第13話 麦茶と魔女

 巨大な箱が地面から生えているような形の、板を組んで作られた中身を鍬で掘り返してもらうと、ふわっと伝わってくる発酵熱と、ヨーグルトのようでもあればビールにも似た、ふんわりとした発酵臭がした。


「うん、最初に配合した分はそろそろ良さそうね。これを耕した場所に鋤き込んで、畝を作ってもらえる?」

「はい、わかりました!」


 指示を出すと農奴たちはきびきびと作業を始めてくれる。この二週間ほどで集落に近い荒地はほぼ焼き尽くし、多少生えていた細い木も切り倒して根を抜いて、灰を混ぜて軽く鋤き込むところまでは終わっていた。


 耕作は急務であり、畑の面積は広ければ広いほどいい。


 ――でも、みんな働きすぎだと思うのよね。


 適宜休憩を入れて、日が傾いたら帰宅するようにと再三告げている。無理をして体を壊したり、疲労が重なってしまえば結局作業効率が悪くなると言っても、


「大丈夫です! まだやれます!」

「森を切り拓くのに比べたら、楽なものですよ!」

「この鍬、いつまででも振るっていたくなるんです! もっと耕したいんです!」


 これである。


 働きたがっているのを無理矢理休ませるほうが良くないですよというニドの言葉によって、絶対に無理をしないこと、自分以外の近くにいる人にも目を配り、体調が悪そうなら強引にでも休ませることを約束させたけれど、大変な熱意だ。


「これが「肥料」ですか。ゴミが原料なのに悪臭はしないんですね」


 マリーが不思議そうにコンポストを覗き込む。触ろうとまでは思えないようだけれど、興味はあるようだった。


「発酵熱で悪臭の元や虫は死滅しているの。でもこれは上手くいった方で、水分が多すぎたりすると、腐敗臭が出ることもあるわ」

「その場合はどうするんですか?」


「そのまま使えるという説もあれば、畑に良くないという説もあるわね。どちらにしても土にあけて二週間ほどすれば分解されてしまうので、新しく耕す土地に鋤き込んでしまうのがいいんじゃないかしら」


 顔を上げると、測量が済んだ農地を農奴たちが耕している。新しく開墾した土地に藁と麦の籾殻、野菜くずや焼いて砕いた骨を混ぜて発酵させた肥料を混ぜ込むことで、最初の農地の完成だ。


 容器の中身を空にしたら、また新しく藁を敷いていく。エンカー村から回収した藁には限りがあるので、それを使い終わったら山から運んでもらった枯れ葉などを混ぜ込んで配分を変えることになるだろう。これは集落の女性と子供たちが手伝ってくれた。


「出来るだけ早く、家畜の糞を使った堆肥に手をつけたいわね。ルッツと相談して、村で飼っている家畜を一括で管理できる体制を整えて……」

「メルフィーナ様、朝から移動続きでしたので、少し休憩なさってください」


 コンポストをにらみつつ、ぶつぶつと呟きながら考えをまとめているとマリーに声をかけられる。

 日も随分上がって、今日も日中は気温が上がりそうだ。


「そうね。みんなも作業の手を止めて休んでちょうだい」

 農奴の集落を中心に新しく開墾を始めてから徹底しているのが、午前と昼食、午後の休憩の導入だった。


 休憩と昼食はちゃんと取れているのかメルフィーナが尋ねるまで、昼食以外は休みなく働いていたという。農奴の仕事に監視が付くことはほとんどないけれど、厳しいノルマが課せられており、それが達成できなければ罰金の対象になるのでそういう習慣が根付いてしまっているらしい。


 農奴に罰金が払えるような資産があるはずもなく、その場合農奴たちの借金として計上され、ほとんど持っていかれる麦を全て奪われたり、翌年以降の収穫から支払わなければならないという。


 農奴とは、なんらかの理由で借金を背負い自分の人権を領主に売り渡した者のことだ。領主は農奴を開拓の必要な土地に配置し、その土地に住む人々の公共の財産として扱われる。


 暴力を振るうことや酷使は禁じられているけれど、最低限の衣食住を保障される以外は産業動物と同じ扱いを受けることになる。


 そうして、農奴の子も生まれながらに農奴とされてしまうので、自然と農奴の一族が集まった集落が形成されてしまうのだ。


 農奴が平民になる道がないわけではない。領主に対し金貨三枚で身分を買い戻すことができれば、彼らは自由民に戻ることができる。


 だが開墾は自力であり収穫の半分は税金、残ったさらに六割を地主に奪われ手元にはようやく一家が食べられる程度の作物しか残らない。彼らは朝から晩まで働いて爪に火をともすように蓄えても、ノルマが達成できないという理由で財産を、家族さえ奪われることの繰り返しだ。


 そのシステムも、いずれどこかで変える必要があるだろう。

 親が農奴だとしても生まれた子供まで最初から農奴であるのは、子供の数だけ借金を増やすようなものだ。


 王都で暮らす一般人の年収が、大体金貨五枚から五枚半だと言われている。これが農村だと圧倒的に物々交換も増えるので金貨一枚以下になるとしても、貧しい人間を相手に金貨三枚の元手で子供や孫の代まで無いに等しい賃金で働かせ続けるシステムは、不健全だ。

 前世の基本的人権をこの世界に取り入れるのは、自分の力では難しい。だが少なくとも、自分の領内では変えていくことができる。


 ――罰金の代わりに人間を連れていくのなら、褒賞の代わりに人権を返すことだって当たり前になるべきだわ。


「メルフィーナ様。体だけではなく、頭も休めてくださいね」

「ええ、マリー。ありがとう」


 春もすっかり盛りになり、冷え込む日が減ってきた分、日中はやや汗ばむ陽気になってきた。夏になる前に水分補給の大切さは日ごろから伝えていきたいと思う。

 マリーが木の器に注いでくれたお茶を飲みながら休んでいると、村の子供たちがとことこと近づいてくる。最初の頃はセドリックを警戒してか遠巻きにされていたけれど、最近やっと彼が何もしないと思えるようになったらしい。


