死神やってますが殺人鬼に付き纏われて困ってます

浦井らく

死神やってますが殺人鬼に付き纏われて困っています

 普通、死神といえばどのようなイメージをするだろうか?

 骸骨が黒のローブを着て鎌を持って魂を狩りに来る? それとも黒の着物やスーツを着ている? 

 勿論そういうオーソドックスなタイプの死神もいる。だが残念ながら私はそのオーソドックスなタイプからかなり外れた形をしている。



「今日の魂回収はこれで最後……。疲れた……」



 とぼとぼとした足取りで歩みを進めるたび、首元の鈴がチリンと揺れる。塀の上を辿っていけば、そこで微睡んでいた同種がギョッとしてすぐに飛び降りるため、若干の申し訳なさを感じながらも足早に過ぎ去た。すぐ下の道路を子供達がキャッキャと声を上げながら通り過ぎていくのを見て、生前なら近付くだけで必ず絡まれたのに、今や見向きもされないという現状に嬉しさとほんの少しの寂しさを覚える。


 そう、外れた形というか、いわゆる私は猫の死神なのだ。そもそも人の形をしていない死神はそこまでいないのだが、その中でも、生前も猫で死後に死神として取り立てられた者は私しかいない。なんでも私が生前にいろんな人間の死に目を看取ったことで、君には死神の才能がある! となぜだか死神界のお偉いさんに気に入られてしまったからこうなったらしいのだが、詳しいことはよくわかっていない。


 死神になってよかったところは、人の言葉を話せるようになり、多種多様な同僚たちや死に際の人間と言葉を交わせるようになったこと。悪かったところは、のんびり日向ぼっこする時間も取れないぐらいに働かされていることだ。


 今日も今日とて死者の魂回収の予定が山のように詰め込まれ、たった今無事に仕事を完了できた。ここから後は夜勤の死神が引き継いでくれる。さて家に帰ってのんびりするかと軽く伸びをしたところで、嫌な天啓が降りてきてしまった。 



「クロさんすみません! あと一件追加でお願いできませんか⁉︎」


「……いや私もう退勤時間なんだが?」


「そうなんだけど引き継ぎ予定の天音くんが寝坊しちゃって、出勤三十分後になりそうなんで……。お願いします! 三十分だけ残業してください!」



 天啓を下してきたオペレーターの夜野さんの必死のお願いに、嘆息しながらも了承した。彼女は悪くない、悪いのは寝坊した天音くんなのだ。彼には後日猫パンチを十発ほどお見舞いしてやろう。


 夜野さんの案内で現場まで急行する。急ぎなので普段はあまり利用しない空中浮遊で向かうが、正直あまり得意じゃないのだ。高いところは降りれなくなりそうで怖い。勿論そんなことはないのだが、生前に木の上から降りれなくなって痛い目見ているからな。


 現場に到着し空中から見下ろせば、道路に倒れている壮年の男とは別で、若い男が側にしゃがみ込んでいるのを見つけた。もう死んでいるが介抱でもしているのか? 疑問に思いつつも地上に降り立ち近付けば、若い男は介抱なんてしていなかった。死んだ男の首から流れる鮮血、それを浴びて服を汚している青年は、鼻歌を歌いながら死んだ男のバッグやポケットを漁っていた。

 え、これもしかして殺人か? と腰が引けながらも青年を凝視していれば、気付くはずのないその視線に気付いたかのように、青年は私に視線を向ける。



「あー、ねこさんだぁ。ようやく会えたぁ」



 血の飛び散った顔でへにゃりと私に笑いかけてくるその姿に恐怖を覚える。なんで見えるんだ、普通の人間には私の姿など見えるはずもない。それにようやくってなんだ、もしかして私を探していたのか。得体の知れない恐怖に襲われ、全身の毛が逆立ち尻尾が太くなる。ジリジリと後退しながら、夜野さんにヘルプを求めた。



