Wishes

樋口はさお

月明かりに祈りを込めて

 深夜の街中。ひしめくように建物が立ち並ぶ住宅街。日付もとうに変わった頃。

 この時間ともなれば人通りはおろか窓明りもなく、街灯すらもほとんどない暗い夜道には、私の小さな足音が響くだけだ。

 中央から放射上に広がる形状のこの街では、中央から外周までを一直線に貫くメインストリート群、中央の施政庁舎郡や、中央部に近い円周を形作る高級住宅街、そういった街の中核であれば、夜の間もガス灯が灯っていて明るい。だが、ここはそうではない。

 世界的に見ても裕福であると言われるこの街ですら、流石に中層にも満たないの市民が暮らす外周よりの下町までは整備されているとは言えない。低層の市民の下支えによって中上層の日常が支えられているはずだが、放置され、後回しにされるのが常だ。

 暗く物陰が多い通りは物盗りや強盗などからすればうってつけの状況となる。特に今日は、と空を見上げる。星々が瞬く中に地上を照らす月の姿はない。新月だ。こういう日は特に治安が悪くなる。

 もっとも、この街における警備兵の巡回は、下町のこの辺りでも比較高頻度で行われている。被害がない、とまではもちろん言えないにしても、総合的にはそれほど治安が悪いわけでもない。更に低層民の中でも更に下部の人達が住む最外周となれば話は変わってくるが、それでも他の都市に比べればこの街、レインサイニスは安全な街だった。

 むしろ、その巡回している警備兵に見つかると困るのは私自身だ。

 年齢13、4程度の――たまにそれ以下に見られることもある――小娘が一人、こんな日付も変わった時分に安全とは言い切れない路上をうろついているのだから、見つかれば当然呼び止められるだろう。

 見つからない自信はあるものの、万一ということもある。私は気配に用心しつつ歩みを進める。無灯火で巡回する警備兵もいないから、向こうより先にこちらが気づく事ができるくらいの間はあるだろう。それだけあれば十分だ。先に気付けば隠れようはいくらでもあるし、物陰がなければ近くの家の塀を飛び越えてしまえばいい。

 もちろん危険は警備兵だけではない。暴漢に襲われる可能性だってもちろんある。その時はその時、如何様にでも対処のしようはある。

 注意、警戒はしていたものの、実際のところは懸念するような警備兵との遭遇もなく、それどころか誰一人も出会わずに目的地にたどり着くことができた。目的地は取り立てるところもない、古い木造の2階建アパートメント。廊下も室内となっているタイプ。

 入り口の扉をゆっくり開け、中に入る。申し訳程度のエントランスホール。正面に階段、左右に廊下が伸びているのが見える。廊下、階段には明かりがない。扉を閉めれば何も見えない。

 こういった集合住宅ならば廊下には申し訳程度でも備え付けのランプがあり、夜間には管理人が明かりを入れているものなのだが。そうでないということは、つまりはその程度のランクの住宅ということだろう。目的の部屋の住人は裕福ではない。どころかこのエリアの住民に多い、貧しい部類に入る。その人物には面識があり、ここにも一度来たことがある。私達の仕事の依頼人だ。

 私は構わず中に入る。光が全くないことで困るのは住人達であって、光以外の方法で見る事のできる私には特に影響はない。二階に続く階段を上がろうと廊下に足を踏み出すと、板張りの床が思った以上に大きく軋んだ。音が鳴らないよう慎重に足を踏み出すがどうしても音が鳴ってしまう。

 どうしようか、と考えたが、集合住宅なのだし他部屋の住人が夜遅くに帰ることだって稀なことでもないだろう。気にせず普通に――と言っても可能な限りは音を立てないように気を使って――二階に上がる。二階に上がっても暗さと軋む床は変わらない。二階に上がったところで、全く闇の中で普通に歩けるものだろうか、と考える。住人なら慣れているだろうから明かりがなくても平気だろう。だが見える状態で歩くのと比べれば遅くなるだろう。

 依頼人であれば、をわざわざシミュレートしつつ、床を鳴らしながら廊下の一番奥までたどり着く。ドアに耳を当て中の様子を伺う。物音はしない。

 依頼人が眠りについているであろうタイミングを見計らってきているのだから当然だ。目的の部屋のドアノブをゆっくりと回す。当然、開かない。鍵がかかっている。

 ポケットから開錠用のツールを幾つか取り出し、開錠に掛かる。単純な構造の鍵だがこちらは解錠の本職ではない、どころか解錠など初めてだ。精密作業は得意だが、なにごとにもコツというのはある。

 ツールの形から使用方法の検討をつけて鍵穴に差し込みながら、なぜ私がこんな泥棒紛いの真似をしなければならないのかと思う。もっともその理由もわかりきっているのだが。

 二、三分格闘すると大体要領がわかった。次こそはと再度ツールを鍵穴に差し入れる。

「なにをしているのかね?」

 背後から突然の明かりと声。次の瞬間、肩を掴まれた。

「サボった姉の代わりに面倒な仕事をしているところだよ」

 私は振り返ることもなく最後の一動作をする。とドアの鍵がかちり、と小さく鳴った。

「開いた」

 ツールを仕舞い、立ち上がったところで声の主に顔を向ける。私の予想通り、そこにいたのは姉のマリアベルだ。

「なによ、驚くと思ったのに」小声で不満そうにマリアベルが言う。私も小声で返す。

「この床で足音もなく後ろに立つなんてできるわけないでしょ。バレバレ」

「冷静なのはいいけれど、なんていうかこう、可愛げに欠けるわね」

「知らないよ…行けないって言うからわざわざ鍵まで開けたのに」

 私はため息をつく。そもそもマリアベルならこんな盗賊の真似事をする必要はない。どうしても外せない用事があるというから、こんな道具まで持ち出してきたというのに。私はため息をつく。

「あーあ、頑張ってこっそり済まそうとしてた私がバカみたい」

「そうは言ってるけど、実は鍵開けにちょっと熱中してたでしょ。私が来たってわかってても最後までやったし。大体、私はサボったんじゃない。恨むなら、大した用事もないくせに呼びつける爺共を恨んでよ。私もいい迷惑だわ」

「はいはい、お察しします。まずは用事、済ませよう」

「そうね」

 改めてノブを回すとドアが開く。二人とも中に入ってから、音を立てないよう再び鍵をかける。

 部屋の中も変わらず真っ暗だった。玄関から見える窓にもカーテンが引かれている。部屋の主が居る事は予め確認していた。今は眠っているのだろう。というより、眠りについたであろうタイミングを見計らって侵入している。広くない居間を音を立てないよう通り抜け、奥のドアを開ける。小さく質素な部屋に一人用のベッドがあり、その上で一人の壮年の男が眠っている。目的の部屋の主だ。起きる気配はない。

 マリアベルは男に向けて手をひらひらさせ、小さく何事かをつぶやく。一瞬、男の周りに薄い靄がかかり、すぐに消えた。

「いいわ。さっさと済ませちゃいましょう。ティエリア、お願いね」

 声量を普通に戻して言う姉にうなづき、着ているコートのポケットからガラス筒を取り出す。円筒の両側は閉じられており中には何も入っていない。太く、くびれと砂のない砂時計、という表現が適切だろうか。そんな代物だ。それを手のひらに乗せる。

 ガラス筒の中に小さい光が生まれ、次第に大きくなる。それは白く、小さな火だ。ガラス筒の何もない空間に蝋燭ほどの火が揺らめき、部屋の中を淡く照らす。男は変わらず眠りについたままだ。

「一つの約束が果たされた。此の者がその証。その証をもって我が地平を照らす暁の光を灯せ」

 白い火の輝きが強まり、視界を白一色に染める。ややあって、少しずつ光は弱まっていき、やがて輝き出す前の小さな炎に戻る。

 部屋の主は変わらずベッドに横になったままだ。私は息をつく。

「今回はこれでおしまいね。…灯火はどう?」マリアベルの問いに、私は手のひらの上のガラス筒の火を見る。最初の状態から変わらない火が瓶の中で揺れていた。マリアベルにも見せる。

「…全然だね。変わらない」

 その言葉とともに火が消え、部屋は元の暗闇に戻った。

「一体いつまでかかるのかしらね」

 姉が小さくため息をつく。それには答えなかったが私も同じ思いだった。

「仕方ないよ。そう簡単に終わるものだとも思ってないし」

「そうね、気長にやりましょう。じゃあ時間も遅いしさっさと帰りましょうか。明日も学校でしょう」

「うん。じゃあよろしく」

 差し出した私の手をマリアベルは掴むと、詠唱を始める。人の言葉ではない、人には聞こえない、歌のようにも、叫びのようにも聞こえる音。それを聞きながら、思う。

 私達のやっている事が報われる日はあるのだろうか、と。だがやめる訳にはいかない。立ち止まるわけにはいかない。私には願いがある。

 詠唱が終わると共に、部屋から私達の姿が消える。後には残されたのは、私達が来る前からの夜の闇と静寂に包まれた部屋だけだった。


 ベッドに横たわった私はかろうじて目を開ける。その私の傍らに座り、私を優しく見つめる姉。その姉の手が私の頭を優しく撫でるのが見えた。あとは朧げな、部屋の天井。姉がなにかを言っているがその言葉は私の耳には届かない。撫でられても触られた感覚もない。

 何日が経ったのだろうか。時間の感覚は既にない。もっとも時間など気にする事もできなかった。時折、希薄な意識が戻り、また暗闇に沈む。それをただ繰り返すだけ。

 これは夢だ。

 今まで幾度となく見た夢。あの日の記憶。姉に語りかけたい言葉があった。だがどれだけ喉を震わせようとしても、肺から空気を絞り出そうとしても、出てくる音はない。あの日と同じ。

 いつもと同じ夢。夢の中の私は何もできない。現実の私がそうだったように。

 近づいてくる死をただ待つだけの、生ける屍。どれ程力を込めようとも、ゆっくり閉じてゆく自分の瞼を止めることすらできず、視界は闇色に消えていく。姉の姿も、声も、自分の存在も。

 と、唐突に視界が明るくなる。こんな事が今まであっただろうか。見たことのない夢の展開に私ははっとして――その光が現実である事に気づく。

 手を挙げ、光を遮ってから目を開く。窓から差し込んだ朝の光が指の間を抜けて頰に当たっているのがわかる。ベッドから身を起こし、息を吐く。

 夢のせいで眠気はまったくなかった。ただ、気だるい。起きなければならない時に眠気をおして起きる時には感じるものだが、今日はいつも以上だ。いっそもう一度寝てしまおうかとも思ったが、今日は平日だ。学校に行かなければならない。学校に出席の義務はないが、サボタージュはマリアベルが許さないだろう。授業料は高いものではないが安いとまでは言えない。この費用を捻出しているのは両親だ。

 それに、あまりゴネていると寝間着のまま街道に放り出されかねない。実際に放り出されたことも一度ある。放り出されても少なくとも戻って来なくていいようにしておこう。気が乗らないなりにもそもそと普段着に着替える。

 居間に出ると既にマリアベルがテーブルについていた。

 様子からすると、徹夜でもしていたのかもしれない。背もたれに体を預け、腕を組んで渋面を浮かべている。気にせず姉に声を掛ける。

「おはよ、お姉ちゃん」

「…おはよ」

 渋面を崩すことなく、目だけをこちらに向けて挨拶を返す。不機嫌そうな事はもちろんわかるが、私がなにかしただろうか。昨日の夜、私が出かけるまでは普通だった。その後の行動を思い返してもその原因に心当たりがない。少なくとも原因は自分ではなさそうだ。ならば気にする必要もない。

「なにその顔、朝から苦虫みたいな顔して」

「どんな顔よそれ…噛み潰したような、でしょ」

「苦虫ってどんな虫なのかね」

「きっと食べると苦い虫でしょうね。…これのせい」

 マリアベルの横を通り過ぎて洗面所へ行こうとする私に、何かを投げてよこす。受け取ると、見慣れたマリアベルの財布だ。軽い。というよりこれは、と開けて見ると案の定、空っぽだった。銅貨一枚入っていない。

「ああ、授業料は別にとってあるから心配ないけどさ」

 この家には私とマリアベルの二人しかいない。両親はここから500キロ程北にあるへリドアス山岳地方の家にいる。私はこの家の近くにある大都市、レインサイニスにある学校の学生だ。レインサイニスは商業の盛んな都市であるとともに学問の都市としても名高く、他国から留学に来る人間も多い。私もその一人。留学生というわけだ。

 マリアベルも以前は同じ理由で実家からレインサイニスに来ていたのだが、一通りのカリキュラムを履修した後も帰らず残っている。親の代わりに私の面倒を見るというのが一応とはいえ理由になっている。それもあって、現在、学費を含めたこの家の家計を預かるのは姉のマリアベルだ。

 その姉が金がない、というのだから、学費以外は財布のみならず本当にどこにもない、。銅貨一枚もないから麦一粒すら買えない、という状態だということだ。

 それを聞いた私はふぅん、と素気なく答え、財布を姉に投げ返し、洗面所に向かう。

「別に、お金がないからって困る事なんてないじゃない」

「生活だけならそりゃそうなんだけどさ」

「私、人間じゃなくてよかったよ。お姉ちゃんのずさんな金銭管理じゃ飢え死にするしないとこだからね」

 別に麦一粒買えないとしても、私達は困らない。私達は食事をせずとも生きていけるからだ。もちろん、普通に考えればそんな人間が居るわけがない。私達は文字通り人間ではない。

 では私達はなんなのか?種族名はある。だが、それは「我々」がつけたもので人間に読める字では存在しないし、人間には発音もできなければ聞くことすらできない。

 種の「特徴」を人の言葉で、かつ、一言で言い表すならば「魔法使い」だ。

 体内で「魔力」を作り操ることができ、その魔力を使って様々な現象を引き起こす技術をもつ「種族」。人間とは姿形がほぼ同一であるにも関わらず、身体構造と能力は大きく異なるのが私達「魔法使い」。

 人間との相違の一端が食事で、私達は身体機能の維持のために飲食による外部からの栄養摂取が全く必要ない。自身の体内で生産される「魔力」を消費して生きている。

 自らが作り出すその器官も魔力をもとに活動するのはわかっているが、どうして消費量以上に生産ができるのか、そこまでは私達にもわかっていない。魔法使いが死ぬとその器官は活動を停止する。停止した状態ではなにもわからない。かといって、生きたまま頭のど真ん中にある器官を調べるのは無理がある。

 まぁ、遠い東国の山奥には霞を食べて生きる人間もいるという話もある。人間でもそうなのだから、何も食べない種がいても別段不思議ではないだろう。

 食事が要らない、ということは食費はかからない。家も都市外の人目につかないところに自前で立てた家だから家賃もない。都市に居住しているわけではないから籍もないので税もない。なので、家計が底をついたところで生活が困窮したりはしない。

「必要なところはちゃんと残してあるじゃない。いいのよ?もっと厳しく管理しても。あんたの小遣いや毎日のおやつがなくなってもいいのならね」

「いや、それはちょっと」勘弁、というように手を上げる。

 食べる事に生存上の意味がないだけで、食べる事で味もわかる。消化もできるし排泄もする。私達にとっての食品は、言ってしまえば嗜好品だ。菓子類や飲み物類を嗜むことは魔法使いにもままある。「無駄な事」には違いないので全く摂食しない魔法使いももちろんいる。かく言う私達自身はというと、午後のお茶とのおやつは欠かせない。どちらかと言えば消費量が多い方だと思う。

 そう考えると、なるほど、お金がないのは致命的でないにしても問題だ。

「どうしてそんな事に…って聞くまでもないね」

「お客が来ないんだもの、当然よね。出て行く一方じゃいつかなくなるに決まってるわ」

「もう二ヶ月だっけ。仕方ないんじゃない。お客が来ないのも」

「ほほう、その心は?」

 蛇口から出る冷水で顔を洗う。備えてあったタオルを一本取り上げ、顔を拭きながら姉の質問に答える。

「今はほら、人間達も機械やらなんやらで活気付いてきてるでしょ。この間なんか、レインサイニスまで鉄道が通る!って騒いでたしさ」

「あぁ、私も聞いたなそれ。それで?」

「それで、だよ。そんな中で私達のチラシには何て書いてある?『何にでも効く魔法の薬屋』だよ。魔法なんてひと昔どころかふた昔、いやそれよりも前の御伽噺、おばあちゃんがおばあちゃんから聞いたような話だよ。魔法使い狩りのあった三百年も前ならいざしらず、今更信じる人間なんていやしない。胡散臭く思われるのがオチでしょ。私が人間の立場だったら近寄りたくもないって思うね」

 自分で言っておきながらなんだが、自分達が使う術がそのように思われるのは心外ではある。とはいえ、それも仕方ない。私達が人間達に関わらなくなって既に三百余年だ。人間達の中での「魔法」はすでに御伽噺でしかない。御伽噺に出てくる「魔法」が私達が使う魔法と同じものなのかは分からないが、おそらく人間の創作だろう。

 私達の魔法はそういった話に出てくるものほど都合のいいものではない。カボチャが馬車になったりなど――まったくできなくはないが非効率なので――しない。人魚が人になる薬など存在しない。というよりも人魚が存在しない。物語に元になる話があるとしても、脚色されるのは有り得ることだ。

 私の言葉に、言いたいことはわかるけどさ、と顔を顰める姉。

「あんただって薬屋に賛成したから始めたんじゃない。爺共を説得するの結構大変だったのよ」

「それはそう。何にもしないよりはマシだもの。ここでただぼーっとしていても、灯火はただのガラクタにしかならないんだから。でもいい加減、別の方向性で行ってみないと駄目なんじゃないって話だよ」

「そんなのやっても今更じゃない?なにか案があるっていうなら聞くけどさ」

「そもそも一番の問題は、場所だよね。こんな深い森のど真ん中までそうそう人が来るわけないじゃない。街に引っ越そうよ」

 私達は薬屋、と言ってはいるものの、名ばかりで実態は何でも屋だ。相談を受けてそれを解決する事を目的としている。なのに、その店舗にして私達の家は、レインサイニスの北側に広がるハウダ森林、その中央ほどに位置している。最も近い東門を出て、街道を4キロ。そこから森に入って道なき道を最短距離で行っても13キロの道程となる。もう来店ではなくある種の探検だ。

 未開の森林を奥深くまで分け入る危険を冒してまで、胡散臭い薬屋を訪ねる者などいるはずもない。余程打つ手のなくなったものだけだ。

 当初から、私達を頼ってくるのはそういった人達だけで良いと思っていた。逆に気軽に尋ねられては私達の方が困る。ところが、いざ蓋を開けてみれば元々少ないと予想していたものの、客足はないも同然。これではお話しにならない。

 それでも開業当初は大都市に隣接するものもあり、物好きが稀に訪れることもあった。それも開業から1年を過ぎた今となってはまったくない。先日の依頼は三ヶ月振りのものだった。

 私達の良い評判というものは決して流布される事はないから、胡散臭い、いい評判もない、すげなく断られたという話だけは聞く。この評価で流行る店があったら、その街自体がどうかしている。

「今更な話ね。そもそも、おやつも買えないような連中が街中に引っ越しなんて出来ると思う?」

「じゃあ魔法でお金を作って引っ越すとか」

 論外、とマリアベルが首に手を当ててみせる。

「そんな事してバレたりしたら、文字通り首が飛ぶわよ」

「別に大金生み出して豪遊したいとかじゃないんだし、バレないと思うけどなぁ」

「いやよ。そういう事に関してだけは爺共の鼻の利き具合と来たら、利くを通り越して異常なくらいなんだから。掟に反するような事だけは絶対にしないからね。あんたもそれだけは必ず守りなさいよ」

 掟は人間で言うところの法だ。私達には細かく定められた法はなく、好きなように生きればよい、というのが基本だ。人間ではないから人間の法も関係ない。とはいえ人間社会でお尋ね者にでもなれば弊害も多いから、平然と法を破るわけではないが。

 法は社会を維持ために必要なもので、社会を維持するのは集団を保つため。集団の方が全体として種の生存に有利だから、であるが、そもそも個でも生存に困らない私達はそもそも不特定多数の集団を形成しない。集団がないのだから、社会を維持するための法自体、必要性がないのだ。

 それでも、理由があってこれだけは必ず守ること、という特定の事柄についての行動指針を「掟」として取り決めている。その掟の一つに「人間の営みに過度に干渉しない」というものがある。先の例であれば、魔法使いが勝手に大量の貨幣を鋳造し人間に流通させたりしたら人間の経済に少なからず影響が出る、ということで掟に抵触することになる。

 街の衛兵のように至るとこに監視の目があるわけではないし、都市に部屋を借りるぐらいの小額ならば大丈夫なのでは、と思ったのだが、マリアベルの弁ではそうでもないようだ。

 姉の言う「爺共」というのが、魔法使いの唯一の組織、通称「会議」だ。唯一なので特に名前もつけられていない。マリアベルの呼び名の通り、取り仕切る立場の魔法使いは老齢の者が多い。

 「会議」は掟を定め、監視し、掟に従わない者を厳罰に処する権限を持つ。メンバーは固定ではなく条件にあった魔法使いがとして選出される――とはいえ、あまり流動しないため固定されていると言ってもいい。

 掟に反した場合の刑罰のほとんどは死罪に等しい。圧政とも言えるが、定められている掟は知ってさえいればいくらでも回避できるか、普通に魔法使いとして暮らしていれば無視できる程度のものだったから、この体制に反発する魔法使いは皆無だ。その分、有罪となった場合の執行には温情などない。

 魔法使いも人間の通貨を手に入れたければ人間から手に入れるしかない。魔法使いであることが人間に知れ渡るような事も掟に引っかかるから、魔法でたやすく稼ぐ、といった事もできない。一番簡単なのは、人間として労働すること。

「じゃあ、お姉ちゃんが料理の腕を磨くしかないね。お菓子も自給自足」

「材料がなけりゃ結局一緒じゃない。魔法で菓子を作ることはできるけど材料はそれなりに必要になる。0からはさすがに手間かかりすぎる。前に試してみたじゃない」

「あれか…確かに酷い出来だった」

「そこまで言う?そりゃお店のに比べれば美味しくなかったけど、こっちだって製菓の素人なんだから」

「うんまぁ食べられない程ではなかったけど…どうしてもお菓子が食べたい!って言うなら無いよりまし、くらい」

 魔法で作った料理や菓子の味はおおむね、作成者の料理の腕に準ずる。要は手で作るか、魔法で時短で作るかの違いでしかない。現実は甘くない。

「ないものはないのだから、諦めて今あるものでお客に来てもらうことを考えなさい。お菓子は我慢するとしても、灯火の方まで棚上げにはできないでしょう」

 それはそうだ。とはいえどうしたものか。胡散臭いのはこの際そのままでも構わない。だが店舗の問題だけはどうしようもない。

「お姉ちゃんがチラシ持って街中で営業したらどう?お客が直接お姉ちゃんに話できればいいでしょう」

「いやよそんなの。いつ来るかわからないお客をただ待つなんて不毛よ」

「そうだね、私だっていやだ」

 再び二人で唸る。いや、そろそろ学校に行かなければならない時間ではないか。時計を確認しようと首を巡らせると、姉がパン、と手を打つ。

「そうよ、来てもらえないなら行けばいいのよ」

「何言ってんの?営業する気になったの?」

 一人で納得している姉に、私は怪訝な顔を向ける。見てなさい、と自信たっぷりに言ってマリアベルが席を立った。

 部屋の中を見回すと壁に立てかけてあった大きめの板に目を止め、呪文を紡ぎ始める。響く詠唱に合わせ、板が宙に浮かび細かく振動し始めた。複雑な線が板に走ったと思うと線に沿って音もなく板が割れる。いくつかのパーツに分かれた木片が何もない空中で生き物のように動き、凹凸を合わせて組み合わさる。一つの塊となって姉の手に収まると同時に呪文も止む。出来上がったのは…「ポスト。なるほど」

「これを街中に置いてもらって、お客に手紙を入れてもらうの。私達は手紙を見て訪ねにいく、というわけよ」

「シンプルだけど、ここまで来いってよりはいい案だね。お姉ちゃんにしては」

「引っかかる言い方ね…。でも、そうでしょう」

 マリアベルは自慢げにうなずく。確かに無駄もなく今の私達には適した方法だ。うまくいったらレインサイニス以外の都市に設置してもいいかもしれない。そうすれば依頼も滞ることなくこなしていけるだろう。評判が地に堕ちるまでの事だろうが。

「でもそれ、薬屋全く関係ないね」

「いいわよ、もとより薬屋なんて名ばかり、建前でしかないんだから。肝心なのは依頼が来ること、それをこなすこと。あんただって本気で薬売りたいわけじゃないでしょう」

「それはそう」

「じゃあどこかにこれを置いてもらうから、毎日の中身の確認はあんたがやってね」

 姉の言葉にえぇ、とあからさまに嫌そうな表情を浮かべてみせる。

「いやだよ。お姉ちゃんどうせ毎日暇じゃない」姉は学校を修了しているので基本的に毎日自由だ。

「失礼な。私は普段遊んでいる訳じゃない。あんたは毎日のように学校で街に行くんだからそのついでくらいじゃない」

「転送陣を中に仕掛けておけば勝手に届くでしょ。手紙くらいなら軽いし家まで送っても大して消費しないよ」

「だめ。もしもゴミ箱代わりにされたらいやだもの」

 ゴミ箱代わりにされたら私だって確認するのが嫌に決まっている。

「それにもし魔石を持って行かれたら堪らないわ」

 …なるほど、それは困る。魔石の見た目は宝石の原石のようにも見える。人の手に渡ってまずいようなものではないが、それなりに価値のある代物なので盗まれては堪らない。

 転送陣、というより、魔力を動力とする機構、設置術は魔法使いが魔力を注ぐか、魔石に貯めた魔力を使って動作させる。魔石の製造は結構手間がかかるので魔法使いの間で取引に使えるくらいの価値はある。

 転送陣が使えないことに納得しつつも、確認作業を任されるのは、面倒な感は拭えない。かといって、このやりとりを続けても仕方がないのも事実だ。

 面倒ではあるがほぼ毎日街に行くのは確かだし、これによる収入は私の小遣いにも直結するものだ。少々面倒なことも引き受けておいた方が、小遣いの増額交渉はしやすいだろう。

「わかった。じゃあせめて、街の出口近くに置いてよ。必ず通る場所の近くになるように。回収に労力かけたくないからね」

「サラおばさんのとこならどう?多分置いてくれるだろうし」

「ああ、それならいいかな」

 サラおばさんの経営する喫茶店、エスカはお茶もお菓子も評判がよく、よくお菓子を買う私達の顔馴染みの店だ。レインサイニスに出入りする際に必ず通る東門の傍にある。確かにそこなら学校帰りに立ち寄るのも苦ではない。

「でも流石に学校が休みの時はやってよね。歩いて街に行くのも大変なんだから」

「いいわ。じゃ、今日は街まで一緒に行きましょうか。サラおばさんにお願いしに行かなきゃいけないしね」

 姉の提案に二つ返事で答える。家から森を抜けるまでの距離も相当にあるのだが、姉がいるときは別だからだ。準備を整え、家を出る。

「じゃ、行くわよ」

 姉は私の手を掴み、聞き慣れた短い呪文を唱える。一瞬、視界がぶれたと感じた後は別の景色が目に飛び込んでくる。とは言っても、変わらず木立の中だ。少し間を置いて繰り返す。計3回繰り返したところでマリアベルは詠唱をせずに歩き始める。街道まで直接移動することもできるが、通行人に見られるのはまずい。森の出口付近に移動して歩いて森を抜けるのがいつものやり方だ。

 数十メートルほど木々の間を歩くと森が拓ける。その先には街道だ。森から出てくるのを誰かに見られないか警戒しつつ、街道に出る。そこからは道に沿って、遠くに見えるレインサイニスの城壁に向かって歩いていく。

「やっぱり転移は便利だねぇ…」

 私は移動魔法を使うことができない。いや、移動魔法に限った話ではない。魔法には大きく二系統があるが、私は今の移動魔法も含まれる一系統を全く使用することができない。逆に姉は、私が使えるもう一系統のものを使用することが全くできない。

 両系統を使用できるのが魔法使いの当たり前だ。片方しか使えない、というのは例外中の例外。私達以外には存在も確認されていない。そんな私達は「まともな魔法使い」共の間では半人前、足して一人前などと言われる事もよくあった。

 もっとも「足して一人前」ではあっても、その内訳は九割と一割くらいだろうな、と思う。私の使える系統は使い出があまりにない一割側だ。一割は多く見積り過ぎだろうと言われても仕方ないくらいだ。

 転送陣が設置できればいいのだが、転送陣は送るものの重量が重くなるほど消費魔力が指数的に増える。本一冊送れば小型魔石なら一回で空になるくらい、私1人を転送するとしたら、魔法使い10人が魔力切れで昏倒するくらいの魔力がいる。とても使えたものではない。

「あーあ、学校が夜にあればいいのに。そしたら飛んでいける」

「あー、私も学生の時はそれ思ったなぁ。今も思うけど。魔法使うより楽だもの」

 明るい時分には人目もあるから、姉も街中に転移したりはしない。街に行く時は今と同じように歩いていくことになるが、これが夜になれば話は別だ。人目のない場所を選んで転移することもできるし、月が明るくなければ飛んでいくこともできる、というわけだ。とはいえ状況を選ぶのは確かで、今はそういった状況にはない。

 比喩ではなく、私達は「飛ぶ」ことができる。それについては御伽噺の魔法使い以上、箒なども必要ない。そして飛ぶことは魔法ですらない。魔力で重力を中和し、浮遊する。魔力を操る事のできる私達の「特性」だ。人が手を動かすように、息をするようにできる事。使えない魔法のある私達も飛ぶことは当たり前のようにできる。飛べない魔法使い、というのはこれまで確認されていない。

 魔法とは、魔力そのままでは行えない事を実現する「技術」だ。技術だから一応、巧拙も存在する。

 街道を20分ほど歩いたところで、巨大な城壁と大小4つの門が森の影から姿を見せた。交易都市レインサイニスの入り口のひとつ、東門だ。城壁と言ってもこの都市に城はない。この城壁は街自体を守るためのものだ。街への出入りは西のレイン河東岸に面した西門か、東のコーソル河西岸にほど近いこの東門のどちらかを通らなければならない。街の南側は比較的平坦な土地が続くが完全に城壁で囲われており、レインサイニスから出ることはできない。北も城壁はあるが他の場所ほど堅牢ではない。そもそも北側は深いハウダ森林に遮られているから、そこからの敵襲はほぼ有り得ない。

