第216話 レイヴンソード

 

 ──数日後。私は晴れやかな早朝から、幼児退行させたイーシャと、助け出した赤ちゃんを連れて、レイヴンソード公爵家の本拠地である大都市レイヴンまでやってきた。

 帝国の中央に広がっている皇族の直轄領と、東部諸侯の領地の間に挟まっているのが、レイヴンソード公爵家の領地だよ。


 物凄く広くて、土地は肥沃。しかも、四方八方が味方に囲まれているという、素晴らしい場所だね。

 ただ、味方は『同じ帝国貴族』というだけの話で、実際は政敵やら何やら、裏向きの敵を抱えているかもしれない。

 なんにしても、表向きは素晴らしい場所なんだ。


 『大都市レイヴン』──そこは、巨大な山を大々的に開発して、造られていた。

 山頂に領主のお城が建っており、これはアクアヘイム王国の王城に匹敵するほど大きい。

 そこから下へ下へと、段差が幾つかあって、赤い煉瓦の街並みが広がっている。


 領内には暮らしやすい平地が幾らでもあるのに、態々暮らし難い山地に大都市がある理由。それは、この山の中腹付近に、鉱石を産出するダンジョン、『ドワーフの万年王国』が存在するからだよ。


 私は認識阻害の効果がある仮面を付けて、スラ丸を従えながら、街の門番を務めている男性に話し掛ける。


「旅の途中で、とんでもないモノを拾ってしまったのですが、預かっていただけませんか?」


「とんでもないモノ……? とりあえず、見せてみなさい」


「まずは、この二人の赤ちゃんです。それから、これらの遺体と遺留品ですね」


 訝しげに首を傾げている門番に、私は赤ちゃんをそっと手渡した。

 その後、そそくさとスラ丸の中から、遺体と遺留品を取り出していく。

 豪奢な馬車と貴族の女性の遺体。この二つを並べたところで、門番は気絶しそうになってしまう。


 騎士や刺客が装備していたマジックアイテムも、きちんと全て提出した。

 強そうな装備が多いから、ネコババすることも一瞬だけ考えたけど、泥棒はもうしないって決めたんだ。


「な、なぁ──ッ!? こ、この方は……っ、公爵閣下の第二夫人!? 俺の手には余る一大事だ!! 誰かっ、隊長を呼んできてくれ!!」


 門番が慌てふためき、応援を呼んだ。彼は女性の遺体を見て、『公爵夫人』だとハッキリ口にしたよ。

 正妻ではなく、第二夫人だけど……まぁ、全然悪くないかな。

 ただの愛人だったらどうしようかと、少し心配していたんだ。


 私は拘束されたくないから、事情を口早に説明する。


「その二人の赤ちゃんは、公爵夫人が出産しました。女の子の名前はイーシャだそうです。男の子の名前は分かりません」


「ま、待て待てっ、待ってくれ!! 俺にそんな話をされても困る!!」


「私も旅の途中で、急いでいるので……。公爵夫人が襲撃された現場は、あちらの方角にある山道です。事件現場にあったものは回収しましたが、見落としがないとは言い切れません」