「夜野さん、夜野さん。私のことを見えている人間がいる。しかも回収予定の魂を殺した相手なんだが。帰っていいか?」 


「いいですよって言いたいところなんですけど、残念ながら駄目です。殺人で亡くなった魂なら早いとこ回収しないと悪霊堕ちしちゃう可能性もありますし、天音くん待ってる暇ないんですよね」



 直談判するも一蹴されてしまい途方に暮れる。夜野さんのいうこともわかる、わかるが今はこの人間に近づきたくない気持ちでいっぱいだ。触れられることはないだろうが万が一が怖い。だがどうにかして魂を回収しなければならない。悶々と考えながら青年を睨みつけていれば、青年は肩を竦める。



「ねこさんに危害を加えたいわけじゃないから、そんなに警戒しないで。ほら、こいつに用があるんでしょ? 俺は離れてるから好きにしちゃって?」 



 両手を上げてゆっくりと後退し、死体から距離を置いた彼は、好きにしてと顎をしゃくった。彼が近付いてきても、私なら十分に逃げられる距離感だ。警戒しながらもゆっくりと死体に近付き、鼻先をそっと死体の頬に押し当てて目を瞑る。こちらに来い、と念じて抜き取った魂は、淡い光を放ちながら私の眼前へと浮かぶ。魂に傷がついていないか、悪霊化が始まっていないかなどを確認した上で、首につけている鈴に格納した。


 仕事を終えて一息ついた私はふと青年の方に視線を向けると、青年はうっとりとした表情で私を見つめていてギョッとする。待ってくれ今の一連の動作のどこにそんな表情する余地があるんだ。変態か、変態なのかもしかして。

 だがとりあえず目的は達成できたし、もうこの場に用はない。私は踵を返し、彼が手を伸ばしても届かないような位置まで飛び上がる。空中浮遊が得意じゃないなんて言ってられないぐらいには、一刻でも早く彼から離れたかった。



「またねぇ〜、ねこさ〜ん」


 後ろから聞こえてくる彼の間伸びした声は聞こえないふりをした。






回収した魂を夜野さんに預け、精神的な疲れからご飯も食べずに家で爆睡していた私は、夜勤明けの天音くんに揺さぶられて目を覚ました。



「クロさんおはよーございます。用意しないと仕事遅れちゃいますよ」


「……おはよう天音くん。とりあえず殴らせてくれ」



 寝起きすぐに宣言通り十発の猫パンチを喰らわせた私は、天音くんの手からちゅーるをご馳走になる。ちゅーるは天音くんが私相手にやらかした時、謝罪と共に献上してくる品だ。流石に今回の遅刻も悪かったと思っているようで、しっかり用意をしていたようだ。



「聞きましたよ、俺が遅刻したせいで大変だったって。本当にすみません、ちゅーるもう一本要りますか?」


「いや、あまりちゅーるに慣れてしまうと普段のカリカリと猫缶が味気なく感じてしまうからね、大丈夫だよ。確かに、今回は大変だったなぁ……」



 そうため息を一つつくと、天音くんは慰めるように私の喉を優しく掻く。気持ちよさに微睡んで喉をゴロゴロ言わせてしまうが、いかんいかんこれから仕事だ、と頭を振った。



「まさか私の姿が見える人間がいるとはなぁ」


「その人間、俺も知ってるかもです。以前病院で魂回収してた時に見られてた気がしてたんですよね。けど全然目が合わなかったし、興味なさそうに死体見てるだけだったから気のせいかなって思ってたんですけど……」


