第85話「吸血鬼の目覚め」
失っていた意識が戻った時、はじめに聞こえたのは一定間隔で滴り落ちる水の音だった。
激しい頭痛と目眩に顔をしかめながらも、知華子は冷静に自分の状況を考えた。
まず視界から入る情報は…ほとんどなかった。どこかへ移動させられたのか、見える物の多くは岩で、前方にはくり抜かれたような大穴の向こうに、静かな波を立てる海の姿があった。
耳にはずっと、少量の水が滴り地面に当たるような音が聞こえている。
足は自由が利くが、手は胴体と一緒に岩か何かに括り付けられているようだった。つまり身動きが取れない。
「拘束までするなんて…本当に必死なのね」
おそらくこれをした犯人は新亜だろう。自分が香夜のヒーローになるためなら、味方の拘束だって厭わない…やはりあいつはあの時殺すべきだったと、少し後悔した。
こんな紐は血を使えば簡単に外せるとして…それよりも、さっきから何かがおかしい。知華子はうっすらと気が付いていた自分の体の異変に、改めて意識を向けた。
どうしてか体に力が入らない。脳震盪の影響にしては、なんだか血の気が引いてるような、ただの脳へのダメージではないような、そんな感覚だった。そう…例えるならこれは、貧血が一番近いかもしれない。
でも、どうして…?
「……なるほどね」
思案するために俯いて、答えはすぐに見つけられた。
深めに傷付けられた手首から滴り落ちた血が、足元の地面を赤黒く汚していたからだ。
とりあえず血を凝固させて傷口は仮で塞いでおく。血は止まったものの、流れ出て行ってしまったものに関しては、どう頑張っても取り戻せない。
体内から出ていってすぐなら利用方法はあったが、どうやらある程度の時間が経過してしまっているらしい。能力を使おうとしても地面に広がる自分の血は反応を見せない。
そもそも貧血のせいか、普段使えている能力ですらその力は衰えているようだった。
「まったく…ここまで対策するなんてどうかしてるわ。もはや狂気的ね」
あのストーカー女にキツいお仕置きをするのは後にして…自分の体を岩に縛る紐を、血を凝固させて作った小さなナイフで切り、あっさりと解いた知華子はもたつく足取りで歩き出した。
今は何よりも、香夜の身を案じていた。
新亜や蛟の強さには、こう見えて深い信頼を置いている。それでも、その能力によっては太刀打ちできない相手も当然いる。となると、貴重な戦力である自分が抜けていた事はかなりの痛手になる。
「早く向かわないと…」
力が入らない足で、引きずりながらもなんとか踏ん張って大穴へ向かう。
穴を出てすぐ右側に砂浜が見えて、そう遠くない所だと察した。よく見れば向こうの方で、何やら人が戦っているようだ。となれば、確実に蛟達だろう。
思いのほか近くてよかったと安堵しながら歩みを進めていく。いつもなら距離なんて気にしないが、今は貧血。翼を使う事すら惜しい。使い方を間違えたら、すぐにでも気絶してしまいそうだ。
「……香夜」
自分でも驚くほど掠れた声が出た。
呼びかけると、ひとり何も出来ず狼狽えていた様子の香夜は、知華子の姿を見るや否や泣きそうな顔で抱きついた。
「うぅ…どこ行ってたの、ばか知華子」
こんな時でさえ悪態をついてくる姿も愛おしく思いながら、不安がるその頭に手を置いた。
「もう大丈夫よ。…分かる範囲でいいから、状況だけ教えてくれる?」
努めて優しく声を掛けて、香夜の涙が少し収まった頃に話を聞いた。
まず最初に現れたクラーケン、これは香夜を海の底へ引きずり込もうとしたらしいが、新亜がひとりで戦って勝ったようだ。…変身もしていなかったと聞いて、知華子はそのフィジカルの強さに僅かだが畏怖の念に駆られた。
クラーケンを倒して一安心…と思いきや、最初に助けてくれたはずのメイという人魚が後ろから新亜を刺し、形勢は逆転。今は途中から参戦した蛟と愛乃含め、苦戦を強いられているようだった。
「私…何も、できなくて」
また目に涙を溜めて、香夜が震えた声で呟く。
香夜の能力を使えば動作もない事だろうが…魔力を制御できない状態で、近くに知華子もいない。そうなると、香夜はただの女子高生だ。戦えるはずもない。
「自分を責めないで」
慰めるために髪を撫でて、溢れる大量の涙を指の腹で拭う。
「あなたは大人しく…私に守られてればいいのよ」
いつものように嫌味な言い方を、それに似合わないどこまでも優しい声で伝えた知華子は、抱き締めた後で立ち上がる。
その優しさに、香夜の胸は痛いくらい強く締め付けられた。
「知華子…」
「ん…?」
「好き」
来るとは思っていなかった告白に、知華子の思考は止まった。まさかこの状況で言われるとは思わず、完全に油断していた。
「っは、早くみんなを助けに行かないと」
「待って」
聞こえなかったフリをして立ち上がろうとしたら、香夜はすぐに手を掴んで止めた。
「もう私から逃げないで」
「あ、後で話しましょ。ね?」
「ごめん…こんな時に」
「うん、いや……大丈夫よ。じゃあ私はもう行くわね」
早口で会話を切り上げて、そそくさと逃げるように知華子は三人の元へと向かった。
心臓の音が耳にまで響いてうるさい。
「っもう…これから戦うっていうのに。あのバカ!」
動揺した心を落ち着けるため、知華子はいつもの調子で悪態をついた。
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