 レインサイニスはレイン河とコーソル河という、それぞれ別の海に注ぐ大河が一番近づく地域にある。河を利用した貿易で古くから栄えてきた都市だ。商人達の財力に支えられ、豪商達の合議によって治められてきた。これまでの歴史の中で権力に屈したことは一度もない。周囲が帝国領となった現在でも都市内は完全自治とする主張を認められている無二の街である。

 過去は水運に適した地の理と商人達の富に目をつけた多く国々からの侵略に晒されてきたが、その全ての脅威をこの長大な防壁が撥ね除けてきた。もっとも、周辺地域が統合、分裂の繰り返しで大きな国家が発生しなかったのも大きいのだが。

 戦乱の時代がほぼ終焉を迎えた今でもそびえる城壁は、今は帝国との目に見える国境として、西門と東門は都市に入る際の関として使われている。

 今も私達が歩く側では通関の手続きを待つ商隊の荷馬車が東門からずらっと並んでいた。都市内は別の国であるわけだから自由には通行できない。昼過ぎまではこの待機列が続くのが日常の光景だ。形式上程度ではあるが、一般人の通行も手続きが必要だ。

 門上の衛士が私達に気づいて手をあげる。マリアベルはここで暮らすようになって5年、私は2年になる。通行量の多い街道ではあるが、毎日のように門を通る者は然程多くはない。私達は衛士の人達にもすっかり顔馴染みだ。おそらく都市外縁に広がる農村の者だと思われているだろう。今日もご苦労様、と声をあげて手を振り返す。

 私達は馬車の待機列を横目に、門の側にある許可者専用の扉をくぐる。予め都市内に通う学生として都市から発行された通行許可証持つ私達――マリアベルはもう通っていないのだがどうしているんだろう――は手続き不要だ。衛士に通行許可証を見せるだけで門を通過する。

 街に入るとまだ朝の早い時間にも関わらず、通りは開店に備えた準備や取引に向かう人、仕事先に向かう人で賑わっていた。交易都市だけあって忙しなく、活気がある。

 正直、レインサイニスに来た当初はこの喧騒が好きではなかった。実家は山間部の静かな地域だったし、そもそも「人間」がそれほど好きではなかったのもある。今となっては慣れたのもありさほど気にならない。静かな場所の方が好きなのは変わらないが。

 マリアベルとはここで別れる。予定通りエスカに向かうのだろう。私はそのまま学校に歩を進める。大通りを十五分ほど歩いたところで私の通う学校、レインサイニスの公共学舎につく。

 レインサイニスは交易都市だが、学問にも力を入れている。学者が新しい技術などを発見し、それを商人達が商売に生かし、その恩恵を受け学者達がまた研究を続ける…。そんなサイクルが自然と産まれ、レインサイニスは学者にとっても学問に没頭しやすい環境となった。

 そのおかげもあり、この都市では学問が推奨され、読み書きや計算など基本的な勉学を都市生活者なら無料で、そうでない者も安い授業料で受けることができる。

 それ以降の知識は都市生活者でも有料だが、それでも他国に比べればずっと安い授業料で受けられる仕組みがある。もちろん、都市外の人間でも恩恵に預かれる。

 ここ、公共学舎はその教育システムの一環で、基礎となる知識を幅広く教わることができる場所だ。通うのはマリアベルよりやや若い――マリアベルは十九、私は十四――くらいの年齢までの子供達が多いが、制限があるわけではない。ごく少数だが、中には壮年、どころか老齢の者も見かける程だから、この街の人間の学問への関心の高さが窺える。

 始業時間も近いので多くの子供達が学舎に入っていくのが見えた。私もそれに続いて中に入る。石造りの建物は中も外も、公共の場にしては凝った装飾が施されており、都市の裕福さを端的に表している。

 学生はそれぞれの学習レベルに合わせて振り分けられ、教室を決められている。教室には長大な机と椅子が何列にも設けられており、好きなところに座って講義を受ける形になっていた。私は窓際の一番後方の席に着く。ここはほぼ私の定席だ。もちろん自由席なので埋まっていることがあるが、私は他の生徒から目立たなそうな場所に座ることが多い。

 席についてしばらくすると講師が登壇し授業が始まった。

 授業自体はどうかというと、私にとっては退屈そのもの、である。当初は遠慮なく寝ていたものだが、ちょっとした出来事があってさすがに他の学生への影響も考え、眠気は耐えることにしている。

 実は講師側も私がそうして過ごしているのは知っているから、大あくびをするぐらいなら特に気にしない。もちろん、私も別に声を出してあくびをしたりはしないし、あくびをするにしても目立たないように。そのための位置取りだ。

 学校に通っていながらいうのもなんだが、ここで学ぶ事は何一つない。私達は自分達の技術である魔法を行使するために、様々な現象を正確に理解しなければならない。そうしなければ正しい効果をあげる術構成を組み上げることができない、つまり、期待する結果を得る事ができないからなのだが、その知識量は今現在の人間の学問のすべてを集めても比にならないくらい多い。

 魔法使いは誰もがその膨大な量の情報を幼少期に覚え、忘れたりはしない。私も実際には使えないながらも他の魔法使いと同様、そういった知識は持ち合わせている。それが「魔法使いの普通」なのだ。

 眠気に耐えながら、一つ目の授業を終える。今日の授業は午前中で終わりだが、あと3枠を耐えるのかと思うと気が重くなった。休憩時間中、何か眠くならずに時間を潰す方法はないかと考えていると、少し離れた席から私を呼ぶ声がした。顔を上げると見知った顔が二人、手を振っている。

 友人のミリアムとアーシャ。二人とも、もちろん人間。

「あれ、いたんだ?」

 ミリアムは短めの髪が似合う快活な子だ。服装や口調もなんだか男の子っぽい。

 アーシャは口数は多くないが口以上に表情が語るところが可愛らしい。やや天然気味。

 二人とも私と同い年で、半年前に講義の時間割が新しくなって以降、同じ講義を取ることが多かったようで居合わせるうちに、仲良くなった。

 最初から居合わせたら三人で近くに座るのだが、今日は二人とも来るのが遅れたようだ。二人も、空いている席に分かれて座っていた。

「今日は終わったらお昼も兼ねてカフェに行こうと思うんだけど、どうだ。ほら前見つけた、あれだ、木材通りの裏の」なんだっけな、指を回しながら宙を仰ぐミリアム。

「ファスタイン」「それ。ティエリアも一緒に行かないか?」

「いいね、もちろん行く行く」

 ミリアムの誘いに二つ返事で快諾する。姉の管理する財布は空っぽでも、私の小遣いはまだ底をついていない。まだしばらくは保つ。それに、これこそ私が通う必要もない学校に通う理由なのだから、断る理由はない。

 人間と交流すること、それが私が通う必要のない学校に通う理由だ。

 かつて、魔法使いが人間をモノのように扱っていた時代があった。三百年ほど前の「魔法使い狩り」が行われる以前だ。

 その時代、魔法使いが人間を実験対象とすることがよくあった。しかも実験対象は

人間である必要性すらないのにだ。ではなぜ人間が実験対象となるのか。「捕らえやすさ」だ。

 要は実験対象自体はそれなりのサイズを持つ生物であれば猪でも鹿でも熊でもなんでもよく、条件を満たす動物の中で、探せばすぐに見つかり、捕縛が極めて容易なのが「人間」であった、と。つまり動物扱いだ。

 現在の魔法使いから見ると、人間達は「相手にすると面倒が降りかかる動物」というのがおおよその共通認識で、その点については魔法使い狩りの時代から「相手にすると面倒が降りかかる」が前置詞についただけに過ぎない。

 しかし、私達の母親はそれとは違っていた。

 人間も自分達と同じように考え、喜び、悲しむのだということを子供達に教えるためには、人間達と同じように過ごす事が必要だと考えた。その考えの元に、私達はこのレインサイニスで人間に混じって交流しながら生活をしている。

 ただ、それでも当初は同年代の子と交流を持つ気にはなれなかった。

 魔法使いは幼少から大量の知識に触れる分、精神的な成熟が人間に比べて早い。もちろん、経験によって成熟する面は人間でも魔法使いでも必要だ。それでも経験に差がでない幼年期における、同年齢の人間と魔法使いの精神的な成熟度合いは少なくとも5年以上の差が出る、と言われている。

 私がここに来たのは11くらい。少なく見積もっても16程度の感覚を持っているすると、対等の友達付き合いは流石に難しい。自分の感覚ではどうしても相手がもっと年下の子供のように感じられてしまう。

 ただし、マリアベルくらいの年齢からは魔法使いはあまり他者と交流を必要としなくなってくるので人間が追いついてくるのだそうだ。

 それから2年経ち、周囲の子の年齢も上がり、私も依頼をいくつか解決する中で人との交流を学んだ。そのおかげで、今は私も彼女達のような友人ができ、人間的にもそれなりに楽しんで生活している。

 人ではないという事を隠しながらではあるものの、魔法を使えない、空を飛べないというところを除けば普段の生活にそれほど目立った違いはない。特に私にしてみれば、魔法をろくに使えない、と言ってもいいくらいなのでますます差がない。

 授業の二枠目以降、二人は私の近くの席の人に頼んで代わってもらい、三人で並んで授業を受けた。私も二人がいるのでそこそこに聞いているフリをしながら、時々二人のわからないところを教えてあげて過ごした。この方が私も眠くならなくていい。

 私達の受ける授業は有料コースで、無料の基礎学問から2段階程上のレベルとなっており、人によってはそこそこ難しいらしい。「私達」からすると授業の内容が全く間違っていることもよくあったが、そこは「人間の授業」に合わせてその通りに教えていた。

「ティエリア、よくあんな内容でわかるな。私にはさっぱりわからん」

 三限後の休憩時間中、アーシャがわからないというところを教えてやっていると、頬杖をつきながら見ていたミリアムがその様子を見ながら言う。

 あぁ、なんとなくね、と適当に濁す。と、眉根を寄せてミリアムを見やる。

「というか、わからなかったなら今一緒に聞けばいいじゃん」

「科学分野はなぁ。あまり興味ないんだよ。算術だけはしっかりやっとけって言われてるから、がんばるけどな。実際、それ以外は適当でいいと言われてるし」

 ミリアムの家は、流行り廃りの激しいレインサイニスで堅実に続く商家だ。算術優先なのは当然と言えば当然ではある。

「私は科学好きだなぁ。これとこれを混ぜると違うものが作り出せるとか、なんだか楽しいよ」

「アーシャは学者向きかも」そういうのもいいね、とアーシャがにっこりと笑う。

 アーシャは商家ではなく、外縁部の豪農の子だ。今時教養ぐらい身につけなくてはいけない、ということで都市内の寮に入ってそこから通っている。

「やる気のないミリィはほっといて、続き続き」

「やる気がないとは失礼だな。興味がないだけだよ」

「興味がないからやる気が出ない、よってやる気がない。証明終了」手をひらひらと振って答える。

「うんまぁ実際その通りなんだ」

「やっぱりやる気ないんじゃない。でも、これからはこういった事の知識を前提とした商品とかも出てくるんじゃない?話聞いてよくわからず判断ミスって大損とか有り得るかもよ?」

「う…。いや、その時は専門家を雇うさ。自分一人でなんでも覚えるなんて事、できるわけがないからな」

 それもそうか。その点私はちょっと感覚が違ったようだ。なんでも一通り覚えるのが初めの一歩、なのが魔法使いだ。

 私の説明にアーシャがあぁ、なるほどぉ、と理解できた時の声を上げる。休憩時間はあまり残っていなかった。もっともこういうやり取りも私の楽しみの一つだ。休憩時間が潰れたとは思っていない。

「さって一限でお楽しみのお昼だ、頑張るか」

「そうだねぇ」

「ん、あれ、次の授業ってなんだ」

 首を傾げるミリアムにアーシャが答える。その前に私は、あ、と声を上げる。

「次はね、体操だよ」え、とミリアムが止まる。「着替えなきゃね」

「早く言えよ!」

 遅そうなのにのんびりと答えるアーシャの腕をミリアムが引っ張って、私達三人は転がるように教室を飛び出す。

 他愛もない事で騒ぎ、笑う。

 親の教育方針であっても、今の私はこの時間を気に入っていた。友人達といる時だけは、自身が果たさねばならない使命をほんの少し、忘れる事ができた。そして、そうした時間を楽しんだ後は、罪悪感に苛まれるのだ。


 私達三人がカフェを出る頃には日もだいぶ傾き、空は半分藍色に染められていた。楽しい時間は過ぎるのも早い。昼ご飯どころか大分長居をしてしまった。もっとも、満席になるようなことはなかったし、たまに追加注文もしていたから邪魔だとは思われていないだろう。おそらく。

 店を出て街の中心方向への道が続く通りにかかったところで二人と別れる。二人とも家は街の南部にある。私が向かう東門とは別方向だ。東門が見えてきたところで、1ブロック脇道に逸れる。エスカに向かう為だがやはりこの1ブロック――往復2ブロック――の移動は面倒に感じる。エスカの前を通りがかると朝に姉の作ったポストが建物の端の方にチラシとともに置いてあった。設置初日ではあるが一応、中を確認してみる。ポストの投函口の下が開くようになっているので、そこを開けて中を覗き込む。

 空であることを予想して開けたのだが、意外にも二通の封筒が入っていた。取り出してみると一通には切手が貼ってあり消印が押されていた。宛先はエスカだ。郵便のポストと間違えたのだろうか。普段配達していればこれじゃないことくらいわかるだろうに。新人が配達を行ったのだろうか。

 これが手紙の投函ポストじゃないというのはわかりやすくした方が良さそうだ。面倒だがポストを一旦持って帰らなければ。ため息をつく。手紙はエスカの本来の投函ポストに入れておく。

 もう一通の封筒には何も書かれていない。こちらは本来の「依頼」だろうか。その封筒を空のカバンにしまい込む。サラおばさんに手紙の件とポストを一旦回収することを伝えようと窓から店内を覗くと、満席のようだった。サラおばさんは忙しそうに給仕に勤しんでいる。邪魔するのも気が引けるが、黙って持っていくわけにもいくまい。お店の扉を開けると、ドアチャイムが鳴り響いた。私の姿にサラおばさんが気づく。

「あら、ティエリアちゃん。いらっしゃい。でもごめんね、今満席なのよ」

 私もさっきまでお茶を楽しんでいたので、店内に入って更にお茶をするような心地ではないし、時間を取らせる気もない。

「こんにちわ。大丈夫だよ、少し伝えたいことがあっただけだから。朝、お姉ちゃんが置いて行ったポストなんだけど一旦持って帰るね」

「あら、そうなの?」

 先程の誤配達の話と、変えたらまた持ってくることを簡潔に伝える。サラおばさんはまたいつでも言ってね、と言ってくれた。また来るね、と言って店を出る。

 東門の衛士にさよならの挨拶をし、朝に来た道を逆に辿って戻る。朝に街道に出た位置まで来たところで周りの様子を伺う。森の中に入っていくのを見られるのはまずい。すっかり暗くなった周囲には人一人居なかった。街道から逸れて森に入る。

 街道からこちらが見えなくなるだろうくらいのところで改めて周囲を確認しておく。まさかこの時間に明かりもなく森に入る者もいないだろうが、念の為だ。誰もいない事を確認できたところで軽く地面を蹴る。そのまま高さ5メートルくらいのところで静止する。ちょうど高木の枝が張り出している位置だ。

 ここから家まで、通れるくらいのサイズに木の枝を落としてあった。後はそのトンネルをくぐっていけば家に辿り着くことができる。森に入った人間でも、注意深く見なければ枝が落とされている事に気がつかないし、木に登りでもしなければ通路状になっている事はわからない。これが私の普段の通り道だ。

 森のど真ん中に家があるのに、そこから毎日草木を掻き分けて街に通ってはいられない。しかし、レインサイニスの中央、施政庁舎は背の高い尖塔が幾つかある。森の上を飛ぶのは誰かに飛んでいるところを見つかってしまう危険があった。それを避けるため、樹上から見えず地上より障害の少ないこの位置にトンネルを作って飛行移動用に利用している。こういった樹上のトンネルは、森の中に何本か通してある。転移できるマリアベルも飛ぶ方が楽なので使うことは割りと多いらしいが、本来の目的は転移できない私用だ。

 そのトンネルを通り抜けていく。東門から20分ほど歩いた距離の十倍弱の距離を同じくらいの時間で飛び抜ける。家のある広場に出た。家の玄関前に着地、中に入る。

「ただいま」

 マリアベルは何やら実験をしていたのか、ガラス製の実験器具を両手いっぱいに持ちながら出迎えてくれた。

「おかえり。ってあんた、なんでそれ持って帰ってきてるのよ」

 私の持つポストに目を止めて眉根を寄せる。

「エスカ宛のが投函されてた。なのにそのままじゃまずいでしょ。わかりやすくしないと」

 間違えないでしょ普通、と渋面を浮かべるマリアベル。同感だが実際間違われたのだから仕方がない。どうすればわかりやすいか、と改善策を考え始める姉に今日の成果を渡す。

「あと、一通入ってた」

「え、本当に?今日置いたのにすごいじゃない」

 目を輝かせる姉に封筒を手渡すと、すぐさま開封し手紙を読み始めた。私は改めて空になったかばんを定位置に放り出し、洗面所に向かい顔を洗う。顔を拭いて自室に行こうとしたところで姉に腕を掴まれた。

「ん?なに?」

「出かけるわよ」

 言うなり転移魔法の詠唱を始める。

「ちょっと待って、どこへ」

 問う前に私と姉の姿は家から消えた。

 目の前が暗くなり、次の瞬間には森の木々が視界に映る。次の転移のために魔力を整える姉に抗議する。

「もう、なんなの?いきなり過ぎでしょ」

「はいこれ」

 姉は答える代わりに依頼の封筒を差し出してきた。受け取るが、読む前にもう三度ほど暗転。

 もう日は完全に落ちているので街道ではなく直接街中まで転移する。夜になると人が寄り付かなくなる場所はいくつか当たりをつけてある。

 着いた先は、日が落ちると何も見えないくらい暗くなる行き止まりの路地だ。手紙を取り出して読む。人だと暗過ぎて読むどころか路地を歩くのもおぼつかないが、少々の目の辺りに魔力を集めれば私達には普通に見える。


 ご相談ごとがあります。直接会ってお話しさせていただきたいので、ご都合の良い日の

 十八時〜二十二時くらいに下記住所へお越しいただけますでしょうか。

 火急の為、早めにお越しいただけると大変助かります。


 なるほど、時間的には丁度いい頃合いではある。行くことに異論はない。

 だが急ぎ過ぎだろう。説明してからでも十分間に合う時間ではないか。私の苦情に「丁度実験が時間を空けるタイミングだったの」とマリアベル。勝手過ぎる。

 曲がりくねった暗闇の裏路地を抜け、大通りに出る。記載された住所には診療所であることが書いてあった。相談相手は医者なのだろうか。

「そうかもね。場所だけなら入院患者の可能性もあるけど、時間的に考えるとそうでしょう」

「診療時間が終わった後ってことね」

 医者がどんな用事で私達に相談を持ちかけるのだろう。設置したポストの傍にはもちろん広告が置いておいた。そうでなければなんの為のポストかもわからない。広告は以前のまま、胡散臭い「魔法の薬屋」だ。私には、胡散臭い薬を売るなと苦情を言われるイメージしかない。

 私達が開業仕立ての頃に街の医師からそういう事を言われた事もあった。その時は適当にあしらっておいた。胡散臭いのは私達もわかっているし、広告を見た人間にしてみてもそうだろう。なのにそんな広告を気にするのは、そもそも普通に医者としてやっていけない自分の不満を人にぶつけているだけだ。

 現に、その医者の診療所は一ヶ月後には商家の事務所になっていた。レインサイニスは流行り廃りも早い。それは医者であろうとも例外ではない。実績と患者からの信頼を得ることができなければ消え去るしかない。

 街の外周と中心のちょうど真ん中辺りにある中層の住宅街まで移動すると、手紙に記されていた診療所はすぐに見つかった。 建物は小さい。自宅兼診療所、くらいの規模だろうか。具合が悪い時に最初に掛かる診療所、といったところだろう。中層とはいえ、中央へ向かう道沿いにあるのはかなり良い立地だ。良い立地ということは地価が高い、となれば税も高い。その場所に集合建築ではない単独の診療所を構えられる、ということは相応に収入を得られる、つまり、患者の信頼を得ることができる医師であるとも考えられる。とはいえ、汚く金を稼ぐ悪徳医にも事欠かない街ではあるのだが。

 入り口のドアには診察終了の札が下げられている。指定された時間であるし、この時間に診察をする診療所はまずない。

 ドアノッカーを打ち鳴らす。少し待つと、中から足音。ドアの小窓が開き、そこから温和そうな男の声が返ってくる。

「本日の診療は終了しましたが…急患ですか?」

「手紙をいただいてきました、ラスニール魔法薬店の者です。診療後の時間にこちらに来て欲しいとの話だったのでお伺いしたのですが」

「ラス…?あぁ!今開けます」

 小窓が閉じ、鍵を開ける音。ドアが開いた。白のシャツに濃いブラウンのトラウザーズとウエストコートを身につけた、二十代後半くらいの男が顔を見せる。声と同様に温和そうな顔立ちをしており、緩くウェーブがかかった赤毛の髪を短く揃えている。

「よくお越しくださいました。診療所の主のアータイル・サイルです」言って手を差し出す。

「店主のマリアベル・ラスニールです」姉がその手を握り返す。「こちらは妹のティエリア」

「ティエリアです」

 姉の紹介に合わせ、私もアータイルと握手をする。

 アータイルの招きを受けて診療所に入り、応接室に通された。アータイルはお茶をお持ちします、と席を外す。

 部屋の最初の感想は正直なところ、狭い、だった。小さなテーブルに二人掛けのソファを1つ、一人掛けを1つ置くのがやっと、といったところだ。それでも調度品は凝った物が置いてあり、鉢植えや絵画などの配置も上手い。全体として人を迎えるのに十分な様相に仕上がっている。

 席を外していたアータイルがカップを三つ、トレイに載せて戻ってきた。

「狭くて申し訳ありません。どうぞ」

 アータイルが差し出したカップには見慣れない黒い飲み物が注がれていた。少し焦げたような、だが香ばしい湯気が上がっている。

「これは?」

「木の実の種子を煎って、砕いたものから湯で抽出したものです。最近南方から入ってきた、コーヒーという飲み物ですよ。気に入ってお出ししてるのですが、お口に合うかどうか」

 交易都市だけあって、こういった目新しいものを出すのが喜ばれる。いただきます、と口をつける。含むと苦味と酸味が強い。飲めなくはないが私は紅茶の方が合うと感じる。一方の姉は気に入ったようだった。

「紅茶とは違う香りの良さ、軽い酸味と苦味…美味しいですね」

「喜んでいただけてよかった」

「私には少し味がきついかな」目新しいものを出された時は率直に意見を返すのがこの街の流儀だ。そうしてくれた方が別の客人に出す時の対応の幅を広げられる。

「あぁ、でしたらこちらのミルクを。少し入れると味が柔らかくなりますよ。こちらのシロップで甘味を加えるのも良いそうです」

 勧められた通りにシロップとミルクを入れる。琥珀色となったコーヒーを再度口に含む。なるほど、香りは落ちるが苦味が抑えられ、甘味と調和し飲みやすい。これなら美味しい。

 それを伝えるとアータイルがにこやかに微笑む。今度買ってみようかな、と思ったところでお金がない事を思い出し、仕事の話をしに来た事を思い出す。話の進行は基本、店主である姉の役目だ。姉の脇をつつくと姉も思い出したようだ。

「それで…お手紙にはご相談ごとがあると書かれていましたが」

「はい、お尋ねしたいことがありまして」

 アータイルもカップをテーブルに戻し私達を真っ直ぐに見据える。

「ご相談したいのは…ある病を治す薬を作る事はできないか、という事なんです」

「病に効く薬…ですか?」思わず聞き返す姉にアータイルがうなづく。

 私にも意外だった。医師が他人に――それも胡散臭い薬屋を名乗る二人に――本来自分が提供するべき薬を求めるのか。この事が露呈すれば医師としての信用は地に堕ちることだって有り得るだろう。口外無用で、などの前置きがあればまだわかるがそれもない。

「確かに、私達は薬を提供していますが…」

 私に目を向ける姉を継いで私が言う。「ん、先生は医師でしょう?病を治すのが、あなたの仕事なんじゃ?」

 率直に聞き辛そうなところは少々無礼でも私が突っ込んで聞いてしまうのが役割だ。いかんせん見た目が子供に見えるから、多少の失礼は大目に見て、という事だ。子供扱いされるのはもちろん心外だが使えるものは使う方がよい。ティエリア、と姉がたしなめるが、もちろん演技だ。

「まったく。おっしゃる通りですね」アータイルは苦笑いを浮かべ、すぐ真面目な顔に戻る。

「その通りではあるのですが…医師は万能ではない。病はなんでも治せるわけではありません。今ある数々の治療法も薬も、多くの先達の試行錯誤によって発見されてきたものですし、世の中には多様な病があります。ご相談したいのは、治療法の確立されていない病なのです。私も医師になってからその病について調べ、治療法を模索してきました。しかし未だに有効な手段は見つからないでいます」

「…研究はなさってきている。その上でなお、私達にそういったご相談をされるということは」

 研究をしているならそのまま続ければよい。なのに私達に頼ろうとする理由。思いつくものはそう多くは思いつかない。

「はい、お察しの通りと思います。今、その病に苦しむ患者がいます。そして…」

 わずかな、間。

「もう長くはないでしょう」

 予想した通りだ。私達を頼ってまで前倒しで薬が欲しいというのはそういうことだ。

「今日、偶然にあなた方の広告を目にしまして、魔法薬というものがある事を知りました。もしかしたら治療できる薬があるかもしれない、そうでないとしても私の知らない薬の製法があれば、新たな薬のヒントになるのではないかと思い、ご相談させていただこうと思ったのです。よもや、即日お越しいただけるとは思っていませんでしたが」

「ご迷惑だったでしょうか?」

「いいえ、むしろ助かります。悠長に待てる状況でもありませんから」

「…それほどにお悪いのですか」

「見立てでは一月…ないしは二月程度の間ではないかと…」

「なるほど…」

 コーヒーを一口含み、間を空けてからマリアベルが魔法薬について説明を始める。

「確かに、私達は魔法薬と呼ばれるものを作っています。それは医師の作る薬とは全く違うものであることも間違いありません。魔法薬とは、過去に「魔法使い」と呼ばれた者達が自分達のために作り出したものです。奇怪な効果を発揮するものも多い。私達が研究しお分けしているものはその中でも、人にも効果があるものになります」

 アータイルは黙って真面目に聞いていた。普通ならばばかげたことを、と一笑に付されるような話。それでもなにか得られるものはないかと一字一句、漏らさずに聞いている。

「魔法薬の中にも傷病を治すための薬、と伝えられてるものはあるにはあります。ですが、それら全てが、人とって期待するような効果はありません。あくまで魔法使い用のものです。魔法使いという存在は、我々と姿こそ似ていても人ではない。身体の構造が根本的に異なる、別の生物なのです。人の傷病を治す術は、人の医術にとても及ぶところではありません」

 答えを聞いたアータイルは特にショックを受けた様子もなく、そうですか、とうなづく。それはそうだろう、当然期待はしていないのだろうから。アータイルが知りたいことはもう一つの事柄についてだろう。

「わかりました。ありがとうございます。では、なにか薬の作り方をご教授願えないでしょうか?もちろん他には漏らしません。教えていただければそれをヒントに、なにか新しい薬が思いつくかもしれません」

 だが、姉はかぶりを振る。

「私も少ないながら人向けの医薬の知識があります。それら医薬に比べ、魔法薬の原料はどれも人体に良くないものが多いのです。魔法薬を人に使うのは、良くない副作用と引き換えに通常の薬では得られない特殊な効果を得るためのものとお考えください。そこからはとても治療薬に結び付ける事はできないでしょう。それになによりも、製法を伝える事は如何なる理由があっても許されてはいないのです」

「なるほど、製法が伝えられないのはわかりました。私としても、薬そのものの製法を知りたいわけではありません。医薬の知識がおありということであれば、人の作る薬にはない手法など、そういうものがあれば、お教えいただくことはできませんか?」

 そこまで無下に断ることはできなかったのか、口元を押さえてそうですね、と考え込む素振りを見せる。

「私の医薬の知識は十分とは言えませんので、どれが独自のものかまでは判断しかねますね…。私の知る、医薬を含めた薬の製造手法を言っていきます。先生で知らないものがあれば教えてください。それで良いでしょうか?」

 うなづくアータイルに、マリアベルが手法をいくつか挙げていく。時折アータイルから確認が入る。しかし、姉が以上になります、と言った時点でアータイルの知らない手法はなかった。当然だった。マリアベルは人が使っている手法だけを、時折名前を変えて挙げているに過ぎないのだから。

 魔法使いの製薬手法は、魔力を要するものについては教える意味がないし、人の知らない手法もあるにはあるが、それを教えることは掟に反する。人が自身で編み出さなくてはならない。

 自らの望む答えが返ってこなかったアータイルはしばし瞑目する。

「申し訳ありません…」

「いえ、あなたが気に病むような事はありません」

 仕方がなかった。事実、魔法薬というものはマリアベルの言った通りの代物だ。私達魔法使いのためのものであり、人間にとって単純に有用な薬として作用するものなど皆無だ。毒として作用するものならいくらでもあるのだが。

 そんな薬で薬屋など正気の沙汰ではないが、もとより私達は薬自体を商売道具にするつもりなどさらさらないし、奇妙な効果がたまたま役に立ちそうとなれば使うことも考える。ただ少なくとも、アータイルが期待するような用途には使えない。

 残念ながら彼の依頼はここまでだろう。医師が万能でないように魔法使いも決して万能ではない。人間を治癒させることは魔法使いにとって特に鬼門なのだ。魔法使いは人間を知らなさ過ぎる。