「ねえねえ領主様。領主様って魔女なの?」

 五歳くらいだろうか、焼けた肌に麦わらのような茶色の髪の少女が無邪気に聞いてくる。


「あら、お嬢さん、お名前は?」

「レナ!」

「レナ、私はメルフィーナよ」

「めるふぇーなさま!」


 舌ったらずで可愛い。屈託のない表情であまりに自信満々に言うものだから、ついくすくすと笑ってしまう。


「言いにくいならメル様でいいわ。よろしくねレナ」

 レナはくすぐったそうにくふくふと笑っているけれど、お茶を配っていた女性の中の一人があわてて走り寄り、背後からしっかりとレナの両肩を掴んで制止した。


「申し訳ありません領主様! 子供の戯言と、どうかお許しください!」

 まだ若い女性だった。綺麗な顔立ちをしているけれど、こめかみから顎にかけて大きな傷跡が痛々しい。


 農奴の中には独特の方言を使う者や敬語が上手くない者も多いけれど、彼女はきれいな発語をしている。


「いいのよ。あなたのお名前は?」

「わたくしはエリー……エリと申します」

「エリ、休憩中だし、あなたもお茶を飲んでちょうだい。どうぞ、レナも座って」


 屋根のない荷馬車の荷台をそっと撫でると、母親の手から逃げ出したレナが身軽に飛び乗る。エリは恐縮したように私はこのままで、と少し震える声で言った。


「メル様! この茶色のお水美味しいよね!」

「これは麦茶と言うのよ。美味しい?」

「うん、お水より美味しい」


 小さな手に木のコップを包み込むように持って飲んでいる少女に目を細めながら、メルフィーナもコップを傾ける。大麦を炒って煮出した麦茶は、ぬるいけれどちゃんと麦茶の味がする。


 ――懐かしいな。メルフィーナは麦茶なんて飲んだことなかったもんね。


 氷があればなお良いけれど、氷魔法を使える者がいないので、沸かした後に自然に冷めたものを、傷まないうちに飲むことにしている。

 この世界だと、腹を壊すのはまあまあ命に関わることだ。農奴の集落やエンカー村の人々にも、残った麦茶は時間が過ぎると毒になるので飲み切るか捨てるように徹底して伝えておいた。


「それでレナ、どうして私を魔女だと思ったの?」

「変なことばかりしてるから! 藁を集めて混ぜたり、お水をかけたり、骨を焼いたり」

「レナ!」


 咎めようとするエリを手のひらで制する。作業をしていた女性たちはいつものようにお喋りに興じるでもなくこちらを窺っていた。みんな口にはしなくても、自分たちがやらされているこれがなんなのか、気になっていたのだろう。


「レナ。今、お父さんたちが一生懸命畑を作っているでしょう?」

「うん、荒地でちゃんと野菜が出来るのかって心配してた」

「そう、今のままだと野菜の栄養が少なくて、大きくは育たないかもしれないの。だから、畑を元気にするためにしているのよ」

「あれで畑が元気になるの?」


 前世でも焼き畑農業というものがあり、今回メルフィーナがやろうとしていることも原理としてはそれに近い。

 ただそれは村単位で移動し畑作をした後は十年近く地力が戻るまで放置を繰り返すような、人間の数に対して畑に出来る土地が非常に大きいことが条件になる。今回のように定住を前提とした開拓には不向きな方法だ。


 畑を作り、それを継続するにはそれにふさわしい土づくりが必要になる。荒地の土は固く、栄養状態が低い。地面を耕すだけでは継続して十分な実りを期待することはできない。


「レナは、作物を強く大きく育てるには、どうしたらいいと思う?」

 少女はええと、と考えるように空を見上げる。無意識だろう、放り出した脚がぷらぷらと揺れているのが可愛い。


「太陽がよく当たって、お水をたくさんあげる?」

「まあ、レナはとっても賢いのね」

 小さな頭を撫でると、少女は誇らしげにえへへっ、と嬉しそうに笑う。

「他には? なにかあると思う?」

「それだけじゃダメなの?」


「太陽が当たってお水をあげればいいなら、荒地を耕しても作物はたくさん出来ることになるでしょう?」


 レナはしばらく考え込んでいたけれど、そのうち小さな頭を抱えてうんうん唸ってしまった。子供には……大人でも肥料の知識が少ない世界では、難しすぎたのだろう。


「そうね、たとえば……人間でも食べ物がないと、痩せて体が小さくなってしまうでしょう? 植物も同じなの。ご飯をたくさんあげると、強く大きくなるのよ。私はそのご飯を作りたいの」


「領主様は、作物のご飯を作っているの?」

「そうよ。そして作物が沢山出来て、レナや、レナのお母さんや、ロドたちみんなにもたくさんご飯を食べてもらいたいの。でもそれは私一人ではできないから、みんなに助けてもらわないといけないの。レナも私を助けてくれる?」


「うん! わたし、メル様を助ける!」

「優しい子ね。ありがとう」


 もう一度頭を撫でるとレナは太陽のように明るく笑う。

 気が付けば周りはしんと静まり返っていた。急に気恥ずかしくなってコップの残りをくいと飲み干す。


 休憩を終えると彼女たちはさらにきびきびと働いてくれた。

 マリーがさすがですね、とふわりと笑う。


 転職したいと言われた日以降、マリーはよく笑うようになった。それが嬉しくて、意味はよく分からなかったけれどそうだね、とメルフィーナも微笑み返した。

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