第44話 見習いメイドは見た
──目が覚めると、そこはスイミィ様の部屋にあるベッドの上だった。
窓の外を確認すると、空が薄い藍色に染まっている。今にも太陽が昇りそうな明朝だね。
どうやら、私は一晩中ぐっすりと眠ってしまったらしい。
室内を見回すと、枕元にはスラ丸がいて、ベッドの横にはタクミがいる。
スイミィ様の部屋なのに、彼女の姿は見当たらない。私の隣に人肌の温もりが残っているから、さっきまで一緒に寝ていたのかも。
「あれっ、ブロ丸がいない……!? どこに行ったの!?」
大変だ。ブロ丸の姿まで見当たらない。侯爵家のお屋敷の中で迷子だなんて、何か粗相をしていたら私の首が飛んじゃう。物理的に。
行方を探るべく、慌てて【感覚共有】を使うと、ブロ丸の視点からは白いショーツと細い生足が見えた。……ど、どういうこと?
真下から誰かを見上げている状態っぽい。まさか、覗き見とか?
ブロ丸が変態行為に及んでいる疑惑が浮上した。この事態に、どう対処したものか……。
そう悩みながら、引き続きブロ丸の視点で様子を窺っていると、あっちの現状が段々と分かってきたよ。
ゆったりした白いワンピースを着ているスイミィ様が、ブロ丸の上に立った状態で乗っている。
ブロ丸は彼女の指示に従って、お屋敷の廊下をスイーっと移動中だ。
「……丸ちゃん、次はあっち」
ブロ丸に愛称を付けているスイミィ様は、無表情ながらも心なしか楽しそう。
私もそれ、ちょっとだけやってみたい。……まぁ、結構なバランス感覚が必要になりそうだから、私の運動神経じゃ難しいかな。
スイミィ様が足を滑らせて怪我でもしたら、ブロ丸の責任、延いては私の責任になるかもしれない。早く迎えに行こう。
私はスラ丸と一緒に廊下へ出る。タクミはお留守番だよ。
ブロ丸との間にある目に見えない繋がりを辿れば、簡単に合流が出来るはず。そう思って、お屋敷の中を移動し始めたんだけど──
「こ、このお屋敷、構造が複雑すぎない……?」
私はあっという間に迷子になった。
予期していないところで行き止まりだったり、曲がらないといけなかったり、上り下りしないといけなかったり、まるで迷路だよ。
しかも、スイミィ様は気の向くままに移動しているから、余計にややこしいことになっている。
お仕事中のメイドさんたちに、道案内を頼もうとしたけど、みんな早朝から掃除や洗濯などで忙しそうにしているから、声を掛け難い。
「──貴方っ、こんなところで何をしているの!? メイド服は!?」
「えっ、わ、私ですか……? いやあの、迷子になっちゃって……」
突然、年配のメイドさんに呼び止められて詰問された。
私はしどろもどろになって、事情を説明しようとしたけど、メイドさんは聞く耳を持たず、プリプリしながら私の腕を引っ張る。
「さては新入りね? 全く、教育係は何をしているのかしら! ほらっ、早くこっちに来なさい! 今朝は忙しいんだからっ、しっかり働いて貰うわよ!!」
「な、なんか勘違いされてる!? ちょっ、私はメイドじゃ──」
あれよあれよという間に個室へ連れ込まれて、私はメイド服に着替えさせられた。
雑貨屋の駆け出し店主から、侯爵家の見習いメイドにジョブチェンジだよ。
……なんで? なんでこうなったの?
「ほらっ、まずは洗濯よ!! 汚れを一つでも残したらダメっ!! でも、テキパキ熟すの!! テキパキ、テキパキ、何事も丁寧に、迅速に!! さぁ早く!!」
「は、はひぃ! スラ丸っ、【浄化】を使って!」
名前も知らない年配メイドさんに、山のような洗濯物を押し付けられたので、私はスラ丸のスキルで素早く綺麗にした。
スラ丸だけの魔力だと足りなかったから、私の魔力も使ったよ。【魔力共有】が便利すぎる。
「貴方っ、中々やるわね!! さぁ、次はこの洗濯物を庭まで運ぶわよ!! テキパキ!! テキパキ!!」
「て、テキパキ! テキパキ!」
今度はスラ丸の【収納】を使って、洗濯物を一気に庭まで運んだ。
ここでもまた褒められて、なんだか気分が良くなってきちゃった。
私は調子に乗って、年配メイドさんに命じられるがまま、この後もテキパキと仕事を熟してしまう。
テキパキ、テキパキ。テキパキがゲシュタルト崩壊しそうなほど働いて──って、こんなことしている場合じゃない!
