第30話 流水海域

 

 街中にある流水海域の入り口は、直径が五十メートルもある大きな縦穴だった。

 その中には冷気が漂っていて、石造の螺旋階段が下へ下へと続いている。

 入り口の周辺には数多くの冒険者が屯していて、あちこちでパーティー募集が行われているよ。


「足を滑らせたら危ないから、二人一組で手を繋いで下りよう!」


 ルークスは螺旋階段から身を乗り出して、大穴の深さを確認すると、真面目なんだけど微笑ましい指示を出した。

 これには案の定、見栄っ張りのトールが大反対だ。


「ざけンじゃねェ!! 仲良しこよしでお手繋いでダンジョンに入るなンざ、恥晒しもいいところだろォがッ!!」


「仲間と手を繋ぐことは、別に恥ずかしいことじゃないよ。それに、安全第一ってアーシャに言われているんだ。オレがリーダーだから、指示には従って欲しい」


「チッ、テメェ……!!」


 ルークスが強引にトールの手を握ると、トールは額に青筋を浮かべながら、大きく舌打ちした。……でも、振り払ったりはしないみたい。

 安全第一は私が口を酸っぱくして、言い含めていたことだからね。いいよ、正しい判断だよ。


「ふぃ、フィオナちゃん……!! 手、握っても、いいかなぁ……?」


「当たり前でしょ! あたしが落ちそうになったら、きちんと引っ張り上げなさいよねっ!」


 シュヴァインくんとフィオナちゃんも、手を握り合ったけど、指を絡める恋人繋ぎをしている。

 その握り方だと、万が一のときに引っ張り上げるの、大変じゃない……?