「だから待てと──」


 私は衛兵が集まってくる前に、影の中からティラを呼び出して、颯爽とその場を後にする。ここから先は、なるようにしかならない。

 『二人の赤ちゃんは、公爵夫人が産みました』という証言は、私のものしかないからね。

 信じて貰えるか分からないし、血統を調べる方法が公爵家にあるのかも不明。


 ただ、少なくとも男の子の赤ちゃんは、確実に血が繋がっている訳だから、顔立ちで判断出来るんじゃないかな。

 イーシャの方は顔立ちが似ていないので、信じて貰えずに捨てられるかも……。

 まぁ、そうなったとしても、大きな損失は出ない。上手くいけば儲けもの、くらいの気持ちでいよう。


「──よし、誰も追い掛けてこないね」


 私は後ろを確認して、人気がないことを確かめてから、スラ丸の【転移門】で帰宅した。

 イーシャの視点では、衛兵たちが右往左往しているのが分かる。

 無反応だと、不気味な赤ちゃんだって思われるかもしれないので、一頻りオギャっておいたよ。



 ──しばらくして、イーシャは男の子の赤ちゃんと共に、お城へ連れて行かれた。

 そこでは、まず最初に採血されて、銀の天秤や水晶玉など、幾つかのマジックアイテムで、血の検査が行われたよ。

 こういう代物があるかも……とは思っていたけど、案の定だったね。

 私は自分自身にスキル【偽装】を使って、『レイヴンソード家の血統』という、偽りの情報を仕込んでいたので、問題なく検査が終わった。


 その後、執務室のような場所で、レイヴンソード公爵様と面会する。

 公爵様は三十代半ばの痩せこけている男性で、身長は二メートル前後。肌が青白くて、髪と瞳は真っ黒だ。

 髪型はオールバックで、前髪の一房だけが白銀色になっている。

 服装は黒い詰襟の軍服で、金糸の飾りが細部にあしらわれており、ワインレッドのマントを羽織っているよ。


 彼の表情や目付きから、人柄を分析しようと思ったけど……残念ながら、よく分からなかった。

 瞳のハイライトが消えているので、喜怒哀楽を窺うことが出来ない。

 彼の真っ暗な目を見つめていると、深淵を覗き込んでいるような気分になってしまう。


「これが、余の息子と娘か……。猿のような顔をしているな」


 公爵様は私たちを見下ろして、微妙な感想を述べた。

 彼の声色は物凄く重たい感じがして、耳にするだけで気が滅入りそうだよ。

 正直に言えば、根暗っぽいかな。


「クルーエル閣下! そのようなことを仰られると、亡きシオン様が悲しまれますよ!」


 この部屋にいるお婆さんメイドが、キンキンした声で公爵様に文句を言った。


「フン、許せ。他意はない」


 公爵様の名前は、クルーエル。そして、第二夫人の名前は、シオンと言うらしい。

 今度はこの場に立ち会っている老執事が、おずおずと口を開いた。


「この赤子たちは、閣下のお子様として育てる……ということで、宜しいのでしょうか……?」


「ああ、そのつもりだ。ある程度まで育てて、凡庸ならば斬り捨てる」


「畏まりました。では、使用人一同に、そう通達させていただきます」


 クルーエル様──いや、もうパパと呼ばせて貰おう。パパの話を聞いて、私は内心で顔を顰めた。

 凡庸なら切り捨てるって、酷くない? 不出来ならともかく、凡庸程度なら許して貰いたいよ。


「閣下、ご子息のお名前は、如何なさいますか?」


「グリムだ。グリム=レイヴンソード。……さて、どう育つのか見物だな」


 パパはメイドさんに問い掛けられて、男の子の赤ちゃんの名前を決めた。

 グリムくん、よろしくね。私がお姉ちゃんだよ。

 隣で眠っている弟の手をギュッと握ると、か弱い力で握り返してくれた。

 可愛すぎて、思わずキャッキャと笑ってしまう。



 こうして、イーシャ=レイヴンソードの公爵令嬢としての物語が、ぬるっと幕を開けた。

 しばらくは赤ちゃんとして、お乳を貰いながら排泄を繰り返すだけの、退屈な日々を過ごすことになる。

 イーシャの物語に焦点を当てるのは、まだまだ先の話だろうね。


 これは余談だけど、【再生の祈り】を使った若返り効果は、一日で一歳分若返る。

 イーシャを幼児退行させるのに掛かった数日間、私はグリムくんの子育てをしていたんだ。当然、私の胸からお乳は出ない。

 そこで活躍したのが、ファングトマトのレアドロップ、万能健康トマトジュースだよ。これが、お乳の代わりになったんだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る