捨てられ公爵夫人は、平穏な生活をお望みのようです

カレヤタミエ

第1話 君を愛するつもりはない、ですってよ!

「君に伝えておくことがある。私は君を妻として愛するつもりはない」


 結婚式が終わった直後、くたくたに疲れているメルフィーナに夫になったばかりのアレクシスから出たのは新婦に対する労りの言葉ではなく、これ以上ないほど相応しくない、冷たく凍えるような声の宣告だった。


 高位貴族同士の結婚は、一種の祭典、つまり祭りのようなものだ。数日に及ぶパーティとパレードをこなし、どれだけ豪華な結婚式だったか、持参金がどれほどの規模だったのか、振る舞われた料理がいかに素晴らしいものだったかとそのたびに噂が飛び交い、平民の酒の肴になる。


 貴族だけではなく式場の周囲と新郎新婦それぞれの領都の民には酒と食事が振る舞われ、多くの人に盛大に祝われる。武に優れ北部最高の権力を手中に収めるオルドランド公爵アレクシスと、南部の大領地を治めるクロフォード侯爵家の令嬢メルフィーナの結婚は、久しぶりの大物貴族同士の婚姻ということもあって国を沸かす慶事だった。


「君との結婚は、あくまでオルドランド公爵家とクロフォード侯爵家の政略的なものだ。君には書類上私の妻としての役割以上のことは求めない。その代わり君も、私に愛されようとか、妻の立場を振りかざして私の時間を浪費する真似は控えてもらう」


 北部の、特に貴族によく出るという青灰色の髪と同じ色の瞳は氷で出来た彫像のようで、その整った顔立ちもあいまって熱のない口調で淡々と言われると威圧感がある。美貌の公爵と貴婦人の間で囁かれる若きオルドランド公爵は、凍えるような目で純白のドレスに身を包んだメルフィーナにそう言い放った。


「公爵夫人として度を越さない限りはどこででも好きに暮らして構わない。観劇に行くのも、サロンを開くのも自由だ。領地での田舎暮らしが気鬱なら、王都のタウンハウスで社交をして過ごすといい」

「……左様ですか」


 一方的にぶつけられた言葉にしばし硬直していたけれど、ようやく口を開いて出た言葉は我ながら気の抜けたものだった。


 田舎というが、オルドランド公爵領都ソアラソンヌは北部に咲く大華と呼ばれる大都市である。文化の保護や芸術の発展にも力を入れていて、その発展は決して王都に劣るものではない。

 耳当たりのいいことを言っているけれど、要は目障りだから遠くで勝手にしろという宣告である。


 王都から馬車で二週間の移動のあと、息を吐く間も無く体を締め付けるコルセットと重たいドレスに身を包み、婚約披露の夜会、結婚式、パレードと続いて、ひどく疲れていた。ようやくそれらがいち段落したかと思ったところでこの言葉だ。

 機嫌は悪くなるのを通り越し、あらゆる怒りも虚しさも、底を突いた。


 ――この男、本当にいいのは顔だけだわ。


 結婚相手に対する気遣いどころか、敬意もなければ礼儀もない。侯爵令嬢は公爵家当主より身分は下だが、クロフォード侯爵家は決して甘く見られる程度の家門ではない。

 それに、先ほど教会で婚姻の誓いをした瞬間から、少なくとも夫婦としては対等のはずだ。


 メルフィーナは決して喧嘩っ早い性格ではない。むしろ淑女として多少気に入らないことがあっても顔や態度に出さず、適切に対応できる能力を身に付けている。


 ――でも相手が礼儀知らずに振る舞うなら、こちらがそうする必要もないだろう。


「本当に私の好きにしていいのですね?」

「二言はない」


 確認の言葉に怯むことなくまっすぐに答え、ようやくアレクシスはほんの少し怪訝そうに眉を寄せた。

 完璧な造形であるがゆえに無表情でいると雪で出来た彫像のような印象だが、少し感情が宿ると途端に人間味が出てくる。なるほどこのギャップが貴婦人に人気があるのだろう。

 もっとも、そんなことはメルフィーナにはなんの興味もないことだ。


「公爵様から私への要求はそれだけですか」

「ああ」

「分かりました。とはいえ結婚生活は長く続くものですし、後出しで要求されるのはこちらとしても困りますので、最初にいくつか確認をさせてください」


 白い絹の手袋に包まれた手を突き出し、指をひとつ立てる。


「ひとつ、度を越さない限り私のすることに公爵様は口を出さない。ふたつ、私がどこで暮らそうと私の好きにしても構わない。みっつ、夜会だろうと観劇だろうと、私のしたいことはしても構わない」


 指を三つ立てて、これでは奔放で身勝手な貴族の令嬢のような暮らしだと思う。そうして、我ながらまともに扱われていないのだなとうんざりした。


「これは確約ですね。念のために伺いますが、お世継ぎはどうしますか」

「……騎士だった弟が遺した息子がいる。優秀で賢い子だ。家はその子に継がせようと思っている」

「では、夫婦の義務も免除をお願いいたします。まかりまちがって公子が生まれた時、余計な揉め事を招きたくありません」


 とはいえ、「メルフィーナ」とアレクシスの間に子供が出来ないことをメルフィーナは知っている。わざわざそう付け加えなくとも、彼に自分をどうこうする気がないのは「知っている」のだ。

