第37話 第二階層

 

 ──お貴族様との邂逅を経て、私は図書館から自宅に戻ってきた。

 明日は大変な一日になりそうだけど、これと言って事前に必要な準備は思い付かない。そんな訳で、今は暇な時間を持て余しているよ。


「こんなときは、ルークスたちの冒険を覗き見しよう」


 私は早速、店番をしながらスラ丸三号の視点を共有させて貰った。

 こうして覗き見が出来るということは、みんなに伝えてある。覗き見の許可も貰えたし、疚しいところはないんだ。

 みんなは午前中のうちに、しっかりと装備のメンテナンスを終わらせていたみたいで、特に問題なく流水海域に挑んでいる。


 昨日は宝箱を釣り上げて、レアドロップまで入手していたけど、今日は目ぼしい成果がなさそう。

 それでも順調に稼げているから、全然悪くないよね。と、そう思ったのは私だけだった。流氷に乗って、第一階層を一周し終わった後のルークスたちは、それなりに不満があるみたい。


「チッ、シケてンなァ……。ルークス、第一階層はもう余裕じゃねェか! 第二階層に挑もうぜ!」


「あたしもトールに賛成よ! 結局、あたしの出番がないまま一周しちゃったし、この階層はつまらないわ!」


 トールとフィオナちゃんの意見を聞いて、ルークスは熟考するように首を捻る。

 安全第一という私の教えがあるから、どれだけ余裕があっても、彼は無邪気に前進したりしないよ。


「うーん……。オレも第一階層は、物足りないと思っているんだけど……」


「あァ? テメェ、いつになく歯切れが悪ィな。何か不安でもあンのか?」


「えっと、第二階層も流氷に身を任せて探索するみたいで、一周するまで後戻り出来ないんだ。一回の戦闘なら第二階層でも問題なさそうだけど、回数を重ねたときに、どうなるかなって……」