 魔法は対象の事を深く知らなければならない。しかし魔法使いが人間との関わりを捨ててきた結果、人間に関する知識がほとんど蓄積されていない、どころかわずかにでも蓄積されていたものが喪われたのだ。

 今現在では、魔法によって擦り傷一つ治す事もできないというのが現実だ。半年くらい身体構造を研究すれば傷を治す事くらいはできるようになるだろうが、病ともなると格段に求められる知識が増える。病が何を原因に、人の何に作用し、どんな影響を及ぼした結果、病として発症するのか。そこまで解明できないと治しようがない。そして、それを解明する時間はない。お手上げだった。

 諦めるのは別にして、私には気になる事があった。

「一つ聞いてもいいかな。相談とは関係ないことなんだけど」

「はい、なんでしょうか」

「こう言ったらなんだけど…私達はどう考えても怪しい薬屋だよ。薬屋かどうかすらも疑わしいくらいにね。先生がその病の人を助けたいというのはわかる。医師だからね。でもだからって私達を頼るなんて普通なら考えられない。患者さんが長くないとしても。それなのに、そこまでするのは、なにか理由が?」

 それは、とアータイルが口籠る。

「気になっただけだから言いたくなければいいよ」

「いえ、そういうわけでは。患者は…幼馴染なのです。小さい頃はずっと一緒にいました。昔からその病を患っていて体が弱かったのです。私が医師になろうと思ったのも、その病を治してみせると約束したのがきっかけです。そして私は医師になり、その病の治療法を探し続けました。しかし…駄目でした。終わりが近づく中、私にはもう、できることが見当たらなかったのです」

「なるほど。駄目で元々、もしかしたら、という事だね」

「申し訳ありません…気分を害されたらと思って」

「気になさらないでください。私達はそう思われるくらいでいいと思っていますから」

 頭を下げるアータイルをマリアベルが慌ててフォローする。私もその点について責めるつもりはない。姉の言う通り、その程度に思われるくらいでいいのだから。

 聞きたい事は全て聞いた。残念ながら、これ以上私達が役に立てることはない。話を切り上げることにし、私と姉は席を立つことにした。アータイルは玄関の外まで見送りに立ってくれた。

「お役に立てず申し訳ありません」戸口で、姉が改めて頭を下げる。

「いえ、こちらこそわざわざ来ていただいてありがとうございます。…それに、話を聞いていただいて少し楽になりました。立場上、弱気な素振りを患者に見せることはできませんから」

 そういってアータイルは微笑んだ。寂しい笑顔だな、と思った。長いにせよ短いにせよ、人生を賭けてきた想いが実を結ぶ事なく潰えてしまう。仕方がない。願いなんてそんなものだ。大なり小なり、人は願いを持つ。それでも必ずしも叶えられるわけではない。だからこそ、願いは願いなのだ。

 それでは、と頭を下げて診療所を後にする。私も姉も言葉なく通りを歩く。こういった展開になるのは今までも何度かあった。なにもできないとわかっていても、やはり気持ちの良いものではない。

 ふと、姉がこっち、と横道を指差す。東門に向かう道ではない。確かに姉がいるのなら帰りは裏路地に入って転移する方がよっぽど早い。ついていくと、姉が口を開いた。

「どう思う?」

 転移するのかと思っていた私は、姉の一言に怪訝な顔をする。

「どう思う?どうもこうもないでしょう。何をどうするっていうの。どうしようもないでしょう」

「私は、助けたいと思うな」姉の言葉に答える代わりにあからさまに呆れ顔をしてみせる。

 ばかな事を。私達がアータイルにしてあげられることなんて何もない。魔法でどうしようもない私達がどうするというのだ。一緒になって治療法の模索でもするというのか。それ自体は決して見込みの無い話ではないだろう。上手くすれば薬を開発出来るかもしれない。もしかしたら魔法でその病を治療できるようになるかもしれない。その頃にはアータイルの患者はもうこの世にいないだろうが。

「もちろん、私には無理よ。でもあんたなら手はあるでしょう?」

 その一言に今度は嫌そうな顔を見せる。

 姉が使う、魔法らしいといえる魔法が「現象術」。物事の仕組みや現象を理解し魔力を使いそれらを操作することで別の現象を引き起こす魔法。

 もう一つが「交魔術」。この世界と、隔絶された異世界とを繋ぎ、その世界の住人の奇跡にも似た力を借りるための魔法。それが私の使う魔法だ。

 過去に魔法使いが異世界を探訪し、力を持つ者と呼び出す契約を交わしたことで行う事ができる、交魔術。契約をすると、契約相手は全ての魔法使いから保護される。具体的には、その世界を行き来する「鍵」が組織に管理されるようになり、魔法使いは自由に行き来ができなくなる。魔法使いが自分勝手に相手を殺害するなど、魔法使いの財産となる「契約」を損なわないようにするためだ。

 そして契約者は契約魔術の力により、実体は元の世界に残したまま、こちらの世界に現出する現し身を通して力を行使できるようになる。また、呼び出される側は自分の好きなタイミングで呼び出しに応じる事ができる。異世界とこの世界の時間の関連はないから、こちらとしてはいつでも呼び出せるのに等しい。

 これらの「契約」により、契約者は好きな時に、安全に力を振るい対価を得ることができる。そして魔法使いは自分の力以上の力を振るう事ができる事になる。

「いやだよ」私ははっきりと拒絶する。

「どうして?」

「確実じゃない」

 交魔術の難点は、契約の内容に差がある事。ある特定の物を渡す代わりに力を貸してくれる契約もあれば、魔法使い一人につき一回まで、というものあり多様だ。都度、報酬を交渉する相手もいる。交渉が上手くいかなければ当然力は貸してくれない。この件で呼び出す事になるであろう癒しの力を持つ者は、都度交渉するタイプだ。そして、そのタイプで最悪の部類。

「そうかもしれないけど、交渉が失敗しても失うものはない。試す価値はある、そうでしょう?それに、依頼を果たすことは私達にとっても大切な事じゃない」

「交渉相手が誰になるか、わかってて言ってるの?」明らかな嫌悪の表情を向ける私の確認にマリアベルはうなづく。解っているとは思えない。解っていたら、そもそもそんな提案など有り得ない交渉相手だ。

 結局、マリアベルはアータイルの手助けをしたいのだろう。姉は言ってしまえばお人好しだ。両親の教育の成果と言えばそうだが、普通の人間以上に優しい。困っている人を放っておけない。今までもそれが幾度となくトラブルの元にもなっている。こういう時はおよそ何を言っても無駄だった。私は大きくため息をついてみせる。

「駄目で元々…そんな考えの時点で駄目過ぎな相手なんだけどね?…いいよ、わかった。ただし、私はどうなっても知らないから」

 渋々の承諾に姉は表情を輝かせる。

「決まりね。じゃあ、私は先生に話してくるわね」

 言うなり、来た道を引き返していく。確かに私の魔法は失敗したところで失うものもない。それは間違いない。同様に間違いなく、アータイルにとっての希望にはなる。それがどんなに薄い光でも、失意の底で見えた希望は輝いてみえることだろう。

 …だが、それすら掴めなかったらどうなる?その時、人はどれほど深くまで沈んでいくのだろう。だから私はそれを提示しなかった。知らないことに絶望することはないから。姉はそれを考えているのだろうか。

 道を駆けて戻って行く姉の後ろ姿からはとてもそういう事を考えているようには見えず、私は一人、もう一度大きくため息をついた。

 姉の後ろ姿が見えなくなってから、私は歩いて家に帰らねばならない事に気付く。マリアベルとアータイルの話が終わるよりは一人で帰る方が早いだろう。夜なのだから歩かずとも人気がないところから直接飛んで街を出ればいい。

 元の予定通り、メインストリートに出て、街の北端に向かう。中央から街の外周までを貫く通りは賑やかだ。まだ日が暮れて早い時間なのもあって、人が多い。

 食堂のテラス席では仕事を終えた職人風の男達数人が陶製のジョッキを片手に会話を弾ませている。奥のカウンターでは若い男が二人、ウイスキーらしき液体の入ったグラスを片手に深刻そうに話しをしている姿が見えた。仕事帰りに通りを歩く人。店で食事を楽しむ人。自宅のバルコニーからエールの瓶を片手に通りを見下ろす人。

 あの人達にはどんな願いがあるのだろう。幸福に満ちた未来だろうか。あるいは絶望から抜け出す光だろうか。自分の未来に描く大きな夢?それとも叶わずとも構わない控えめな希望?あの人達のどれ程が願いを叶えることができるのだろうか。どのような願いでも、それを叶えられる人間は多くない。願いに届かず、絶望し、死を選ぶ者すらいる。それを笑うことはできない。願いに自身の全てを賭ける者は少なくない。もしそうだとするなら…。

 と、右肩に衝撃を感じる。他の通行人にぶつかってしまった。注意が散漫になっていたこちらのせいだろう。すみません、と軽く頭を下げる。気にするな、と言うように手を挙げて返してくれた。

 通りを抜けて来た時のような暗い裏路地を通る。城壁を飛び越えて森の上を行く。空を見上げると、半分以上の姿をあらわにした月が暗い星の海に小さく浮かんでいた。


 魔法薬店の二人が帰った後、アータイルは今日一日の診察内容に改めて目を通していた。いつもなら一通り終わっている時間だが、あの二人を出迎えていたのでまだ始めたばかりだ。ふと、目を通していたカルテを机に置き、椅子に背を預けて先程の話を思い出す。

 得るものはなかったが仕方ない。彼女らの言ったとおり、駄目で元々の話だったのだから。魔法の薬などと書かれていて信じる方がどうかしている。彼女らの語った魔法使いの話は嘘のようには思えなかったが、そういった薬がそのような伝承の元で受け継がれている、というのはあり得る話だし、目新しいものの多いレインサイニスでは多少なりとも誇張が含まれる広告はよくある。

 魔法使い、か。

 そのような者達が存在していたら、彼女の病も杖の一振りで治ってしまうのだろうか。病に苦しむ者も、貧困に喘ぐ者も救うことができるような、御伽噺の存在。

 それ程の力を持つものがいるのだとしたら、世界は今とは違う世界になっているだろう。魔法使いが人を支配する世界になるのだろうか。それでも、強力な存在が保護してくれるのであれば、従う人間は出るだろう。だが今はそのような話は聞かない。今は世界の多くの国で人間が隆盛を誇っているのが現実だ。

 そういえば歴史的には「魔法使い狩り」というのが大昔にあったのだったか。魔法を使う者を悪魔の手先として断罪したのだとか。だが、真に救いを求める者は救ってくれるなら神でも悪魔でも構わない。そんな事を気にしている場合ではないのだから、と考えるのは自分が信仰を持たないからだろうか。だが、よく聞く魂と引き換えならば…と、そこで考えるのをやめる。

 ばかばかしい、ただの妄想だ。考える価値もない。意識して息をついて雑念を払い、再度カルテを手に取る。空いている手でコーヒーカップを取ろうとして用意していないことに気づく。普段この作業を行う時はコーヒーを飲みながら行うのが習慣だった。

 そういえば来客のカップも置いたままだ。放って置くとカップに染みがついてしまうこともあるそうだから、洗っておかねば。応接室に向かう。来客用のものはそれなりに良いものを用意しているので不注意で買い替えるのは本意ではない。来客分のカップ2脚を片づけ、自分のを淹れ直すか考える。コーヒーはすっかり冷めてしまっている。もっとも、カルテを見てる間に冷めきってしまうことはいつもの事だ。ポットに残っていた分のコーヒーを自分のカップに追加で注ぎ、机に戻る。

 と、玄関のノッカーが鳴るのが聞こえた。部屋にある時計を見る。20時前。診療時間はとうに過ぎているが、急患だろうか。

 医師は時間外の診察をまったく受け付けない事の方が多い。しかし、薬の調査などで長く留守にする事もたびたびあるので、アータイルはそうではない時は可能な限り応対するようにしていた。この街で信用を失った医師は生き残ることはできない。

 ドアの小窓を開けて外を見ると、そこには先程知った顔が見えた。

 ラスニール魔法薬店店主、マリアベル・ラスニール。小窓越しに、マリアベルは軽く頭を下げる。

「どうなさいました?」

 改めてドアを開け、再訪の理由を尋ねる。もう少しだけお聞きしたい事がありまして、とマリアベルは言った。一体なんだろうか。再度招き入れようとすると、マリアベルはここで結構です、と断った。そして、先生の願いはなんですか?と問う。

「願い、ですか?」

 はい、とマリアベルはうなづく。脈絡のない質問に、アータイルは質問の意図を図りかねる。

「すみません、どういうことでしょうか?」

「唐突な質問でごめんなさい。でも、大事なことなので教えていただけますか?もし、願いが叶うとしたら、先生が叶えたいと思う願いです」

 曖昧な返答にアータイルはやや躊躇う。が、別段隠すようなことでもないし、答えは彼女もおそらく予想している。確認に聞いているようなものだろう。

「病の治療法を見つけて…件の患者を助けたい、それが私の願いです」

 その可能性はもはやないに等しい。それでも…願いはそれだった。

「治療法を見つけること?それとも、その患者さんを助けること?」

 マリアベルが首を傾げ、再度問う。

 どちらか?確かに、結果は同じだが意味は違う。自分が望むのは…。

「治療法を見つけることです、と答えるべきなのでしょうね、医師としては」

 助けたい。その為に医師になったのだ。医師にあるまじき、と誹られようとも。それがアータイルの本音だった。それを察したのか、彼女は否定する事なく、小さく、柔らかくうなづく。

「これまでに病の治療法を見つけてきた先達にだって、少なからず先生と同じ気持ちの人だっていたでしょう。助けたい人のために尽くす、その相手が公私のどちらであろうとも、その意志自体が尊いものだと思います」

 そして彼女は言った。

「先生がその願いを叶えたいというのならば…お手伝いできることがあります」

「!?それは、いったい?」

 思わぬ言葉に、アータイルは思わず身を乗り出す。今は手がかり一つでも欲しい状況だ。だが、マリアベルはアータイルを手で制す。

「その前に、ひとつ約束していただきたいのです。私達に関わる全ての事を、如何なる相手にも漏らさないと。これだけは必ず守っていただかなくてはなりません」

 それは容易い事だ。口は固い方だし、それで治療への手掛かりが得られるなら断るべくもない。だが、信用していいのだろうか?

 当初は何か騙されるかも、という警戒はあった。なにしろマリアベルらが自身で語った通り、胡散臭い内容ではあったから。少なくとも、先ほどのやり取りではそういった素振りは見られなかった。だが、一旦断ってから改めて…という手口の可能性も考えられなくはない。

 だがそれを疑ってはキリがない。そういうことも有り得ると覚悟を決めた上で手紙を出したのだから。騙されるのだとしても、おかしいと感じて回避するタイミングは他にもあるだろう。

 なによりも、彼女は手伝える事があると言った。それは、患者を助ける道が残っているかもしれないということだ。今のアータイルには、少しでも希望が必要だった。

「わかりました、お約束します」アータイルの答えに、マリアベルはうなづく。「では、最後の質問」

「…先生は魔法使いが本当にいたと思いますか?」

「魔法使い、ですか。ええと、そうですね」

 答えに窮する。正直なところ、そんなものがいたとは思っていない。しかし目の前の彼女はその「魔法使いの薬」を商いにしているものだ。正直に答えるのはややはばかられる。マリアベルも答えにくい質問である事を承知しているのだろう。

「魔法薬を扱っているという私には、いないとは言いづらいですよね」そう笑って、両手を差し出す。「先生、手を」

 差し出したアータイルの手をマリアベルが握る。

「魔法薬は、先ほどお伝えした通りのものです。とても先生の役に立つものではない。でも――」

 マリアベルが詠い始める。詩のような、歌のような。耳にしたことのない言葉を。アータイルは突如、視界が暗くなるのを感じた。暗いが、目の前にマリアベルがいるのが見えた。その足元には円状に並んだ星達があった。

「こ、これは…?」

 何が起こったのかわからず、マリアベルを見る。

「手を離さないでくださいね。診療所の屋根に穴が開いてしまいます」

 マリアベルの言葉に、改めて足元を見る。それらは星ではなかった。以前、他国を訪れた時に見たことがある。夜、山の上からみた、遠くの街並みの明かり。それに似たものが今、足の下にある。「…レインサイニス、なのですか」

 マリアベルは答えず、続ける。

「魔法と言われた技と、それらを扱う魔法使いと呼ばれたもの達は遠い昔、人々の前から姿を消しました。でも、失われた訳ではない。居なくなってはない。今も隠れて存在し続けている。これが、その証明」

「あなたは…」

 唖然と自分を見つめるアータイルに、マリアベルは言った。

「先生の願いを叶える為に、私達がお手伝いします。魔法薬屋ではなく、魔法使いとして」


 アータイルと話をしてから三日後、昼前のレインサイニス。私とマリアベルはアータイルの診療所に向かっていた。今日は件の患者の往診をするアータイルに同行するためだ。

 昼の市場通りは貿易都市のメインストリートの一本らしく、多くの人、馬車で賑わっている。行き交う人種も様々だ。珍しい人種もたまに見かける事もある。もっとも、その最たるは自分達なのだが。いや、人間ではないから「珍しい種族」だろうか。もっとも外見では判らないのだが。

 通りの喧騒に反して、私の気は重い。困難な交魔をしなければならないというのもあるにはあるが、それは今気にしても仕方がない。それよりも現在進行形で気分を落とすことがある。私はああぁあ…、と小さく呪詛の声を放つ。それをマリアベルが聞きつける。「もういい加減諦めなさいよ。そこまで素っ頓狂な格好してるわけじゃないし、いいじゃない友達に見られるくらい」

「私にとっては十分素っ頓狂だよ。いや十二分に素っ頓狂。スカートはまだいい、我慢する。けど、なんなのこれ。せめてお姉ちゃんくらいのシンプルにはできなかったの?」

 普段の私は装飾等がほとんどないシンプルで動きやすい服装――動きやすい方がいいだけで動きたいわけではない――が基本なのだが、今日はマリアベルの用意した服を一式着ている。赤と黒のチェック柄スカートに白のブラウス。それだけだったなら何も問題はなかった。だが姉の持ってきた衣装はブラウスもスカートもやけにリボンやフリルがついていおり、胸のリボンに至っては着けている人を見たことがない程にでかい。要は、不要な装飾でゴテゴテと飾られている。

 アータイルから服装の指定があったらしく、いつもの格好ではちょっと、というのでマリアベルが用意した服なのだが…この余計な装飾は間違いなくアータイルの注文外のものだろう。小さな子供がこの格好をしていたら可愛いと思われるところだが、十三にもなってこの格好はない。いや、同年齢の知り合いにも近しい格好をする子はいるにはいる。だが、似合っていればいいのだ。人には分相応な格好がある。私にこれは似合わない。これでも飾りは小さく作り直させたのだが、こんな姿をミリアムにでも見られたら間違いなく指差して笑われる。

「大丈夫、あんたが思ってるより可愛いわよ。普段からそんな感じの方が愛嬌があっていいかもね」

「はぁ?いつも通りでも愛嬌あるでしょうが」

 私の反論に、え、と意外なことを聞いた、みたいな表情を浮かべる姉。

「…本気で言ってるなら、今度一日の様子を記録しておいてあげる。自分の振り見てなんとやらね」

「じゃあ私は自分はマトモだと思っているであろうお姉ちゃんの記録を残してあげるよ。後から見たらきっと赤面モノだよ」

「なによそれ、私が気づかずに恥ずかしい行動を取ってるって言いたいの?」

「そうだよ。そのセリフが気づいてない証拠じゃない。先日の失敗なんて、まさにそれでしょうが」

 あの日、アータイルの診療所に行く前にマリアベルが行っていた実験は、時間を空け過ぎて失敗に終わった。準備が面倒な実験だったらしく本人は落ち込んでいたが、そんな実験の最中に片手間で依頼を聞きに行くのが間違っている。間抜けである。

「いやあれは…まぁ…」そんなどうでもよい会話をしている間に診療所に着いた。入り口のドアを開け中に入る。静かだった。午前の診察時間は終わっているからだろう、患者の姿は見えない。

「先生、いらっしゃいますか?」

 返事がない。再度呼びかけると奥の方から返事がかすかに聞こえた。すぐにアータイルが顔を出す。

「午前診療は終わりましたが、急患――あ、いや、お待ちしておりました」

 私達を見て、なぜか意外そうな顔をする。私達が訪ねてくるのはあらかじめ伝えてあるのだが、なにを驚いているのだろう。

「すみません、あまりに普通に来られたものですから、逆に驚いてしまって」

 普通に来る以外にどんな選択があるというのか。首を傾げ、思い至る。

「あぁ、いきなり部屋の中に現れるとか思ってた、とか?」

「はぁ、まぁ、そのようなところです」

 そう言って頭を掻くアータイルにできなくはないですが、とマリアベルが笑う。

「万が一、他の人に見られたらというのがありますし…なにより、単純に失礼ですからね。理由がない限りやりません」

「言われてみれば…とても失礼ですね。逆に私の方が失礼な反応をしてしまいました。申し訳ありません。すぐに往診の準備をしますので少しだけお待ち下さい」

 アータイルは再び部屋に引っ込む。

「そんなに派手な事したの?」そういえば魔法使いと伝える際に何をやったのか聞いていなかった。

「いや…ちょっと転移してみただけなんだけど」

「どこに」マリアベルが上を指差す。

「あっぶな。びっくりして手を離したらどうするつもりだったの」

「それで手を離されたって地上まで落っことしたりしないわよ。そうなっても対処できるからやってるのだし」

「そりゃそうか」

 空を飛ぶ事ができない人間にとってはそれだけで大事だろう。科学技術の道を開き始めた人間達もそのうち自分達で空を飛ぶ手段を得るだろう。それがいつになるかはわからないが、案外遠くない未来かもしれない。

 私達にとっては飛行はもちろんのこと、転移も大した事ではない。もちろん私自身は転移もできないが、短い距離であれば大したものではないのは知っている。距離が伸びる程難しく、失敗しやすくなる。

 魔法を行使するということは解り易く例えると、制限時間付きで編み物をすることに似ている。ただの糸のような魔力を、一定時間内に意味のある形に編み上げると効果が得られる。また、行使者の魔力が大きいほど制限時間が長くなる。編み上げるのが早いほど、短時間で効果を発動させられる、精緻に編み上げるほど、高い効果を得られる、複雑に編み上げると複雑な効果を得られる、ということになる。

 魔法を行使する上での魔法使いの能力の差は、魔力の大きさ、魔力構成の精密さ、魔力構成の速さの三点。人によって得意な魔法があるが、これも人によって編みやすい形、そうでない形があることによる。技術である分、得手、不得手があるということだ。

 実は、私が現象術を、マリアベルが交魔術が使えない理由もここにかかってくる。通常であれば編みにくい、で済むところが、編むことすらできない。使えない種類の形に作り上げようとすると、編むべきところがどうしても編めない。作り方は知っている。なのにその通りに作ろうとしても、編んだ目がなぜかほどけてしまう。どうしてそうなるのかは解っていないが、これでは編み物をする以前の問題だ。あくまでも例であって、下手過ぎるからできない、というわけではない。

 と、アータイルがやけに多い荷物を抱えて部屋から出てきた。

「お待たせしました」

「いえ。そういえば、言われたような服装をしてきましたけど、これで問題ないですか?」

 アータイルは私達の格好を一通り見て、ええ、問題ないですね。とうなづく。

「えぇ…私はこれで本当に問題ないの…?」改めて依頼した本人に問い正す。アータイルは首を傾げて再度私の服装を確認する。

「ティエリアさんくらいの方の服装には疎いので、細かいところまではなんともいえませんが…、ひとまずフォーマルな服装に準拠しているので問題ないと思います」

 そういう観点だったのか…。確かにそれだと私の普段の装いはNGだろう。だが、やはり装飾は不要だ。姉を睨むと視線を逸らした。「外して」

「ここで外したらゴミになるでしょ。家に帰るまで待って」

「家に帰ったらもう意味ないでしょうが」

 しつこく詰める私にマリアベルがわかったわかった、と折れた。「もう、せっかくつけたのに」

「付けなくていいものを付けるからだよ」

 軽く詠唱し指を軽く回す。フリルやリボンを服に繋ぎ止めていた糸が切れ、するりと抜ける。意図と飾り類は床には落ちず、マリアベルの掌に収まる。

「先生、すみませんが灰を捨てていいところはありますか?」

 突然の魔法の披露に目を丸くしていたアータイルが、我に返る。「えっ、あ、はい、こちらの暖炉の中なら構いません」

「ありがとうございます」暖炉に外された飾り布を持った腕を差し込み、再度軽い詠唱。飾り布が一瞬青い火球に包まれ、灰となり暖炉に落ちる。

「あーあもったいない。すみません、ティエリアのわがままでお待たせしてしまって」

 いや、どちらかと言えばマリアベルのわがままのせいではないか。

「いいえ…。本当に、魔法なんですね…」再び目を丸くしながら、アータイル。

「魔法のようには見えるかもしれないけど、人語での適切な表現がないから「魔法」と言っているだけで魔法ではないし、私達も魔法使いではないんだよね。正確には別の名前があるんだ」

「正式な名前はなんというのですか?」

「魔法は―――。魔法使いは――――」

「??」

 私が何か言ったのか判らず…というより、聞こえてすらいないだろう。首を傾げるアータイル。

「聞き取れなかっただろうけど。そういう名前。まぁ、詳しくは道すがら」

 そうでしたね、と本来の話を始めるアータイル。

「では、これとこれを」

 マリアベルに大きめのかばんと、白衣を渡す。

「かばんは以前私が使っていたものです。持っていくものがあればこれに入れてください。ティエリアさんもこれを」

 アータイルから白衣を受け取る。なるほど、普段の格好に白衣は合わないから服装指定されたのか。着てみると、袖は若干長いがサイズはそんなにおかしくはない。

「先方には知り合いの医師と助手を連れていくと伝えてありますので、その格好なら大丈夫でしょう」

 大人が着る白衣としては明らかに小さいので、おそらく今日のために用意してくれたのだろう。汚れてはまずいので着るのはあちらについてから、という話だったので、マリアベルの白衣と一緒にかばんに詰める。それ以外にも、自分達で持ってきた荷物を移し替える。

 患者の家は中心に近い高級住宅街の一角にあるそうで、ただアータイルの往診についていっても入れてもらえない可能性が高い。この三日間の間、私は学校があったので特に準備はしていなかったが、マリアベルはアータイルと往診を行うための手順を打ち合わせていた。

「それでは行きましょう」

 診療所を出て、アータイルが玄関に鍵をかけ「往診中」の札をかける。

 街中をアータイルを先頭に、私、マリアベルが後ろを並んで歩く。後ろからアータイルの表情を観察する。

 先日会った時に比べて、アータイルの表情は明るくなっているように感じる。過度に期待させないように、とマリアベルに言ってはおいたのが、やはり少なからず期待が見て取れる。反対に私の気分は重くなる。

 往診の時間までまだ若干ある、という事で途中にあった喫茶店のテラス席で軽く食事をとることにした。午前の仕事から食事をする間もないアータイルは紅茶とサンドウィッチを注文する。私達も同じものを注文する。食べる必要はないのだがアータイルに気を使わせるのも悪い。ただ、金銭の余裕はないのでサンドウィッチは二人で一皿だ。これで私の小遣いも空っぽになってしまった。何か小銭を稼ぐ手段を考えなければ、友達付き合いもできなくなってしまう。

 食事を終え、一息ついている間にマリアベルが改めて今日行う事を説明する。人が多いので、普通に会話していれば話題に気を留める者もいない。

「先にお話しさせていただいた通り、私達の「魔法」は御伽噺のように万能なわけではありません。特に人間の怪我、病の治療については魔法薬と同じように絶望的とも言えます。それでも、手がないわけではありません」

「と、言いますと」

「そうですね、どこから説明したものか……先生は今まで色々な国に行かれたのですよね?」

「はい、そうですね」

「世界には色々なところがありますが、原則的にこのレインサイニスと同じ世界ですよね」

「…それは、もちろん」

「まず、世界というものは今私達や先生が認識しているこの世界だけではありません。単純な距離ではない、様々な壁によってこの世界と隔てられた世界が存在します。それはすぐ隣に存在し、誰かに見られることを考慮しなければ、この場でその入り口を開くこともできます。繋がる先は、大地の存在しない世界、どこまで行っても水で満たされた世界、我々のような生物がまったくおらず機械だけがいる世界――あぁ、蒸気機関で動く人型の機械が人として生活してるようなイメージです。その他にも様々、幾つ存在するのか判らない程の世界。そういった、この世界の常識では理解できない世界はいくつも存在します。私達にはそういった世界を見つけ、行き来することができます。そして、そんな世界には私達も及ばない力、知恵を持つものもいる。そういったもの達の中には、魔法使いと契約するものがあります」

 ややアータイルの動きが固まる。内容を飲み込むのに時間がかかっているのだろう。無理もない。あまりにも突拍子もない話だ。アータイルがうなづくまでじっくりと待ち、マリアベルが続ける。

「そのもの達の現し身を呼び出し、力を貸してもらうための契約です。そして、その契約を交わしている者の中に、生物の怪我、病を治す力を持つものがいます。今回はそのものの力を借りるつもりです」

「……なるほど、そのものであれば、病を治すことができるということですか」

「そう、そのものはあらゆる生命についての膨大な知識と絶大な癒しの力を持ちます。人間の事を治した事はないでしょうが、おそらく大丈夫でしょう。ただ…」

「もしかしたら治せないかも、と?」顔を緊張させるアータイルに私が答える。

「可能性はゼロとは言い切れないけど…それについてはあまり心配はしてない。ほぼ確実に大丈夫。自分の知らない生物でもその生命の本質を見抜き、状態を判断し、治療できる。その能力を評価して契約しているから。問題は、私達がそいつと交わしている契約が、力を貸してくれる事を100%保証するものじゃないということ。呼び出しに応じる事だけで、力を貸してくれるかは別なの。呼び出したものと交渉をしなきゃならない。交渉がうまくいかなければ、もちろん治してはもらえない、ということ。だから、打つ手はあるにはある、けど私達も決して治る保証はできない、というわけ」

