第229話 化け物
私は早速、ブロ丸に指示を出して行動を開始する。
「ブロ丸、出番だよ。空からポテトくんを保護してきて」
ブロ丸は私の腕から離れて上空へと向かい、二十メートルの球体になった。
それから、スキル【変形】を使って、黄金の身体の一部を触手のように伸ばし、ポテトくんを保護しようとする。
私はティラの背中に乗ったまま、固唾を呑んで状況を見守り──ブロ丸がポテトくんを保護する直前で、彼の真下の地面が吹き飛んだ。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
心臓が絞られるような絶叫を上げながら、地中から派手に登場したのは、大きさが五メートルもある人型の化け物だった。
その化け物は、何人もの人間の身体を一度バラバラにして、一つに繋ぎ合わせた異形の姿をしている。
顔だけは浮浪者らしき男性のものしかなくて、剥き出しの脳味噌が頭部から露出しているよ。
その脳味噌は、明らかに一人分の大きさではない。十人分くらいの脳味噌を一纏めにしたような、顔の大きさと釣り合っていないサイズになっているんだ。
ゾンビ系の魔物っぽい悍ましさだけど、血色がいいし生気もあるのが、異様で不気味だった。
とりあえず、この敵は『浮浪者』と仮称しよう。
──私の記憶の片隅に、この浮浪者の顔が引っ掛かっている。
どこかで見た記憶があるんだけど……思い出せない。
「うっ、あ……? あーしゃ、ねえちゃん……?」
ポテトくんは浮浪者の胸部に、半ば埋まる形で捕らえられている。
意識が朦朧としているみたいで、ぼんやりしながら私の名前を呼んだ。
「ポテトくんっ、すぐに助けるからね!! スラ丸っ、聖水を浴びせて!!」
私の命令に従って、スラ丸がリュックの中から飛び出し、身体を膨らませて聖水を噴射した。
ゾンビ系の魔物なら、これでダメージを与えられる。
──しかし、無駄だった。全く効いていない。
血色がいいので、ゾンビではないのかも……と思ったら、案の定だったね。
浮浪者はスラ丸を視認して、にたりと笑いながら肉薄する。
「魔物ォ!! コロスウウウウウウウウウウウウッ!! オレハ立派ナ冒険者アアアアアアアアアアアアアアッ!!」
敏捷性が高いとは思えない姿をしているのに、浮浪者の速度はスキル【加速】を使ったティラと同等だった。
しかも、拳に微かな光輝を纏わせて、なんらかのスキルを使いながら、スラ丸を殴り付ける。
【逃げ水】のバフ効果、物理攻撃の完全回避。これによって、スラ丸の身体が蜃気楼のように揺らぎ、浮浪者の拳が擦り抜けた。
このスキルには【他力本願】の影響で、攻撃してきた相手を混乱状態にするという、強力な特殊効果が追加されている。
「アアアアアアアッ!! 目ガ回ルルルルルウウウウウゥゥゥゥッ!!」
混乱した浮浪者は、ただの絶叫ではなく、スキル【鬨の声】を使った。
スラ丸とティラが一瞬だけ怯んだけど、私とブロ丸は平静を保てている。
「今がチャンスだよ!! ブロ丸っ、ポテトくんを傷付けないように、敵を拘束して!!」
ブロ丸は私の指示に従って、四本の触手で浮浪者の両手を縛り上げた。
後はティラの爪で、浮浪者の身体からポテトくんを掘り出せばいい。
そう考えて、ティラに指示を出そうとしたんだけど──
「立派ナ冒険者ァ……ッ!! 魔物ニ負ケナイイイイイイイイイイイッ!!」
浮浪者は全身の筋肉を隆起させて、ブロ丸の触手を砕き、拘束から抜け出した。
どうやら、筋力を上げるスキルまで持っているらしい。
それから、浮浪者は間髪入れずに、一瞬で十連続の殴打を繰り出した。
