偏屈独女だって、溺愛されたい!? ~独身荘の女たち~

@akagawayu

第1話 冴子


◆SIDE:遠藤冴子



 子供のころから、夢は「図書館で働くこと」だった。


 あとは、キューバとフィンランドに行くこと。

 ゴールデン・レトリバーとセキセイインコを飼うこと。

 芝生の庭とシアタールームがある、日当たりの良いおうちに住むこと。

 そして、ジョージ・クルーニーみたいな旦那さんと結婚すること。


 このうち、実際にかなったのは「図書館で働くこと」だけ。――だけど、私はそれで充分幸せだった。


 まさか、あんなとんでもない男と出会い、まったく不本意ながら恋に落ちることになるとは――一瞬たりとも想像したことはなかったのだ。



=====



 大学の英米文学科を卒業したあと、私は司書として公立の図書館で働きはじめ、子供のころの夢を実現した。


 司書の仕事は、正直に言って決してクリエイティブな仕事ではない。

 薄給で臨時採用の職員も多いし、仕事内容はカウンター業務をはじめ、本の整理や修繕など単純作業が多いし、退屈だと感じる人のほうが多いかもしれない。それでも、私は大好きな本に囲まれているだけで幸せだった。


 静かな図書館の中で、黙々と仕事を続けるうちに、私はあっという間に34歳になっていた。

 4年くらい前までは彼氏もいたけれど、結婚はピンとこなかったし、向こうも私と添い遂げるつもりはなかったようで、関係はいつの間にか自然消滅していた。


 正直言って、男性に対してあれこれ期待はしていない。

 最近流行りの恋愛小説の中にあるような、あっと驚く運命の出会いも、”スパダリからの溺愛”も求めていない(ああいうのは、本の中の出来事だからこそ楽しめるのであって、現実で起こったらたぶん興ざめだ)。


 それよりも、この穏やかな日々がずっと続いていけばいい、という思いのほうが圧倒的に大きかった。



「――いや、さすがにそろそろ独身も飽きたでしょ?」


 昼下がりの午後。大学時代からの友人・恵理とおしゃれなブックカフェでお茶をしながら、簡単にお互いの近況報告をしたところで、気心知れた仲の彼女からズバッと突っ込まれてしまった。


「別に、独身に飽きるも何もないでしょ。生まれたときから独身なんだから」


 香り高いコーヒーをすすりながら答えると、恵理は形の良い眉を吊り上げる。

 美人で頭も良いこの女友達は、外資系投資銀行のバックオフィスで働きながら、合コンで知り合った渉外弁護士と1年前に結婚していた。


「まぁ、私も晩婚の部類に入るから、あんまり強く言えないけど」

「私の話より、そっちの新婚話を聞かせてよ」


 なんとか話を逸らすと、恵理はちょっとはにかんだ笑顔を見せる。


「いい年して恥ずかしいけど、超楽しい」


 ――友人として付き合いは長いけれど、恵理のこんな表情を見るのは初めてだった。


「へぇ~! いいなぁ、幸せそう。信一郎さん、優しそうだもんね」

「お互い独身が長かったから、今の状況が新鮮で……。朝起きて、顔を見るだけでなんかもう、ニヤニヤしちゃう。朝ごはん食べてる間中、ずーっと笑ってる」


 犬も食わないようなのろけ話だけど、親友から聞くのであれば悪くない。とろけるような笑顔の恵理を前にして、私も思わず笑ってしまう。


「ほんとによかったね」

「そうなの、よかったのよ。だから、迷惑かもしれないけど押し切る」

「え?」

「冴子、あんたに旦那の知り合いを紹介します」


 思いがけない言葉だった。私は一瞬思考が停止して、それからはっきりと首を振った。


「いや、そういうの大丈夫。結構です」


 そう言うと思った、と恵理がカフェラテを口にしながら顔をしかめて見せる。


「断っても無駄だからね。もう、段取りつけちゃった」

「いやいや、ほんとにやめて、無理だから。全然求めてない、そういうの」

「もう決まったことだから」


 ――まずい、これは本気だ。


 恵理は大学時代、サークル内で代表よりも影響力を持ち「影の代表」と呼ばれていたようなタイプで、一度こうと決めたら必ず実行する性格だ。慌てて身を乗り出して、いかに現状に満足しているか、恋愛は求めていないかを切々と訴えたけど、無駄だった。