「どのような交渉になるのですか?」

「今までの記録からするとほぼ確実に、向こうの希望するものを対価として揃えろ、というものになるでしょうね」

「なるほど…。その要求が難題の場合も?」

「ある。というより、今回の交渉相手について言えば確実にそうなると予想できる。お姉ちゃんがどう言っているかしらないけど、今回の相手は成功の確率の方がずっと低い。正直私自身は、先生にとても薦められないと思っていた。だから、そのことは承知しておいてほしい」

「……わかりました」

 そう答えるアータイルには先ほどまでの期待の色は浮かんでいなかった。やはり姉はそこまでは説明していなかったのだろう。姉を睨むと困ったような、申し訳なさそうな表情を浮かべた。このお人好しめ。

 一応説明はしたし、アータイルも理解してくれた。だが、それが今更であることも想像に難くない。たとえこれで交渉がうまくいかなかったとしても、それによって失うものはない。私達はもちろん、アータイルも。状況は私達に会う前となにも変わらない。患者の結末もだ。

 ただ一つ、大きく変わってしまっているのは、アータイルにとっての「来たるべき時への覚悟」だ。

 長くて残り二月。それがアータイルの見立てだった。私達に会わなければ、それを察した時点から、少しずつ覚悟を固めていただろう。それを既に私達は洗い流してしまっていた。交渉がうまく行かなかった時、私達はこの責を、どうやって負えばいいのだろうか。この罪を、どう償えばいいのだろうか。


 アータイルが懐中時計を確認し、そろそろ向かいましょう、と言った。私達は席を立って再び歩き始める。

 少し歩くと、通りの先に街灯がしっかり整備された区画が見えた。この都市で財を成した商人達の邸宅が並ぶ、高級住宅街だ。街の中心部に近いこの辺りは街のどこに行くにも遠くなりすぎず、すぐそばに都市の施政庁舎があるので手続きに便利、庁舎への道も整備されており馬車も難なく通れる。メインストリートにも近いが何区画か離れているので街の喧騒もここまでは届かない。この街でまさに最良の立地条件を備えている。

「ここらに来ることはほぼないけれど、やっぱり大きい家ばかりですね」周りを見回しながらマリアべルが言う。確かに、用事がないので来ることがない。これまでの依頼でも、この辺りの住人の相談は受けたことはもちろんない。

 人の悩みは概ね金銭の有無で左右されるものが多い。人にはそんな悩みしかない、などとはもちろん言わないが、金銭に――何もしなくても生きていけるくらいの――余裕があれば他者に助けてほしい事など早々起こったりはしないだろう。魔法使いもそれと同じようなものだ。そしてこの辺りに暮らす者達は間違いなく、その余裕を持つ者達だ。そういった者達が他者に相談したいことと言えば、金銭で解決できないこと…たとえば病などだ。今、私達が請けている依頼のように。

「そうですね、市民の憧れの場所です」

「私は自分の家の方が開放感あっていいな。周りを石造りの家に囲まれてるのはなんか嫌」

 私の言葉にアータイルは否定するでもなく、ふむ、と答える。

「たしかに、人の多い街ですからね。この辺りも敷地は広いとはいえおのずと住宅の密度は高くなってしてしまいますから、開放感を好まれる方にはこの都市はあまり向きませんね。…そういえば、お二人はどこにお住まいなのですか?」

 そんな事には触れてもいなかった。とはいえ、そもそも私達のことを細かく説明しなければいけないような相手はお断りなのだ。

 アータイルのように、胡散臭いと思いつつ駄目で元々と手を出せる人か、そういう判断すらする余裕のない者達こそ私達が話をしたい相手だから、依頼を請ける前にこちらからは自分達のことを話すつもりがない。

 だが今回は依頼は既に請けてしまっている。別に場所を教える必要性はないが、かといって教えたところで問題があるわけでもない。以前は広告に載せていたし、それを見て訪れる者もいたのだ。

「北のハウダ森林の最奥…つまりは、ほぼ中央だよ」

 アータイルは驚きの表情を浮かべる。

「あんなに深い森の、ですか?…森の奥に住む魔法使い、という表現は聞きますが、人目を避けるのはやはり魔法を知られたくないからですか」

 私はパタパタと軽く手を振る。

「違う違う、別に街中に住んでいてもいいんだよ。別の都市にはそういう連中もいるし、中にはここらよりも大きい豪邸を…いやあれはもう宮殿…?を、持つ奴もいるよ。魔法は人前で使わなければいいだけだし、家の中にある物も、人が使うようなものとは全然違う実験道具とかはあるけど、それ以外は人の家とさほど変わらない。本当に見られたらまずいような代物は自分しか入れない場所を作って仕舞うからね。でもまぁ、全体からすると人気のない場所に住む魔法使いは多いかな」

「街中で暮らさない理由をあえてあげると…実験で酷い匂いが出ることもよくあって苦情が来るからとか、普通の場所に住むと税金がかかって面倒とか、ですかね。特に後者は、人間のお金は作ってはいけないので税金を払うとなると何かしら人として稼がなければならないので」

「理由としては、その、なんて言うか…ごく普通なんですね」

 思ってたよりずっと俗っぽい魔法使いの印象に苦笑するアータイル。魔法使いと聞けば幻想を抱く人間は多いが、現実はそんなものだ。掟がなければ、幻想通りに振る舞うこともできるのだが。

 なので、とマリアベル。「街中に魔法使いが潜んでいることもあります。私達もどちらかといえば街に出てる方ですし。もっとも、レインサイニスとその周辺は私達しか居ませんけど」

 魔法使いは概ね、家ごとに領分というものが決められている。レインサイニス周辺の地域は私達ラスニール家の領分…というとやや異なるのだが、私達の領分である事には変わりない。他家の領分に踏み込んだり、そこで魔法を使うにはその領分の魔法使いの許可がいる。無用な干渉や争いを避けるための措置だ。今の所、そういった届けは私達の所には来ておらず、私達二人以外に領分内に暮らす魔法使いもいないので、他の魔法使いはいないということだ。

 そもそもレインサイニスは人間には栄えた都市だが、都市自体が魔法使いにはあまり魅力的とは言えない。やはり森や山など自然の中の方が様々な材料を採集できる。実験器具なども自作できてしまうので、人のように都市に住むことによる利便性もない。

 なるほど、とアータイル。「しかし、聞いておいてなんですが、そんなところまで話してしまってよいのですか?」

「家の場所は以前に広告で出した事もありますし…それ以外の事も、私達の事は口外しないとお約束していただいてますし、別に構いませんよ」

「…興味本位で聞いても?」

「他人にバラしたらどうなるか、という意味であってますか?」

「はい」

 アータイルの性格的には他者に私達のことを話すようなことはないだろうが、釘を刺す為にも言っておいた方がいいかもしれない。姉もそう判断したのだろう。

「その時は冗談抜きで、永久に黙ってもらうしかないですね。話した相手も一緒に。死人に口無し、です。魔法使いは人の法に縛られないので、やむなし、となれば私達とて躊躇いません」

「なんと…。そこからさらに広がってしまっていたら?」

「可能な限りは自身で処理します。いくら処理してもキリがない場合は…そこまで行くと一人の魔法使いの手には負えませんから具体的にはどうなるかはわかりません。そもそも話した私達は間違いなく拘束、処罰されますね。魔法使いにもそういう組織はありますから。広まった話は…天災でも起こして忘れてもらうんじゃないでしょうか」

「天災?」

「大嵐、大火、大地震、隕石などなど…。この街ひとつくらいなら全滅させちゃうんじゃないかな。実際にやった例は聞かないけれど」

「…存在の秘密を守るためだけに、この規模の都市すらも?」

 レインサイニスの人口はおよそ3万。レインサイニスは城壁内のみ、城壁外は帝国領なので数値には含まれない。それでも、必要とあれば関係もない3万人を殲滅する、というのは、普通に考えれば信じ難い事だろう。

「するだろうね。本来、魔法使いなんてそんな酷薄な連中だよ。私達が極めて特殊な方で、人に共感なんて持たないのが普通なの」

「それ程までに、姿を隠す理由が?」

「そういう決まり、と言ってしまえばそれまでだけれども。そうだなぁ…昔に「魔法使い狩り」があったのは知ってるよね」

 私が授業で聞いたくらいだからアータイルも知っているだろう。予想通り、うなづく。「歴史くらいには。悪魔的な力を行使する者を断罪するため、という話でしたか」

「今はそう言われてるけど、あれらの本当の意義はそういった宗教的、抽象的なものじゃなくってね。もっと現実的、実質的な魔法使いという脅威への対抗が発端だったんだ」

 知らない歴史の話に惹かれたのか、ほう、とアータイルが興味深そうに相づちを打つ。

「当時は魔法使いも姿を普通に見せていて、更には人間を実験台や研究対象にする魔法使いも多かった。元々、人間が人間を見るようには、魔法使いは人間を見ていなかったってことだね。で、魔法使い狩りが始まった。でも、掲げられた大義に実績はついてこなかったんだ」

「処刑された例はいくつもあったと聞きます。もちろんその中には冤罪もあった事も知っています。というより、私は全て冤罪だと思っていましたが…」

 うんうんとうなづく私。普通に考えればそうなるだろう。その考え方は正しい。

「でも、そう考える理由は「魔法使いなど存在しないから」という前提だからだよね?」

 あ、とアータイルが声を上げる。

「確かにそうですね、現実には魔法使いは存在する…。そのうえで魔法使い狩りが行われ…魔法使いはほとんど処刑されていないということなのですか」

「若干違う。ほとんどではなく、一人も」

「一人も、ですか。歴史になるほど大々的に行ったというのに?」

「そう。魔法使いを捕らえるなんて人間には無理なんだ。正面からなら、一国の軍隊相手でも一人で殲滅できてしまうような存在なんだよ、魔法使いって。そんな事をやる価値がないからやらないだけ。私は魔法使いとしては不良品だからできないけど、お姉ちゃんは多分できるよ」

 アータイルが本当ですか、というようにマリアベルを見る。マリアベルは両手を挙げ苦笑を返しただけだった。

 「魔力」を扱えない相手に対しての現象術はそれこそ御伽噺くらいに無敵だ。一瞬で唱えられる短い詠唱で張られる防御障壁は、人間の最新鋭の砲を持ってしてもつ破壊できない。というより魔力を介さない物理現象は全てシャットアウトされてしまう。

 つまり人間には、魔法使いが何もせず寝転がっていても、触ることすらできない。その時点で勝つことができないわけだ。後は魔法使いは適当な交魔術で手伝いを呼び出して相手を駆逐していくだけで済む。

 ここで交魔術が出てくるのは、魔法使いには「現象術は一度に一つしか使えない」という制限があるから。防御に現象術を回せば攻撃は交魔術に頼らざるを得ないのだ。

 そうなるとマリアベルには防御はできても攻撃ができないように思えるが、マリアベルは交魔術が使えない代わりに現象術を二つ同時に使えるという、他の魔法使いにはない特殊性を持っている。なので、できる。むしろ、交魔術ではなく現象術が使えるマリアベルの戦闘能力は、その面に限って言えば他の魔法使いより高いとも言える。

 ただ、魔法使い同士の戦闘は現象術の飛ばし合いになる。それは相手の障壁貫通を狙った上での攻撃になるので、2種同時に使えてもそこまで優位なわけではない。

「もしなにか奇跡が起こって、人が魔法使いを捕らえることができたとして…話にあるような裁判なんてしてる場合じゃない。すぐ殺さなきゃ確実に逃げられる。その後は酷い報復。逆に捕まった上に、簡単には殺してもらえないだろうね」

「なんと…。恐るべき存在なのですね…」恐ろしげに首を振るアータイルを見て、流石に煽りすぎたか、と反省する。実際、対応できない人間にとってはそういう存在だろう。だが恐れる存在であっても畏れるような存在ではない。

 こういうことをされたらこうして仕返ししたい、と人でも思うであろうことを、魔法使いは人に対して短絡的に実行できてしまうというだけで、自分がそのようにされた経緯に理解を示したりはしない。

「話逸れたね。で、大義を掲げて始めたはいいけど、成果のまったく上がらない活動を続ける為に宗教的な意味付けをしてみたり、活動の成果をなにがなんでも上げるために冤罪で魔法使いをでっち上げてみたり。それが「魔法使い狩り」の実態、というわけ」

 私の話にアータイルが眉根を寄せる。無理もない。結局上に立つ人間が責任を取りたくないための工作にしか過ぎなかったわけだ。程度は違えど、今の人間も同じような事を平然と行うものだから。自分が得ている立場を失うとなった時に、素直に自身の非を認められる人間はそれ程多くない。特にそれが自身の生活の根幹を崩してしまうとなれば特にだ。

「…それでは、魔法使い狩りが終わったのは、なぜ?」

「そこが私達が姿を隠す理由でね。そんな無意味な同族殺しばかり繰り返す人間達を見て、魔法使いの方が珍しく慈悲を出したっていう話。…誤解構わず解りやすいように言ってしまうと『いやもうやめてあげようよ、別に人間に関わる必要も価値もないでしょ?放っておいてあげよう』と決めて表に出てこなくなった、というのが真相。で、事実はどうあれ、魔法使いがいなくなったから魔法使い狩りもおしまい。冤罪しかなかったとはいえ、本来の目的からしたら成功とは言える結果かもね。実際に脅威が消えたんだし。そして、私達にはその時の伝統というか取り決めが今も続いてる。正体を明かさないのはそんな大昔の理由なの」

「なるほど…。しかしもう時代が違う。あなた方が出てきても恨みに思う者もいない。人間に危害を加えないのであれば、共存できるのでは?」

 その疑問にはマリアベルが無理でしょうね、と答える。

「魔法使いとしては、人と共存する方が良い理由がありません。価値観の異なる集団が交わるにはお互いに利益が必要です。それがなければ集まっても良い結果にならない。魔法使いと人間が集まっても、利益を得るのは人間ばかり、というのが見通される結果でしょう。魔法使いが人に供せるものは膨大にありますが、人が供せるものは魔法使いにとって興味や価値のないものがほとんどですから。それに、魔法使いには不特定多数が集まる社会がないんです。幼少期を除けば、個人が単独で生きていける種ですから。全体を統制するための組織はありますが、問題さえ起こさなきゃ勝手にしろ、というスタンスなので」

 腕を組んで唸るアータイルがふと、気づいたように顔を上げる。

「…では、お二人は何の為に私を手助けしてくれるのですか?人の金銭は稼がなければ手に入らないというお話は聞きましたが、これまでに報酬等の話がありませんし…」

 マリアベルと顔を見合わせる。当然といえば当然の質問だ。なぜ関わる必要のない人間の手助けをするのか。その意味がどこにあるのか。

「それが私達、と言っちゃえばそれだけだけどね。言った通り、私達は魔法使いとしては極めて特殊なんだよ。本当に特殊だったのは母親なんだけど。その教育のおかげでお姉ちゃんはそこらの人と比べてもお人好しだし、私だってそこまでではないにしても、普通に困っている人に何かできるならしてあげたいってくらいは思う。あくまでできる範囲でだけど。人にはとてもできなくても、私達なら助けになれることがあるかもしれないからね。だから、本当に困ってる人を見つけたら、手助けをしてるってこと。それじゃ納得できないかな」私は嘘をついた。マリアベルも何も言わない。

「…いえ…ありがとう。お二人が力を貸してくれること、心強く思っています」

 正直、納得はできないだろう。「困っている人がいたから手伝いたいと思ったんだ」では、あまりに根拠がない。それでもアータイルは追求すべきでないと判断したのだろう。話したくなさそうなのを好奇心で下手に深掘りして唯一の希望を持つ者にヘソを曲げられたくはないだろうから。その感覚はそれなりに正しい。私としても絶対に話したくない、とは言わないが、伏せておけるなら伏せておきたい。

 それに私は当初アータイルに手を貸す気はなかった。困っている人を助けたいというのは嘘ではないが、だからと言ってできもしない助けまで申し出るのはやり過ぎだ。力になれないかもしれない、そういう話をした上で理由まで話したくはない。

 今回の交魔術での交渉成功の可能性は極めて低い、と説明した。だが正確には、そもそも「成功したという話自体がない」。姉ですら失敗したのだ。「会議」の老人達をして近年にない賢人と言わしめた、もう一人の姉、ミレニアですら。

 三年前、私は病に倒れた。私は「私達」の生命活動の元である魔力の生産能力が生まれつき弱いことがわかった。小さい頃はそれでも十分だったが、身体が成長していくことで次第に生命活動に必要な量を生産量が下回り、ついに発症した。

 生産器官については今なお不明な点が多く、現象術で治す事はできなかった。現象術でどうにもならない病ならば交魔術に頼るしかない。当時、ミレニアは間違いなくそれをしただろう。そして、それは失敗に終わった。ミレニアがそう言ったわけではない。だが、私が今現在、一人で生きることができないのが証拠だ。

 今の私の命は、二の腕から落ちないように服に括り付けられた、径の大きな銀のブレスレット。これによって支えられている。ミレニアが私の命を救うために用意したもの。

 これが側に――少なくとも五十センチ程度の距離になければならない。その範囲を外れると私は1分と保たずに昏倒してしまう。そのまま放って置けば、ほんの一、二時間ほどで死ぬだろう。逆に、これがあれば大量の魔力を要する大規模な交魔術であろうとも難なく行使できるくらいに魔力が増強される。

 もしもミレニアの交魔が成功していればこれを用意する必要もない。つまり、賢人と呼ばれた姉ですら交渉に失敗したのだ。それほど手強い交渉相手。それと交渉をしなければいけないのに、手を貸すなんてとても言えたものではない。少なくとも私はそう思う。

 と、先を行くアータイルが足を止めた。

「着きました。ここです」

「おうぅわ…」

 姉と私は思わず驚愕のため息を漏らす。アータイルが立ち止まった邸宅は周囲の高級住宅街の邸宅とすら一線を画す庭の広さ、建物の大きさを誇っていた。建物は三階建て、白い壁にフォレストグリーンの屋根が映える。正面から見た幅は150メートルはありそうだ。さらに両端の形状からすると奥にもそれなりに続いているのは間違いないだろう。

 周辺地域を支配する帝国の貴族ですら、ここまでの館を持つものは多くないだろう。レインサイニスの、しかもこのエリアにこの規模の邸宅を持つというのは、豪商の中でも群を抜く…どころではなく、都市トップクラスの商家だろう。

「患者の父親は広域貿易で成功を収めた方なのですよ。G&F、名前くらい聞いたことあるでしょう。その創始者の一人、フォルトナーさんなのです」

 顔を見合わせ首をかしげる私達姉妹の反応に、逆にアータイルが信じられないという顔をする。

「それはちょっと流石に…あぁ、私は到着を伝えてきます」

 アータイルはそういって門の前に立つ歩哨のところに向かっていった。彼は言葉を濁したが、表情が如実に語っていた。

「世間知らず…過ぎた?」

「まぁ所詮は森の奥に住む魔法使いだしね、私達…」

 そのまま門の前でしばし待っていると、老年、にはまだかからないか、くらいの執事が黒のフロックコート姿で私達を出迎えてくれた。

「ようこそ、アータイル様。お客様方、お初にお目にかかります。当家執事を務めております、カシン・スズキと申します」

 執事の丁重な挨拶に私達も自己紹介をする。独特な名前だ。確か、遙か東方の小国で使われる名だったか。その国は礼節を重んじると聞くし、こういった職業には最適な人選なのだろうか。とはいえ人種で職が決まるわけでもないが。

 カシンに案内され、屋敷に向かう。庭の木々は綺麗に整えられ、奥の方では様々な花が咲いている。なるほど、個人的な嗜好で言えば自然のままの方が好みではあるが、こうやって整えられた庭は別種の良さがある。美的感覚については自信はないが、喩えるなら自然物の美と造形物の美の違い、という感じだろうか。それとも自然物を使った造形美だろうか?整えられた庭を見てそんな思いを巡らせの屋敷への道程は距離に比べて長くはなかった。

 カシンがエントランスの扉を開いて中に招く。

「わっほぉ…」私と姉はつい変な声を漏らす。

 エントランスホールは屋敷の規模相応に広かった。魔法使いの所有であれば、このような邸宅に入った事がないわけではないが、普段立ち入ることのない豪邸に私達姉妹はつい珍しげに内装を見回す。

 想像していた豪商の家といえば、極彩色の置物やら金箔できつく彩られた装飾、などというイメージがあったが、そんな要素は欠片もない。スケールはでかいが派手な雰囲気は全くない。むしろしっとりと落ち着いた様相で好感が持てる。だがよくよく見れば建物も調度も、細部の装飾までとても手が込んでいることがわかる。金銭自体には特に欲求も執着もないが、この屋敷を建てるお金でお菓子が何個…どころか菓子屋が何件建てられるだろう…と思ってしまう。

 カシンに付いてホールの階段を上がり、建物の左翼に向かう廊下を奥に向かって歩く。その間もぽつぽつと花の活けられた花瓶や絵画などが配されていた。数は多すぎず少なすぎず。それらの一つ一つの調度はやはり主張しすぎないが手は込んでいる、作りのいいものだった。素人目にも高級品であることが伝わってくる。

「お金持ちの家ってもっと飾り立てているものと思っていたけど、割と控えめなんだね。いて」

 余計な一言だったのか、マリアベルが私の後ろ頭をはたく。それを聞いたアータイルが一笑し、説明してくれる。

「豪商のそういったイメージもあながち間違いではないのですよ。豪商には豪商なりに他の方への見栄えを出す事も必要ですから、来客を通すところは、好みでなくとも派手にされる方が多いのです。高級さを解り易くアピールするのはやはり豪奢なのものの方が素人目にもわかりやすいですからね。中には本当に好きでそうされている方もいるのかもしれませんが」

 なるほど、見栄を張るのは好まれないものだと思っていたがそういう考え方もある。確かに、招かれた取引相手の家が――極端に言って我が家のようだったら、こんな人と取引して大丈夫か、騙されているんじゃないかと不安になる。

「ご主人のフォルトナーさんは、元々は一商店の店主から成功された方で、表立っての豪勢さよりも落ち着いた雰囲気を好まれますね。ぱっと見で派手なものというのはありません。その実、一点一点は驚く程高級なものですよ」

 アータイルの説明になるほど、と花瓶の一つをじっと見る。もちろん綺麗なことはわかるがデザインは割とシンプルだ。高い要素はどこから出てくるのかわからない。魔法使いと言えど、流石に美的感覚は人と変わりあるまい。私の審美眼がその程度ということなのだろう。そこは否定しない。

 つまり、そういったものを備えない私みたいな者にもアピールするには、派手なものの方が解り易くて良い、という事だ。

「そういったものが多いと掃除する人は気を使いそうだね。壊したりしたら弁償もできない」

「左様で。細心の注意をして取り扱っております」カシンが温和な笑顔で答える。

 長い廊下の一番奥まで行く。玄関からここまでも結構な距離だ。大きい屋敷にするにしても限度というものがあるのではないだろうか。それとも、これも「貿易都市トップクラスの商人らしい見栄」か。私だったらこの屋敷の側に普通の家を建てて、こちらは来客用にしてそちらで暮らしたい。

 ようやく辿り着いた最奧の部屋のドアをカシンがノックして声をかける。

「失礼致します。お嬢様、アータイル様とお客様がお見えに」

「…どうぞ」

 部屋からか細い女性の声が返ってきた。カシンがドアを開け、中に入る。私達もそれに続く。

 屋敷の規模にしては控えめな広さの部屋の奥には寝台がおかれており、その上で一人の女性が上半身を起こしていた。

「やあ、ラスティナ。調子はどうだい?」

「ええ、大丈夫。今日は調子がいいわ」

 そう答え微笑む女性――薄い青のネグリジェに身を包み、青みがかって見える長い黒髪を首の後ろでまとめている。白い顔は美しかったが儚げで、風に吹かれたら散ってしまいそうな気持ちにさせる。

 その彼女が鳶色の瞳をこちらに向ける。

「そちらの方が、話していた?紹介していただける?」

「こちらがマリアベル・ラスニール先生、こちらが助手のティエリアさん。先生は異国の特殊な医療を学ばれていて、ずっと東方の国で学ばれていたんだ。最近戻られて、学会で話をする機会があってね」

 アータイルのでっちあげの説明にラスティナがうなづく。

「マリアベル・ラスニールです。以後、お見知り置きを」

「ラスティナ・フォルトナです。よろしくお願い致します」

「ティエリアです」

 挨拶をし、握手した手はとてもやせ細っていて痛々しい程だった。

「今日の診察は、お二人に?」

「ああ、今日のところはお二人に診ていただいて意見を頂戴しようかと思ってね。いいかな?」

 ラスティナがうなづく。それではカシン、とアータイルが言う。

「我々は隣の部屋で待っていよう。先生、お願いします」

「かしこまりました。ではこちらへ」

 なんとなく二人の会話に違和感を覚える。そういえばカシンもアータイルを名前で呼んでいた。聞こうかと思ったがアータイルはよろしくお願い致します、と言い残してカシンと共に部屋を出て行ってしまった。まぁいい、後で聞けば良い事だ。

 二人が出て扉を閉じると、マリアベルがラスティナに向き直る。

「では早速ですが、問診と診察をさせてください」

 そう言って診察の振りを始める。この間、私は手持ち無沙汰だ。部屋の中を見回す。

 一通りの調度が揃い、整えられた部屋ではあるが、部屋全体としては屋敷の規模に見合わない広さだ。

 ここに着くまでの扉の間隔からすると、この部屋だけあえて小さく作られているのではないだろうか。主人は元は商店の店主だったという話だから、その娘であるラスティナは、元々もっと普通の家に住んでいたことだろう。その時の感覚に合わせているのかもしれない。実際、置いている家財もシンプルなものが多く、ここまでにあった調度と比べれば細部にこだわっている、という感もない。彼女の落ち着ける環境となるようにしているのだろう。

 そんな中で目を引いたのは本棚だ。一個人の部屋にあるものにしては不釣合いにでかく、その中には様々な本が詰め込まれている。タイトルを見ると旅行記が多いようだ。それ以外だと物語が多い。アータイルの話では小さい頃から病に臥せっていたそうらしいから、ろくにレインサイニスを出た事はないのだろう。文章から異国の情緒を感じることのできる本は楽しみの一つとなっているようだ。

 と、マリアベルから声がかかる。「ティエリア、あれの準備をしておいて」

 この流れは打ち合わせの通りだ。

「はいはい」

「返事は一回」

「はーい」

「あんたねぇ…」

 適当な返事を返す私に言い募ろうとする姉を無視し、かばんからすり鉢と材料を取り出し、薬の調合を始める。予め作っておいても良いのだが、作りたての方が効きが早い。天秤で重量を量る。流石に量くらいは測っておけばよかったか。

 私達のやり取りにラスティナがくすりと笑う。

「すみませんお嬢様、躾のなっていない助手で…」

「いいえ、気になさらないでください。ラスティナで大丈夫ですよ。元々は下町の人間ですから、お嬢様、なんて呼ばれる柄じゃありません」確かに、人懐っこい雰囲気を持つ彼女の笑顔は、令嬢というよりは仲の良い学友を思い起こさせる。

「では…ラスティナさんとお呼びしても?」

 もちろん、と彼女はうなづく。「女性の医師の方が来られるのは初めてです。それにとてもお若いですね」

「ええ、皆様そう仰られます。ご不安ですか?」

 若い医師、という事は経験が少ないということでもある。アータイルも医師としてはとても若いだろう。それでも彼女の病を専門に研究している分、他の医師に比べて一日の長があるらしい。確かにそうでもなければ、こんな家の侍医を任されたりはしないだろう。

「いいえ、アータイルが招いた方ですから心配はしていません。そちらの方は助手さんという事でしたが、お二人は似ていらっしゃいますね。もしや…」

 そんなに似ているだろうか。自分達ではよくわからない。姉もそう思っているようだ。

「そんなに似てます?いえ、確かに姉妹なのですが…」

「ふふ、やっぱり。見た目では似てるかも、くらいですがなんというか…雰囲気がそっくりです。いいですね、私も姉か妹が居てくれればよかったのに」

 雰囲気が似ている。割と脳天気な姉とそんなところが似ていると言われるのはあまり私には喜べない。姉は姉で不満のようだ。

「でしたら、姉をお勧めしますね。妹はまったく生意気なばかりで手がかかって大変、てっ」

 材料を包んでいた紙を丸めてマリアベルの後頭部に投げつけてやった。姉は拾いあげてこちらに投げ返すが正面から喰らうほど間抜けではない。受け止めてかばんに放り込む。邪魔するな、と言われたが気にせず調合を続ける。

 ラスティナが笑っているのでよしとしよう。初めて来る医師の診察なのだから、少々リラックスしてもらったほうがいい。もちろん、そんな事を意図してやっているわけではないのだが。

「兄はいますが、やっぱり姉妹がほしいなと思ってしまいますね」

 ラスティナの言葉に両方いるマリアベルは微妙な顔をする。それを見る私も微妙な顔をする。そんな顔をされるほどか。確かに妹がいたら良いなと思うのは私にもわかる。

 自分の妹が自分だとしたらどうか、客観的に判断してみる。…別段可愛くもないな、と思ってしまった。さっき姉が言っていたのはそういうことか、と納得してしまう。

「個人的にはそれ程羨むものでもないのですが、そういうものかもしれませんね。お兄様がいらっしゃるのですね」

「あ、聞いていませんか?アータイルですよ」

「えっ?」思わず私も手を止めて振り返る。

「お嬢様…ラスティナさんとは幼馴染、と聞いていましたが」

「あぁ、それも間違いではありません。元々は幼馴染、今は養子となって兄、なのです」

 そういえば、ラスティナに関する話ばかりで私達の話もさっきしたばかり、アータイル自身の話はほとんど聞いてはいない。というより、必要性があればもちろん聞くが、こちらも基本、友達付き合いではないのだから、依頼人の事を必要以上に根掘り葉掘り聞くことはない。

「小さい頃にアータイルのご両親に不幸があって、ご両親と親しかった私の家に引き取られたのです。ご両親が健在の頃から、私達はよく一緒に遊んでいましたから。この家は、アータイルの家でもあるのです」