混乱状態が原因で、四発は見当違いの方向に拳を飛ばしたけど、残りの六発はスラ丸の身体に飛んでいく。
二発は完全回避が発生したものの、四発は被弾してしまったよ。
「くっ、ティラ!! 距離を取って!!」
私はティラに指示を出しながら、幾つかの思考を同時に巡らせた。
一つ目の思考。スラ丸は即死した訳ではないので、全然問題ない。
硝子のペンで魔法陣を描き、【従魔召喚】+【従魔縮小】の複合技で、小さくなった状態のスラ丸を手元に召喚する。この子のバトルフェイズは終わりだよ。
二つ目の思考。浮浪者は人の言葉を話しているから、あんな見た目でも人間という可能性が浮上した。
人の言葉を話す魔物も存在するので、確定ではないけど──ステホで撮影して、なんの情報も得られないことを確認した。やっぱり、魔物じゃないんだ。
三つ目の思考。浮浪者のスキルと職業について。
現時点で私が予測出来るスキルは、【加速】【強打】【鬨の声】【剛力】【十連打】の五つかな。
明らかに近接戦特化で、拳を武器にしていることから察するに、拳闘士かもしれない。
──さて、問題はここからだ。
浮浪者には聖水が効かない上に、ポテトくんを人質に取られたままという状況……。
彼を救出するまで、ブロ丸に圧し潰して貰う訳にはいかないよね。
どうやって救出すればいいのか、思考を全力で回転させていると──
「マリアセンセエエエエエエエエエエエエエ!! 悲シマナイデエエエエエエエエエエエエエ!!」
浮浪者が叫び声を上げながら、私とティラに肉薄してきた。
「ティラっ、付かず離れずで! 余裕があったら反撃して!!」
ティラには【風纏脚】のバフ効果があるので、それも込みだと足の速さはこちらが上回る。
浮浪者の連打は凄まじい速度だけど、射程に入らなければ問題ない。
ティラは浮浪者の攻撃を誘って、奴が拳を振りかぶった瞬間に、私の身体を優しく投げ飛ばした。
宙を舞った私は、ブロ丸の触手にキャッチされる。
眼下では、ティラがスキル【潜影】を使って、浮浪者の影に潜り込み──強烈な十連続の殴打をやり過ごしてから、奇襲の爪撃を脳味噌に浴びせようとした。
──しかし、ガキン!と甲高い音を立てて、透明な壁に弾かれてしまう。
「嘘っ!? 結界まで使えるの!?」
「オレハ金級ッ、ボウ険者ニ、ナルウウウウウウウウウウウウウ!! マリアセンセエエエエエエエエエエエエ!!」
浮浪者は隙が生まれたティラに、十連続の殴打を浴びせた。
例の如く、三発は【逃げ水】のバフ効果で擦り抜けたけど、残りの七発が命中。
ティラは血を吐きながら、吹き飛ばされてしまう。でも、すぐに体勢を立て直して、闘志を漲らせた。
「グルルルルルル……ッ!!」
私は透かさず、ティラに【逃げ水】を使って、バフ効果を掛け直す。
この子は二段階も進化している魔物で、体長が四メートルもあるから、その肉体は相応に強靭なんだ。
体力お化けという特性と、【再生の祈り】のバフ効果もあるので、敵の手札がこれ以上なければ、負けることはない。
持久戦なら勝てると、そう確信して、私の心に少しだけ余裕が生まれた。
ここで──ふと、疑問が湧く。
「あの浮浪者、さっきから『マリア先生』って、言ってる……?」
私の育ての親であるマリアさんと、目の前の化け物みたいな浮浪者に、接点があるとは思えない。
別に珍しい名前という訳でもないし……ただ、彼の顔は、記憶の片隅に引っ掛かっているんだ。
「スラ丸、視界を貸してね」
浮浪者とティラが激闘を繰り広げている最中、私はスラ丸を自分の顔の前に持ってきた。
そして、【感覚共有】+【過去視】の複合技を使い、スラ丸の視界から私自身と目を合わせる。
これで、私の過去を覗き見して──あっ、見つけた!