「うーん、私だけじゃなく天音くんの姿まで見えていた可能性があるってことは、特殊体質な人間ってことか? たまにいるよなぁ」



 なんて会話をしていたら、出勤時間の十分前になっていることに気付いて慌てて立ち上がる。ブラッシングしてもらうのを忘れていたが、まぁ大丈夫だろうと思いたい。



「今日は天音くんは非番だね。ゆっくりおやすみ」


「はぁい。クロさんはお気をつけてー」



 お手振りで見送ってくれる天音くんを背に家を飛び出し、急いで担当地区まで向かう。

 回収に四、五件回ったところで、昨日同様夜野さんより天啓が入った。



「クロさん昨日から本当に申し訳ないんですけど、隣の地区の応援に入ってくれませんか? ちょっと人手が足りなくて……」


「……わかった、どこに行けばいい?」


「病院にお願いします。そこで本日あと五件ほど回収して頂いたら今日はもう上がりでいいので!」



 夜野さんに指定されたのは、出掛ける前に天音くんが話してくれた病院だった。ちょっと嫌な予感がするから行きたくない、とは言い出せず、渋々病院へと向かう。


 病院は死期が近い人間が大勢いるが、大体病院だけで活動する死神が基本的には専属で付いているため、私だと応援でしか訪れることはない。場所が限定されているから回収しやすそうに思えるが、一人で病院を二、三掛け持ちで担当しているものも多いうえ、日によっては五十件以上も回収しなければならない時があるためなかなかハードだ。そのためたまに追いつかない時には、私や天音くんのような外回り担当がこうやってヘルプで一つの病院に付くことががある。


 さてさてお仕事、と病院に入り魂の回収場所へと向かう。どうやら今回は一件ずつ病室を回らず、霊安室で待ち構えるだけでいいらしく、霊安室に着くなり夜野さんにあとはお願いしますね、と天啓を切られてしまった。

 まぁいいが、と霊安室のベッドの上で丸くなって魂が来るのを待つ。五件回収したら上がっていいとは言われたが、その五件が何時頃に完了するかを聞くの忘れたということに気付くも、今更問い合わせるのも面倒なので諦めて大人しくしていることにした。夜野さんのことなのでおそらく定時で上がれるぐらいで調整してくれているはずだ。


 こうして仕事中に少しのんびりできるのは珍しい。外回り担当は基本的に毎日街を駆け回っては魂の回収をしていることが多い。それでも、移動に時間を取られることが多いので件数自体はそこまで多くはない。病院担当と比べると楽なもんだと思っている。けど一件の病院だけならこんなにゆっくりできるんだから、たまにはこういうのもいいなぁとぼんやり考えながら待っていると、部屋の外からカラカラとストレッチャーの音と数人の足音が聞こえてきた。


 ベッドからそっと床に降りて場所を譲れば、それと同時に霊安室の扉が開き、遺体と看護師が入って来る。数人がかりで遺体をベッドへ移し、テキパキと家族到着までの間に準備を整えている看護師たちをぼんやりと見ていたら、なぜだかゾクリとするような視線を感じる。まさか、と思いつつ恐る恐るそちらに顔を向ければ、あの殺人犯がじっとこちらを見つめていた。マスクで顔が隠れていて、すぐに気付けなかったのが痛い。こいつ看護師なのに人殺したのか、と着用する服を見て顔を顰めた。


 もう今更逃げ出せない。一度引き受けてしまった仕事なだけに、チェンジを夜野さんに訴えたところで聞いてもらえるかわからない。とりあえずはこいつも仕事中なので、この作業さえ終わればここから出ていくだろうと高を括ることにした。回収はそれからでも十分に間に合う。ここに遺体を連れてくる看護師もずっと同じ人が担当するわけでもないだろうし、きっとこのあとは来ないだろう。じっとりとした視線を感じながら、早く終われと願うばかりだ。

 願いが通じたのかはわからないが、予想よりも早くに作業が終了し、看護師たちは引き上げていく。その中には彼もいて、よかったちゃんと帰ってくれると内心ほっとする。


 電気が消え、扉が閉まると同時にベッドの上へと飛び乗った。遺体の胸元に座り、いつものように鼻先をそっと顔に触れさせる。抜き取った魂を検品し、問題ないことを確認して格納すれば、不意に後ろから声がかかった。



「ねこさんはやっぱり死神的な感じなのぉ?」



 聞き覚えのある間伸びした声に身体が固まる。ぎこちない動作で後ろを振り向けば、開いたドアにもたれかかった殺人犯が笑みを浮かべながら佇んでいた。咄嗟にベッドの上から飛び降りてできるだけ部屋の端に逃げ、しっかり距離をとって威嚇する。私のフーッと言う声など気にしていないかのように、男は少しづつ歩み寄ってくる。