「あぁ、それでか」私の呟きをラスティナが拾う。「なにか、ありましたか?」

 アータイルとカシンの会話が執事と客の間柄らしくないと感じたことを話す。

「そうですね、カシンはこの屋敷ができる以前からうちで働いてくれています。私はもちろん、アータイルも世話になってます」

「先生は傍目には若い医師だけど、信頼できるのは、そういうところもあるんだね」

「優しいお兄様ではありませんか」

「…ええ」だが返事とは裏腹にラスティナの表情が少し曇る。それ以上続ける様子はなさそうだったので私達も継がなかった。

 私は作り終わった薬をラスティナの元に持って行く。一旦姉が受け取り、ラスティナに手渡す。

「これは?」

「診察用の薬です。肌に出る反応を見るためのものです」

「そうなのですね。こういったものを使うのは初めてです」

 疑っているというより、初めてだからどういうものなのか興味があるようだ。それはそうだ。そんな薬は存在しない。ものはただの眠り薬だ。交魔を行うのにラスティナが起きていては困る。このままラスティナが寝入るのを待って、交魔を始める手筈となっている。

「そうですね、東方のある国で使われる薬で、こちらのほうで知っている医師はほぼいないでしょう。知っていたとしても通常は診察に使う人はいません。若干、副作用が出ることがありまして…」と、姉は困った表情を浮かべる。無論、演技だ。

「副作用?」

「飲んだ後、体質によっては眠くなってしまうんです。腕を見るだけなので、診察にはそれでも問題ありませんし効果はあるのですけど」

「なるほど、患者さんが寝てしまっては困りますものね」そう言って笑い、薬を飲み下す。

「ご理解いただきありがとうございます。それでは、薬が効くまでお待ちください。今日の診察はこれでおしまいですから、眠くなったら眠ってしまっても構いませんよ」ラスティナがうなづく。

 静かな時間が過ぎる。外は気持ちのいい晴天だ。窓から差し込む光は柔らかで明るい。鳥達の歌声がかすかに聴こえる。ラスティナは窓の外を見つめていた。彼女も病に臥す前はこの空の下を走り回っていたのだろうか。

「アータイルは、私のことを、何と?」外に目を向けたままぽつりと呟く。

 問いかけられた姉は逡巡した後、「どうしても治療したい患者さんがいる、と」と答えた。

  そうですか、とラスティナは答え、続ける。

「家がまだ小さな商店だった頃から、私は病気がちでよく伏せっていました。その時は決まってアータイルが見舞いにきてくれたんです。野原で詰んだ花を持って」

 姉も私も、黙って聞いていた。

「アータイルが養子としてうちに来てからも、よく気遣ってくれました。私のために医師になるとまで言ってくれて。そして彼は医師になり、私の治療法を探すことに腐心している」

「お優しい方ですね」姉の言葉にラスティナはうなづく。悲しそうに。

「父も私のためにいい医師を見つけるといって仕事に励みました。商売は成功して財を成し、私のために多くの医師を呼んでくれましたが、私の病は治りませんでした。父は今も仕事のために各地を奔走している。小さな店でも家族と共に居られればいいと言っていた父なのに。私がいたばかりに、生きているばかりに父もアータイルも辛い思いをしている…」

 病だから仕方がないこととはいえ、家族に迷惑をかけるのは心苦しいものだ。私にも覚えのあるものだった。

「ご、ごめんなさい。初めてお会いした方にこんな話を…」

「いいえ、私達で良ければいくらでも」

「わかる気がするよ、ラスティナさんの気持ち」

 思わず、ぽつりと呟く。

「形は少し違うけど、私もあなたと同じ。しばらく前に大病にかかって…その病を治すために、家族に辛い思いをさせたと思う。ううん、きっと今も。それこそ、あのままさっさと死んでいたほうが良かった、と思った事もあった。けど、私は治してもらえた。だからこそ、今は家族に辛い思いをさせた分を返さなきゃって。私は今、その為に生きてる。だから、だめだよ。ラスティナさんも治さなきゃ。生きていればこそ皆に返せるものがきっとあるから」

「ティエリア…」

「…そう、ですね……。ありがとう、ティエリアさん」

 ラスティナにお礼を言われ、つい柄にもないことを言ってしまった。マリアベルにはもちろん、こんなことを話したことがない。頬が熱くなる。

「そ、そうだ、ラスティナさんは、病が治ったら何をしたい?」慌てて話を切り替える。そんな私の思惑が伝わったのか、小さく笑って乗ってくれた。「私は…父に付いて、色々な国に行ってみたいですね。仕事の邪魔って、言われてしまうかもしれませんけど」

 それから少しの間、本棚の旅行記の話をした。話をしているラスティナはとても楽しそうだった。そのうち、ラスティナの反応が薄くなってきた。おそらく薬が効いてきたのだろう。

「…薬が効いてきたみたいです。すみませんが横にならせてください」

「ええ、お気になさらずにどうぞ。お目覚めの頃には診察も終わっていますから」

「また、診察以外でもお話しをしてもらえますか。こんなに楽しいお話ができたのは、久し振りです」

「喜んで。そのうち、お伺いしますね」その言葉に小さく笑みを浮かべ、彼女は瞼を閉じる。少しすると寝息を立てはじめる。

「…ラスティナさん?」

 マリアベルが確認のために肩を軽く叩いて呼びかけるが、反応はなかった。しっかりと眠っているようだ。薬で眠った場合、反応がなくても意識が残っている――金縛りのような――状態であることも少なくない。少し時間を空けておく。もういいだろう、というタイミングで姉に言う。

「そろそろ、始めよう」

「そうね」

 私は白衣を脱ぎ、愛用の杖を虚空から取り出す。魔法使いなら必ず持っている金属製の杖。魔力を僅かだが増幅させる効果を持つが、それは副次的なものに過ぎない。杖の本来の目的は大規模交魔術を行う場合に「陣」を描く為のもの。普段は非実体化させておけるから、持ち運びには困らない。

 マリアベルはラスティナに顔を向け、必ず助けます、と呟いた。私も彼女を助けたいとは思う。だが勝算は低い。それに助かったとしても、私達はラスティナの友人には決してなれない。

「施錠と防音をお願い」

 マリアベルはうなづくと、入り口のドアにそっと手を添える。口の中で小さく呪文を呟くとかすかにドアの軋む音が鳴った。これでこのドアは破城槌をもってしても破れない。隣の壁を破る方がずっとましだ。続いて呪文を唱えながら腕を振る。低い羽音のような耳障りな音が一瞬鳴り、元の静寂に戻る。部屋の音が外や廊下、隣室に漏れることはない。

「いいわよ。いつでも」

 姉が部屋の端に寄るのを見てから、杖を床に立てるように両手で持つ。呪文を発しながら、久し振りの大魔法の構成を紡いでゆく。

 杖から手を離すと、杖は倒れることなくその場に直立した。右手を動かす。その動作に呼応するように杖が移動し、床にその軌跡を残してゆく。更に手を動かし、複雑な紋様をかたどってゆく。異世界の住人を迎えるための門を形作る。喉の奥から人ではない言葉を響かせながら杖を操作し続ける。最後の線を描いたところで手を振り上げると杖が跳ね上がり、私の手に収まった。

「濡羽の癒し手ジャスパー!此処へ来たれ!」

 両手で持った杖の石突きを、床に描かれた紋様に叩きつける。ガラスの割れるような音と共に床に描いた紋様が割れ砕け、その先に開いた闇へと落ち消える。と、床に開いた漆黒が吹き出した。闇は羽のように舞い落ち、視界を塞いだ。

 闇の噴出が止まり視界が晴れると、床に開いていた穴はなく元の絨毯に戻っていた。違うのは、元々そこには存在しなかった姿がひとつある事。その姿がゆっくりとこちらを振り向く。

「こちらに喚ばれるのは久方ぶりだな。未だに我の癒しを求める者がいたか」

 太くざらついた声が部屋に響いた。

 姿は2メートルは超えるだろう。一見人の形態にも見えるが、その頭部は鳥類、とりわけ鴉に似ている。その目は血のように赤く、嘴には鳥類にはない細かい牙が無数に並んでいる。全身をすっぽりと覆うローブは頭部と同じ闇色、そのローブには様々な色の宝石が無秩序にぶらさがっている。袖口からは鳥の脚を無理やり人の手の形にしたような奇怪な腕が覗いてる。

 数多の生命を癒す力を持つとは思えない、化物の姿がそこにあった。

「ようこそ、ジャスパー。強欲なる癒し手」

 私の軽い挨拶にジャスパーはふん、と鼻を鳴らす。

「貴様か、我を呼んだのは。まだ餓鬼ではないか。我は餓鬼のお遊びに付き合う程暇ではないぞ?」

「こっちだって遊びであんたを呼んだりはしない。遊び相手にするならもっとましな奴はいくらでもいる。それに呼んだ相手が餓鬼かどうかなんてあんたには関係ないでしょう」

 ものを頼む立場としては大分横柄だが、これは相手による。誠実な相手には誠実な姿勢で、小馬鹿にしてくる相手には毅然とした態度で、だ。

「口だけは達者な餓鬼だな。関係ない事はないぞ、払える量が変わる。餓鬼の持っている物などたかが知れているからな。さて、遊びでないというのであれば我が癒しを求めるのだな」

 ジャスパーは首を巡らし、ベッドで眠るラスティナに目を留める。

「其奴だな。どれ、ひとつ視てやろうか」

 ジャスパーはゆっくりとした足取りでラスティナのベッドに近づくと、その赤い大きな目でラスティナを覗き込む。あわや怪物に頭から喰われてしまうかのようにすら見える。幸い、この鳥人に食人嗜好はない。

 数瞬、ラスティナを見つめていたジャスパーがこれはこれは、と身体を起こした。

「また、難儀な病だな。この程度の文明で暮らす者達には到底癒せるものではないな。癒すどころか、原因を見つける事すらできぬであろう」

 それほどの病なのか。「じゃあ、治療法が近く見つかるようなことは」

「決してない。早くても数百の年月はかかるであろうな」

 それは暗に、アータイルの今までの努力が無駄だったということでもある。酷な話だがそれも仕方のないことだ。まだまだ人間の文明は発達しているとは言えない。後世の礎になる可能性もあるが、それ程までの期間を要するとなると、過去の蓄積よりは革新的な要素が必要なのだろう。

「身体も相当に弱っておる。病だけ癒してもそのまま力尽きてしまいそうだな。いずれにせよ、そう長くは持つまい。そうよな、どのように喩えるか…あぁ、丁度いい。こちらで言うとちょうど次の満月の晩だな。その月が地平に消える頃にはこの者の命が尽きよう」

「な…」

 ラスティナが長くない事はアータイルからも聞いていた。だが、ジャスパーが口にした予想もしない言葉に、マリアベルも私も言葉を失う。

 次の満月まではあとちょうど一週間だ。早すぎる。先程まで話していたラスティナは確かに病人らしい様子ではあったが、一週間も保たないようには見えなかった。

「…次の、満月ですって?嘘でしょう、そんな、一週間なんて」

 マリアベルの言葉にジャスパーが振り返り、くつくつと小馬鹿にしたように嗤う。私達の反応を見て楽しんでいた。交渉がろくに成功しない輩は概ねこんなものだった。相手の右往左往する様を楽しむような連中がほとんどだ。

「我の言葉を信じぬか?構わぬぞ、満月の夜が終わればわかることだ。この者が死のうが生きようが、我にとって関わりのない事よ」

 ジャスパーの言葉はおそらく真実だろう。濡羽の癒し手、宣告者ジャスパー。それがこの奇怪な鳥人の呼び名なのだから。その宣告はまさに死の予言そのものだ。

 だが、「その時」がアータイルの予想よりは早いとはいえ、ジャスパーとの交渉を成立させなければ、いずれラスティナは死ぬ。交渉が失敗しても奇跡的に治療法が見つかる、というような事もないのであれば、私達にとっては何も変わらない。わざわざ動揺して見せてこの鳥人に楽しみを与えてやる必要もない。

「わかった。それで、あんたはこの病を治せるの?」

「誰に言っておる?我にしてみればこのような病は病とも言えん。瞬く間に癒して見せようぞ。だが…」

 ジャスパーがその奇怪な指を私に突きつける。

「わかっているな。癒すのは払える者のみだ」

「わかっている。条件は?」

「ふむ、覚悟はあるようだな。だが貴様のような餓鬼に払えるかな?」

「それは私の問題、あんたには関係ない。さっさと言いなよ」

 挑発とも取れるジャスパーの物言いを私は平然と受け流す。そんな私の様子が気に入らないのか、ふん、と鼻を鳴らす。

「口の減らぬ奴だ。まぁよい。ではそうだな、こちらで要求するなら…拳大のラム鉱石を十五個、熊の干し心臓十個、それと…」

 ジャスパーが厭らしい笑みを浮かべ、指を三本立てて言った。

「丁度いいものがあるな。月晶花を三本だ」

「月……三本!?」

 あまりといえばあまりの要求に、マリアベルだけでなく私も声を上げてしまった。その反応にジャスパーがくつくつと嗤う。

「そんなに目を剥く事か?貴様等二人で探すのであろう?一人一本、あとは二人で一本見つければ良いだけの事ではないか。命の対価だぞ?それに比すればなんと破格であろうか」

 月晶花は植物ではない。月の光がなんらかの作用で結晶化し花に似た姿をとったものだ。満月の夜、森林地帯でしか採集できず、いつ、どこに発生するかはわからない。そしてろくに保存ができず、採集した後保存しても、いいところ三日程度しか保たない。だから通常、魔法使いの間で取引される事はない。翌日ならば取引することも可能ではあるが、それまではラスティナの命が持たない。

 つまり、次の満月に月が沈むまでに、自分達で三本の月晶花を見つけジャスパーに治療させなければならない、ということだ。

 だが月晶花はそう簡単に見つかるものではない。実験材料にするために何度か探しに出た事はあるが、月の出から月没までマリアベルと私で探してもせいぜい一本、運が良くて二本見つけられる程度だ。三本などまず見つかるはずがない。

 この鳥人はそれをわかっていてこの要求をしている。おそらく――いや、確実に――月晶花自体には興味はないだろう。たまたまタイミングが満月だから月晶花、私達二人ではほぼ集められない量なので3本。それだけだ。

 それでも要求された以上、私達はそれを用意するしかない。これがジャスパーだ。誰も交渉を成功させることができない理由。ジャスパー自身、交渉による報酬自体を望んではいない。そうやって相手が途方に暮れるところを見ることこそが、こいつの目的だからだ。

「瞬く間に治せるという割にはあんまりな要求じゃないの」

 マリアベルがジャスパーにくってかかる。私としては、ジャスパーとの会話はさっさと終わらせた方がストレスは少ないと思うのだが、言わずにはおれないというマリアベルの気持ちもわかる。程々のところで止めればいい。

「んん?馬鹿か貴様は。結果がものを言うのだ。苦労すればよいというものではない。貴様らが対価を集めたとしよう。そこで我が最善を尽くしたが寿命が3日延びただけだ、と言ったら貴様らは納得できるのか?できぬであろうが。貴様らは此奴の命を望み、我はその望みに応える条件を出しているだけだ。不服なら別に揃えずともよい。報酬が手に入らずとも我は一向に困らぬ。別の者を頼るのもいいだろう。頼る先があればだが」

 そんなものがあるわけがない。あればそもそもジャスパーに頼ったりはしないだろう。唯一無二の能力があればこそだ。ジャスパーもそれを解っていて言っている。

「だからって…」

「何者を頼ろうとも、対価なしに動く者などおらん。貴様らとてそうであろうが。別種族の此奴を助ける義理など貴様らにはあるまい」

「私達は見返りのためにやっているわけじゃない」

 マリアベルの言葉にジャスパーが声をあげて笑う。

「見返りの為ではない、だと?笑わせる。ならば、無理なら無理と捨て置けばよいではないか。どうせ戯れにすぎぬのだから」

「なんですって」

 姉の表情にじわりと怒りが浮かぶ。そんな姉にジャスパーは指を突きつけ、言い募る。

「此奴が助かろうと助かるまいと、貴様らとて大した問題ではなかろうが。対価を揃えられずとも此奴が死ぬだけだ。予定された通り、病でな。自分の肚は痛まぬ、益になる必要もない。では自分の楽しみか?満足感か?それが戯れでなくてなんだというのだ」

「私達をあんたと一緒にするな!自分の楽しみしか頭にない癖に!」

 ジャスパーは火に油を注ぐように小馬鹿にした口調で答える。

「おお、おお、そうともそうとも。我は我の楽しみで貴様らの相手をしてやっているのだ。肚も痛まぬし、益になる必要もない。ただの戯れに過ぎぬ。だが戯れですらないという貴様は一体なんだ?それに比べれば目的がある分、簡潔明瞭、至極真当であろうが」

 マリアベルがいくら言っても無駄だ。ジャスパーも私達と同じように個で生きられる存在なのだ。博愛など邪魔になりこそすれ、利益をもたらすことなどない。魔法使いの考え方も程度の差はあれど、それとさほど変わらない。

「この…!」

「もういいよ」

 勢い余って魔法を使い始めかねないマリアベルを見かねて割り込む。いくら言ったところでジャスパーは決してマリアベルを理解しないだろう。マリアベルも同じだ。このやりとりに付き合うのはマリアベルが怒りを募らせるだけで無意味だ。

「ティエリア…」

「無駄話は結構。要求の物は集める、それでいいでしょう」

「確かに、無駄話が過ぎたわ。あまりに愚かな考えにからかわずにおれなんだわ」

「ジャスパー、もういいと言った」鳥人がふん、と鼻を鳴らす。

「ちょっと待ちなさい!ティエリア!」

 言い募ろうとするマリアベルを、私ではなくジャスパーが手で制する。

「やかましい。いくら吠えようと一度提示した対価は変わらぬ。こちらの餓鬼の方がまだわきまえておる。貴様はもういい。黙っておれ。時間の無駄だ」

「………」

 ジャスパーにそこまで言われ、憤然とした表情ながらも、だが黙るマリアベル。その姉を尻目に、ジャスパーはローブの袖口から何かを取り出し、私に放る。受け取ったそれは、小さいが細かい銀の装飾が施された漆黒の羽飾りだった。契約の証しだ、とジャスパー。

「品物を集められたら、その羽根で再び我を呼ぶがいい。果たして用意できるか…楽しみにしておるぞ」

 哄笑をあげるジャスパーを、渦巻く黒い羽根が覆い隠す。だがそれもわずかな出来事で、羽根の渦が溶け消えた後に、ジャスパーの姿はなかった。最後にあげていた哄笑の残滓だけが耳に残っていた。

 ジャスパーが去った後の部屋は、その前と何も変わらなかった。ベッドでは変わらずラスティナが小さな寝息を立てているだけだ。窓の外から聞こえる長閑な鳥の歌声が、今はやや耳障りに感じられた。

 これで「診察」はおしまいだ。杖を消し、再び白衣を羽織ろうとした私の肩をマリアベルが強く掴み、自分の方を向かせる。

「あんな約束をして…集める宛てでもあるわけ?」

「そんなものあるわけないでしょ」

「ならどうして!」言い募る姉に小さくため息をつく。

「他に方法はないんだよ。一度示された条件は決して変わらない。お姉ちゃんだって判っていたでしょう。その事も、相手がああいう奴だって事も、こういう結果になることも。初めから全部さ。私は判ってた。だから言ったんだよ。どういう相手か解って言ってるんだよねって。どうなっても知らないよって」

「……」

「気持ちはわかるけど、私に当たらないで」

 肩を掴んでいたマリアベルの手が緩む。

「ごめん、ティエリア…」

 マリアベルは自分の善意がただのお遊びと言われたことが悔しいだけだ。それに言い返せなかった事も。ジャスパーの言っていた事は正しい。真に何もなく、他人を助ける者などいない。それはその通りだと思う。マリアベルは間違っている。私達、いや、私だってそれは同じなのだから。


 ラスティナの「診察」が終わり、アータイルの待つ隣室に向かった。待ちかねたように迎えてくれたアータイルだったが、私達は努めて平静に、だが通り一辺倒の診察の報告だけしかしなかった。それでもアータイルは、この場では言えない事なのだろうと察してくれたようだった。

 フォルトナー邸を出てアータイルの診療所に戻る。前と同じように応接室で、アータイルの出してくれたコーヒーを啜って一息つく。ややあってから、マリアベルが事の仔細をアータイルに告げる。

「…一週間?」

「はい…」

 やはり、一番堪えたのはジャスパーの宣告だった。ラスティナの余命がいくばくもない事は察していても、流石に早すぎる。

「…辛い事だけど、ジャスパーがそう言った以上、そうなるのも間違いない。ラスティナさんの余命はそれだけしか、ない」私の言葉に顔を抑え天を仰いでいたアータイル。が、しかし、と私達に向き直る。

「その要求された物を集めれば助けることができるのですよね?」

 彼としては当然、残されたそこに頼るだろう。そこにも私達は絶望の答えを返さなければならない。

「ラム鉱石、熊の干し心臓も私達が扱うものとしては珍しいものじゃない。手に入れるのは簡単だよ。手持ちの材料と交換できるから、うまくいったら人のお金で対価を払ってくれればいい。でも、月晶花だけは…」

 「それは一体?」問うアータイルに姉が説明する。月晶花の特性、そして、私達二人ではとても三本は見つけられないであろうこと。

「ならば、人手を集めましょう!見つけにくくても探す人数が多ければ…」

 アータイルが身を乗り出して提案する。もっともな申し出だった。月晶花を知らないのであれば。それもできない理由がある。

「それは無理、なんだ」

「なぜです!?」

「人には見えないんだよ。そもそも、月晶花なんて聞いたこともないでしょう?目の前にあっても、人の目には映らないし、触れることもできない。見えないものを探し出す事はできない…見つけ、採ることができるのは、私達魔法使いだけ」

 私の言葉にしばし呆然としていたが、崩れるようにソファに座る。

「何か、手はないのですか…私に、できることは…」

「……」

 これ以上、私から言えることはない。この状況に対してマリアベルがどう結論を伝えるのか。

「……ありません」

 姉の無情な一言に、アータイルは言葉と顔色を失う。でも、とマリアベルが言葉を続けようとする。

「必ず、私達がなんとかしてみせます。だから…」

 その後を、マリアベルは続けることができなかった。アータイルはうなだれたまま、答えなかった。そのまま、気まずい時間が流れ、気まずいまま、私達は席を立つことにした。

 結局、私が予想した通りの結末。私達が関わったことで、アータイルに深い絶望を与えただけ。もちろん月晶花は探しに出るつもりだが、決して三本を見つける事はできないだろう。

 帰り道、マリアベルもうなだれていた。当然だろう。自信を持って手伝いを申し出た結果がこの体たらくだ。

「魔法使いの面目丸つぶれだね。まぁ面目なんてないも同然だけど」

「……」

 灸を据えるつもりで意地悪く言う私に、姉は答えない。

「私達がなんとかしてみせます、ね。どうやって?あてでもあるの?」

「…ないことも、ない…」

「へぇ、びっくりだね。どんな?」

「他の連中に手伝ってくれないか聞いてみる…」

「それはあてがないって言うんだよ」

 それが頼めるのであれば、月晶花3本と聞いただけで暗い顔になるようなことなどない。魔法使い連中の性格を考えればわかることだ。無償で他人を手伝う魔法使いなど有り得ない、と言っても良い。交流を持つ魔法使いが皆無なわけではないのだが、このような件に手を貸してくれる程、義理人情に厚くはなってくれない。

 単純に報酬を出して手伝いを募集することあるにはあるのだが、相当の報酬でなければのってくる魔法使いはほとんどいない。なによりも、私達がまともに報酬を用意できない。元々魔法使いとしての価値のあるものがそれほどない上に、ただでさえ心臓と鉱石を準備することを考えると、他の魔法使いの食指を動かせるほどの報酬を用意するのは無理だ。

「ごめんティエリア、少し歩いてから帰るわ。先に帰ってて」

 相当堪えているのだろう。声色は今にも泣き出しそうな感じだった。私は立ち止まり、とぼとぼと歩く姉を見送る。その後ろ姿は悲しくなるくらい小さく見えた。

 自業自得とはいえ、さすがに意地が悪かったか、と頭を掻く。姉が全て悪いとは言わない。姉なりにアータイルの力になろうと考えた結果だ。それはきっとアータイルも少なからずわかってくれているだろう。それでもやはり交渉相手が悪過ぎたのだ。

 だが。

 だからと言ってこのままここで終わらせるわけにはいかない。私達はアータイルの願いを叶えると言ったのだ。

 マリアベルが道の向こうに消えるのを見届けてから、私は今来た道を戻る。アータイルの診療所まで戻り、休診の札がかかったドアのノッカーに手を伸ばす。出てくるとは思えないが、三回鳴らして待つ。反応がないので入ってしまおうかとノブに手を伸ばす。と、小窓ではなくドアが開いた。

「午後は休診ですが、急患ですか…あ…」

 アータイルが、ラスティナのように白くなった顔を覗かせた。こんな状況でも、医師としての本分を忘れないのか。逆に驚かされる。

「ごめんなさい、私です」

「ティエリアさん…」

「ひとつだけ、話しておきたいことがあって。姉はああ言ったけど、先生にもできる事、ないわけではないんだ」

 私の言葉に、アータイルの眼に少しだけ光が戻る。

「…それは?」

 この先を言うのは、この場に際してもためらわれた。姉が言えなかったのも責められはしない。それでも、私は言うと決めてここに戻って来た。アータイルの願いを叶えるために。

「先生、ラスティナさんのために、命を賭けられますか?」


 ラスティナの回診に訪れてから早六日目の夜。明日の夜は満月の夜。ラスティナの運命を決める日だった。それまでの間、私は学校を休んでマリアベルと二人で森に出かけては調査を行っていた。

 月晶花が発生するのは必ず地面の上、そして月光が直接当たる事が条件だ。森の中でも樹上に発生したりはしない。少なくとも地面の上というのはこれまでの探索でもそうだったし、過去の研究報告からも間違いない。

 光の当たる時間の長短には影響されない。一瞬でも当たれば発生する可能性がある。だが、長い方が当然発生はしやすい、というのが通説だ。私達はその通説を信じる事にした。月晶花の性質上、確証を得ることができていないだけであろう、と。というより、その通説を排除すると事前にできる準備が何もない。ただでさえ困難な収集に無策で挑む勇気はなかった。

 当日、月の光が比較的広範囲に当たる箇所を調べ、その長さによって色付けする。つまり発生可能性が高いと思われる場所の予想図を作ること。

 広大な森に対して行うには途方もない作業だった。この五日間で昼も夜もなく作業をし、抑えた範囲は森の五分の一程度にしかならない。それでも闇雲に探す範囲を少しでも小さくするためだ。

 この地図作成を言い出したのはマリアベルだった。あの日、家に戻った直後から作業にかかり始めた。その時には肩を落として歩く姉の影はなかった。マリアベルなりに思うところがあったのだろう。普通に考えれば有り得ない内容ではあったが、私も反対はしなかった。他に準備しておけるような事もない。

 この間、私達はほとんど休息を取っていない。人ほど睡眠が要らない私達でも流石に疲れきっていた。当日に疲弊しきっていては意味がないので、今夜は作業をせず明日に備えることにした。

 私はベッドに戻る間もなく、テーブルに突っ伏して寝てしまっていたようだ。目を覚ますとマリアベルの姿はない。おそらく部屋で寝ているのだろう。身体を起こそうとすると、肩にコートがかかっていた。マリアベルがかけてくれたのだろう。

 少し寝たからか、すぐにベッドに入って寝直そうという気にはならなかった。かけられていたコートを羽織って外に出る。空には満月に一歩及ばない月が浮かんでいるのが見える。

 満月以外での月晶花の発見報告は未だかつてない。それでももしかしたら、という思いで森の中へ入って行く。

未開の森だが木が高いため、下生えはそれほど多くない。歩いて移動する程度であればそれほど苦労はしない。どうせ探すならと思い、指先で空間に「門」を描き指先で弾く。それだけで門は割れ砕け、門が開く。簡単な交魔術ならこの程度で済む。開いた門から白く丸い物体が飛び出し、私の手の上に収まる。

 「や、リコ」

 私が呼びかけると嬉しそうに小さな手をぶんぶん振った。

 それは「死霊」と呼ばれる者たちで、死体に取り憑き自在に操る能力を持つ者だ。そのおぞましい能力の割に見た目はデフォルメされたお化けのように愛らしいので、ペットのように連れて歩く事が多い。特にリコと名付けた個体を呼び出して可愛がっていた。通常、個体の見た目での区別はあまりつかないのだが、リコには魔女のような三角帽を与えており、すぐわかる。

 「散歩しながら月晶花探しだよ。付き合ってね」

 リコはうなづく素振りをして私の横をついてくる。能力からいうとまず死体を動かしたい時など、到底あるわけがないので使い出はない。

 だが、単純に探す目を増やすには丁度いい。こういった森の中でも障害物に影響されずすり抜けることもできる。と言っても通常の魔法使いは現象術を使用する方がずっと効率がいいので、この用途は私専用だ。交魔術といってもジャスパーのような質の悪い連中ばかりではない。リコは報酬らしい報酬が要らない。あとで適当なものを食べさせてやればいい。たとえばクッキーなどでもよい。

 と、家にお菓子がない事を思い出した。姉がポストを作った時の木片が余っているだろうからそれでいいか。死霊は与えてやれば何でも食べる。

 夜の森は静かだった。そこに時折聞こえてくる梟の声や葉擦れの音、虫の歌声が心地いい。それらを聞きながら、しばらくは何も考えず歩いた。リコは真面目に月晶花を探してきょろきょろと辺りを見回している。もちろん私もサボっているわけではないのだが。

 歩きながら、ラスティナの診察に行った日、マリアベルと別れた後の話を思い出す。


「ラスティナさんの為に、命を賭けられますか?」

 再び応接室に通された私は、正面に座るアータイルに向かって改めて言った。テーブルの上には先程のカップが三つ置いてあるままだ。

 私の言葉に、当然ながらアータイルは戸惑いの表情を浮かべる。

「どういう、事ですか?」

「ラスティナさんを助ける為に必要な月晶花、それについては先程お話しした通り。けど、死の覚悟があれば…人間が探す方法が一つだけある」

「死の覚悟…」

 アータイルの前に、私は懐から小指くらいの大きさの薬瓶を取り出してテーブルに置く。

「月晶花は人間には見つける事は出来ない。けれどこの薬を人間が飲むと、普段目に映らないものを見る事が出来るようになるという記録がある。それらは私達が見ているものと同じらしい。であれば、この薬を飲めば月晶花を見つけることができるようになるはず。触れる事は、おそらくできないでしょうけど採集自体は私とお姉ちゃんがやればいい」