「別に付き合えとは言ってないでしょ。会うだけ、会うだけ」

「その“会うだけ”っていうのが、すでに重荷なんだけど……」

「大丈夫、ちょっと変わってるけど素敵な人だから」


 恵理の口ぶりに、私はちょっと興味を持った。


「へぇ、恵理も知ってる人なんだ。結婚式来てた?」


「結婚式のときは外せない仕事とかで、二次会しか来れなかったのよ。基本忙しい人なんだけど、最近落ち着いたらしくて、先週もうちに遊びにきたの。旦那と同業の38歳で、司法修習で同期だったんだって」


「うーん、弁護士かぁ……」


 ますます、気が重い。

 恵理の旦那さんは穏やかで優しい印象だったけど、たいていの弁護士というのは、口が立って理屈っぽいというイメージだ。

 私は一見おとなしそうにみられがちだけど(地味だから)、実はかなり自己主張が強いタイプで、たぶん職業的に最も相性が悪いのが弁護士なんじゃないかと思う。


 ――ということを訥々と説いて、なんとか恵理の気を変えようとしたけど、うまくいかなかった。


「御託はいいから、とにかく一度会って」


 恵理はぴしゃりと言って、強引に彼の連絡先を私のスマホに登録し、会う日取りまで決めてしまった。こうなると、逃げようがない。

 いや、焦ることはない。まだ最終手段が残っている。そう、仮病でドタキャンという――。


「仮病は許さないからね」


 何もかもを見透かしたような鋭い目つきで放たれた、恵理のトドメの一言で、私の運命は決まった。

 仕方ない、一度だけ。一度だけ会ってみて、「紹介してくれてありがとう。でも、やっぱり合わないみたい」と丁重に断ろう。


 しぶしぶ受け入れた私の浮かない顔色を見て、恵理はおかしそうに吹き出した。


「普通、独身アラサー女子に弁護士紹介するって言ったら、色めき立つものだけどね」

「……恋人を探している、独身アラサー女子ならそうでしょうよ」


 どうせなら、うちの“独身荘”の面々に紹介してあげてよ、と私は心の中でひそかにつぶやく。そんな私の心境を察したのか、恵理がにやりといたずらっぽく笑う。


「それこそ、冴子の“同居人”たちなら、大喜びで飛びつくでしょうに」


 私は軽くため息をつき、「同居人ではないから」と訂正してから、頬杖をついた。


「ねぇ、ほんとにうちの“独身荘”の誰かに、この紹介話を譲っちゃだめ?」

「だーめ」


 間髪入れずに首を振った恵理が、長いまつげに縁どられた目でじーっと見つめてくる。


「なんでそんなに興味ないのかね、恋愛に。冴子って地味にしてるけど、着飾ったらそれなりに美人なのに」


 “それなり”というあたりが正直で、いかにも恵理らしい。


「お世辞にもなってないけど、ありがと」

「彼に会うときは、せめて化粧はしてね」

「はいはい。それより、何か最近面白い本読んだ?」


 やっと恵理の追求から逃れて、その後は最近読んだ本や、映画の話で盛り上がった。


 やはり気心知れた女友達と過ごす時間は楽しい。

 「このあと家に誘われたらどうしよう」なんてビクビクしなくていいし、ふいに手を握られて不快になる心配もない。会計で無理やりおごられて気を遣う必要もないし、何往復もお礼のメッセージをやり取りしなくてもいい。


 ――そう、私はまったく、自分の生活に恋愛を必要としていなかったのだ。

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