第2話 独身荘の住人たち
“独身荘”というのは、私が5年ほど前から住んでいるアパート「あさひ荘」の別名である。
なんでもオーナーが独身の高齢女性だそうで、入居者は独身の女性に限られており、私のほかに4名の入居者が住んでいる。――いずれも、20代~30代の独身女性だ。
建物はシェアハウスに似たつくりで、玄関を入るとまず共用のリビングスペースとキッチンがあり、そこから各自の部屋へと通じる仕組みになっている。
大きなソファと60インチのテレビが鎮座するリビングに、巨大冷蔵庫と4口ガスコンロ、オーブンも備わったキッチンは、一人暮らしでは味わえない贅沢だ。
そのため、入居者たちは快適なリビングでいやでも毎日顔を合わせることになり、私は決して積極的に女友達を作るタイプではないのだけど、なんだかんだ皆と仲良くなっていた。
――半年前に入居してきた、“非常識”な1名を除いては。
「ただいま」
ドアを開け靴を脱ごうとした瞬間、私は共用の玄関に転がっているパンプスを見つけ、反射的に顔をしかめた。10センチはあろうかという高いピンヒール。派手なピンクのストライプ柄。
――まちがいない、アイツのだ。
「みやむらぁ~!!」
私が低い声でうなるようにアイツの名前を呼ぶと、住人の1人であるサクラが、心配そうな顔でキッチンから出てきた。
「おかえり、冴子ちゃん。どうしたの?」
「サクラッ! あの非常識女、在宅してる!?」
「美鈴ちゃん? たぶんいると思うけど……」
そのとき、サクラの背後でがちゃりと個室のドアが開き、眠そうに目をこすりながらアイツ――宮村美鈴がのっそりと顔を出した。
「なんですかあ? 冴子さん」
「あんたねぇ、何回言えば学習するのよ!」
私はなんとか怒りを抑えようと呼吸を整えながら、玄関に転がったパンプスを指さす。
宮村は、キョトンとした目で目線を玄関に向けた。そして、「ああ!」とおかしそうに笑う。
「あーまたやっちゃいましたぁ、スミマセン」
「いつも言ってるでしょ!? 共用の玄関なんだから、靴は靴箱に入れろって! そんなに難しいこと!?」
「なんかいつもウッカリ忘れちゃうんですよねぇ」
アハハ、と宮村は寝ぐせだらけの焦げ茶色の髪をガシガシとかいた。そして、くるりと背を向けてキッチンの冷蔵庫を開く。
「あー喉かわいた。あっ、コーラだ! もらっていいですか?」
「触んなっ、それは私のコーラ!――というか、早く靴をしまいなさい!」
「ああ、それ、ついでにしまっておいてくれますー?」
あっけらかんと言われて、私は額の血管がブチブチと音を立てて断ち切れるのを感じた。
「自分でやれ、ナマケモノ!!!」
「えー、だって冴子さん、今玄関にいるじゃないですか。ついでにやってくださいよ、ケチくさいなぁ」
激怒する私の顔色などまったく意に介さずに、宮村がちょっと口をとがらせてみせ、冷蔵庫からコーラのペットボトルを取り出す。
――だから、それは私のコーラだっつーの!
私は靴箱に自分の靴と宮村のパンプスを乱暴に押し込むと、宮村のもとに駆け寄り、その手からペットボトルを奪い取った。
「冷蔵庫の中で名前を書いてあるものは、勝手に飲み食いしちゃダメだって言ってるでしょ!?」
「あーそうだ、そうだ、そうでしたねぇ。えーと、このコーラには……」
「名前! 書いてあるでしょ、ここに!!」
宮村の目の前にペットボトルを掲げて見せると、アイツは「ん~?」と目を細めて顔を近づけてくる。
「今カラコン外しちゃってて。うーん、言われてみれば名前に見えるような……」
「メガネかけてこい、メガネ!」
「まあまあ、二人とも……」
思わずヒートアップしてしまう私を見かねたのか、穏やかな性格のサクラが、困ったように微笑しながら仲裁に入ってきた。
「あのね、もうすぐキッシュが焼けるの。よかったら、一緒に食べない?」
「わぁ、やった!」
私の小言などまったく響いていなそうな宮村が、無邪気に手をたたいて喜ぶ。
料理上手なサクラは、よく独身荘の住人たちに料理をふるまってくれていた。確かに、オーブンから何やら食欲をそそる香りが漂っている。
私は、怒りをしずめてサクラに微笑みかけた。
「ありがとね、サクラ。私もいただこうかな」
「そうしましょー!」
なぜか宮村が得意げにうなずいて、グラスにペットボトルのコーラを注ぐ――って、それ、私のコーラだってば!!
私はあわてて宮村の手からペットボトルを再び奪い返す。
「勝手に飲むんじゃない!!」
「あれ? さっき、飲んでいいか聞きませんでしたっけ?」
「聞かれてないわよ!!」
「アハハ、まじっすかぁ」
まったく悪びれずに笑いながら、宮村はごくごくとコーラを飲む。――私の、コーラを!
――本当に、恋愛どころではない。今の私の目下の悩みは、この半年前に入居してきた、新卒・22歳の宮村美鈴なのだった。
=====
恵理が紹介してくれた弁護士は、佐々木雄吾さんという名前で、弁護士らしく簡潔に要件をまとめたメールを送ってくる人だった。こちらは適当な相槌を返すだけで、いつの間にか彼が待ち合わせのお店や時間を決め、予約までしてくれた。
私は、佐々木氏から送られてきたメッセージを、なんともいえない複雑な気持ちで見つめる。
『それでは当日、18時よりこちらのお店を予約いたしました。お目にかかれるのを、楽しみにしております』
業務連絡じみた文章の下にはお店のホームページのURLまで添えられていて、慣れているのかなんなのか、まるで接待みたいだと思う。しかもそのお店が、人生で一度も足を踏み入れたことのない外資系高級ホテルの中にある超高級レストランだったので、携帯を取り落としそうになった。
――あー、体調不良でキャンセルしたい……。
心からそう思ったけど、恵理の「仮病は許さない」という一言が脳裏でリフレインする。
なんとか本当に風邪を引けないものかと、あえて人混みの中をウロウロしてみたり、無駄に湯上りを薄着で過ごしたりしてみたが、努力は実らなかった。
こんなときだけは、めったに体調を崩さない頑丈な自分の体がうらめしい。
そしてとうとう、佐々木氏との約束の日が来てしまった。
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