第119話 死線

 

 ツヴァイス殿下とシャチの魔法合戦。

 それは、数時間くらい続いているようにも感じるし、まだ数分しか経っていないようにも感じる。

 今のところ、シャチに攻撃しているのは殿下だけで、他の人たちは防御に徹しているよ。


 バリィさんは元々、防御特化だから良いとして……カマーマさんとライトン侯爵は、いつまで静観を続けるのかな?

 出来れば攻撃に参加して貰いたいんだけど、素人の私が意見するのは躊躇われるから、息を潜めて様子を窺うしかない。これが、物凄く歯痒いんだ。



 ──千を超える雷がシャチに落ちたところで、突然シャチの動きが止まった。

 まだまだ凄まじい存在感を放っているから、死んだ訳じゃない。与えたダメージだって、軽傷の範疇だと思う。

 それなのに、怒濤のような弾幕が途切れたんだ。

 私が戸惑っていると、ツヴァイス殿下がライトン侯爵に声を掛けた。


「ようやく麻痺しましたか……。ライトン侯爵、次は任せましたよ」


「ブヒィ……ッ!! このまま押し切られるのではないかと、少しヒヤヒヤしましたぞ!!」


 どうやら、これは狙い通りの展開らしい。

 ツヴァイス殿下は雷を落として、シャチを倒すのではなく、感電によって麻痺させたかったんだね。

 あの巨躯が感電したことは、不思議で仕方ないけど……雷耐性を低下させたのが、効いたのかもしれない。


「侯爵、上に連れて行くぞ。一番美味しいところなんだから、足を滑らせたりしないでくれよ」


「ブヒヒヒヒッ!! 吾輩にも固定砲台としての自負がある!! そんなヘマはしないから安心したまえ!!」


 バリィさんがライトン侯爵を結界の上に乗せて、射線を通すために上空まで移動した。

 結界の中じゃなくて、結界の上。何も遮るものがなくて、隙だらけの状態だから、さっきまでは許されなかった行動だよ。

 でも、今はシャチが麻痺しているから、こんなことが悠々と出来る。


 ライトン侯爵は腰に佩いている剣を引き抜き、万人に勝利を確信させる光を私たちに見せてくれた。

 その剣は、この世の全ての希望を搔き集めて、それに形を与えたような代物なんだ。


 神話級のマジックアイテム『極光』──これは、聖剣とも呼ばれており、人類種の敵に対する特攻+スキル【破壊光線】の威力を十倍にするという、途轍もない効果が宿っている。


「愛するリリアよ!! 天国から吾輩を見ていてくれッ!! ブウウウウゥゥゥゥゥゥ──ッ、ヒイイイィィィィィィィィ──ッ!!」


 亡き妻に祈りを捧げたライトン侯爵が、聖剣を上段から全力で振り下ろした。

 すると、極太の白い光が奔流となって、聖剣から解き放たれる。

 狙いはシャチの頭部。未だに麻痺しているシャチに、逃れる術なんてない。


 森羅万象の悉くを破壊してしまいそうな、光属性の上級魔法【破壊光線】──それが、狙い通りの場所に直撃した。

 光の奔流はシャチの頭を削って、大ダメージを与えている。


 ライトン侯爵が装備している他の四つのマジックアイテムは、その全てが『光る延長の指輪』だよ。

 これ一つで、【破壊光線】の照射時間が二倍になる。つまり、合計で八倍の照射時間だ。


 驚くほど長く、眩い光が第六階層全体を照らし出して──奔流が収まったとき、シャチの姿は海上から消えていた。

 周辺の海が真っ赤に染まっており、血生臭い空気が立ち込めている。

 大出血を強いたことは、間違いないけど……死体もドロップアイテムも、見当たらない。



 ──静寂。さっきまでの攻防が嘘だったかのように、とても静かだ。

 バリィさんとライトン侯爵が下に戻ってきて、主力メンバーが顔を見合わせる。


「倒した、のか……? 普通なら、生きているとは思えないが……」


「どうかしらねぇ……? 『普通』が当て嵌まる敵には、見えなかったわよん」


 魔物との戦闘経験が豊富な、バリィさんとカマーマさん。この二人でも、仕留められたかどうか、分からないみたい。


「ライトン侯爵、念のためにポーションを飲んで、魔力を補充してください」


「ブヒヒッ、畏まりましたぞ!」


 ツヴァイス殿下の指示に従って、ライトン侯爵が青色の中級ポーションを飲み干した。

 兵士たちも第二ラウンドがあるものと仮定して、可能な限りの準備を始めたよ。


 ──しばらくして、氷の舞台が振動し始める。


「不味いッ!! 下からくるぞッ!!」


 バリィさんが鋭い声で警告を出した瞬間、海底から飛来する弾幕によって、氷の舞台が砕け散った。

 弾幕が間欠泉のように、下から上へと流れて、私たちはバリィさんの結界ごと、上空まで押し出されてしまう。四千人の兵士たちも、足場ごと吹き飛ばされて、次々と弾幕の餌食になっているよ。


