第6話 パッツパツで草

「ああ、やっとここに戻って来れた」


 フングラの樹海にある澄んだ水の池。

 そのほとりに転がっている岩の上には、乾き切ってパリパリになった衣服があった。


「これを洗った水のおかげか、それとも岩のおかげか……パリパリだけどカビてはいないな。流石に全裸で樹海の外に出るわけにはいかないさ」


 カビていないだけで綺麗とは言い切れない衣服。

 それでも、三か月間フングラの樹海を裸で駆け回り続けたウォルトにとっては、この衣服が久しぶりに会う友人のように感じられた。


「さて、問題はこの服が入るかどうか……」


 衣服に脚や腕を通していくウォルト。


「ああ、思った通りパッツパツで草」


 三か月間フングラの樹海の草を食い続けたウォルトの体は……見違えるほど大きくなっていた。

 身長は頭一つ分伸び、全体のシルエットも一回り膨らんでいる。


 かつてのウォルトの体形に合わせて作られていた衣服が、張り裂けそうなほどパツパツになるのも当然の結果だ。

 もはや別人と言っていいほどの変わりようだが、顔立ちだけはまだかつての少年の面影を残していた。


「髪も伸びたし、ヒゲも生えちゃったな……。でも、こればっかりは切るものがないし仕方ない」


 樹海に湧き出る水や川で体を定期的に洗っていたが、流石に全身からあふれる野生の雰囲気は消しきれない。

 あまり人前に出られる姿ではないが、それでもウォルトには樹海から出る理由があった。


「父さん、ニール、アストン、それに騎士のみんなに俺はもう一度会いたい。会って……俺が生き残っていることを見せつけてやりたい……! きっと亡霊でも見たかのように驚くだろうなぁ!」


 ウォルトは空に向かって笑顔で叫ぶ。

 フングラの樹海に落とされてどれくらいの時間が経ったか、彼は正確には把握していない。

 この大自然の中にはカレンダーなんて気の利いたものはないし、ウォルトも草を食べるのに夢中で日数を数えていなかった。


 ただ、少なくとも父親や兄弟たちがウォルトは死んだと確信するくらいの時間は経っている。

 それだけはウォルト本人にもわかっていた。


「生きてることを見せつけた後は、どうにかして俺を見捨てたことを後悔させて……いや、そんな復讐じみたことを目的に生きるのは草も生えないな。でも、結果的に生きてたんだから良かったじゃんみたいな軽いノリで流されるのも……」


 正直ウォルトにとっては父親や弟たちに見捨てられるまでがあまりに急な出来事だった。

 すべてを失うまでにスピード感があり過ぎて、未だに事態じたいを完全に飲み込めていない。


 ゆえに復讐を目的に生きるほどの怨みは生まれていない。

 それでいて、笑って許せるような気持ちにもなっていなかった。


「とりあえず、父さんには俺のことをどう思っているかを洗いざらい吐かせて、それから仕返しを決める。ニールとアストンは……絶対に『お兄ちゃん、ごめんなさい』と言わせる! それでいこう!」


 自分がまだ生きていることを知らしめる。

 そして、家族には復讐するのではなく、自分に行った仕打ちを心の底から反省させる。

 ついでにリザルへのお仕置きも考えておく……そうウォルトは心に決めた。


「その後のことはわからないけど、騎士にはもうならないかもな。もっと自由に草を生やしまくって暮らせるような人生を探して、見つからなければまたこの樹海で気ままに暮らすのもいいだろう」


 孤独に三か月生きたことですっかりひとり言が増えたウォルト。

 だが、このフングラの樹海での生活は絶望に叩き落された彼に立ち上がる力をくれた。


 もはやこの樹海に住むの魔獣が、ウォルトに襲いかかって来ることはない。

 草によって手に入れた筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの肉体に秘められた力は、単純なパワーだけではないのだ。 