 ルークスがトールに不安要素を伝えたところで、フィオナちゃんが自分のステホを確認しながら口を開く。


「そんなこと言っても、あたしたちってレベルが上がってないでしょ? これって、第一階層の適正レベルから外れているってことよね?」


 宝箱かレアドロップでも拾えない限り、お金もあんまり貯まらないから、装備の更新にだって時間が掛かる。

 このまま第一階層に居座っても、長期間の停滞が待っているだけだね。

 危険なダンジョンで、慎ましくも安定した収入を得られている時点で、及第点どころか百点満点なんだけど、みんな向上心が高い。


「ぼ、ボクも、第二階層に行きたい……!!」


 気弱なシュヴァインくんですら、先へ進むことに前向きだよ。

 もっと強くなりたいとか、生活水準を上げたいとか、理由は色々あると思う。

 私はみんなと肩を並べて冒険している訳じゃないから、その決断に口を挟むのは難しい。


 ただ、一旦落ち着いて貰いたいので、スラ丸の【収納】経由で温かい紅茶を送り届けることにした。

 ローズの葉っぱで淹れた紅茶だよ。昨日、細かく刻んで乾燥させておいたんだ。

 お砂糖は高価で手が出せないから、ちょっと苦いままだけど、香りは極上の一品。リラックス作用もある。

 折角だし、軽食も送ってあげよう。近くのパン屋さんで買えるミートパイでいいかな。


「スラ丸、みんなに紅茶とパイを出してあげて」


 現地のスラ丸三号に、私の聴覚を共有させた状態で、独り言を呟く。この方法で、遠方からでも指示を出せるから、【感覚共有】はとても便利なスキルだよ。

 スラ丸から紅茶とパイを受け取って、ルークスが首を傾げた。


「もしかして……これを食べて、第二階層でも頑張れってことかな?」


 勘違いされてる! そういうことじゃないんだけど……でも、お腹を空かせて挑むよりはマシか……。

 食べ物の差し入れに、シュヴァインくんは感極まり、フィオナちゃんは上機嫌になって、トールだけ何故かプリプリしながら飲み食いを始めた。


「師匠っ、ありがとう……!! ボク、第二階層でも頑張るよ……!!」


「これって、アーシャの仕込みよね? 小粋なことしてくれるじゃない!」


「ったく、余計な真似しやがって! 遠慮しねェで食っちまうぞ!!」


 トールは甘やかされるのが、気に入らなかったのかも。

 こうして、お腹を満たした彼らは、この日のうちに第二階層へ挑むことを決めた。まずは流氷に乗って、第一階層を半周。そして、遠くにあった氷の孤島へ上陸する。

 その島の洞窟に入ると、氷で形成されている広々とした螺旋階段があって、ルークスたちは足を滑らせないよう、慎重に下りていく。


 他の冒険者とすれ違う度に、警戒心が最高潮になるのは、昨日の経験が原因だろうね。

 ルークスがみんなを代表して、襲ってきた冒険者のことをギルドに報告したみたいだけど、よくあることだと言われて、終わり。

 賊を討伐したから褒賞が貰えるとか、そんなことは一切なかった。


 五分ほど螺旋階段を下り続けた後、洞窟内には横へ伸びている一本道があって、そこを辿ると第二階層のフィールドに出た。

 第一階層と同じで、流氷が浮かんでいる海域だよ。ただし、第二階層の上空は、分厚い鉛色の雲で覆われている。それが原因で、第一階層よりも寒そうだ。


「フィオナ、小冊子に書いてある第二階層のこと、教えて貰える?」


「ええ、分かったわ。まず空模様に関してだけど、第二階層はずっと曇ったままみたい。でも、雨や雪が降ったことは一度もないって書いてあるわ。それから──」


 ルークスの要望に従って、フィオナちゃんが淀みなく説明していく。

 第二階層で出現する魔物は、大人のアザラシとセイウチ。

 大人のアザラシが使うスキルは【吹雪】と【氷塊弾】の二つで、攻撃魔法を主体にした後衛の魔物っぽい。

 【氷塊弾】は分かりやすい魔法で、【火炎弾】や【冷水弾】の氷属性バージョンだね。


 セイウチが使うスキルは【牙突】と【水壁】の二つで、こっちは前衛の魔物かな。小冊子によると、この魔物は『新米殺し』として有名らしい。

 流水海域にて、銅級冒険者を殺した数が最も多いのだとか……。

 【牙突】は刺突武器を構えて突撃するスキルで、通常攻撃の二倍くらいの威力がある。

 【水壁】は名前の通り、水の壁を出す防御魔法だから、セイウチは魔法戦士って感じかもしれない。


「第一階層の魔物より断然強そうだから、今まで以上に気を引き締めよう!」


「ンなこたァ言われるまでもねェ!! この階層の魔物を皆殺しにするつもりでいくぜッ!!」


 ルークスがキリッとした表情で、リーダーらしく注意を促して、トールは鈍器を素振りしながら殺る気を漲らせた。


「あたしも全部燃やし尽くすつもりで、魔法をぶっ放してやるわ!! シュヴァインっ、ちゃんとあたしを守りなさよね!!」


「う、うん……!! ボク、頑張るよ……!! あ、でも、そのぉ……流氷を溶かし過ぎないように、程々にして貰えたら……」


 フィオナちゃんとシュヴァインくんも覚悟を完了させて、一行は大きな流氷に飛び乗った。

 空を覆う鉛色の雲が、心にズンと圧し掛かっているような、重苦しい緊張感。そんなものが、みんなの間に漂っている。


 そうして、厳戒態勢のまま数分が経過すると──大人アザラシとセイウチが二匹ずつ、冷たい海の中から飛び出してきた。

 流氷に乗り込んだ合計四匹の魔物は、何れも中々の巨体だ。


 大人アザラシは身体が白いままだけど、フワフワ感がなくなってツルリとしている。大きさは二メートルにやや届かないくらいで、子供の頃の可愛さが半減だよ。

 セイウチの方は灰色と黒色のまだら模様で、口から二本の太くて長い牙が生えている。身体の大きさは三メートル半くらいで、みんながその大きさに怯み、初動が遅れてしまった。