 では、と身を乗り出しかけるアータイルを手で制する。

「ただし、前にも言った通り魔法薬は人にとっては毒とも言えるもの。この薬も例外じゃないし、特にこの薬は死の危険があることが既に判っている。飲んで効果が切れるまで生きていられるかはわからないし、解毒薬はない。お姉ちゃんの魔法でもできない。死の覚悟があれば、というのはそういう事」

「……」

「飲んだ人間の記録はいくつかあるけど…。生存率はおおむね五分、というところだと思う。生存後の後遺症はなしと判断してよいと思う」

 アータイルは黙って聞いていた。そのまま続ける。

「正直なところ、私自身は先生がそこまでする必要はないと思ってる。たとえ先生がいたとしても、花が見つかる保証なんてどこにもない。居なくとも花は見つかるかもしれない。けれどそれは、奇跡と言える程の可能性。それが、とても運が良かったら、くらいにはなる。逆に言えば、それくらいの差にしかならない。それに命を賭けられるか、ということ」

 我ながら酷い話だと思う。絶望を突きつけたあと、わざわざ引き返してきてできることがある、と言った上で提示するのがこんな話なのだ。ふざけるな、と言われても、いや、殴られたって仕方がない。それでも、私はこの話をしなければならない。願いに届かず、絶望し、死を選ぶ者すらいる。ならば、願いの為なら命を掛けられる者もいる。

「…それならば、なぜこの話を私に?」当然の疑問だ。

「する必要がない、するべきでない、と思っているのは私達だから。普通に考えれば、こんなばかげた話なんて有り得ない。でも私達は先生が願いを叶える手伝いをするためにここにいる。ラスティナさんを助けたいというのが先生の願いで、それを叶える為に、こんな事でもできる事はある、ということを伝えなければいけないと思ったから。願いの為にできる事があるのならば、先生はそれを選べるべきなんだ」

 しばし、アータイルは薬瓶を見つめ、黙っていた。

「…答えは、いつまでに?」

「もし、手伝ってくれるのなら、当日の夕暮れに東門を出て街道を通って来て。私達がいるはずだから。もちろん先生が来なくても私達は構わず花を探す。ラスティナさんを助ける為に」

 やや間を置いてから、わかりました、とアータイルが言う。伝えたい事はこれで全て。私は小瓶を再び懐にしまい、席を立つ。待ってください、とアータイルが呼び止めた。

「なぜ、ティエリアさんだけが来られたのですか?この事を、マリアベルさんは?」

 私はかぶりを振る。

「知らない。言えば必ず止めるだろうから。この話をしたら…ま、怒るだろうね」

「それは…大丈夫なのですか?」

 こんな状況でも私の心配をしてくれるのか。この人も姉に劣らず善良な人だ。そんな人に破滅に向かう道を提示する私は、御伽噺の性悪魔法使いどころか、まるで悪魔のようだ。だがたとえ、悪魔と謗られようとも私は先生の「願い」を尊重する。

「仕方ないよ、私はお姉ちゃんとは考えが違うんだもの。そこは私とお姉ちゃんの問題だから、先生が気にするような事じゃないよ。ただ、お姉ちゃんはお姉ちゃんで、先生の事を考えてこの話をしなかった。元々、私が先生の依頼を請けるべきでないと思ったようにね。その気持ちもわかってあげてくれると嬉しいな」



「…まぁ、怒るよね」

 枝葉の影の向こうに見える星を見ながら少し憂鬱な気持ちになる。他者と意見をぶつけ合うと判っていて心穏やかな者もいないだろう。とはいえ、それも自分の選択だ。いやだとは言っていられない。

 しばらく森の中を散策したあと、家に戻ることにした。もちろん月晶花は見つからなかった。

 玄関を開けて中に入ると、会議部屋から声が響いた。マリアベルの声だ。

「もういいわ、こっちだってあんた達に協力してもらえるなんて思ってなかったのだし。その代わりこっちだってあんた達になんか頼まれたって全部願い下げだからね。呪われっちまえボケ共!」

 会議部屋には「会議」に参加する為の水晶球が置いてある。そういえば今日、他の連中に協力を頼んでみると言っていた。寝ていたのではなくて会議に出ていたのか。もっとも、結果は聞こえてくる通りだろう。

 部屋の扉がバンと大きな音を立てて開き、マリアベルが出てくる。はちあわせた私の顔を見て一瞬目を丸くしてから、ばつが悪そうな顔をする。結局あてが外れたのだからそうなるも無理はない。

「あー、ティエリア…どこ行ってたの?」

「リコと散歩。どうだったの?」

「…聞こえたんでしょ?思っていた通りよ。知っていたけどここまで薄情…無情な連中だとはね。自分があれらと同類だってことが恥ずかしくなるわ」

「利己主義は種の根幹だからね。今更どうにもならないよ」

「ま、悔しいけど予想通りだし、二人で探すしかないわね」諦めのため息をつくマリアベル。

「先生は来るかもね」

 マリアベルの動きが一瞬止まる。しかし、すぐに普通の様子に戻ってテーブルの定位置につく。

「来てくれたところで、手伝ってもらえるわけじゃないしね」

「私の薬があれば手伝える」

 再度動きを止め、今度は私の顔を正面から見据えてきた。

「…駄目よ、それは」

 その視線を受け止めながら返す。「どうして?」

「…その薬は希少だもの、あんたのいざって言う時になきゃ困るでしょう」

 確かにこの薬は私の常備薬だ。何らかの理由で腕輪が側にない場合に、急場しのぎに使う薬だ。これを作る材料は高価で大量には用意しておけない。それでも、私が常に携帯しているものを除いても二瓶がある。そんな事は理由にならない。

「予備はある。それに、先生にはもう言ったよ。薬のこと」

「なん…!どうしてそんなことを!」

 マリアベルが非難の声をあげる。立ち上がった拍子に椅子が倒れた。マリアベルはそのままこちらに歩み寄る。

「どうして?飲めば死ぬかもしれないのよ。私達が居なかったなら、先生はそんな事には絶対にならない。私達が関わったせいでそんな目に遭わせるわけにはいかない」

「今更それを言うの?そもそも私達が関わらなければ残念だけど有り得る事、ご愁傷様、で済む話だったのに。そうじゃなくしたのはお姉ちゃんでしょう?」

「それでも、ラスティナさんが助かる可能性はないわけじゃない」

「ほぼゼロの可能性なんて、可能性とは呼べないと思うけど」

「だからって先生に無理を強いていい事にはならない」

「無理強いなんてしていない。お姉ちゃんは勘違いしているよ。薬を使うかは先生次第だ」

「先生が使う事を選んだなら、あんたはそれを使うつもりなんでしょう。あんたは自分の事しか考えてない。自分の願いを叶える事しか。自分の願いの為なら他人はどうなってもいい、そう言ってるのと同じじゃない」

 考えてもいないことで非難されるのは癇に障ったが、ひとまず我慢して薄くため息をつく。

「そんな事は思っていない。けど、そう見えるならそれでもいい。私は私の願いを叶えたい、そのために他人の願いを叶えたい。それは間違ってないしね。なら、お姉ちゃんは?何の為にやっているの?」

「それは…私だって同じよ。私達は私達の願いを果たす為に必要だから…」

「それこそ嘘だよ。お姉ちゃんはそんな事考えてない」

「…じゃあ、なんだって言うの」

「助けたいだけだよ。気の毒だから、可哀想だから助けたいだけ。結局人助けがしたいだけなんでしょう、お姉ちゃんは。だから願いを叶える事自体は重要じゃない。だからこそ薬を使う事にも踏み切れない、踏み切らない。そりゃあそうだよね。自分の善意で誰かが死ぬ、そんな事にはなって欲しくないもの。…ジャスパーの言う通りだね」

 最後の一言に、明らかに姉の顔色が変わるのがわかった。

「何が言いたいの」

「お遊びだってこと」

「あんた…」

 姉が私の襟を掴む。私はそのまま構わずに続ける。

「ジャスパーにそう言われて悔しかったんでしょう。でも言い返せないよね。言われた通り、他に理由らしい理由なんてないんだもの。それならそれで、言い切ってしまえば良かったんだよ。あんたと同じでしょって。あいつがそう言い切ったようにさ」

「あんたも、私が自己満足でやっていると言いたいの?…あんたの願いは私の願いでもある。姉さんに帰ってきてほしい、それは私だって変わらない。けど、あんたのように他人を利用してまで叶えたいとは思わない」

「私は先生を利用しようなんて思っていない。願いを聞いて、その為に手伝うと言った以上可能な限り手伝いたいと思ってる、それだけだよ。ラスティナさんを助けたいのは、誰の願いなの」

「先生の願いよ。今は私の願いでもある」

「よくもそんな事が言えるね。その願いは先生だけの願いだ。お姉ちゃんの願いじゃない。そんな薬を使わなきゃまともに叶わない願いなんて、諦めた方が身のためだ。暗にそう言っているのがお姉ちゃんだよ」

「…違う」

「違わない。薬を使うのはばかげていると思うのはお姉ちゃんだからだよ。いや、私だってそう思う。でも先生の願いは先生だけのものだ。先生が自分の願いの為に必要というなら…どんな方法でも願いを叶えるための現実的な選択になる。どんな事をしてでも叶えたい願いは、ある。私の願いがそうであるようにね。なのに、願いを叶えてあげたいと言った癖に、お姉ちゃんは自分の思いだけで選択肢を隠す。それは私には許せない。どんな選択をするかはお姉ちゃんや私が決めていいことじゃない」

「じゃあ、あんたは怖くないというの?その薬でもし…ラスティナさんは助からず、先生も亡くなってしまったらとは、思わないの?」

「それぐらい考えてるよ。怖いよ。先生が薬を使わない事を選んでほしいと思ってる。でもそれは私の希望でしかない。先生の選択には関係ない。たとえそうなってしまったとして、私にはなんの責任も取れない。選ばせた事を一生後悔するでしょうね。けれど私は、先生が願いを叶える為にできる事を優先する。私が自分の願いの為に同じ立場に立ったのなら、隠してほしくない」

「……」

 姉が私を離し、後ろを向いて黙り込んだ。言いたい事は全て言ったつもりだ。これで否定されるとしても仕方ない。姉の協力が得られないのであれば、今後は私一人でやっていくことになるだろう。現象術を使えない私だけでできる事は少ないが、それでもやめるわけにはいかない。私は、私の願いを諦めたくない。諦めるわけにはいかない。

「…わかった」そう言ってマリアベルが再びこちらを向く。「あんたの言った事もわかる…確かに私の気持ちは自分だけの主観。…それでも、先生にそんな事はさせたくないと思う、私の気持ちだってわかってほしいところだわ」

「私だって先生に薬を使ってほしいとは思ってないって言ったでしょう。お姉ちゃんの気持ちだってわかるよ。そう考えてるだろうことはわかって欲しいって、先生にも言ってる」

「…あんたが忠告してくれたのに、先生の依頼を受けたいと言ったのは私。その結果をあんただけに背負わせるなんてできない。私はあんたの願いに一緒に乗ると言ったんだから、辛い事も、あんたの願いを叶えるのも二人一緒よ。二人で一人前、だものね」

「…ごめんね、偉そうな事ばかり言って」

「あんたが可愛げがないのは今に始まった事じゃないわよ」

 そういって、マリアベルは私の頭に手を置く。

 私は何も返さなかった。ただ、姉が理解してくれた事を心の中で感謝した。

「少し寝ただけでしょう?今日はゆっくり休みなさい。先生が手伝うのだとしたら、私達が重荷になるわけにはいかないのだから」

「お姉ちゃんこそ、休んでいないでしょう」

「私も休むわよ。先生にはなんと?」

「手伝ってくれるなら、明日の夕方に東の街道沿いに来てくれって」

 マリアベルがうなづく。「わかった。先生に手伝ってもらうための準備をする。終わったら休むわ」

「私も…」

「大丈夫、そんなにかからないから先に休みなさい。明日は私より、あんたの方が体力的に大変なんだから」

「…うん、わかった」

 私は姉におやすみと告げ、部屋に戻った。寝間着姿になってベッドに潜り込む。

 できるだけの事はした。明日、アータイルが来ようと来るまいと、ラスティナの命運が決まるのだ。だが身体はそれなりに疲れていたのだろう。そんな緊張感も持ちつつも、再び眠りに落ちるまではそれほど時間は要らなかった。


 翌日の夕方、東門から1キロほどの街道。空は赤く染まっているが、太陽はハウダ森林の深い森に阻まれ見えない。逆方向、コーソル河の先の地平から、大きく赤い月がその上端の弧を僅かに覗かせている。私は街道の側の草地に座り、マリアベルとそれを眺めていた。

 この時間に街道を歩く人影はない。都市外縁の農村に泊まれる施設はないので次の宿場町まで行かないと宿が取れないが、今から街を出ると夜更けまで辿り着けない。夜になれば野盗の被害に遭うことも多いから、それなりの護衛を付けた急ぎの商隊でもなければ街から出てくることはまずない。

 旅をするのであればその安全性は第一に考えておくべきことだ。一晩の宿代をけちって、ならず者に身ぐるみ一式大判振る舞いをしてやることもない。

「来るかな、先生」マリアベルの問いかけに、寝転がったままぞんざいに応える。

「さあね」

 アータイルが現れるかどうか、そこまでは私にもわからない。アータイルの判断次第だ。

 確かにアータイルがいれば月晶花の発見の確率は格段に上がる。それでも命に釣り合う賭けではないし、アータイルにもそう言った。来なくても責めるようなことではないし、来ない方がいいに決まっている。でも、と言いながら、私は体を起こす。

「来ると思ってるよ、先生なら。だから話したんだもの」

 街道の薄闇の向こう側に小さく揺れる灯りが見て取れた。遠いが私達は夜目が効く。あれはアータイルだ。今まで見たスーツ姿ではなく、フィールドワークに適した服装で街道を歩いてくる。途中、私達に気づいたようで、道を逸れこちらに近づいてくる。

 顔を合わせても、夜の挨拶すら交わさない。

「来たんだね、先生」私の言葉にアータイルは小さく、だが力強く頷いた。

「私は、ラスティナをなんとしても助けたい。今までその事だけ考えて生きてきました。助けられるのならば医師としてでなくても構わない」

 アータイルの瞳を真っ直ぐ見据え、確認する。「途中でやめることはできない。半々の確率であなたは死ぬ。あなたが死んだとしても、ラスティナさんが助かる保証もない。それでも、叶えたいんだね?」

「はい」

 半分突き放したようにも取れる確認にも淀みなく即答する。私はポケットから青い液体の入った小瓶を取り出し、アータイルに渡す。マリアベルにもアータイルの覚悟が伝わったのだろう。口は挟まなかった。

「まだ飲まなくていいよ。探索を始める時に飲んで。まずは探索についてお姉ちゃんが説明する」

 マリアベルが持っていた地図を草の上に広げる。この数日間で作成した発生予想地図。

「これは森の中で、月の光が比較的広範囲に地面まで届く場所を示した地図。この区切りごとに、おおよそ一時間ごとで記載しています。月晶花は月の光が地面に当たることで発生しますから、この場所を重点的に探してください。ただ、必ずしもこの場所にだけ出るわけではありません。僅かな光でも発生する事もありますから、あくまで目安です。範囲間の移動の間も周囲に気を配っていてください」

 アータイルがうなづき、マリアベルがそれを確認する。「では次に…この範囲の中で先生に回っていただく範囲はこの範囲になります」

 マリアベルが地図をなぞった範囲は、私達が調べた範囲とほぼそのまま重なる。と、その範囲が薄く色づいた。森のほぼ二割の範囲だ。

「それ以外の範囲は私とティエリアが探します」

「わかりました。…しかし、地図があってもこの森で現在位置を見失わずにいられるかどうかは…」

 アータイルの懸念はもっともだった。飛んで上から位置を確認できる私達とは違うのだから、濃くはないとはいえ深いハウダ森林で現在位置を把握するのは不可能だ。

「そこは考えてあります。この染料を指につけて、地図上のどこでもいいですから点を打ってください」

「どこでも、ですか?」

 はい、とマリアベル。アータイルが言われた通りに地図上に赤い点を打つ、姉が短い韻律を奏でると、点が地図の上を移動した。それは森の外れの位置で止まる。現在、私達がいる位置だ。

「点は先生の位置に合わせて地図上を移動します。現在位置を見失う事はありません。あと、ここにある線、これは常に北を向く線です。試してみてください」

 地図をアータイルに渡すと、アータイルはその場で360度回る。その間、地図上の線は常に一定方向の位置にあった。現在地と方角が常に把握できる。

「…これは、すごいですね…」感嘆の声を上げるアータイル。

 人間の立場からするとこれは驚愕に値することだろう。これが誰でも使えるならば道に迷う者などいなくなる。地図が正確であれば、だが。もっとも、私達の地図は人のものよりずっと正確だ。誤差は最大で20cm程度だろう。実用上、問題になるほどの誤差ではない。

 各時間の地図と、私達の持つ地図にも同様にアータイルが点を打つ。これで私達もアータイルの位置がわかる。

 だが、位置以外にしても、魔法使いでないアータイルが探索に加わるのは容易ではない。

 この森にも狼や熊など人を襲う獣は少なからずいる。それに、一晩中道らしい道のない森の中を走り回るのは鍛えた人間ですら困難が付きまとう。マリアベルが昨夜用意したものはその為の道具だ。

「あとはこれらを。獣除けの護符と、強壮薬、連絡用の花火です。強壮薬は服用すると今夜中は全力で走り回っても体力が尽きたりはしなくなります。あくまで体力的な理由では、ですが…。あと、副作用として使用後は数日間、動くのが困難になります。花火は、花を発見した時に使ってください。特殊な花火なので、あげればこの森のどこにいても、見てなくても私達は気づけます。おそらく先生も。私達も見つけたらあげます。それと、ランタンを持っては走れないでしょうから、この明り瓶を首にかけてください。ランタンほど明るいものではありませんが…薬で夜目が利くようになるはずですからこの明りで十分です」

 一通りの道具の説明をマリアベルがしている間に、私は死霊を呼び出す。リコともう一匹、同じく死霊のティコ。こちらも私が可愛がっている個体で帽子の先が二本になっている。通常、魔法使いが交魔術で呼べるのは一体だけだが、私は種類に関わらずニ体までを同時に呼ぶことができる。私が一般的な魔法使いより優れる、ただ一つの点。

「月晶花、わかるよね。また探すの手伝ってね」うなづく二匹を抱き締める。

「ティエリア、そろそろよ」

 姉の言葉に空を見上げる。月が天頂を目指してじりじりと登り始め、一日の仕事を終えた太陽の代わりに地上を青白く照らす。風もなく、街の喧騒もここには届かない。二人の命運がかかった夜とは思えないほど、静かな夜。

 マリアベルがアータイルにうなづくと、彼は強壮薬、次に私が渡した青い毒を飲み下した。行きましょう、という姉の言葉に合わせて、私達は森に向かって駆け出した。

 私の担当は集合した場所の反対側、森の西から南にかけての範囲だ。森の境界付近は一番早く光が当たる付近なので既に発生している可能性がある。逆に内側の方は光の角度的にまだ発生はしないはずだ。まず目指すのは西側、森の境界付近だ。森の中を行くより上空を行く方が早い。この時間なら街から私の姿は判別できない。

 私は森の直前で木立の上まで跳躍し、そのまま木々の上を飛ぶ。リコとティコがついて来ている。

「リコ、ティコ、速さはそのままで下からついてきて。念のため、花があるかは確認しながら」

 言われた通りに降りて行く二匹。地面すれすれでついてくるのが枝葉の隙間から見て取れた。私自身は今の速度で森の中を通るのは難しいが、死霊は障害物はすり抜けられるので遅れることはない。途中で見つかれば後からでも教えてくれるだろう。 間もなく、森の西の境界が見えて来た。自分を支える力を解き、私は暗い森に降りて行った。


 マリアベルは探索の開始位置に目星をつけ、地面に降りた。辺りを見回す事もなく目を閉じ、呪文を唱える。閉じた瞼の裏がわずかに明るくなったような感覚を受ける。その中に小さな光点がいくつか見えた。

 呪文によって知覚を上げ、障害物に関わらず僅かな魔力を発するものを見つける。光点の形からおおよそそのものの形がわかる。日巡り草、玉鋼虫、ヤジリタケ…。月晶花は魔力の塊でもあるから、そのままの形で視える。花はない。

 目を開くといつもの夜の森だ。次の探索を行うため、走り出した。

 探索魔法は広範囲をまとめて探索できるが、連続して行使するのは負担になる。使いすぎれば、最悪魔力切れで昏倒しかねない。普段なら間を置くためにも次の探索地点までは歩いて移動するが、今夜はそんな事は言っていられない。だからといって倒れては元も子もない。対策の薬品を服用している。

「たまには探し始めに見つかってくれてもいいのに…」

 走りながら独りごちる。花はこちらの都合などお構いなしだ。相手はただの自然現象でしかないのだから、当たり前だが。

 昨夜の会話を思い出す。ティエリアはミレニアを探す事を自分の使命のように思っている。間違いなく、姉を見つける事はあの子にとっての「願い」だろう。自身が強い願いを持つからこそ、他人の願いであっても、それをないがしろにはしない。では、自分は何のためにやっているのか。

 自問するまでもない、ミレニアを見つけるためだ。それはティエリアと変わらない。だがそれが「願い」かと言われると、そうではない。姉の事が嫌いだったというわけではない。家族として愛していたし、尊敬もしていた。

 ミレニアがいなくなった時、自分も姉を探した。魔法使いの探索方法の範疇で。それで見つからなかったのだから、他に手の打ちようがなかった。多くの魔法使いが同じように探して見つからなかったのだから、それで自分も諦めるしかなかった。

 だが、ティエリアは諦めなかった。誰もが諦めた後に考えた事。それが灯火で願いを叶える事だった。

 持ち主が他人の願いを叶え続けることで、いつか持ち主の願いを叶えるという秘宝。母が家を出る時に祖母から託されたという。だが、そのように伝承されているだけで、灯火が本当に願いを叶えてくれるかはわからない。そもそも、灯火で願いを叶えた魔法使いの記録は残っていない。魔法使いにはもう長い間、願いを持つような者がいないだろうし、いたとしても、そんな願いが叶う根拠もわからない代物を頼ろうとはしない。

 そんなものを持ち出してでもミレニアを探したいとティエリアは言い出した。

 最初こそ、何をばかな事を、と考えていた。確証もなく原理もわからない灯火の伝承など信じていなかった。ティエリアが初めて他人の願いを叶え、灯火にわずかな光が灯るのを見て、ようやく伝承を信じてもいい気がした。

 現象術が使えず、ほとんど人と変わらない身で奔走し他者の願いを叶えた妹はぼろぼろだった。これからもそんな苦労してでも、ミレニアを見つけたいのかと聞いた。必ず見つける。それがティエリアの答えだった。

 どうしてそこまでティエリアがミレニアに拘るのかは、マリアベルにもわからなかった。昨日も言っていた。

「同じ立場なら、隠してほしくない」と。それは言い換えれば、ミレニアを見つけられるなら自分は死んでも構わないということでもある。姉に救ってもらった命だというのに…。

 次の地点で立ち止まり、再び詠唱を始める。鉄葉草、ヤジリタケ、短命木、山陽鉱、月晶花。

 はっとして目を開き、花を感じた方へ走る。茂みをかき分けた先には手のひら程の大きな花弁を広げた、花の姿の結晶。

 それを根元近くから手折る。

 花を手持ちの袋に入れ、代わりに手製の花火を取り出し、打ち上げる。魔力光が空に広がった。人の目には見えないが、ティエリアや今のアータイルなら見える筈だ。見ていなくても、感じられる。

 まずは一本。思いがけず早く見つかったが、過去の探索では、早く見つけても夜明けまで次が見つからない事も普通にある。

 この件が終わったら、ティエリアに聞いてみよう。なぜそこまでミレニアにこだわるのか。

 空に広がる魔力光が徐々に消えてゆく。マリアベルは再び夜の森を駆け出した。


 探索が始まって二時間程が経っていた。アータイルは地図に従って次の地点に向かって森の中を進んでいく。

 あの薬を飲んでからというもの、夜、しかも深い森の中だというのに視界は明るい。夜目が利くと言っていたがこういう事か。移動する分には、渡された明り瓶も必要ないほど、夜の世界が鮮明に見えた。これが魔法使いの視点なのか。これなら宵闇を飛び回る魔法使いというのも納得できる。

 しばらく前に、空に光が広がるのが見えた、というより「感じられた」。あれが聞いていた連絡用の花火なのだろう。

 まずは一本見つかったということか。こんなに早く見つかるとは思っていなかった。幸先はいい。だが、たまたま早く見つかっただけかもしれない。二人だけに頼っていてはいるわけにはいかない。自分も見つけなくては。

 木々の根の凹凸や茂みに苦労しながらも、息は上がることなく、手足も疲労を感じていないことに気づいた。自分は運動は苦手な方だというのに、だ。これが魔法使いの薬というものか。アータイルは驚嘆する。

 この後にどれほどの副作用があるかわからないが。どのように作られたものなのか、興味が湧き心が浮き立つ。医師ならば仕方のない事だろうと思う。それ程の効果だった。

 だが、これはラスティナの命を救うためにやっていることだ。医師としての興味は、今はどうでもいい。花が見つからなければ全ては徒労に終わってしまう。

 今までのことも徒労を繰り返してきただけだったな、とアータイルは思う。

 新しい薬が見つかったと聞けば、船で二月も掛けて遠出したり、症状の似た病が治ったという噂を聞けば山脈をいくつも越えて情報を仕入れに行ったりした。

 いや、徒労ばかりではない。目的の病ではなかったものの、いくつか他の病に効く薬を発見してきた。個人的に望む結果ではなかったとしても、人々に感謝されるのは悪い気はしなかった。

 だが、それらが本来の目的の足しになるような事は何一つなかった。患者の助けとなる医師たることを忘れた事はないが、それでも内心で落胆し続けてきた。

 アータイルにとってのラスティナは、まさに妹のようなものだった。

 アータイルの家も商店で、元々はラスティナとは家が隣同士だった。ラスティナは母親が早世し、父親が一人で面倒を見ていた。病を持つ娘の為に事業に勤しむ父親は家を空けざるを得ないことが多くなった。その代わりにアータイルの家でラスティナを預かり面倒を見てきた。ところが両親が事故で亡くなり、逆にフォルトナー家に引き取られた。だが、ラスティナの父親が不在の間、アータイルが面倒を見るのは変わらなかった。

 ある時、迷惑ばかりかけてごめんなさい、と言うラスティナに、かぶりを振って言った。

「迷惑なんてあるものか。おまえはぼくの妹なのだから、ぼくが面倒をみるのは当たり前だろう」

「アルだってお友達と遊んだりしたいでしょう。でも、わたしがいるから学校が終わったらすぐに帰ってこなきゃいけないのでしょう」

「遊びたいときは遊んでいるよ。大丈夫だから、おまえは身体を治す事だけを考えていればいい」

「でも、お医者様が、わたしの病気は治らないって」

「あのお医者が知らないだけさ。きっと父さんが治せるお医者を見つけてきてくれる」

「見つかるかな…」

「見つかるよきっと。もし見つからなかったら、ぼくがお医者になろう。きっとぼくが治してやるから」

 今思えば、随分簡単に約束をしたものだな、と草をかきわけながらアータイルは苦笑する。

 それからほどなくして養父は事業で成功し、ラスティナの面倒は使用人に任せられるようになった。アータイルは空いた時間を医師になるための勉強に傾けた。

 五年前にラスティナの主治医となり、治療にあたってきたが未だ、約束は果たせてはいない。

 今までの事に比べれば、二人の魔法使いの話には希望があった。自分の命を賭す、という事に悩みはしたものの、今までもラスティナを救うことに人生を費やしてきたのだ。自分が死んでもラスティナが助かるのであれば本望だ。養父への恩返しにもなる。考えたくはないが――そうならなかったとしても、やれるだけのことはやっただろうと、納得することができる気がした。

 そう考えて、結局のところ、とアータイルは思った。

 自分のやってきた事に対して納得できる結果が欲しいだけなのかもしれない。人智の及ばぬ力を頼ってでも、なお治せないならば、と。

 次の拓けた場所が見えた。頭を振って、その考えを追い出す。

 今はそんな事を考えている場合ではない。自己満足だからなんだというのだ。とにかく花を探さなくては。ラスティナを助けるために。

 

 最初の合図から五時間ほどだろうか。私は森の中を跳ねるように進んでいた。

 魔法使い用には体力増強の薬はない。本来、そうした必要があれば現象術で強化できるからだ。それができない以上、移動にあまり体力を使うのもまずい。走り回るのではなく、飛行を使いながら進んでいた。見上げると、木の陰の隙間から白い月が見える。おおよそ半分ほど過ぎたところだろう。

 一旦立ち止まり、地図を広げる。探索した範囲は担当範囲のおよそ八割程度だ。周り終えればまた開始地点から再度捜索する。マリアベルもおよそ八割、アータイルは五割というところか。

 私は再度移動を開始する。リコとティコは左右に広がり辺りを見回しながらついてくる。

 身体的にはほぼ人間と変わらない私の探索範囲が広いのはこれが理由だ。二匹の死霊が自分と同じように探し回ってくれる。と言っても、あまり距離が離れると呼び出した状態を維持できず元の世界に還ってしまうから、全く代わりになるわけではない。それができるのであればアータイルに来てもらう必要はなかったのだが。それでも、自分の目を増やす事ができるのは大きい。

 もっとも、マリアベルの範囲は全体の五割に及ぶ。現象術があればもっと効率よく探索ができるからだ。

 ならば、と思う。

 私が現象術を使えればアータイルの助けは要らなかったのだろうか。おそらく、それは正しい。現象術の使い手がもう一人いれば、アータイルはおろか、私すらいなくても探索範囲のカバー率にはさほど問題ない。だったら、これでアータイルが死ぬようなことがあれば、それは私のせいということになる。