「そんなに警戒しないでよぉ。俺はねこさんと仲良くなりたいだけなの」



 少し距離を空けてからしゃがみ込んで目線を合わせてくる彼は、変わらずにっこりと笑みを浮かべた。仲良くなりたいってなんだ、私はそんなことこれっぽっちも望んでいない。変わらず威嚇を続ける私に、彼は聞いてもいないのに語り出した。



「ねこさんさぁ、一年ぐらい前にもこの病院に来てたでしょ?その時もさっきみたいに、遺体に鼻近付けて光浮かべてさぁ。たまたまその光景見て俺思っちゃったんだよねぇ、こんなに綺麗な光景あんのかって。他にも何人も同じように遺体から光るもん持っていくやつらいたけどさぁ、ねこさんみたいに綺麗に思えなかったんだよねぇ。ねこさんはそっから全然来てくんねぇし、悲しかったなぁ」



 確かにこの病院へ来るのは約一年ぶりだ。その時にも見られていたなんて思っても見なかった。しかもこいつは何人もの死神を目撃している。天音くんが見られてたかも、と言っていたのは気のせいでもなんでもなかったのか。



「だから、もしかしたら病院の外で人が死ねばまたねこさんに会えるんじゃないかって思って昨日あんなことしたんだけどさぁ、予想が当たって嬉しかったよ。ねこさんのそれめっちゃ綺麗だね」



 昨日に続き今日も会えるなんてほんとラッキー、と蕩けた笑みを浮かべる彼に愕然とする。じゃあなんだ、こいつは私に会いたいってだけで人を殺したのか? 思考回路がまるで理解できない。この場から一刻も早く逃げ出したい思いに駆られるが、扉を閉められてしまっているため逃げるのは難しい。壁のすり抜けも考えたが、正直あまり得意じゃないため失敗する可能性も高い。猫だし基本どこでも入れるからなぁと思って練習してこなかったのが仇になった気がする。

 どうするか、一か八かで壁抜けするか? と悶々と考えていれば、外から僅かに足音が聞こえ、扉が開く。



「あれ? 三輪くんどうしたの?」



 女性の看護師がしゃがみ込んでいる、三輪というらしい男に声をかける。三輪は困ったように笑みを浮かべながら、「さっきペンを落としてしまったみたいで、ないか探しに来たんです」といけしゃあしゃあと嘘をつく。



 三輪の視線が外れた瞬間、私は開いている扉の隙間に駆け込んだ。とにかく彼と距離をとりたくて、逃げれるとこまで逃げてようやく一息ついた。



「本当になんなんだあいつ……」



 彼の視線を思い出すと震えが止まらなくなりそうだ。生前にだって死後にだって理解不能なやつとは散々接してきたつもりだったが、どうやら彼は格が違うようだ。ゆっくりと呼吸を整えたところで、ふと思い出す。

 あと四件、あの様子だと絶対にあと四件の回収にも立ち会うつもりだ。その間ずっとあの視線を浴びるなんて絶対に嫌だ。聞き入れてもらえるかどうかわからないながら、とりあえず夜野くんに通信を繋げ直談判してみることにした。







 

「それで、結局聞き入れてもらえずにその人に見られながら四件頑張ったんですか……。お疲れ様です」



 精神的にヘトヘトになりながら仕事を終えた私は、天音くんに抱きかかえられながらちゅーるを舐め、愚痴を聞いてもらっている。


 あの後の仕事は本当に苦痛でしかなかった。三輪という青年はなぜかいつも遺体運搬をしてきて、必ず私が魂を回収するところをうっとりと見つめてから次の仕事に向かう。あれ以降話しかけられることはなかったが、視線の気持ち悪さは最初の時よりも増してた気がする。もうしばらくはあの病院には行きたくないものだ。