 バリィさんは七重の【対魔結界】を張って、主力メンバーだけでも守ろうとしたけど──氷の舞台の破片が勢いよくぶつかり、失敗に終わった。

 この結界は魔法攻撃に滅法強いけど、物理攻撃には弱いんだ。魔法によって砕かれ、勢いよく飛ばされた氷の舞台の破片は、物理攻撃という扱いだったらしい。


 カマーマさんは即座に、一番近くにいるツヴァイス殿下を庇う。


 そして、その光景を最後に、


「──ッ!?」


 結界を砕いた氷の舞台の破片が、そのまま私たちに激突した。

 みんなが散り散りに吹き飛ばされて、シャチの弾幕に曝される。

 身体が小さい私でも、瞬く間に被弾して、左腕が千切れてしまった。

 燃えるような激痛が走り、意識が遠退いていく。




 ──ああ、これは死んだ。




 脳裏に走馬灯が過る暇もなく、目の前が真っ暗になっちゃった。

 もっともっと、長生きしたかったよ……。こうして、自分の死に直面すると、バリィさんを助けようとしたことを後悔してしまう。

 こんな後悔、したくないんだけど……心の奥底から湧いてくる本音は、どうしたって誤魔化せない。

 結局、私はどこまでいっても、端役の凡人なんだ。


 これまでも、死と隣り合わせの危機を乗り越えてきた。

 使えるスキルだって増えて、自分が凄い人間なんだと思い込んでいた。

 自分が行動すれば、なんだかんだで全てが上手く行くとか、そういう馬鹿な勘違いをしていた。

 もしも、今朝に戻れたら……申し訳ないけど、家の中でバリィさんの無事を祈ろう。


 ──さて、私は再び転生でもするのか、それとも天国か地獄に送られるのかな?

 あるいは、このまま暗闇の中に、囚われ続けるのかも……。

 何気なく思い浮かべた最後の可能性に、心底ゾッとした。


 こんな暗闇の中で、永遠に?

 十年、百年、千年とか、そんなものじゃない。

 永遠というのは、ずっとずっと、ずーーーっと続く。

 これが『死』なら、余りにも残酷だ。すぐに正気を失うはずだけど、永遠の中では正気を取り戻す瞬間だって、あると思う。


 そうして、正気と狂気の間を無限に行き来したら、私の意識はどうなってしまうんだろう?

 ……怖い。前世と今世の経験を合わせても、今この瞬間に感じている恐怖以上のものはなかった。


 私が絶望していると──不意に、意識がグッと引っ張られた。

 何事かと疑問に思ったところで、私は暗闇の中に浮かぶ道の上に立っていたよ。

 目の前には、分岐している三本の道が伸びていて、思わずハッと息を呑む。


「ワンワン!! ワンワン!!」


「──ッ!? あっ、ああ……っ、ティラ……!!」


 私の隣では、ティラが気炎を揚げるように吠えていた。

 感極まってギュッと抱き締めると、命の温かさが感じられたよ。

 私が涙を流すと、ティラは頻りに舐め取ってくれる。

 この子はまだ、生きているんだ。生きることを諦めていないんだ。


「そっか……。それなら、私も諦めないから……!!」


 私だって、まだ生きている。ティラがそう教えてくれた。

 前向きな気持ちで三本の道に目を凝らして、これは従魔の進化先を選ぶときの夢だと確信する。

 反抗期なんて、気にしていられる状況じゃなくなったし、ティラを信じて進化させよう。


 それぞれの道の手前に、看板が一枚ずつ立っているから、まずはステホで撮影してみた。

 きっと、この夢の中で経過する時間は、現実世界とは違う。ゆっくりしようとは思わないけど、しっかりと選ぶ時間はあるはずだよ。


 『ウルフリーダー』──自分と同種かつ下位の個体を率いる狼の魔物で、ヤングウルフが順当に成長した場合の進化先。

 これを選べば、今後は私が狼の魔物をテイムしなくても、ティラが統率することで間接的に使役出来るようになる。

 平時であれば、全然悪くない選択肢だけど……正直、この魔物が現状を打開してくれるとは、到底思えない。


 『アサシンウルフ』──獲物を暗殺するのが得意な狼の魔物で、隠れ潜む経験が長いと現れる進化先。

 ティラは私の影の中にいることが多かったから、進化条件を満たしているのは納得だね。

 敏捷性が伸びそうだし、この選択肢は有力候補かな。


 『チェイスウルフ』──目標を追跡するのが得意な狼の魔物で、誰かを長期間追い掛けていると現れる進化先。

 ティラは常に、私を追い掛けている状態だから、これも進化条件を満たすのは簡単だった。


「今はとにかく、弾幕を回避するための足が欲しいから……よしっ、これにしよう! ティラ、行っておいで!」

 

 この三択なら、チェイスウルフの足が一番速そうなので、これを選ぶことにした。ティラは指示に従って走り出す前に、私の目の前で屈み、背中に乗るよう促してくる。


「ワンっ!! ワンワン!!」


「う、うん? 私も一緒に行くパターンは、初めてだね……」


 別に害があるとも思えないし、私は颯爽とティラの背中に乗って、進化の道を一緒に辿っていく。


 こうして、私の意識は急速に薄れ──

 

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