかっている。


 ワロタグリフにはウォルトが持つ草の力を出力する効果がある。

 そのため、口述式にも何らかの効果があると思われるが、ウォルト自身もまだその効果を実感したことはない。


 もしかしたら……ただただ下品に笑っているだけなのかもしれない。


「でも、本当に異常はないから大丈夫。むしろ心は以前よりスッキリしてると言ってもいい。一人でいる時に体をめちゃくちゃに動かして踊ったり、人前では言えないことを叫んでみたりすると心がスカッとするのと一緒さ。いわば心の排……いや、何でもない」


 ウォルトは『心の排泄はいせつ』と言いかけた。

 叫ぶことで心の中のモヤモヤを追い出すと考えれば、排泄という表現は的確である。


 だが、それを言ってしまうとウォルトはエントランスまで排泄音を響かせ、女性陣に聞かせてしまったことになるので……思いついた言葉を飲み込むしかなかった。


「何であれ、もし体に不調があるなら隠しちゃダメだからね! 男の人ってそういう無駄なところで結構強がるんだから。ジャガイモ作ってる近所のモーイおじさんなんて虫歯を隠してて大変なことに……!」


「俺のことを心配してくれてありがとう、フロル。こうしてフロルが話しかけてくれるだけで、俺の心はどんどん満たされていくよ。この村に君がいてくれて……本当に良かった」


 自分に寄り添い、その身を案じてくれる存在のありがたさをウォルトは素直に表現した。


 しかし、この言葉にフロルはドキドキと胸を高鳴らせる。

 見た目はイケイケでやんちゃっぽく見えても中身は田舎の娘。

 人生で一番の遠出は隣の村まで。男性とお付き合いした経験などない。


(これは……これからも私と一緒にいたいってこと!? この村を出て王都まで、そして永久とわに共に……! あっ、いやいや、それは言い過ぎよ……たぶん!)


 フロルは体をもじもじとくねらせる。

 ただ強いだけじゃなく、自分の弱いところも隠さずにさらけ出す少年を放っておけない気持ち――それはどんどんと強くなっていた。


「あ、あはは……そうだっ! ここに新しい服、置いておくからねっ! 私はご飯の準備があるから……また後でー!」


 ドタバタとフロルが脱衣所から出て行き、浴室には水滴がぽとりと落ちる音だけが響く。


「なんて、あったけぇんだ……」


 湯船に肩まで浸かり、しみじみとつぶやくウォルトであった。


 ◆ ◆ ◆


「お風呂あがりました。本っっっ当に気持ち良かったです!」


 ウォルトはよーく浴槽に浸かった後、髪と体をしっかり洗って出て来た。

 そして、脱衣所に用意されたふかふかのタオルで水分を拭き取り、新しい服にそでを通してフロルたちがいるエントランスへ戻って来た。


「服のサイズぴったりです。結構体が大きくなっちゃって合う服がないと思ってたんですけど、これは一体どこから……」


「宿に帰って来なかった客の服を着させたんじゃないか……って言いたいんだろう?」


 ファムの指摘にウォルトはわかりやすくギクッと体を震わせる。

 宿に帰って来なかった客――つまりはフングラの樹海に消えた人々が預けて行った荷物の中から引っ張り出した服なのではないか……ということだ。


「ヒヒヒ……安心しな、その服は都会に憧れ村を出て行った男たちが残したお古の服だよ。まあ、憧れの都会で今も生きてるかどうかは知らないけどねぇ」


「も~、婆ちゃんったら意地悪な言い方するんだから」


 ニヤッと怪しげに笑うファムに、フロルがやれやれといった視線を向ける。


「婆ちゃんは確かに宿に帰って来なかった人たちが残した物に手を付けてるけど、その人の持ち物だと証明出来る物とか思い出深そうな物はちゃ~んと残しておく優しさがあるって知ってるもんね!」


「これこれ、それをあんまり言いふらすんじゃないよ。女だけでこれだけの宿を切り盛りしてるんだ。客の遺品でも見境なしに手を付ける恐ろしいババアを演じるのも一種の防衛戦略なんだよ」


「あっ、ごめ~ん!」


 フロルが手を合わせ、ペロッと舌を出す。

 そして、すぐ何かを思い出したようにハッと目を見開いた。


「そうだそうだ! ウォルトにご飯を用意してたんだった! 今持ってくるから、そっちテーブルの前のイスに座って待ってて!」


 フロルは奥のキッチンへドタドタと駆けていった。

 その間にウォルトは指定されたイスに座る。


 宿に来て最初に座ったソファよりも高さがあり、丸いテーブルもそれに合わせて高めに作ってある。

 腰掛けると沈みこむソファよりは、こちらの方が食事はしやすそうだ。


「よしよし、まだ全然冷めてない! 温かいうちに召し上がれ!」


 キッチンから料理の乗ったトレイを持って来たフロルは、それを優しくテーブルの上に置いた。


「あ、ああ……っ!」


 ウォルトの目の前に現れた料理の数々は、決して豪勢ごうせいと呼べるものではなかった。

 焼き加減が甘いパン、具を盛り過ぎて汁気の少ないスープ、ちょっと茹で時間が長かったパスタ、量が多くて一番目立っているサラダ……。


「一応うちにも料理専門のスタッフはいるんだけどね……。今日は野暮やぼ用でお休みだから、私が作ってみたんだ! プロには遠く及ばないけど、家庭的な手料理にはなってる気がするんだけど……どうかな?」


 少し不安そうな笑みを浮かべ、フロルは体を揺らしている。

 早く料理の感想が聞きたい彼女の想いとは裏腹に、ウォルトの手はなかなか動かない。


「……あったけぇ、あったけぇよ」


「え? 確かに温かいけど……まだ食べてないじゃん?」


「心があったけぇんだ……!」


 久しく目にしていなかった誰かの手料理。

 それも自分のためだけに作ってくれた料理。


 風呂で温まっていたウォルトの心はさらに温まり、胸がいっぱいになった。

 そして、目からは滝のような涙があふれ出した。


「え!? うわっ、ちょっと……泣くほど喜んでくれるのは嬉しいけど涙の量多過ぎで……ふふふっ! 笑っちゃいそう……!」


 人間の涙腺るいせんってこの量の水分を一気に放出するだけの機能を有しているんだと驚かされると同時に、フロルはそのシュールさを覚え笑いがこみ上げて来る。


 その時、フロルはある感覚を覚えた。


(もしかして……この感情こそが『草』なの?)


 新たなる概念が頭の中に芽生え、根を張り、草を生やす。

 気になる男の子のことを少し理解出来たようで、フロルは何だか嬉しかった。


「ちょっとウォルト! 泣き過ぎで草! ……この使い方であってる?」


「ああ……とっても自然でまともな使い方だ!」


「やった! えへへ~」


 白い歯を見せ、満面の笑みを浮かべるフロル。

 止まり始めた涙をぬぐい、不器用に笑ってみせるウォルト。


 見つめ合う二人――そして、ファムは言った。


「何でもいいけど、早く食べないと本当に冷めてしまうよ」


「あ、はい」


 大量の涙を流したことで目がれたのは一瞬で、すぐ体内にたくわえた草の力で普段の顔に戻るウォルト。


「では……いただきます!」


 久しぶりの『食事』にありついたウォルトは、まるで幼い少年のようにガツガツと出された料理を食べていった。

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