 天音くんの腕に体を預け、毛並みを撫でる手つきに蕩けていれば、不意に天音くんが発言する。



「でも、その人またしばらくクロさんに会えなかったら人殺しちゃいそうですよね」 


「やっぱり、そう、かな……」


「可能性はあると思います。断言はできないですけど」



 天音くんにそう言われ不安が過ぎる。頼むからあれで満足しといてくれ、と願っていたが、数日後、その懸念は本当のものとなった。






「あはっ、やっぱねこさんきてくれたー」



 夜勤の日、いつものように魂の回収に向かえば、返り血を浴びて月夜に照らされた彼に笑顔で出迎えられた。彼の背後には血塗れになった死体が転がっており、最初の時より悲惨な状況になっていた。



「どうぞどうぞ、この人のお迎えに来たんでしょ? いつもみたいにやっちゃってー」



 当然のように私に道を譲る彼に、思わず声をかけてしまう。



「君は……、どうしてこんなことをするんだ?」



 私に話しかけられるなんて思っても見ていなかった彼はきょとんとした表情をした後に、殺人現場に似つかわしくない嬉しそうな笑みを浮かべた。



「えっ、ねこさんお話できるの⁉︎ しかも予想外にいい声してる! えーめっちゃ嬉しい!」



 キャッキャという擬音がつきそうなほどに喜んでいる彼は、私の疑問になんの躊躇いもなく自身の考えを述べた。



「前にも言ったでしょ? ねこさんに会うためだよ?」


「君は看護師だろう? 人命を救う仕事のはずだ。なのになぜこうして命を奪うことに躊躇いがない?」



 怪訝そうに尋ねる私に、彼はあー……、と気の抜けた声を出しながら後ろを振り向く。



「こいつとか、こないだのやつとか、元々うちの病院に入院してたけどさ、死んだ方

がいいなーって思う程度にはクソなやつだったんだよ。だからまぁ、ねこさんに会うために殺しても良心痛まないなって。そんなけ」



 簡単に言ってのけるその様子に言葉が出ない。そんな軽い気持ちで、と思わなくはないがこれ以上彼に言っても何も通じない気がする。さっさと魂回収して立ち去ろうと心に決め、死体の上に飛び乗る。血溜まりの中に足を踏み入れたくなくて、背中の上から頬に鼻を寄せた。

 回収の際、横目でちらりと彼の様子を伺うと、目を細めて恍惚としたような表情で私を見つめていた。本当に意味がわからん。

 無事に終え、そのまま暗闇の中へと立ち去ろうとすると、彼から言葉が投げかけられた。



「ねぇ、もし俺が死んだら、ねこさんがお迎えに来てくれる?」



 いまいち感情が読み取れない声色でそう問うてきた彼に、一瞥もせずに言葉を返した。



「……さぁな」



 そのまま、視線を背に受け続けて暗闇へと歩みを進めた。

 





 その後も、そこまで頻繁ではないが、彼は私に会うために人を殺し続けた。私が血溜まりを嫌ったことに気付いたのか、その手口は流血を伴うものではなくなり、死体が綺麗に整えられていることが多くなった。

 勿論、シフト的に私ではなく天音くんや他の死神が当たることもあったが、ほとんどが私のシフトを知っているかのように事件を起こし続け、私が担当として当たることが多かった。


 彼が起こした殺人は九件。なかなか捕まる気配がなかったのは、彼が痕跡を残すことがなかったからか、それとも警察がただただ無能だったのかは知らない。

 彼は私に会うたびにいつも話しかけてきたが、私が会話したのはあの時一回きりだ。だというのに不満すら見せずにニコニコ話しかけてくるのには恐れ入る。彼は変わらず、私の回収作業を熱心に見守る。こうも毎回だと慣れたくなくても慣れてしまって、今や平常心で回収ができている。


 だがそんな日々も流石にずっとは続かない。初めて彼が殺人を犯した日から半年あまり、彼はようやく警察に逮捕された。

 自宅で天音くんとテレビを見ていたら速報でそのニュースが流れた時には、驚きと同時にホッともした。これでもう彼に会うことはないし、私のために殺される人間も出ないのだと。