 けれど、何が起きるか分からない以上、念には念を入れておいた方がいいだろう。


「後で言った言わないにならないよう、条件を記して契約書としてしたためていただきます。公爵様もその方が安心でしょうし」

「その契約書が守られる保証は?」

「高位貴族がサインを入れる意味を、公爵様がご存じないとは思っていません」


 貴族がその名を背負って入れるサインには、常に家門と一族への誇りがかかっている。侯爵家の令嬢としてその程度の矜持もないと思われるのは心外だった。

 睨みつけるようにまっすぐに見つめて言うと、彼はほんのわずかに顎を引いた。この国で数少ない公爵家のひとつ、二十五という若さで公爵位を継承した美形の独身男性として、女性にこんな態度を取られたことがないのだろう。


「わかった。君からは何か要求はないのか。今のうちに承諾できるかどうか確認しておくといい」


 ふむ、と少し考える素振りを見せて、頷く。


「では、公爵領の端にあるモルトル湖を含む周辺の領地がありますね。そこを私に下さい」

「そこに住みたいということか?」

「いいえ、言葉通り、その周辺の領地の所有権を、私に譲って欲しいということです」


 領地の割譲を口にしたことで、さすがにアレクシスは顕著に眉を寄せた。

 モルトル湖周辺はエンカー地方と呼ばれる、国の北の端であるオルドランド公爵領の中でも隣国との境にある辺境、いわば僻地の中の僻地だ。

 隣国との間に広大な森があり、それが国境線の代わりにもなっているが未開の土地も多く、今も農奴を率いた開拓団による開拓が進められている。


 森の外には特に危険な魔物も出ないけれど、この国の端の端なので治めたがる代官もおらず、オルドランド公直轄地ではあるけれど忘れられた地域と言えるだろう。アレクシスにしても印象は強くないはずだ。


 それでも正式な領地の割譲は領主としてはあまり面白くない話である。アレクシスも分かりやすく難色を示している様子だった。


「なぜそこなんだ? 大きな湖はあるが、それ以外取りたてて目立つ産業も無い、領地の中でも外れにある地味な土地だ。君が興味を引くようなものはないはずだが」


 目立った産業も無く、農奴と開拓民が細々と暮らしを営む地味な土地。あとは美しい湖と豊かだが切り拓くには手間がかかりすぎる森がある程度の場所だ。少なくとも派手好きで浪費家な貴族の娘が欲しがるような土地ではない。


「修道院に入るよりは、人の少ない場所で気ままに暮らしたいだけです。ただ暮らしているだけではいつ持ち主に気が変わったから出ていけと言われるとも限りませんので、その地域の所有権を頂きたいと思います」


 その言葉にアレクシスはやや不愉快そうに眉を寄せた。


「結婚した以上、夫人としての立場は尊重するつもりだ」


 ――愛する気はないだの子供を作る気も勝手にどこででも暮らせとまで言っておいて、そんな言葉を信用すると本当に思っているのだろうかこの人は?


 少なくとも、メルフィーナの心にアレクシスの言葉は少しも響かなかった。


「私の望みは公爵夫人として贅沢なドレスに身を包み、貴族婦人たちとお菓子をつまみながらお喋りに興じることではありません。とはいえ、あなたが希望を聞いたので答えただけで、この条件を呑めないというなら、どうぞ撥ね退けて下さいませ。この屋敷の隅で静かに暮らすこととします」

「――いいだろう」


 アレクシスは少し考えたようだが、土地自体はそれなりに広大とはいえ、その大半は開拓中という条件の悪い領地を下げ渡すことで目障りな女が視界から消えるほうがメリットが大きいと納得したようだった。

 もっとも、アレクシスは本当にこの結婚に、金銭的な利益は求めてはいないのだろう。


 メルフィーナがこの結婚の持参金として携えた領土や鉱山の採掘権などは、決して価値の少ないものではない。


 オルドランド家がその財産を手に入れるためには、メルフィーナとの間に子供を作る必要がある。それを拒絶した以上、メルフィーナの死後その目録は実家であるクロフォード家に戻ることになるし、それまでに生む利益はメルフィーナの個人資産扱いなので、オルドランド家にはなんの益もない。

 どちらにせよ、国内でも屈指の資産家であるアレクシスには痛くもかゆくもない支出だろう。


「君にエンカー地方を割譲しよう。領民を必要以上に虐待したりしない限り、領主として好きに振る舞うといい」


 ――この人の中でメルフィーナはどういう性格だと思われているのかしら。先日が初対面よね?


 よほど対人観が歪んでいるのか、それとも貴族の女とはそういうものだとでも考えているのだろうか。

 まあいい。今は無事、要求を呑んでもらえたことが大事だ。


「そんなことはしないと、確実にお約束いたしますわ、公爵様」


 我ながら可愛げのない態度だ。アレクシスは頷くと、それで話は終わったとばかりに背を向けた。

 アレクシスの後ろに影のように控えていた護衛騎士や執事も、形ばかり一礼するとその後に続く。

 そこに、思い切り舌を出す。


 貴族令嬢……いや、先ほど貴族夫人にジョブチェンジしたのだった……にあるまじき所作だが、誰も見ていないのでいいとしよう。

 なにしろ私は侯爵令嬢にして公爵夫人になったばかりのメルフィーナ・フォン・クロフォードでありつつ、その頭に別の記憶も持っているのだから。


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