休憩時間になって、私はハッと我に返った。
指導してくれた年配メイドさんに見つからないよう、こっそりと休憩室から抜け出して、スイミィ様と合流するべく歩き出す。
【感覚共有】を使ってみると、ブロ丸は未だに彼女を乗せて、呑気にお散歩中だったよ。
足を踏み外しそうな様子がないから、もう放っておいても大丈夫かも……。
と思ったけど、まさかの好機到来だ。スイミィ様はお付きの人たちを置き去りにしているから、ここで合流出来れば、【再生の祈り】をこっそりと彼女に使える。
「よしっ、頑張ろう!」
奮起した私は歩調を速めて、懸命に探索したけど──案の定、再び道に迷ってしまった。
しかも、人の気配がどんどん減って、最終的には誰も見当たらなくなったよ。
……これはもう、引き返すしかない。そう判断して踵を返すと、背後にあったはずの通路が壁で塞がれていた。
「う、嘘でしょ……!? まさか、これ……」
なんらかのマジックアイテムか、あるいはスキルの影響で、私は迷子にさせられている。そうとしか考えられない。
多分だけど、侵入者対策に引っ掛かったんだ。……冷や汗が、背筋をツーっとなぞる。
お屋敷の中にある侵入者対策が、人を迷わせるものだけだと考えるのは、楽観的すぎるよね……。もっと攻撃的な罠があっても、全然不思議じゃないよ。
ここに留まるのが怖くなったから、私は窓を開けて屋外へ出ることにした。
広い庭には森があるけど、そっちには入らない。お屋敷の壁に沿って歩けば、きっと玄関に辿り着くよね。
「──座長、経過はどんな感じッスか?」
不意に、森の中から男性の声が聞こえてきた。
素直に迷子だと報告して、助けを求めるべきかな?
でも、その場合はスイミィ様との密会のチャンスが、なくなるかもしれない。
うーん……。どうしよう、どうすれば……と、踏ん切りが付かないまま、私の足は自ずと声がする方へ向かってしまう。
近付いてみると、そこには二人の男性の姿があったよ。
片方は怪しさ満点の化粧をしたピエロで、もう片方は図書館でニュート様に付き従っていた老執事だ。
たった今、私が拾った声は、ピエロのものだね。
彼に『座長』と呼ばれた老執事は、険しい表情で口を開く。
「芳しくはない。アレは宝物庫にあるかと思っていたが、幾ら探しても見つからなかった」
「あちゃぁ……。宝物庫の清掃を任せられるくらい、侯爵からの信頼を得られたってのに、それじゃあ全てが水の泡ッスね……。つーか、本当にあるんスか? ドラゴンの息吹を宿したスキルオーブなんて」
「リリアの昔馴染みが漏らした情報だ。ドラゴンからドロップしたことは、間違いない」
リリア様って、侯爵夫人だよね。その人のことを老執事が呼び捨てにしている。使用人なのに、駄目じゃないの?
怪しいピエロと、怪しい会話。私は咄嗟に木の幹に身体を隠して、盗み聞きの姿勢を取ってしまった。
壁に耳あり障子に目あり。そして、木の影には見習いメイドのアーシャありだよ。……いや、逃げた方がいいか。
「リリア本人か侯爵、あるいは嫡男が使ったんじゃないッスか? レアなスキルなんスよね?」
「はぁ……。万物に自分の命を分け与えるスキル、【生命の息吹】だぞ。侯爵家の人間ならば、分け与えて貰う側だろう。あのスキルオーブを自分で使うなど、考えられん」
老執事は溜息を吐いて、ピエロの推測を一蹴した。
「それなら、騎士団長のガルムはどうッスか? 忠誠心が高い奴に取得させて、いざというときに命を譲渡させるとか」
「……あり得ない話ではない。だが、ガルムは高齢だ。分け与えられる命が少ない人間に、【生命の息吹】を持たせるとは思えないな」
リリア様が討伐した魔物、生命と業火を司る赤色のドラゴン。
そのドロップアイテムがスキルオーブで、中身は【生命の息吹】──それが老執事の言った通り、万物に自分の命を分け与えるスキルなら、人間が十全に扱うのは難しそうだね。
ドラゴンであれば、膨大な生命力を持っているだろうから、無機物に命を与えて、ゴーレム系の魔物をバンバン作ったり出来そうだけど。
「若くて侯爵家への忠誠心が高い奴、いないんスか? いつでも自分の命を譲渡する覚悟が、あるような奴ッス」
「ここに潜伏してから、もう七年以上になるが……そんな若者に心当たりはない。そこそこの忠誠心を持っている者なら、幾らでもいるがな」
老執事は潜伏していたらしい。話の流れからして、サウスモニカ侯爵家にってことだよね。……どう考えても、第三者の私に聴かれて良い会話じゃない。逃げよう。
「もう諦めて、このまま侯爵家に骨を埋めるッスか? 座長が真っ当な道に戻っても、団員は誰も怒らないッスよ」
「いいや、そのつもりはない。こんなところで風化するほど、私の憎悪は脆くない……ッ」
老執事の声色は怨嗟に塗れていて、聞いているだけで私の喉が干上がった。
「じゃあ、ここらでドカンと動くんスか?」
「ああ、そのつもりでお前を呼んだ。計画は──」
「っと、その前に。そこにいる奴、出てくるッスよ」
ストン、と木の幹に短剣が突き刺さる。私にもスラ丸にも認識出来ない速度で、ピエロが投げ付けたみたい。
老執事が慌てて木の幹に回り込んだけど、そこにはスラ丸しかいないよ。
彼は苛立ちながら、スラ丸を蹴飛ばして追い払う。……ご苦労様、スラ丸。戻っておいで。
「脅かすな、ただのスライムではないか」
「あー、申し訳ないッス。気が立ってたッスよ」
私は途中から、静かにその場を離れていたんだ。
でも、会話の内容は気になるから、スラ丸だけをその場に残して、【感覚共有】を使っていた。我ながら英断だったね。
それにしても、今の会話……。計画とやらは分からなかったけど、絶対に碌なことじゃない。
老執事とピエロの狙いは、スキルオーブ。あるいは、それを使って【生命の息吹】を取得した人だ。
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