 結局私は、偉そうな事を言いながら魔法使いとして一人前のこともできない半人前、いや、出来損ないでしかない。

 だめだ、考えるのをやめろ、花を探すことに集中しろ。先生の願いを叶えることに。私は頭を振ってその思考を追い出そうとする。

 自分の思考の流れをせき止めようと努力するが、流れは止まらない。願い。自分の願いは、愛する姉を取り戻すこと。

 だが、その裏にちらつくのは、価値のない私がミレニアと――結果的にでも――交換となってしまった事。かたや稀代の賢人と言われる姉、かたや生まれながらに半人前以下の烙印を押される宿命を受けた自分。天才と言われた姉の代償に残った、半人前にすら満たない自分。

 両親も、マリアベルも、他の魔法使い達もそんな事を言った事はない。しかし、そう思われてもおかしくないのが自分だ。

 違う。もう一度、大好きな姉に会いたい。死にかけの自分を救ってくれた感謝を伝えたい。それこそ私の願い。考えないようにしても、だが、どうしようもなく考えてしまうのは、自分が惨めな思いをするのは嫌だから、姉に戻ってきて欲しい、という思い。それは自分の願いではない。それは間違いない。

 でも、それでも、その思いがあるのも否定はできなかった。そしてそのように思う自分が情けなくて嫌になる。目端が熱くなるのを感じ、慌てて袖で拭う。

 と、視界を塞ぐ何かが目の前に迫ってきていた。それがなんなのか気づいた時には遅かった。

「!!」

 木から張り出した太い枝に額をおもいきりぶつけ、三メートルほど下の地面に尻から落ちる。幸い、地面は枯葉が堆積しているだけだったのでダメージは少ない。これが下生えの木の上だったりしたら探索に支障が出るほどの怪我をしてもおかしくなかった。自分で自分の怪我も治す事のできない魔法使い。

 私は額と尻を抑えて呻いた。

 余計な事を考えていたせいで、飛び上がった時に先をしっかり見ていなかったからだろう。探索に集中できていない証拠だ。

 額を痛打したせいで若干くらくらするが、立ち上がる。おかげで余計な事も頭から消えた。

 と、ティコが私の周りを飛び回っている。心配してくれいるのだろう。

「ありがとう、ティコ。大丈夫だよ」と、ティコの気遣いに感謝する。

 しかしティコはかぶりを振って元の位置に戻ろうとせず、私の周りをグルグルと回る。死霊は言葉を解するが喋らない。意図は動作から読み取るしかない。

「! あったの!?」

 私の言葉に反応し、ティコが元々来た方へ戻っていく。なんという体たらくだ。枝にぶつかるどころか、花の発見の合図すら見落としていたのか。反対側で探索しているリコを呼び、一緒にティコの後を追う。

 待っていたティコが乗る倒木の脇に、月晶花があった。根元から手折る。カバンにしまう前に、葉にあたる部分を折り、リコとティコに食べさせる。花の部分ではないから別に問題はないだろう。

「ありがと、ごめんねティコ。気づかなくて」

 私の詫びに、死霊は口をもごもごと動かしながら首を傾げるような仕草をしただけだった。

 連絡用の花火を上げ、念のためリコにも月晶花があったか尋ねるが、こちらは発見していないようだ。あとは私自身が見落としている可能性もある。この辺りは時間的に一周してからの再探索はできないだろう。少し戻って探索をやり直すことにした。わずかだが時間のロスになってしまった。

 今は自分の無力さを悔いている場合はない。アータイルの願いを叶えるのだ。自分の言葉を嘘にはしたくない。あと、一本。探索に集中しろと再度自分に言い聞かせ、今来た道を戻り始めた。


 アータイルは強いめまいにふらつき、すぐそばの大木に寄りかかった。懐中時計を取り出す。二回目の花火から既に四時間、探索開始からは九時間近い。夜明けもそう遠くない。こんなところで立ち止まっている場合ではない、そう自分言い聞かせらふらと歩み出す。歩きながら、自分の状態を診断する。

 息が苦しく、呼吸をするたびに胸が痛む。動悸が激しい。軽いめまいが継続し、ときおり強いめまい。手足に軽い震え。それ以外の異常はない。

 一時間前から徐々に症状が出始め、強くなってきている。おそらくこれが、視るための薬の副作用なのだろう。体を動かす事自体は問題なくできるものの、めまいと震えで今まで通りに探索するのは難しい。それでも休憩などという選択肢はない。次の目的地点に向かってゆっくりと、一歩ずつ歩みを進める。 

 邪魔な低木の枝をなんとか押しのけて進む。その先のやや開けた場所。目的の地点。小さいが綺麗な池があった。これが散歩であれば満月の光を移す美しい光景と思える。だが、今はただただ危険な要素でしかない。誤って落ちてしまうと這い上がるのも一苦労だろう。

 池から距離をとりながら、周囲の木々の周りや岩の陰をゆっくりと、くまなく探して行く。花はない。

 震える手で地図を広げ、次の地点の方角を確認し、再び森に分け入ろうとしたところで、強いめまい。膝が折れ、その場にうずくまる。

 止まるんじゃない、歩け。

 自分を鼓舞し、膝を立て、立ち上がる――が、途中で再び足から力が抜ける。地に倒れ込む。

「……くっ」

 顔を上げると揺れる視界の向こう――森に分け入った先に何かが見えた。光る、なにか。光虫かなにかだろうか。いや、距離からすると、ずっと大きい。目を凝らす。

 花だ。白い光を放つ、花。まるで結晶から荒く削り出したような…アータイルは息を飲む。

 あれこそ、求めていた花。月晶花だ。最後の、一本。

 マリアベルの説明に違わない花を見て、アータイルは急いで立ち上がろうとする。が、身体は言う事を聞かなかった。腕が体を支えられない。ならばと這っていこうとするが、震える手足に自分を引きずる力はなかった。動く事が、できない。

 視界が回る。更には暗転を繰り返し、意識が途切れかける。まだ、まだだ、耐えろ。花が、目の前に。

 せめて花火を上げて、二人に知らせなければ。花火を用意しようとし、アータイルはもはやそれすらできないことを知る。全身が全く動かない。

 あとわずかなのに!花火を取り出して、マッチで火をつける。たったそれだけなのに!!

 思わず上げた呪詛の声は、かすかな呻き声にしかならなかった。その声も、視界と共に闇に吸い込まれていった。


 二本目の花が見つかってから大分経つが、最後の一本は見つかっていない。マリアベルからもアータイルからも連絡はない。当然だ。見つからなければ連絡など来ない。

 空を見上げる。浮かんでいた月も森の中からではもうその姿を見る事は出来ない。代わりに東の空がやや明るくなって来ているのが見て取れた。リミットは近い。だが、焦りを感じても今以上に打てる手立てはない。とにかく、止まらずに探し回ることだけだ。

 私の探索は既に二周目に入っている。しらみ潰しに探し回ることはもうできない。一周目で見つけた、広範囲に光が当たる位置を重点的に回る事にしよう。

 探索中も書き加えていた地図を広げ、次の探索の目星をつける。ひとまず、現在位置から近い三箇所を決める。

 が、ふと思い立ってアータイルの探索範囲の地図を広げる。アータイルは探索の速度から、しらみ潰しに一周見て回るのが限度だ。探索初期に回った箇所はその時点での月照時間も短い。ならば、既に2周回った自分の探索区域より、探索初期範囲になる中で、広範囲に当たる箇所を調べるのが一番発見率が高いだろう。目的地をアータイルが担当する範囲の一部に決め、地図をしまう。

 そこでふと、違和感を感じた。

 なんだろう、先程までとはなにかが異なる。今までになかった、なにか。再度地図を広げるが、なにもおかしいところはない。ではこの違和感はなんだ?頭の中で先程見た地図と今見ている地図を比べる。

 私はそれに気づいた。

 そうか、アータイルの位置が変わっていない。印が先程地図を見た時と変わっていないのだ。…花を見つけた?いや、それなら花火が上がるはずだ。それ以外で立ち止まる理由は…ひとつしかなかった。

「!」

 理由に気づいた瞬間、私は森を飛び出して全速力でアータイルの元に向かった。

 辿り着くまでの時間が長く思えた。

 アータイルの印のあった地点に降り、辺りを探す。池のあるやや拓けた場所、その端にアータイルが倒れていた。予想通りだ。アータイルならば動ける限り花を探すはずだ。動かなかったのではなく、動けなかったのだ。

「先生!」

 駆け寄って助け起すと、アータイルは小さく呻いた。まだ息はあるようだ。だがこのままではまずい。なんとかしなくては。そこで私は我に返る。…なにを?どうするというのだ?

 慌てて来てしまったが、私にできることはなにもなかった。いや、マリアベルだったとしてもない。元より解毒の方法などない、と説明したのは他ならぬ自分ではないか。

 私は来るべきではなかったのか。あのまま、目指した地点に花を探しにいくべきだったのか。ならば、今すぐそうするべきだ。だが、苦しむアータイルをこのままにしてもいいものだろうか。いや、優先すべきは…しかし…。

 決めあぐねていると、膝の上でアータイルが身じろぎし、目を開ける。

「先生!先生!しっかり!!」私にできることは呼びかけることだけだった。

「……ち…に……………な……」

 …なにかを言っている、のか?耳を近づけて声を聞く。

 わからなかった。と、アータイルが顔を動かそうとしているのに気づいた。顔の方向はほとんど変わらないが、首のかすかな動きでわかる。おそらく、アータイルの頭の方向。まさか、花が?そちらを見るが、暗い茂みの切れ間。そこにはなにも見えない。暗闇があるだけだ。

 そういう意味ではないのだろうか。

 …いや、倒れた時の方向だろうか。目を開けてはいるが、おそらく今のアータイルほとんどなにも見えていないだろう。私が助け起こした事で向きが変わっている。倒れていた時はどちらを向いていた…?倒れていた位置と向き、そして首を動かそうとしていた向きから当たりをつけ、リコに指示する。

「リコ、念のため、あっちの方向に何かあるか見てきて」

 リコは私の指した方向に飛んでいく。戻ってくるまでに、どうするか決めなくては。このまま時間を無駄に消費するわけにはいかない。…やはり、アータイルを置いて探索に戻るべきだ。アータイルがこんな状態になってまで、なにを求めているのか。それをないがしろにするわけにはいかない。

「先生、ごめん、私には先生にできることがなにもない…。先生をここに置いて探索に戻るよ。まだ、望みはなくなっていないから…」

 アータイルの頭を膝から降ろし立ち上がる。と、リコが戻ってきた。すると、リコが身振りをし、先ほどの方向に戻っていった。

 私ははっとして、リコを追いかける。

 アータイルの倒れていた位置から十五メートル程のところに大岩があった。そしてその側にあった。

 月晶花。最後の一本。

 私は急いで三発目の花火を上げる。これでマリアベルがこちらに向かうはずだ。今は一分一秒が惜しい。姉がここに来るよりも私からも向かわなければならない。

 花を取ってアータイルの元に戻り、それを告げる。

「見つけた!先生の、最後の一本!行くね!!」

 私の言葉が届いたのだろう。アータイルは振り絞るように、だが、今度ははっきりと答えた。

「ラ…ティ……ナを…お願い、します…」

 私はアータイルを置いて再び空に舞い上がる。森の上から見渡すと、遥か向こうからマリアベルがこちらに向かって来ているのが見えた。姉もこちらに気づいたのだろう、途中から進行方向を街の方へ向ける。残り時間が僅かなのは姉も承知している。私も姉に近づきながら街に向かう進路を取る。

 姉に追いつくと、花を差し出して来た。それを受け取る。ついに三本の月晶花が私の元に集まった。後はラスティナの待つ屋敷に向かうだけだ。

 だが、月は既に半分以上が没している。このままでは間に合わない可能性もある。すると、姉がこちらに手を伸ばしてきた。

「跳ぶわよ、手を出しなさい!」

 確かに短距離しか飛べない転移でも、僅かに時間が稼げる。連続では跳べないが一回でもやっておく価値はある。

 差し出した私の手を握ると、マリアベルは詠唱を始めた。だがそのマリアベルの術構成に、私は声をあげる。

「駄目、距離が長すぎる!」

 通常の三倍に及ぶ距離だった。

 転移の術構成は距離が伸びるほど飛躍的に規模が大きく、複雑になる。完成させること自体は時間をかければ可能だが、その完成までの間、構成を維持し続けるには大きな魔力量が必要になる。魔法は無理をすればできるというものではない。マリアベルがこの構成を維持できるはずがなかった。

 転移は失敗すればどこに出るかわからない。運良く長距離を飛べる可能性もあるが、逆方向、悪ければ土の下に出る可能性だってあった。だが、姉は構わず続ける。

 予想に反して構成は完成した。視界が一瞬暗転し、戻る。眼下に鬱蒼とした木々はなく、家々が並んでいる。レインサイニスの防壁をぎりぎり越えた地点だ。

「行きなさいティエリア、私は先生を!」

 マリアベルは手を離して反転し、森に向かって戻っていく。

 なぜ転移できたかを問う間はない。とにかくラスティナが待つ屋敷に向かう。転移で大分稼げたとはいえ、時間的な余裕はない。日も出てきている。

 私はそのまま街の上を飛びぬける。起きている人間もいるだろうし、飛んでいるところを見られるかもしれないが、もはや人目を気にして走ってなどいられない。掟など今は知った事か。

 さほど時間はかからず屋敷にたどり着いた。玄関から尋ねてなどいられない。そのまま屋敷の左翼に回り、ラスティナの部屋の部屋に直接向かう。勢いそのままに顔を庇いながら窓に突っ込んだ。窓が枠ごと割れ砕ける。

 ガラスの割れる大きな音と共に部屋に転がり込む。身体を翻すが勢い余って部屋の奥、部屋の扉に背中からぶつかる。息を詰まらせながらも、その瞬間に扉の閂をかける。音を聞いてすぐに人が来るだろう。それまでに済まさなければ。

 ポケットから羽根飾りを取り出し、宙に放る。ジャスパーの契約の羽根。

「ジャスパー!契約を果たす時が来た。再び我の元へ!」

 私の声に呼応し、空中の羽根が黒一色に染まった。そして見えなくなる程収縮したかと思うと、そこから闇が噴き出し、視界を覆う。

「ほーぅ、集めてきたというのか?」

 耳障りな怪鳥の声が聞こえる。視界を覆っていた闇が晴れると、そこにはジャスパーの姿があった。持っていた三本の月晶花を放る。ジャスパーはそれを受け止めると満足そうにうなづいた。

「心臓と鉱石はそこにある。早く彼女を治して!」

「全く大したものだ、さぞかし苦労したであろうな。ただの餓鬼と思っていたが、なかなかどうして」

「いいから、早く!」

「だが、僅かに遅かったようだな」

 ジャスパーの言葉に、一瞬ぎくりとする。が、気づかない振りをして叫ぶ。

「何を言っている。いいから治しなさい!」

「治すべき者は、とうにこの世におらぬぞ」

「…!」

 ラスティナに駆け寄り、その手に触れる。まだ暖かい。しかし、その鼓動を感じることができなかった。ばかな。ぎりぎりだが、まだ月は沈み切ってはいないはずだ。

「どうして!まだ月は沈んでないはず!」

「我の予測通りであろう?沈むとともに、命が尽きる。…沈み切るまでもつとは言っておらんぞ」

 ジャスパーが嘴の端を歪めて嗤う。

「ふざけるな!治しなさい、それが契約でしょう!」

「病と身体を癒す契約だ。それに、失われた命を戻す事など不可能よ」

 ラスティナの手を握りしめ、私は言葉を失う。私達が、アータイルが、あんな思いをしてようやく見つけたというのに。それを、それを…!

 私は顔をあげ、改めてジャスパーを睨んで言う。

「いいから、治しなさい。そういう契約ならそれでいい。治しなさい」

「わからん奴だな。其奴はとうに…」

「いいから治せぇ!」

 ジャスパーはやれやれ、という仕草をし、片手を振るう。ラスティナの身体が一瞬光を帯び、元に戻る。

 青白かった顔が通常の顔色に戻り、痩せた手は美しい健康的な状態に戻る。

「確かに病は除かれ、弱った身体は元に戻った。契約は成立だ。…これで満足か?」

 小馬鹿にしたように言うジャスパーを無視し、私はラスティナを揺する。

「起きて、ラスティナさん。病は治ったんだよ。もう自分が迷惑をかけるなんて思う必要はないんだ。だから起きて、お願い、お願いだから…」

「そんな事をしたところで死者が蘇るものか。やれやれ、貴様らはもう少し理知的な連中だと思っていたのだがな。こんな感傷的だとは知らなんだ」

 私は振り返らず、ラスティナの身体を揺すりながら言う。

「おまえにはわからないよ。人がどんな想いで願うのかなんて。ただ力を持ち、他者を見下す事にしか楽しみを持てない、哀れなおまえには」

 ジャスパーはふん、と鼻を鳴らしただけだった。

「ラスティナさん…先生が守ってくれたんだよ。あなたを治すっていう約束。覚えているでしょう?だから、諦めないで、起きてよ…」

 反応をしないラスティナ。揺するのをやめ、思いを伝えるようにその手を握る。反応はない。涙が滲んでくるのがわかり、ベッドに顔を埋める。

「ふむ?外が騒がしいな。貴様が派手な登場をしたせいだろうな。さて我はもう行く。品物はもらっていくぞ。契約は果たしたからな」

「…勝手にすればいい。とっとと消えて」

 鼓動を感じられないラスティナの手を握ったまま、ベッドから顔を上げずに答える。

「…ぬ?」

 ジャスパーが訝しげに声を上げる。私は顔は上げずに目だけそちらに向ける。用意した品になにか不足でもあったのだろうか。だとしても、もはやどうでもいい。

 ジャスパーはこちらを見ていた。いや、私ではない。ラスティナだ。

 私と目が合うとジャスパーはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

「では、さらばだ」

 怪鳥は私を気にかける様子もなく、その場に溶けるように消えた。最後の態度はなんだったのか。私はジャスパーが消えた後もなお、その姿をしばらく見つめていた。

 ややあって私は、ラスティナの手を離し、立ち上がった。

「ごめんなさい、ラスティナさん…助けられなくて、ごめんなさい…」

 ここにはもういられない。涙を袖で拭い、身を翻して破れた窓に向かって跳ぶ。

「ん…」

 予想もしない小さな声が聞こえ、思わず窓枠を掴んで動きを止める。割れたガラスで手を切ったが構わずラスティナに詰め寄る。ラスティナの胸が、かすかに上下に動いていた。

「え…生き…てる…?なんで…」

 と、ラスティナが小さく囁くのが聞こえた。

「…アー…タ…ル……」

 再び涙が滲んでくる。

「そう、だよ。先生が約束を果たしてくれた、治してくれたんだ。もう、大丈夫…」

 血の付いた手であることも構わず、ラスティナの手を強く握る。その手に温もりが、鼓動が戻ってきていた。

 予想だにしないことに、大きな声が出そうになる。が、部屋の扉に何かが強くぶつかる音がしてそれを飲み込む。部屋の扉を強引に開けようとしているのだろう。ラスティナが本当に治ったかを見届けたかったが、ここにはもう居られない。

 再び部屋を出ようと立ち上がろうとすると、何かが目に入った。黒い羽根飾りだった。契約の証。

 なぜこれが残っているのだろう。契約の証は契約が果たされたら消滅するものだ。そしてラスティナは契約が果たされ、治ったというのに。だが考える暇はない。証を拾い、破れた窓から飛び出す。

 一拍遅れて扉の鍵が壊れ、ドアが強く開く音がした。

「お嬢様!…窓が!」

「お嬢様は無事か!?…血が!」

 おそらく警備の人間であろう声がした。一足早く窓から出た私はそのまま屋根に転がって下階の喧騒を聞いていた。

 私達はやり遂げたのか…?半分呆然とした心持ちで荷物入れから適当な布を取り出し、血に濡れた手に巻きつける。その痛みすら現実感がなかった。

 しかし、どうして…?

 おそらくあの時、ジャスパーはこの事に気づいたのだろう。だからあの気に食わなそうな態度を見せたのだ。

 考えられる理由があるとすれば、ジャスパーに無理やり治療させたこと以外にはない。奴は無意味だと散々に言っていたが、もしかしたらこうなる可能性があることを知っていて、それを排除するつもりだったのだろうか。あの人でなしであれば、相手の苦悩の表情を見るために、そういう小細工をしないとは言い切れない。

 だが、最後の反応からすると…やはり奴にも予想外の事だったのだろう。3人で月晶花3本を見つけた事とは比べ物にならない程の、本当の奇跡。

 上体を起こして見下ろすと、レインサイニスの街並みが朝焼けに照らされ輝いていた。まだ、実感が湧かず、数瞬の間、私は忘我のままそれを眺めていた。が、我に返る。

 まだだ。惚けている場合ではない。まだ終わっていないのだから。アータイルの容態が気にかかる。

 そのまま街の高空まで登ってから森に抜け、自宅に向かう。気が焦り、辿り着くまでが長く感じる。家の間に降り立つなり玄関に転がり込んだ。

「先生は!?」

「ティエリア!」

 姉とアータイルは外にいた。アータイルは倒れたままだ。

「ラスティナさんは?」

「最後まで確認できなかったけど、多分、大丈夫。先生の容態は?」

 私の問いに姉は重々しく首を振る。

「良くない…このままだと保たないかもしれない」

 私は顔を抑え、天井を仰ぐ。なんということだ、ラスティナが助かったというのに!もちろん、この事態も予想される範囲のことではある。だが、このままアータイルが死んでしまっては悲し過ぎる。

「先生、ラスティナさんは助かったよ!もう大丈夫!先生のおかげだよ!」

 アータイルにラスティナの事を報告するも、荒い息使いが返ってくるだけだった。意識がないのだろう。なにか、何か手はないものか。誰か、使えそうな…。

「ティエリア、契約の証はある?」

「あかし…証?え?あ、あぁ、あるけど…?」

 予想だにしないマリアベルの質問に、私は怪訝な顔をしながら証を見せた。そうだ、確かにこれも疑問だった。残っているはずのない契約の証。そしてそれがあるかなど、どうしてマリアベルが気にするのだろう。

 証を見たマリアベルは私に、言った。

「いいわ、ティエリア。ジャスパーを呼びなさい」

 姉の言葉に一瞬抵抗を覚える。この期に及んで、なおもあいつを頼るのは御免だった。

 だが、それでもアータイルの命には変えられない。助けるにはそれしかないのも事実だ。迷っている暇はない。私は立ち上がり、交魔術の詠唱を始める。

 ラスティナがどうなったかを一番知りたいのはアータイルだ。それを伝えずに死なせるわけにはいかない。描いた魔法陣に杖の石突きを思い切り叩きつける。黒羽の嵐から、再びジャスパーが現れた。

 私達を見たジャスパーが呆れたように言う。「今度は誰かと思えば…またも貴様らか。懲りない奴等め」

「ジャスパー、この人を助けて、早く!」私はアータイルを示して叫ぶ。

 そんな私の言葉を聞いてか聞かずか、キョロキョロと辺りを見回すジャスパー。

「んん…?もしや、貴様らが契約を果たしたのはつい先程の事か?」そうよ、とマリアベルが答える。

 そういえばジャスパーの服装が先程と違う。この世界と他の世界では時間の流れがそれぞれに異なる。ジャスパーにとってはいくらか時間が経っているのだろう。

「よくも立て続けに死に損ないを用意するものだ。どれ」アータイルを診たジャスパーが大口を開けて笑い声をあげる。

「そうか、この状態、月晶花を見つけるために此奴を使ったのだな。そして今度は此奴を助けろと言うか!飛んだお笑い草よ!」

「うるさい、いいから必要なものを言いなさい!」

 怒声を上げる私を、前回とは逆にマリアベルが手で制した。

「ジャスパー、この人は後どれくらい保つ?」

「ふん?そうさな。ほんの半刻よ。悠長に話す暇はないと思うぞ?」

「この人は病じゃない。毒を乗り越えるだけの体力があればいい、そうよね」

「…それは、そうだな」

 ジャスパーは怪訝な表情を浮かべる。それは私も同じだった。姉は何を考えているのだろう。アータイルに残された時間は少ない。一刻も早く報酬を聞き出さなければならないというのに。状況に対してマリアベルはやけに落ち着いている。前回で学習した、というならわからないでもないのだが、悠長にできる状況でもない。ジャスパー自身も、前回散々に激昂していた相手の意図を図りかねていた。

「では、それで結構。毒を乗り越えられるよう、体力のある状態に戻してくれればいい。さ、報酬を言いなさい」

「ふん、その分安くしてほしいということか?まぁ、よかろう。後は貴様等次第よ」

 治療の程度を下げる事で報酬を下げようという事か。だが、それは無意味だ。ジャスパーの報酬の問題は報酬の量ではない。容易に調達できないものを選ぶ事なのだから。だから誰も契約を果たせない。

「…そうさな、近くに河があるな。ならば水浄石一個でよい。破格であろう?ただし、貴様らの指2本分の径のものをな」

 くつくつとがいやらしく笑うジャスパーを睨みつける。「また、そんな…」

 水浄石は水底にできる鉱石で珍しいものではない。五分程あれば取って来る事ができるだろう。ただしそれは親指の頭程度のものであれば、だ。ジャスパーの要求するほどのサイズの物はほとんどない。半日探せば見つかるだろうが、半刻しかない状態、しかも日が昇って目立つ状態では魔法を使うこともできない。

 この要求もまた、月晶花と同じくらいに絶望的だった。だとしても、見つけるしかないのだ。無駄なやり取りをする暇はない。すぐに踵を返して河に向かう――はずが、姉に腕を掴まれた。

「ちょっと待った」

「お姉ちゃん!?」

 何故止めるのか、という非難の叫びをあげる私を無視し、姉がジャスパーに言い放った。

「わざわざいやらしい報酬を考えて提案してくれたところ悪いんだけど。ジャスパー、あんたにそれを要求する権利はない」

 予想だにしない姉の言葉だった。一瞬目を剥いたジャスパーだったが、理解し難いというように首を振る。私も何を言っているんだ、というような表情を浮かべてしまう。

「阿呆か貴様は。治す代わりに対価を頂く。当然の取引だ。馬鹿でもわかる理屈だ」

「そう、治してもらう代わりに相応の対価を払う、当然よね」ところで、と続ける。「ジャスパー、あんた前回の報酬の心臓、どうした?」

「あんなものは一晩の夕餉の足しにしかならん。しかしモノは上物揃いだったな。あれほどの大きさはなかなか無い」

「そうでしょうそうでしょう。わざわざ大きいものを取り揃えてあげたのだから。喜んでいただけてなによりよ」満足そうにうなづくマリアベル。

「……?」

 やはり余裕のある姉の態度に、ジャスパーが警戒感を露わにする。自分の方が優越な立場なはずだ。こいつは何を企んでいる、と。そんなジャスパーにやけに芝居がかった仕草でマリアベルが言う。

「でも、ごめんなさいねぇ、私気づかなくって。心臓十個だったわね?十一個入れてしまったのよね」

 ジャスパーが眉間に皺を寄せる――ような――表情を浮かべる。

「何を言っている。間違えてはおらん、十個だったぞ」

「そう、見た目には、ね。そのうちの一個、実験に使う予定だったものがあってねぇ。そのために、心臓の中に小さい心臓を一個入れてあったの。それを混ぜてしまったのを、さっき思い出しちゃってぇ」

「なん、だと?」

 ジャスパーの反応に、姉がクスクスと楽しそうに、そして小馬鹿にするように笑う。私も呆気に取られる。そんな事をしていたなんて知りもしなかった。

「つまりね?あんたは先の契約を正しく履行していないの。対価を契約より多く受領してしまったわけ。おわかり?」

「馬鹿な、そんなもの我は知らんぞ。そうだとしても証拠でもあるのか?」

 ジャスパーが目を剥いて反論する。そんなジャスパーに姉は下から、だが見下すように告げる。

「数を間違えたのは私。だけど、受け取った以上はあんたの責任よ。知らなかった、なんて理屈は通用しないの。餓鬼じゃないんだからさ。さっき自分で言ったじゃない。治す代わりに相応の対価をもらう、でしょ?それがあんたと私達、魔法使いの契約。じゃあ相応以上の対価を受け取ったあんたはどうなるのかしらね?証拠でもあるのか、ですって?」ティエリア、と私に証拠の提示を求める。

 私はポケットから例のものを取り出す。ジャスパーとの契約の羽。契約が「正しく」履行されれば消えて無くなるもの。それがここにある。正しく契約が履行されていないからこそ、残ったままだった。姉はそういう仕掛けをしていたからこそ、この羽根が残る事を知っていたのだ。

 それを見たジャスパーは再び目を剥く。

「契約の不履行は、先生の治療で帳消しにしてあげる。さ、早くしなさい」

 余裕たっぷりの姉の言葉にジャスパーが怒りの声を挙げる。

「馬鹿な、認めんぞそんな小細工。貴様等は我にそんな事が言える立場にないのだ。我がいなければ其奴を治すことはできんのだぞ」

「あら、拒否する?あるいは、粘って先生が亡くなるのを待つのも手ね?そうしたいのなら構わない。ただ…」ニヤニヤしていた表情を一変させる。

「治療をせずに先生を死なせたなら、私はあんたの世界まで行って、不履行の代償をあんたの命で償ってもらう。あんたの世界に行くには会議から鍵を借りなきゃいけないけど、魔法使いは契約不履行には全く容赦しないわよ。ただでさえ誰の役にも立たないあんたの処罰に反対する魔法使いはいないでしょうしね。あぁ、いいわよ逃げても。でも、私はあんたをミンチにするまで果てしなく追いかけてやるつもりだからそのつもりで逃げてね」

 交魔の契約は全ての魔法使いにとって財産となるものだ。だから契約相手を命を盾に脅すことはできないよう「鍵」が管理される。目の前のジャスパーは実体ではない。そこでもし、なんらかの方法で「鍵」を得て契約相手を殺したりすれば、間違いなく死罪になるだろう。

 だが、契約不履行となれば話は変わってくる。

 たとえ詐欺まがいのやり取りであったとしても契約は契約、果たされた契約は履行されなければならない。それがどれほど悪辣な手段だろうと、騙される方が悪い。それは魔法使いも契約相手もだ。その契約を守れない交渉相手など、どの魔法使いにとっても不要となる。

 実際、過去にもそういった例がいくつかある。擁護するものがあればまた違うのかもしれないが、ジャスパーはほぼ全ての魔法使いにとって、必要な存在ではない。契約を果たせた実績が皆無なのだから、契約を擁護する魔法使いはいない。