「さあ、出発だ。目標はボーデン王国の王都……俺の故郷へ!」


 ◆ ◆ ◆


 出発から数時間後――

 ウォルトはフングラの樹海を脱出することに成功していた。


「うん、今日も俺の五感はビンビンに鋭いな」


 上質なキヨウ草を食べまくって高められた感覚は、植物の気配すら捉えることが出来る。

 その感覚で木の気配を感じ取り、木の気配が少なくなっている方向――つまり、樹海の終わりを探し当て全力疾走して来たのだ。


「体の方もウォーミングアップにはなったかな」


 人の手が加わっていない自然の地形を数時間全力で走り続けても上がらない息。

 それでも現在地から王都まではかなり距離があるため、一気に走って帰ることは流石に出来ない。


「フングラの樹海は王国の最南端、国内だと王都から最も遠い場所にある。リザルの奴め、面倒なことを……。まあ、騎士としては忠実に任務をこなしただけなんだろうけどさ」


 一人で過ごす時間が長かったウォルトは、あの小憎こにくたらしいリザルでさえも会って話したいと思える状態だった。

 というか、この際誰でもいいから人と話がしたい気分なのだ。


いてはこと仕損しそんじる。まずは一番近くの集落を目指そう」


 ここからも長距離の移動がある。

 未開の地であるフングラの樹海から伸びている街道などはなく、道を切り拓きながら進んでいくしかない。


かすかだが人の気配を感じる……。こりゃまた遠いが、走っていけば太陽が空の真上に来るくらいには着くだろう」


 つまり、正午くらいには気配を感じた場所にたどり着けると予定を立てた。

 進む方角は北西、距離は……100キロメートル以上はありそうだ。


滅多めったに来れない場所なんだ。景色を楽しみながら走ってもバチは当たらないよな」


 ウォルトはその場で軽く足踏みした後、目的地めがけて道なき道を走り始めた。


 ◆ ◆ ◆


 「樹海の外にも珍しい草が生えてて、いちいち食べてたら思ったより時間が……。まさにこれが『道草を食う』……ってね!」


 上機嫌のウォルトだが、予定の正午はとっくに過ぎて今は三時過ぎだ。

 フングラの樹海付近には人が住んでいないため、樹海の外も植物の宝庫だったのが原因だ。


「まさか、平地に赤い薬草『ゴッツ草』の上位種『モノゴッツ草』が群生しているとはなぁ~。おかげでまた筋肉の美しさに磨きがかかってしまった」


 肌ツヤが良くなった二の腕あたりをうっとりと見つめつつ、ウォルトは感覚を研ぎ澄ます。


「樹海を出た時に感じた人の気配は動いていない。数時間経っても動かないってことは、そこに住んでいると考えるのが自然だ。それにその気配は近づくほどに強くなり……増えている。向かう先はそれなりに大きな村なのかもしれない」


 気配が遠かったゆえに一つにしか感じられなかった気配がハッキリし、それが複数の気配だったことが確定した。

 村に行けば自分の体に合う衣服があるかもしれないし、ボサボサで伸び切った髪とヒゲを切って整えることも出来るかもしれない。


「久しぶりに人に会うのはちょっと緊張するけど、それでもワクワクするなぁ~。ずっと独り言を続けて来たから、口の動きは退化していないはずだ。きっとちゃんと話せるはず……!」


 足取り軽く移動を再開し、それから数十分でウォルトは視界に村を捉えた。

 予想通りその村は大きく、結構発展しているように見えた。


「絶対に危ない奴だと思われるだろうけど、ちゃんと誠心誠意説明して……ん?」


 村に近くまで来たウォルトは、人々のざわつきを感じ取った。

 楽しいお祭りの喧騒けんそうではない。これはトラブルの音だ。


「盗賊団か何かか……! 助けに行かないと!」


 姿かたちは変われど、父親から見捨てられようと、ウォルトの中の騎士道精神は生きていた。

 自分がどう見られるかなど関係なく、人々を助けるために村の中へ突入した。


 もうハッキリと聞こえる悲鳴、子どもの鳴き声、怒号どごう……。

 その発生源である商店が立ち並ぶ通りに来た時、ウォルトが見たのは盗賊団ではなかった。


「えっ……!? 王国騎士団か……!?」


 村人に暴行を加え、商店の品物を強奪しているのは……忘れるはずもないボーデン王国騎士団のエンブレムを掲げた騎士たちだった。

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