延宝六年 年の瀬  東条高尾とお満流の方

「あなた様をお呼びした理由はお判りでしょうか?」

「分かる訳ありませんな」


 吉原の外の茶屋で男二人の密談。

 しかも相手は霊岸島の旦那である河村十右衛門だ。

 河村十右衛門直々のご指名であり、蓬莱弥九郎すら外しての話である。

 きな臭い事この上ない。


「商いは根回しが大事なものです。

 それはどんな事にも言えると思っていましてな」


 表向きは江戸随一の豪商が最近話題の簪職人を呼んで仕事をと見えるだろう。

 だが、実際は幕府の仕掛人である半兵衛とその依頼主河村十右衛門という関係である。

 河村十右衛門は笑みを崩さずに、本題を告げた。


「冬花大夫を身請けしたいのです」

「……へぇ、そうですかい」


 半兵衛は表情を変えずに相槌を打つ。

 太夫の身請け金など軽く千両箱が必要になる。

 しかし相手は江戸随一の豪商の主だ。

 千両箱とて積もうと思えばいくらでも積める。


「河村様ともあろうお方が何を急いでいらっしゃるので?

 冬花大夫はもうすぐ年季明けだ。

 そうすれば、安くなった冬花大夫を買い叩けるのを冬花当人も言っている」


 その身請けを半兵衛がしようとして当の冬花に断られたばかりである。

 おかげで、目の前の河村十右衛門からもらった千両箱は手つかずのまま残っていると考えていた半兵衛に悪寒が走る。


(待てよ。河村十右衛門はこの間吉原で行われた高尾選びで西条高尾大夫と競った東条高尾大夫を身請けしたばかりだ。

 冬花は彼女より格が落ちるだろうが、そんな大夫を立て続けに身請けだと?)


「これは内密にしていただきたい話なのですが……」


 河村十右衛門は声を潜めて言う。

 聞きたくもない話だが、冬花が絡む以上半兵衛は聞かざるを得ない。


「大老酒井雅楽頭様の依頼なのでございます。

 東条高尾を、大奥に居れて将軍様の御子を作るようにと」


 半兵衛は聞いた事を後悔した。

 彼は一介の浪人のつもりである。

 幕閣の暗闘に関りはすれど、下でただ種子島を使うだけの仕掛人でしかないし、それを受け入れていた。

 何が悲しくて幕閣の、しかも次期将軍を巡る陰謀を聞かねばならないのかと。


「今からでも聞かなかったことにできないかな?」


 半兵衛は軽口を叩くが、それが無理なのは半兵衛自身が分かっていた。

 河村十右衛門はそんな半兵衛を見透かすように淡々と話を進める。


「近く、酒井様の御屋敷に将軍様が御成りになり、そこで旗本佐脇安清が養女お満流こと東条高尾を見初めて大奥に。

 そう言う運びとなっているのでございます」


 半兵衛の足元が泥に沈むような感覚に襲われる。

 これ以上聞くと戻れなくなる確信が半兵衛にはあったが、それは彼が今味わっている感覚に冬花を置いてゆく事を意味する。

 彼に選択肢はなかった。


「将軍様も元気になったものだ。

 かつて仙台藩主が味わった高尾大夫の味を味わいたくなったとは」


「だったら、どれほどよかった事か」


 河村十右衛門が笑顔で毒を吐く。

 その毒に半兵衛は当てられて言葉を失った。


「御典医の見立てでは、年を越えられるかどうか。

 もはや、普通の娘では御子は作れず、吉原一の床上手である彼女に賭けるしかないのでございます」


 下世話な話になるが、大夫などの高級遊女の身請け元は大店の主が多く、彼らは総じて持っている金に応じて老いていた。

 そんな老いた男を相手に床で喜ばせて吉原の夜に君臨しているのが大夫である。

 河村十右衛門は暗にこう言っているのだ。


『四代将軍徳川家綱の気力体力は、身請けをする老人ぐらいしか残っていない』


と。

 半兵衛は自然とため息をこぼす。

 知りたくなかった幕閣の暗闘。その醜さに、それを笑顔を崩さずに語る河村十右衛門の怖さに。


「そのあたりは分かった。

 なぜそれが冬花の身請けに繋がるんだ?」


「一口に大奥に入ると言っても、その身一つで入るものではないのです。

 多くの女中を連れて入るのですが、そちらは酒井様とそのご親族によって揃えます。

 それゆえに、一人大奥に入る東条高尾の為に、吉原の事を話せる女中が欲しかったのです」


 たしかに冬花を身請けする理由にはなるだろう。

 それは同時に冬花を地獄に連れていくに等しい。

 大名や豪商は大奥に入れる女中の教育のために莫大な金を湯水のように使うからだ。


「なるほど。

 それで冬花が納得するかは知らないが、俺に出来る事はやっておこう。

 だが、もし冬花が嫌だと言ったらあきらめてくれ。

 冬花がどうなってもいいなんて思っちゃいないんでね」


「それで結構でございます」


 半兵衛は立ち上がって茶屋を出て行く。

 茶屋を出るとそこには一人の男が立っていた。

 その男は半兵衛を見て笑みを浮かべる。


「石川の旦那。

 めずらしい所で会うものですな」


「ああ。茶でもと思ったが、茶屋から出てきたばかりのお前を誘うのも無粋だな。

 またにしよう」


 当たり前のように居た石川新右衛門が近づいて半兵衛の耳元で囁く。

 この柳生剣豪はどこまで知っているのか、何を命じられているのか半兵衛にはわからず、彼の囁きは半兵衛を更なる沼へ誘う。


「高田藩、かなり揉めているらしい。

 大坂の蔵屋敷で、高田藩の米切手に滞りが出た。

 おそらく、江戸に波及するぞ」

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