私がまだ、スラ丸しかテイムしていなかった頃、マリアさんとバリィさんに連れ添って貰って、スラム街の闇市へと赴いたことがある。
そこで、マリアさんに声を掛けた浮浪者の男性がいたんだ。
『ま、まり、マ、リア、先生……?』
『──ッ!? あ、あんた……まさか、イヴァンかい……?』
彼はマリアさんに名前を呼ばれた瞬間、一筋の涙を零し、弾かれたように身を翻して去って行った。
名前は、イヴァンさん。マリアさんが営んでいた孤児院の出身者で、言うなれば私の先輩に当たる人だよ。
孤児院を卒業した人は、バリィさんみたいに成功した人もいるけど、イヴァンさんみたいに失敗した人もいる。
そんな世知辛い現実を私に教えてくれる出来事だった。
「間違いない……!! イヴァンさん!! イヴァンさんですよね!?」
ティラと戦っている浮浪者の顔は、イヴァンさんと同じものだよ。
以前の彼は人並みの体格をしていたし、脳味噌だってあんなことにはなっていなかった。けど、マリアさんの名前を口に出している辺り、同一人物だと思う。
「魔物オオオオオオオオオオオオオオオオオッ!! コロッ、コッ、殺スウウウウウウウウウウウウウウ!!」
私の呼び掛けに、イヴァンさんは返事をしてくれない。もうね、見るからに正気を失っているよ。
でも、マリアさんのことを覚えているなら、少しは話が通じるかもしれない。
「イヴァンさんっ!! やめてください!! 子供を人質に取るなんてっ、マリアさんが悲しみますよ!! ポテトくんを開放してください!!」
「マ、ママ、マリ、ア、先生……? アアアアアッ、アアアアアアアアアアアアアアッ!! 悲シマナイデエエエエエエエエエエエエエエ!! センセエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!」
イヴァンさんは赤黒い血の涙を流しながら、自分の脳味噌を掻きむしり始めた。
その隙に、ティラが攻撃したけど、やっぱり結界で弾かれてしまう。
ティラだと攻撃力不足で、ブロ丸だと攻撃力過剰。
私の言葉──というより、マリアさんの名前が効いているみたいだから、このまま訴え掛けてみよう。
「イヴァンさん!! マリアさんに悲しい思いをさせないでください!! マリアさんが今のイヴァンさんを見たら、泣いちゃいますよ!!」
「アアアアアアアアアアアアアアアアッ!! ヤダアアアアアアアアアアアアアアアッ!! オレハ立派ニイイイイイイイイイアアアアアアアッ!!」
「立派な大人は子供を人質に取ったりしません!! マリアさんをこれ以上悲しませたくなければっ、ポテトくんを開放してください!! ほらっ、マリアさんの叱る声が聞こえてきませんか!? 『イヴァン、お前をそんな子に育てた憶えはないよ!』って!!」
私がマリアさんの名前を出す度に、イヴァンさんは藻掻き苦しんで、脳味噌への自傷行為を激化させていく。
このまま、自死するかと思ったけど──突然、彼はピタッと手を止めて、私と目を合わせた。
「ヒイイイイイィィィッ!! ア、ア、シャ、ア、アーシャアアァアァ!? ヤメデェ!! イヤダア!! 死ニダグナイイイイイイイイイイイイイイッ!!」
「はぁっ!? ちょっ、逃げた!? ティラっ、追い掛けて!!」
イヴァンさんは酷く怯えて、女の子みたいな悲鳴を上げながら、凄まじい速度で逃げていく。
【加速】だけじゃ説明が付かないほどの速さで、ティラと戦っていたときと比べて、倍以上の速度が出ているよ。
恐らく、逃げ足を速くするスキル、【脱兎】を持っているんだ。
私はブロ丸を腕輪に戻して、ティラの背中に乗り、追撃戦を開始した。
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