 彼が刑務所に移送される日、私は仕事のために彼がいる警察署まで来ていた。ここで回収予定の魂があるのだと夜野さんには言われている。警察署の周りには山のように報道陣が詰めかけていた。連続殺人犯の姿を少しでも映そうと皆が警察署の入り口にカメラを向ける。私は自分の姿が一般人からは見えないことをいいことに、彼が乗る予定の車の屋根へと陣取った。こうやって自分から彼に姿を晒すのは初めてかもしれない。


 きっとこれで会うのは最後だ。きっと彼に待ち受けているのは極刑で、この先彼は一生刑務所から出ることなく人生を終える。刑務所も裁判所も私の担当地区ではないから、そちらに行くことは余程のことが起きない限りないだろう。そんな考えがあったからこそ、最後に会うことを決めた。私に会うために殺人を続けた彼にほんの少し、情が湧いたと言ってもいい。


 特等席で彼の登場を待ち受けていると、複数人の警官に囲まれて彼が姿を現した。報道陣が一斉にシャッターを切り、フラッシュが彼を照らす。無表情のまま俯き加減だった彼は、ふと私の視線に気付いたのか顔をあげ、私を視界に捉えると一瞬目を見張り、ふにゃりと嬉しそうに笑う。

 あぁ、見慣れた顔だ。彼はこんな状況でも私を見れば笑うのか。最後に嫌味の一つでも言ってやろうかと口を開こうとした瞬間、激しい破裂音と共に彼の体が傾いた。


 音のした方向を見やれば、一人の警察官が彼に拳銃を向けていた。銃口からは白煙が立ち込めていて、瞬時に発砲したのだと理解できた。発砲した警察官はたちまち同僚に取り押さえられ罵詈雑言を叫んでいる。どうやら彼に殺された被害者の遺族の一人のようだった。彼は警官に抱きかかえられ介抱されていた。夥しいほどの血を流す彼に、私は一目見て助からないことを悟る。


 なるほど、回収予定の魂は彼だったのか。どくどくと腹から血を流す彼の元へそっと降り立つ。血で足が汚れても気にせず、彼の上へと乗り上げて目の前に立つ。



「君の魂、私が回収してやる。三輪浩介」



 私がそう宣言すると、彼は血の気のない顔を綻ばせる。



「嬉しいなぁ……。ねこさんに連れて行ってもらえるなんて……」



 ゴホゴホと血を吐きながらそんなことを言う彼は、震える手を私に伸ばす。私に触れようとしたその手は、私の体を貫通して虚空を掻く。当然だ、私と彼は違う生き物なのだから、見えはすれど触れられるはずもない。

 空を切った手を見つめ少し残念そうにする彼に、冥途の土産として一つ言葉を贈った。



「私の名前はねこさんではない。クロという立派な名前がある。いつまでもねこさんと呼ばれるのは不快だ」


「クロ、さん……あり、がと、ね……」



 教えたばかりの私の名前を嬉しそうに呟いて、目を閉じた彼から力が抜ける。呼吸がなくなり、心臓の鼓動がなくなったことを確認した私は、血濡れの彼の顔にそっと鼻を寄せた。彼の鼻とぴたりと合わせて、亡くなったばかりの身体から魂を引き上げる。


 彼の魂は犯罪を犯したこともあり、いつものものとは違い黒ずんでいた。いつもよりじっくりと長く、彼の魂を確認してから、そっと鈴へと保管した。


 そのまま一足跳びに空中へと足を蹴り出す。高くまで上がって先程までいた場を見下ろせば、報道陣も警察も騒然とした中に彼の遺体はある。殺されたとは思えないぐらいの穏やかな死に顔に、なんとも言えない気持ちになる。


 一つ、ゆっくりとため息をつき、その場を後にした。私には、今日まだまだ回収すべき魂が残っている。 




 

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