「…我を脅すつもりか」

「何を勘違いしている?脅しているのではない。正当な権利を持って契約不履行の代償を支払えと言っている。不履行の代償を支払わなければ相応に罰が与えられる。それが契約ってもの。馬鹿でもわかる理屈よ。どうせすぐ治せるんでしょう。大した損ではないのだから、さっさと治療すればいい。水浄石一個なんて大した価値ではない。どうせあんた自身は必要とすらしていないのでしょう?」

 ジャスパーは怒りに震えていた。真っ黒い顔が真っ赤になるんじゃないかとすら思えるほどにだ。それはそうだろう。先日に散々に小馬鹿にした魔法使いに一杯食わされたのだから。

「…おのれ、忌々しい」

「あんたもきっと色んな者達にそう思われている。少しはその思いを知るといい。むしろ相手が私達で良かったと思うべきね。不履行の代償を償う方法があるのだから。あんたの所業では、他の魔法使いなら有無もなく殺されたとしても仕方がない。安い授業料だと思うことね。契約さえ間違いなく果たせば、あんたに手出しできる魔法使いはいないのだから。けれど、魔法使いだって馬鹿じゃない。これくらいの策を弄するくらいするのよ。これまでに何度呼ばれたか知らないけど、これまでの成果で相手を舐め過ぎたわね。愚か者め」

 お返しとばかりに姉は散々にジャスパーをこき下ろす。だが、ジャスパーも馬鹿ではなかった。自分の矜恃で命を賭ける気はなかったようだ。不満そうに鼻を鳴らすと手を一振りする。アータイルが淡い光に包まれると共に、私の手の中の証が溶け消える。それは不履行の代償が払われたということでもある。

「不愉快だ。次はこううまくいくなどと思わないことだな」

「もう次はないからそんな心配はしなくてもいい。こちらとしても、もうあんたには頼らない」

 その言葉には何も返さず、先程と同じようにジャスパーの姿が消えた。アータイルを見ると、顔色が戻っていた。苦しそうなのは変わらないが、薬の効果自体が続いているからだろう。だが、それも長くは続かない。それまで保つ体力は十分にありそうだ。

「お姉ちゃん、そんな事をしてたんだね。いつの間に?」やり取りを見ていた私は呆然と呟く。

「ん?あぁ、先生が参加すると聞いた後すぐよ。ラスティナさんの契約が上手くいかないと意味なかったけど、仕掛けておいてよかったわ」

 通常ならば、相手との関係が悪くなるとその後の交渉しづらくなるのでこういった小細工はしない。が、今回はばかりはそれが功を奏した。

「話してくれてもよかったのに」

「あんた、普段は冷静なんだけどここぞって時には逆に感情的になるからね。余計なこと教えないであいつにそういう面を見せておいた方が油断するかなって思ったのよ」

 否定できない。先程までのやり取りを思い返してみれば、私はかなり感情的だったと思う。姉とて先日の状況では冷静とは言えなかったが、肝心なところで冷静になれない私の方が余程未熟だ。

 いずれにせよ、ラスティナは助かった。アータイルも生きている。少なくない奇跡の後押しがあったとはいえ、私達はやり遂げることができたのだ…。

 「ん…怪我したの?見せてみなさい」

 そういえば、ラスティナの部屋から出ようとした時にガラスで切った傷だ。それどころではなかったので痛みも気にもしてなかった。巻き付けた布を外そうとしたが、無造作に巻きつけただけだったので傷に張り付いてしまっている。痛みを我慢して一気に剥がす。痛みに顔をしかめる。再び傷口から血が滲み始めた。

 切り傷ね、とマリアベルが短い詠唱をするとすぐに血が止まった。滲んだ血を拭き取ると、傷は既にない。

「ありがと、お姉ちゃん」

 礼を述べると、マリアベルが地面にへたり込む。

「…と、安心して気が抜けちゃったかな」

 そういって頭を掻く振りをするマリアベルに私は手を差し伸べる。

「…違うでしょ。私の薬、使ったんでしょう?」

 探索魔法の使用は結構魔力を使用する。普通なら乱用はできないが「私の薬」があれば可能だ。アータイルが使用した物と同じ薬。

 あの薬の、私達向けの本来の効果は、半日程度の間、魔力の生産量を格段に増強することだ。あの薬の効果があれば長距離転移も納得できる。だがその効能に見合うだけの副作用があって、効果が切れた後の二、三日は立っている事も困難になるほど、魔力の生産力が落ちる。通常の魔法使いであればそれだけのことだが、ただでさえ魔力生産量の低い私がその状態になったら致命的だ。だからこれはブレスレットが何らかの理由で手元にない時に使う、私の緊急延命のための常備薬なのだ。

 それを飲んでいたからこそ、最後の長距離転移も合点がいく。通常なら発動できない魔法でも、魔力量が格段に上がった状態ならば可能になる。

「でも、先生をこのままって訳にはいかないわ。薬が切れてもしばらく動けないだろうし」

「夜までは仕方ないからここで我慢してもらって…夜になったら私が誰かを呼び出して診療所まで運んでおくよ。お姉ちゃんは先に部屋まで肩を貸すから、休んで」

「ん…ありがとね」

 私の手を掴んで立ち上がる姉に肩を貸し、家に入る。

「お姉ちゃん」

「ん、なに?」

「…私、お姉ちゃんが居てくれて、本当によかったと思う」

 私の感謝の言葉に、マリアベルはここしばらくないくらいの笑顔を返し、言った。

「そうでしょ。でも、お互い様よ」


 満月から一週間程が過ぎた。

 マリアベルはとうに薬の副作用から回復し、二人でラスティナの元に向かう。

 前回の往診と同じように、カシンの案内でラスティナの部屋に向かう。ただ、前回とは違う部屋に案内された。私が窓を破ったので、別室に移動したのだろう。

 部屋に入ると、前回と同じようにラスティナがベッドの上から私達を出迎えた。

 ラスティナに合うのはあの夜以来だが、前回の往診時のような痛々しい様子は全く見られない。健康的な顔色はもちろんのこと、何より、目が生気に満ちていた。

 その姿に私は、声に出さないまでも感嘆の息を吐く。これ程までに印象の変わるものなのか。正直な感想を言えば、以前より格段に美しい。本人は令嬢という柄ではない、と言っていたが、今の彼女は間違いなく令嬢というにふさわしい美しさを醸し出していた。

「マリアベル先生、ティエリアさん、ようこそお越しくださいました」

「こんにちは、お加減いかがですか?」

 是非お話ししたかった、というような素振りでラスティナが教えてくれる。

「いただいた薬を飲み始めてから、本当に調子がいいです。今までの辛さが嘘のよう…」

 ジャスパーが直した時点で今の状態に戻っているはずだが、何もせず治りました、とは言えない。夜が明けたその日に、私がマリアベルの使いとしてラスティナへ薬を届けていた。と、言っても渡した物自体はただの穀物の粉でしかない。その薬で体調が良くなった、というストーリーだ。

 ラスティナ自身は薬を受け取った時点では既に好調さを感じていただろうが、そこは気のせいということで済ませてもらおう。

 「確かに、顔色もとてもいいですね…。以前同様の患者さんに処方したらやや症状が上向いた効果があったものをご提供したのですが、ラスティナさんには正直、意外なほど効果が出ているようです」

 マリアベルが信じられない、という素振りで首を振る。もちろん、私達はラスティナが治癒している事を知っている。だがここは医師としての演技をしなければならない。

「そ、そうなのですか?」と、自分が特殊な方と知ったラスティナが狼狽える。

「はい、そこまで劇的に改善した例はありません。…サイル先生が材料集めで奮闘した甲斐がありましたね」

「ああ、そう言えばその件、お聞きしたかったんです。アータイルは大丈夫なのですか?」

 アータイルがあれから変わらずベッドの上なので往診には来られない。薬の材料の採集時に怪我を負った、ということにしてある。

「命に別状があるような怪我ではありませんでした。今は診療所で静養なさっています。そろそろ復帰できるのではないかと」

「そうですか、よかった」と、安堵の笑みを浮かべる。

 では、始めますね、と診察を開始するマリアベル。前回と同じようなことを一通り行う。ただし今回は飲み薬はない。

 「…信じられない。健康な人と別段変わらないですね。薬自体は私が提供したものではありますけど、これほどの効果が出た事はありません。個人差が大きいのかしら…」

 結果を見て怪訝な表情を浮かべるマリアベル。

 そうなのですか、とラスティナも困惑の表情だ。「以前の患者さんにも出されたのですよね?その方の病はどうなったのです?」

「改善は見られましたが、治癒には程遠いですね。今は症状の軽減を目的に定期的に提供しています。うーん、薬が効き過ぎている…?ラスティナさん自身は今までにないような違和感はありますか?」

「いえ、特には…」

 ラスティナの言葉に腕組みをし、考え込むフリをするマリアベル。

「……。で、あれば当面は様子見としましょうか。現状では副作用も見られず、体調は劇的に上向いていますから、追加の薬もなしにしてサイル先生にしばらく経過を見ていただきましょう。必要そうなら、またサイル先生に呼んでいただく形で。薬は良い面だけではありませんから、違和感のある症状が出たら必ず先生に申告してくださいね」

 医師としての注意をラスティナに念押しする。

「はい、わかりました。…あの、では、次にお二人とお会いできるのがいつかわからなくなってしまいますね。せっかくお知り合いになれたのに」

「そうですね、それは私も残念です。でも、私は医師ですから。普通に考えれば関わりがない方が良いに決まっています。身体が問題なくなったとすれば、以前言っていたような、色々なところに行くことも、多くの人と関わることもできるようになります。私達がいなくてもきっと大丈夫です」

 マリアベルの言葉に、信じられないという表情を浮かべる。

「そう、そうなんでしょうか。私が他の人と同じように過ごすことができるのでしょうか…!?」

 そんな日が来るなんて思っていなかった、というように。私達は知っている。それが可能であるということを。だが、ここでの私達はあくまで一人の医者だ。そこまでは明言しない。

「それは、今後の経過を見るサイル先生にお尋ねください。少なくとも現時点で私が診察結果から言えるのは…今のラスティナさんは健康な人と特に変わらない、ということです」姉の言葉にラスティナは大きく目を見開く。その目端から雫が零れる。

「そんな、そんなことが…」

 幼少からラスティナは病に苦しんでいたとアータイルは言っていた。アータイルと年近いとして、控えめに言っても10年以上。それ程の間、苦しんでいた病が突然、治ってしまった。信じられないという感想は間違いないだろう。事実、信じられないようなことが起こったのだから。

「今すぐベッドから出るのは困難かもしれません。でもしばらく訓練すれば、ベッドから出て、他の人と同じように過ごせる日はそう遠くないでしょう」

「…ありがとう、ございます。私、何と言って良いか…」

「感謝は、怪我をされてでも材料を集めて下さったサイル先生にお伝えください」

「アータイルには改めて言いますが、お二人に伝えたいんです。本当に、ありがとう…」

 涙を拭いながら笑顔を浮かべる彼女を見て、私達も顔を見合わせて笑う。ラスティナを救うのはアータイルの願いだが、ラスティナが救われたことは、私達にとっても嬉しいことだった。ただそれは、私達がすべきことが全て終わったことを意味する。

 もう、ラスティナと私達が関わることはない。お別れだ。

「それでは、これで失礼させていただきます」立ち上がるマリアベル。

「…また、お会いできますか?」別離の気配を察したのだろう。ラスティナが不安そうに尋ねる。マリアベルは寂しそうな笑顔を浮かべ、再び座り直して彼女の手を両手で握る。

「大丈夫、あとはサイル先生があなたの支えになってくれます。これからは初めて出会う人達も増えます。あなたの人生はこれまでとは比べものにならないくらいに拡がっていくでしょう。その中には私達は必要ありません。どうか、お元気で」

 そんな、という彼女の前で、マリアベルが詠い始める。

「…?」

 ラスティナが困惑の表情を浮かべる。それも僅かで、すぐに目を閉じベッドに崩れ落ちそうになるのを私が支える。眠っていた。前回は魔法の後も私達のことを覚えていてもらう必要があったので魔法ではなく薬で眠らせたが、今回は違う。次に目覚める時は、私達のことは覚えている必要はない。

 続けてマリアベルが次の詠唱を始める。他者の記憶を操作する魔法。私達に関わる記憶を消す為の魔法。

 提供された薬のことは覚えているだろう。それによって自分が治ったことも、それが医師から提供されたものであることも、覚えている。だがその医師が誰だったかは思い出せなくなる。「私達が行ったこと」に関する記憶を消去する。

 詠唱が終わる。

 眠っているラスティナをベッドに横たえ、さよならを告げて部屋を出た。

 前回同様、隣室で待機していたカシンに同様の処置を行う。更に屋敷内を周り、前回も含めて顔を合わせたことのある全員にも順に行っていく。と言ってもほんの2、3人だ。もしかしたら、居眠りで少々お咎めを受ける者がいるかもしれないが、ラスティナの為だと思って許して欲しい。

 ただ、門番だけは処置を行って敷地を出た後、すぐに彼を起こす。流石に門番が寝ていたせいで賊に入られた、では笑えないし彼自身の生活にも関わってくる。

 彼は自分が寝ていたことに疑問符を浮かべながらも「通りがかりに起こしてくれた見知らぬ私達に」礼を言う。

 ラスティナの屋敷を後にして、次はアータイルの診療所に向かう。

 ベッドからは早々動けないはずなので、一応ノッカーは鳴らすがその後は持っている鍵で勝手に中に入る。部屋の入り口から覗き込むように顔を出すと、アータイルはベッドに上体を起こして医学書を読んでいた。

「こんにちは」

 声を掛けると本から顔を上げ、挨拶を返してくる。

「あぁ、こんにちは。戻られましたか」今日往診に行くことはもちろんアータイルには伝えてある。

「お加減いかがですか、先生?」

「ええ、だいぶ良い状態ですよ。これなら明日には一人での診察を再開できそうです。ティエリアさん、ここまでお手伝いありがとうございました」

「それなら良かったよ。やっと解放されるんだね」

 そういって私は疲れた表情と安堵のため息をつく。

 あの後、夜になってからアータイルを家から診療所まで運んだ。毒の影響はもうなかったが、強壮剤の副作用によってアータイルはほとんど動けなかった。現に一週間経った今もベッドの上だ。姉は姉で部屋で三日程寝込んでいた。

 唯一元気だった私はというと、ベッドから出られないが患者の診察は行いたい、というアータイルの意向を汲んで、午前中だけ診療所で診察の手伝いをしていた。

 ベッドから診察を行うアータイルの代わりに、患者に見えないところで――患者と顔を合わせてしまったら「処置」を全員にしなければならないので――手伝いをしていた。器具の洗浄や薬の準備などを行っていたのだが、これが結構忙しかった。途中からはリコ、ティコにもやってもらっていた。これを普段から一人でやっていたというのだから驚きだ。

「今日はこの後も休診なんだよね。それじゃあこの鍵は返しておくね」

 サイドテーブルに鍵を置く。ベッドから動けないから、自由に出入りしてくれと渡されていたものだ。

「ありがとうございます。…ラスティナの様子はどうでした?」

「順調…というのはむしろ正しくありませんね。全く問題ありません。様子だけなら今の先生とそれほど変わりありません。長い間寝ていたのもあってすぐに一人でベッドから出るのは難しいようでしたが。そこは先生が少しずつ訓練させていけば、すぐに他の人と変わらなくなります」

 アータイルにラスティナの様子を伝えられたのは今が初めてだ。私達からも「治ったはず」としか聞けておらず不安だっただろう。

「そうですか…良かった。本当に…」

 アータイルは目を閉じて、ようやくその事実――長年の願いが叶ったのだという事実を反芻する。願いが叶う、というのはどういう気持ちなのだろう。いつか私にもそういう日が来るのだろうか。

「ですから、私達の往診は今日でお暇をいただいてきました」

「え、そうなのですか?」

「私達の仕事は終わりました。次回行く頃には先生は復帰されているはずでしたから、後は先生にお任せします」

「…そうですね。いつまでもお二人に頼るわけにはいきません。ラスティナ達にはどのように説明をしているのですか?」

「薬の材料を集める際に怪我をされた、と説明してます。薬の調合は私がした事にしてあります。同じものが作れなければ、同じ病を治せなくてもなんとでも言いようはありますし」

「わかりました。何から何まで、本当に…ありがとうございます。あなた達には感謝してもしきれない」

 深々と頭を下げるアータイルを慌てて制止する。

「そんなの要らないよ。私達だけじゃラスティナさんは救えなかった。それは間違いない。形はどうあれ、先生の助けたいって願いが彼女を救ったんだよ」

 だがアータイルはかぶりを振る。

「それを言うならば、私だけでは間違いなくどうにもならなかった。あなた達の助けがあればこそです。このご恩は一生忘れません」

 アータイルの感謝の言葉がこそばゆくて、姉と顔を見合わせ、笑い合う。

 だが。

「でも、ごめんね。覚えていてもらうわけにはいかないんだ」

「…え?」

 私の意外な言葉に、アータイルがどういうことか、と問う。

「私達は自分達の願いを叶える為に人助けをしているんだ。この…願いの灯火でね」

 私はポケットからガラス筒を取り出し、アータイルに見せる。ガラス筒に白い灯し火が宿る。

「…それはいったい?」

「これは、持ち主が他人の願いを叶えたという記憶を集める。その輝きが最大になった時に、持ち主の願いをひとつ叶えてくれると言われる、魔法使いの秘宝」

 私の言葉に、遅れて合点のいったような表情を浮かべる。私達が手伝った理由が明確になったからだろう。私はそのまま続ける。

「ごめんなさい、私達が先生の願いを聞いたのは善意だけじゃないんだ。だから、私達のことを覚えていてもらうことはできない」

「…本当にごめんなさい、あんな目に遭わせておいて」

 私と姉は頭を下げる。アータイルは少し戸惑った様子をみせたが、すぐに否定し、笑った。

「気にすることはありません。お二人にも、何かしら事情はあるのだろうとは思っていました。それに、自分達の為「だけ」であれば、私の困難な願いなど投げ出しているでしょう。けれど、ティエリアさん、あなたは私が願いを叶える為に、出来る限りのことをしようとしてくれた。マリアベルさん、あなたはラスティナだけでなく、私まで救う為に策を練ってくれた。お二人とも、私の願いの為に力を尽くしてくださいました。あなた達は心優しい方達だ。お二人ならばきっと、自分達の願いがなくても助けてくれただろうと、私は思います」

 アータイルの言葉に、姉妹揃って顔を赤くする。アータイルの賛辞が私達に当てはまるかはさておき、私達に理解を示してくれた事に感謝する。

「…ありがとう」

 しかし、とアータイル。「それでは、私はあなた達の事を忘れてしまうという事なのですか?まだなんのお礼もできていないと言うのに。それに、ラスティナ達は…」

「お礼なら、これからしてもらうからいい。記憶と引き換えに、ね」

「私達が会った他の人達も、今日の往診で記憶を消しています。誰かが先生に代わって診察を行ったことは覚えています。でも、それが誰だったか、どんな人だったかは思い出せません」

「おそらく先生は、私達が関わった事柄、どころか居たこと自体さっぱり忘れちゃうからね」

「先生が忘れて、他の人達が覚えていたんじゃ都合悪いですからね。若干差異はありますが、どちらも思い出せないので何とかなると思います。一応先生には、そういう存在がいたようなメモだけ残しておきます」

 一時的には、皆混乱するだろう。アータイルはラスティナが治ったことはおそらく覚えている。が、どうして治ったのかはわからない。ラスティナからはアータイルが紹介した医師に薬をもらったことを覚えている。それを説明できる。アータイルはその医師の話を詳しく聞こうとするだろうが、それが誰だったのか思い出せない。メモがあれば、おそらくそのような医師いたのだとアータイルも知ることはできるが、知る術はない。

 皆が一様に首を傾げながらも、だが、そんなことに思い煩う必要はないことに気づくだろう。もう、ラスティナは病人ではないのだから。

 だが、アータイルが気にかけたのは自分のことではなく、私達のことだった。

「…では、あなた達の事は誰にも覚えていてもらえないのですか?これほどの苦労をして、他人の願いを叶えたというのに?」

 そう言って悲しげに私達を見つめる。私達は困ったように顔を見合わせる。そんな気遣いをされるとは思ってもいなかった。

「私達は、魔法使いですから」

「魔法使いとしての私達は、人の記憶には残らなくていいんだよ。「私達」は、人にとって御伽噺でいい。確かに覚えていてもらえないのは寂しいけれど、それでも叶えたい自分の願いがあるから、これからも続けていく。先生なら、この気持ちもわかってくれるよね」

 私の言葉にしばし瞑目し、うなづくアータイル。この気持ちがわかってもらえたなら、私は十分だ。

「忘れてしまうなら意味はないのですが…お聞きしても?」

「なんでしょうか」

「あなた達の願いとは、なんなのですか?」

「…私達の姉を見つける事、です。姉は、魔法使いでも見つけられないどこかに行ってしまった。その姉を見つけ、連れ戻す。それが、私達の願い」

「…大切なご家族なのですね。お二人の願いが叶う事を、心からお祈り致します」

「ありがとう…先生もお元気で」

「それじゃ…行くよ」

 私は灯火を高く掲げる。灯火が強く輝き、白い光が部屋の中を満たした。



「ただいまー」

 ほぼ二週間ぶりの学校から帰ると姉がテーブルに突っ伏していた。

「…なに、今度はどうしたの」

 定位置にカバンを放り出し、洗面所に向かう。

「ティエリアぁ、心臓と石にどれだけかかったか知ってる?」

「あぁ、あれ?知らないけどまぁ多分…多くて15000ゴラくらい?痛いよねぇ」

 ゴラは魔法使いの価値単位だ。もっとも通常サイズの魔石を100として価値を数値化したものでしかないので結構曖昧である。

 本来は、今回必要となった素材に見合う代金をアータイルに人間通貨で都合してもらうはずだったのだが、間抜けな事に…いや全くもって間抜けなことに、支払ってもらう前に灯火で記憶を消してしまった。もう回収することはできない。

「いや、計30000ゴラ」

「たっかぁ!ボッタくられてるんじゃないのそれ!というかそれ、うちのほぼ全部じゃん!」

「言ったでしょ、心臓は細工するのに上物が必要だったから、最初に買ったものを使わないで全部買い直したのよ…。元の心臓自体は余ってはいるんだけど、やっぱり引き取ってくれる奴いなかった…。お陰でそっちも火の車」

 正直、熊の干し心臓は素材としてあまり必要とされていない。ほぼ丸損と見ても良いだろう。私も洗面所で頭を抱えて座り込む。

「結局のところ、身入りは何一つなかったわけだね。あぁー失敗した…。あ、でも、ほら」

 居間に戻って灯火を取り出し、テーブルに突っ伏すマリアベルの前に置く。

「目に見えて火が大きくなった」

 姉はわずかに顔を上げ、灯火に目を向ける。これより前に受けた15件くらいの小さな依頼で大きくなった分より、今回の一件で大きくなった分の方がでかい。

「…本当だ、今までと全然違うわね。願いによって違うのかしら」

「かもしれないね」けど、と言葉を詰まらせる。「今回みたいな綱渡りはもう御免だよ」

「…そうね、今回は私も反省したわ。次からはもっとしっかり考える。でもま…それだけの成果があったのなら、今回はすっからかんになった甲斐はあるかぁ」

 マリアベルが諦めた表情を浮かべて背もたれに寄りかかる。

「そうだね。でも…」

「どうしたの?」

「今回は上手くいったからいいけど、この先もこのまま続けていいのかな」

「なによ急に、らしくないわね。…不安なの?」

 私は灯火をしまい、姉の隣に座る。探索中に思った事を打ち明けた。自分の願いと、その裏にある思いの事を。姉は黙って私の話を最後まで聞いていた。

「そっか…。わからないでもないわ。私だって半人前って言われる立場だし。それは交魔ができないっていうのだけじゃなくて姉さんと比較して、の意味でもある。あんたと一緒よ。でも仕方ないじゃない。いくら嘆いたって使えないものは使えないんだし、姉さんのようにはなれないんだから」

 流石にミレニアの代わりになれるとまでは思っていないが、やはり現象術の使えない劣等感は大きい。

「お姉ちゃんは現象ができるからまだいいよ、私なんて…」

 テーブルに突っ伏してぼやく私。

「考えてみなさいよ。今回の件、私が二人居てもラスティナさんは救えなかったわ。あんたが二人居てももちろん。二人で一人前って言われるけど、じゃあ一人前一人に先生がいたからって上手くいったとも思えない。そうじゃない?どっちもできないことがあって、それでも二人だから一人前以上の事ができた。それじゃあ駄目?」

「うーん…。一人前以上にはなってると思うけど、正直二人前になってないから微妙…」

 姉がそう言ってくれるのはありがたいが、それでも自分が半人前ですらないことは変わらない。なおも潰れる私を見て、ふむんと姉が息をつく。

「最後の月晶花、あれはあんたじゃなければ見つけられなかった。そりゃあ、出来ることもないのに先生のところに向かったのは迂闊な行動だけれどね?」

「……」

 それで月晶花が見つけられたはそうなのだが、それはただの結果論でしかない。自分で思っていた通りに自分の行動が非効率的だったことは間違いない。

 ところが姉は、それとは異なることを続ける。

「あれね、実は私も先生が移動していないことに気づいていたの。でも私は向かうべきじゃないって判断した。できることがないからね。それは理屈ではもちろん正しい行動よ。でもあんたは先生のところに向かった。それが、理屈ではなく、先生を気遣うあんたの気持ちがあったからこそ最後の一本を見つけられた。それは他のどんな魔法使いにもない、私でもなく、あんただからできたことよ?それは、魔法使いとしての能力の問題じゃない」

 私はテーブルに臥したまま、顔を姉の方に向ける。

「そりゃあまぁ、二人共一人前だったら言う事もないだろうけどさ。いいじゃない。結果がものを言うの、苦労すれば良いってもんじゃない。能力があれば良いってもんじゃないのよ。あんたはちゃんと結果を出したの」

「そう、なのかな…」

「そうよ。だからいいのよ、そんな事は気にしないで。姉さんが帰ってきたらその分目一杯文句を言ってやればいいわ。勝手にいなくなるから大変だったんだって。そんな顔しないでよ。姉さんにまた会いたいっていうのは間違いなくあんたの願いで、これからも私達二人で願いを叶えていかなきゃいけないんだからさ。あんたが自分をどう思おうと、私には、あんたは必要よ。あんたは?私が必要でしょ?」

「…うん。ありがとお姉ちゃん」

 私にはできることがほとんどない。それでも、私にしかできないこともある、か。おかげで暗い気持ちが幾分か晴れる。

 そんな私の頭をマリアベルが撫でる、子供扱いされるのは好きではないが、今はその感触が心地良かった。体を起こして頬杖をつく。

「願いを叶える魔法使い、か。まるで御伽噺の魔法使いみたいだね」

「そんなに上手くはいかないだろうけど…そうね。きっとやっていけるわ、私達なら。ううん、やらなきゃいけないんだから」マリアベルがぽんぽんと私の頭を叩く。

「そうだね」

「…にしても、お金は本当にどうしようかしらね…」

 急に現実に戻って再びマリアベルがテーブルに突っ伏す。

 結局のところ、当初の問題はなにも解決していない。むしろ悪化している。

「当面はどうでもいい依頼も受けるしかないんじゃないかな。依頼解決すれば灯火的には微妙でも、お財布的にはいくらか足しにはなるだろうし」

「そういや初日以来、ポスト全然見てなかったわね」

 ポストは再設置はしたものの、その後全く確認していない。アータイルの件への対応で確認する余裕なんてなかったから、それは仕方がない。

「そうだと思って持ってきたよ。結構入ってた」

 私はカバンを開け、逆さまにする。中から十通程度の封筒がテーブル上に転がり出る。意外な量に姉がおぉー、と感嘆の声を上げる。

 マリアベルと私はそれらを開封し、読んでいく。正直、内容的にあまり大した内容のものはない。

「いなくなった犬を見つけたい。偉くなりたい。お金持ちになりたい。あの人と付き合いたい。隣人を追い出したい、有名作家になりたい…色々な願い事があるもんね。…本当に薬で何とかなると思っているのかしらこれ」

 そういう名目で広告を出してはいるのは自分達であるのだが、依頼人は一体どんな薬を想像しているのだろうか。不安になる。

「そうだね…。とはいえ、今後の事を考えるとすっぽかすわけにはいかないし、一応全部話を聞きに行かなきゃいけないだろうね」

「あ、面倒くさ。ケーキ食べたい」

 三度テーブルに突っ伏す姉の頭をぽんぽんと叩く。

「まぁまぁ…。仕方ない、じゃあ今日は私がケーキをおごってあげる」

「嘘!?どこにそんなお金が!?」跳ねるように顔を上げるマリアベル。

「先生の所の手伝い、バイト代くれてたんだよね実は。あと、その帰りに少し、サラおばさんのとこで手伝いしてた。友達付き合いにも食事代くらい持っておかないと困るからね。だから無駄遣いはできないけど、今日は依頼達成のご褒美ね」

「やった!ティエリアちゃん優しい!」

 途端に元気になる姉を見て苦笑する。大変な依頼達成のご褒美にしてはささやかになるが、仕方ない。いや、ご褒美は重要だ。いっそ思い切って一人二つずつにしてしまおうか。

「やっぱりお姉ちゃんもなんか仕事やりなよ。依頼だけでの身入りじゃ辛いよやっぱり」

 それはいや、と即答するマリアベル。私はため息をつく。こんな姉でも、私の大事な姉だ。

「やれやれ、ならちゃんと依頼で稼がないとね。ともあれ、まずは街に行こうか。ついでにこの辺と…これとこれ。話を聞きに行こう。ケーキはその後ね」

 依頼の封筒からちょうど良さそうなものを幾つか取り上げる。

「そうね。そうしましょう」

 街に向かうため、二人は森を抜け、街道に出る。空は蒼く澄み渡り、その中に白い半欠けの月。街道際の広い農地から柔らかい風が抜ける。

 その風に乗せるように、今どこにいるかもわからない、もう一人の姉に心の中で呟く。

 待っていて、いつか二人で迎えに行くから、と。

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