 この場で最初に動き出したのは、二匹のセイウチ。彼らは【水壁】を自分の正面に展開しながら、真っ直ぐ突撃してくる。

 縦横三メートル、厚さ五十センチくらいの、なんの変哲もない水で作られた壁だね。固体じゃなくて液体だから、防げる攻撃は【土壁】より少ないと思う。

 でも、【土壁】は動かせないのに対して、【水壁】は自分の移動に合わせて動かせるみたい。


「──ッ、ウオオオオオオオオオオオォォォッ!!」


 一拍遅れて、スキル【鬨の声】を使ったトールが、相手を威圧しながら味方を鼓舞して前に出る。

 ハッとなったシュヴァインくんは、すぐに自分の役割を思い出して、トールとセイウチを一対一で戦わせるべく、【挑発】を使って他の三匹の敵視を集めた。


 トールは横にステップを踏んで【水壁】を回避し、セイウチの身体に鈍器を叩き込もうとする。けど、これは牙で受け止められた。

 鍔迫り合い。拮抗したのは一瞬で、馬鹿力のトールがセイウチを軽く後退させる。


 体格差が倍以上もあるのに、トールの方が筋力は上らしい。これが職業とスキルの恩恵なんだ……。

 力比べには勝ったものの、セイウチの牙はとても頑丈で、表面に浅く傷が付いた程度。本体もピンピンしているから、やっぱり手強いね。


「さ、寒い……っ!! これっ、厳しいかも……!!」


 シュヴァインくんはフィオナちゃんを守っているため、【水壁】を避ける訳にはいかなかった。

 しっかりとセイウチの牙を盾で受け止めているけど、ずぶ濡れになっている。そこで間髪入れずに、大人アザラシが【吹雪】を放ってきたから、瞬く間に防寒具が凍り始めた。


「シュヴァインっ、今助けるわよッ!!」


「ぜ、全力は、まだ駄目だよ……!!」


「景気付けに一発ぶっ放したかったけど、仕方ないわね!」


 第二階層の探索は、まだまだ始まったばかり。こんな序盤で、流氷を溶かし過ぎる訳にはいかない。

 必殺技を封印したフィオナちゃんが、小技の【火炎弾】をセイウチにぶつけると、セイウチは驚くほどの火勢で燃え上がった。

 身体の脂肪が多すぎて、火達磨になっている。やっぱり弱点を突くのは大事みたい。

 これを見ていたトールが、怒鳴り声を上げる。


「フィオナ!! こっちに手ェ出すンじゃねェぞ!! こいつは俺様がブッ殺すッ!!」


「分かったわよ! となると、残り二匹──いえ、一匹ね!」


 いつの間にか、大人アザラシが一匹、ルークスの手によって暗殺されていた。

 華々しさとは無縁の活躍だけど、流石は私の一番弟子だよ。

 フィオナちゃんは二匹目の大人アザラシに狙いを定めて、【火炎弾】を撃つ。

 あちらは拳大の【氷塊弾】を撃って、相殺を狙ったみたいだけど、彼我のスキルは重なり合ってから擦り抜けた。


 【火炎弾】は火勢が弱まった状態で、大人アザラシに着弾。セイウチと同じく、身体の脂肪が多いから燃え上がる。


 【氷塊弾】は半分ほど溶けた状態になって、フィオナちゃんに飛来。これは当然の如く、シュヴァインくんが盾で遮ったよ。


「す、凄いよフィオナちゃん……!! 大活躍だね……!!」


「フフン、これがあたしの実力よ!! 崇め奉りなさいよねっ!!」


 シュヴァインくんに称賛されて、フィオナちゃんが得意げに胸を張っている。

 第一階層では自尊心が満たされなかったみたいだから、ここでは有頂天だ。

 スッと音もなく戻ってきたルークスは、きちんと問題点に気が付いていた。


「確かに凄いんだけど、敵が思った以上に燃えるから、【火炎弾】も控え目に使って欲しい。それから、あっちの孤島に到着したら、忘れずに別の流氷に乗り換えよう」


 第一階層と同じく、この第二階層にも氷の孤島が二つあって、幾つもの流氷が行き来している。だから、半周もすればそれぞれの孤島で、別の流氷に乗り換えられるんだ。

 漂流中にも別の流氷に飛び移れる機会があるけど、これは危ないからやらないみたい。

 ルークスとトールなら問題ないと思うけど、シュヴァインくんとフィオナちゃんには難しいからね。

 

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