春、河川敷にて

まんじゅうサムライ

春、河川敷にて

「よっ真一、ジョー」

 三年の新学期、数日が経ち少し落ち着いた様子の放課後。隼人がいつものように僕たちのもとへやって来た。


「隼人お疲れ」

「相変わらずのテンションだな、シュン」


 隼人は歯を見せて笑い、謎にぐっと親指を突き出してきた。なんだか隼人を見ていると細かいことがどうでもよくなってくる。


「なにそれ」

「帰ろうぜ」

「返事になってねーよ」


 僕たちはあほのようなやりとりをしながら、学校を出た。桜並木を新入生が写真に撮ってはしゃいでいる。暖かな風が吹けば桜吹雪が舞い、どこかで誰かの笑う声。穏やかな、春の日の一ページ。ふと、僕たちはあのころ何を考えていたかな、なんてことを思った。


「今日は空が透明だな」

 土手沿いに続く帰り道、隼人は空を見ながら歩く。つられて僕も空を仰いだら、溢れんばかりの青さが目に染みた。数えきれないほど通った道だけど、同じ空は一つとしてなかった。


「透明ってなんだよ。空は青いだろ」

「いや、なんかこう、どこから空だか分かんないだろ、今日は」


 ジョーは隼人の肩を叩いて笑った。僕も笑った。透明な空が降り注いで僕たちをつつむ。なんだかこの瞬間が過ぎて消えるのがとても惜しく感じた。


「よし。キャッチボールやろうぜ」

 大きく伸びをしたと思ったら、隼人がしたり顔でバッグからボールを取り出した。彼はいつも突拍子もないことを言う。たぶん僕は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたのだろう。僕の顔を見たジョーが吹き出した。


「シュン、おまえ、唐突」

「土手っつったらキャッチボールだろ。よく晴れてるし、あったかいし」


 言うが早いか隼人は土手を駆け下りて行った。

「意味わかんねえ」


 僕たちは声を上げて笑い転げた。下から隼人の「早くこいよー」という声が聞こえる。ジョーが飛ぶように土手を下る。僕も背中を追いかけた。


「確か高校あがりたてのころに、三人で遊んだよな」

「ああ、隼人と僕でやった時かな。あの時ははしゃぎすぎて」

「俺は真一のメガネを割った」


 隼人が真顔で言うものだから、当時を思い出してまた笑いがこみ上げてくる。


「懐かしいね。三人で僕ん家行って、母さんに話して。ジョー関係ないのに一緒にすごい謝ってた」

「シュンを止められなかった俺にも責任はあった」

「それで結局一番怒られたのは僕だからね。自分の運動神経考えなさいーって。そりゃそうなんだけど」


 苦笑いを浮かべる僕を見て、隼人は「ごめんって」なんて言いながら悪びれもせずに笑った。

 川面が風を受けてさざ波をたてる。そこに青空がぶつかり、ぱっと光が散らばる。撒かれた光に照らされて時間がきらきらと流れて行く。


「いくぜー」

 どれだけ手を伸ばしても、時は微笑みをたたえて消える。


「ちょ、シュンてめ、ちゃんと狙えよ!」

 まるで雲を掴むようだ。


「二人とも、聞いてほしいことがあるんだ」

 僕の声を聞いた二人が、はたと動きを止めた。隼人なんて振りかぶった状態のままだ。


「どした真一」

 隼人の言葉が僕に届く。何故か二人の顔が見られなくなって、川面に視線を泳がせた。


「塾の時間が増える。母さんが、どうしても東大に行けってさ。だから、こうやって一緒に帰れるのは今日が最後。残念だけど、まあ仕方ないよ」

 

 言い切ると二人に向けて笑顔を作った。ジョーは難しい顔をして、隼人は空を仰いだ。少しづつ日が傾き始めたようだ。


「そうかー。頭が良くても大変だな」

 夕陽を受け、川面を花びらが滑ってゆく。土手の上では誰かのはしゃぐ声。


「親の期待背負っちまうとな。ま、息抜きくらいならいつでも付き合うぜ」

 コーヒーおごるぜ、とジョーは口角を上げて笑った。


「でたジョー印。僕ブラック飲めないの知ってるでしょ」

 僕も笑ったのに、何故か涙がこぼれかけた。


「仕方ねえな真一は。よっしじゃあ俺がカフェオレを淹れてやろう。ジョーと違って甘いやつな!」


 隼人はいつもと変わらない笑顔でそう言った。あたたかい風が、彼の髪を揺らす。空を見上げればきれいな茜色が広がっていた。


 春はまぶしくて、儚い。風が吹くたびそよいで散って、なびいて舞って。この街に思い出を降らせる。時が止まることはなく、全てをとらえることも出来ない。


「そろそろ日が暮れてきたね」

「コーヒー買って帰ろうぜ」

「俺カフェオレ」


 土手を上がって、僕たちは歩きながら夕焼けを眺めた。夕暮れは毎日訪れるけど特別なひとときだ。ありふれた日々をつかの間永遠に変える。


「なあ、夕日がどうしてあかいのか知ってるか」

 溢れる大空を瞳いっぱいに映しながら隼人は得意げに口を開く。


「でたぜ、シュンのうんちく空話」

「細かくは知らないけど、太陽の光の中で赤色が一番遠くまで届くから、でしょ」


 先に言われちまった、なんて隼人がしょげるから、僕たちは顔を見合わせて笑った。振り向いた隼人の大きな瞳に、夕焼け空とジョーと僕。


「不思議だよな。あんなに青かった空がだんだんあかくなって、毎日違う日暮れになるんだ。今だって、変わっていく。おんなじ空はないんだな」


 隼人は真っ赤な光の中で笑った。なんだかはっとして、僕の目から一粒、夕陽がこぼれた。


 この先どんなに美しい落日をみても、僕は今日の光を忘れない。陳腐だけど、それは確かに輝く、果てまで翔る遥かなる光。

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春、河川敷にて まんじゅうサムライ @manjusamurai

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