 すれ違う冒険者たちが、ルークスたちに生暖かい目を向けてくるから、トールの顔が般若のようになっている。その怒りは魔物にぶつけてね。

 螺旋階段を下りると、そこは氷の洞窟の中だった。みんなの吐く息が白いので、かなり寒いことが窺える。


「わぁっ、凄い凄い!! ここがダンジョンなんだ!! まるで別世界だね!!」


「ルークスっ、燥いでンじゃねェよ!! ダセェ!!」


 ルークスが喜色満面の笑みを浮かべながら、お上りさんみたいにキョロキョロと辺りを見回した。

 これにトールが文句を言ったけど、フィオナちゃんがせせら笑う。


「そんなこと言って、トールだって内心では大喜びじゃない! 目がキラキラしているわよ!」


「ぼ、ボクにはキラキラじゃなくて、ギラギラしてるように、見える……かも……」


 シュヴァインくんが言った通り、トールの目はギラギラしている。挑戦的、あるいは好戦的な目だよ。

 みんなは滑る足元に注意しながら、氷の洞窟を進んでいく。

 そうして何事もなく、数分で光が差す外に出た。

 ダンジョンの奥へ向かって進んでいたのに、『屋外』としか言い表せない場所に出たのだから、全員が驚いている。


 そこは氷で形成された孤島の上で、視界に映っているのは、広大な海と真っ青な空だった。

 海には幾つもの流氷が浮かんでいて、遠くには別の氷の孤島が見える。

 他の冒険者たちは、流氷に乗ってあっちの孤島を目指しているよ。


「これが……流水海域……」


 ぽつりとそう呟いたフィオナちゃんが、懐から小冊子を取り出した。

 表紙には『ダンジョンの手引き、流水海域編』と書いてある。多分、冒険者ギルドで貰ったんだろうね。


「えーっと、現在地は流水海域の第一階層ね。二つの孤島の間を流氷が行き来しているから、それに乗って探索するらしいわ。それから──」


 フィオナちゃんはみんなに一つずつ、この場所の情報を伝えていく。

 出現する魔物はアザラシとペンギンで、前者が使えるスキルは【吹雪】、後者が使えるスキルは【冷水弾】らしい。

 小冊子にはスキルの名前しか書かれていないけど、どちらも名前から察することが出来たのか、誰も疑問符を浮かべていない。


 遠くにある孤島から、第二階層へ下りられるみたいだけど、ルークスたちは第一階層でお金稼ぎだよ。

 ここで得られる金目のものは、お肉、魔石、魚の三種類。極稀に宝箱が漂流しているらしいけど、そっちは期待し過ぎない方がいい。


「っしゃァ!! さっさと行くぞテメェら!! 魔物を殺しまくってレベル上げだぜッ!!」


「トール、気持ちは分かるけど落ち着いて。流氷は大きさが均一じゃないから、出来るだけ大きいものを選ばないと」


 ルークスはトールを注意して、流氷選びに十分ほど時間を掛けた。

 私は自分のお店の中で、彼の判断に拍手を送る。フィオナちゃんが火を使うから、中途半端な流氷を選ぶと、溶けて沈んでしまう。それを見越しての判断だろうね。

 このダンジョン、出現する魔物は火に弱いみたいなんだけど、環境が火を使い難くしているから厄介だ。

 最終的にみんなが選んだ流氷は、三十メートルくらいの広さがあるものだった。

 簡単には割れそうにないだけの厚みもあるから、凄く良い感じだよ。


 そうして、いざ乗り込もうとしたとき──


「おいッ、お前ら! その流氷を譲れや!!」


「ギャハハッ!! クソガキども!! ダンジョン内は年功序列だぜぇ!!」


 ルークスたちが、四人組みの男性パーティーに恫喝された。

 相手の年齢は二十代から三十代。それぞれが持っている武器は、槍、斧、弓、剣と盾だ。身に着けている防寒具は結構ボロボロで、身体を含めて全体的に汚いから、物凄く浮浪者っぽい。

 彼らは不揃いで黄ばんだ歯を覗かせながら、ニタニタと下卑た笑みを浮かべて、明らかにルークスたちを見下している。


「あァ゛!? 三下くせェ面構えのカスどもがッ!! 俺様の邪魔してンじゃねェよッ!!」


 トールがいの一番にブチ切れて、背負っていた鈍器を引き抜いた。

 喧嘩っ早いことに定評があるからね。そうなると思ったよ。


「カス、だと……ッ!? このガキぃ!! ぶっ殺してやるッ!! 大人の怖さを思い知れッ!!」


 カス呼ばわりされた男たちは怒り狂って、全員が武器を構えながらトールに狙いを定めた。【挑発】のスキルを持っている訳じゃないのに、トールの敵視の集め方が凄まじい。

 シュヴァインくんはフィオナちゃんを守るべく、怯えながらも不退転の覚悟で盾を構えている。けど、スキルを使う様子はない。


「…………」


 普段はトールを宥めることが多いルークスだけど、彼だって反骨精神を宿している男の子だ。恫喝されて引き下がるなんて、絶対に嫌だと思っている。

 だから、黙って短剣を引き抜き、空気に溶け込むように気配を消した。


 冒険者は護衛依頼や盗賊退治を請け負って、対人戦をすることが多々ある。

 ダンジョン内での揉め事も、決して珍しいものじゃないから、人間との殺し合いはいつか発生すると思っていた。……でも、いざその局面にルークスたちが置かれると、胸が苦しくなってしまう。


 まだ子供なんだから、そういうこととは無縁でいて欲しい。そんな私の願いが通じたのか、その場に第三者の声が割り込んだ。


「──見苦しいな。目障りだ、失せろ」


 ゾッとするほど冷たい声に、みんながハッとなって振り向く。

 そこにいたのは、六人もの騎士を従えている一人の少年だった。

 年頃はルークスたちと同じくらいで、背中まで伸びている髪はアイスブルー。怜悧な瞳は灰色で、虫けらでも見るような眼差しを一同に向けている。


 彼は縁が細いお洒落な眼鏡を掛けていて、黒豹の毛皮で作られたようなコートを身に着けている。どちらも一目で高級品だと分かる代物だ。

 腰には青白い鞘に収まった細剣を佩いており、いつでも引き抜けるように片手が添えられているよ。


 私は彼に、見覚えがあった。確か──職業選択の儀式の際に、教会の入り口で鉢合わせた少年。多分だけど、この街を治めているサウスモニカ侯爵家のご子息だね。

 記憶の片隅に引っ掛かっている名前は、ニュートくん。……いや、ニュート様って呼んだ方がいいのかな。


「ゲェッ、き、貴族……!! へ、へへへ……。こいつぁ失礼しやした……」


 ルークスたちに絡んでいた連中は、即座に身を翻して、慌ただしくその場から立ち去った。

 トールは犬歯を剥き出しにして、ニュート様を威嚇しているけど、ルークスは口元を綻ばせて握手を求める。


「助けてくれて、ありがとう。前にも言ったと思うけど、オレはルークス。キミの名前を教えてくれる?」


「フン、助けた訳ではない。もう一度言う。目障りだ、失せろ」


 ニュート様は取り付く島もない態度で、ルークスの手を払い除けた。子供であっても、お貴族様は怖いね……。

 ルークスはニュート様のツンツンした態度に苦笑しながら、みんなを引っ張って流氷に乗ったよ。


「──クソッ、俺様を見下すあの目ッ!! 気に食わねェ!!」


 ニュート様と別れた後、トールが我慢ならないと言った様子で悪態を吐いた。

 それを皮切りに、張り詰めていた空気が弛緩して、シュヴァインくんとフィオナちゃんが口を開く。


「こ、怖かったぁ……。あの人、貴族様だよね……? 目を付けられたら、どうしよう……」


「あいつ、かなりのイケメンだったわね……!! あたしのこと、チラチラ見てた気がするし、側室にされちゃうかもしれないわ……!!」


 フィオナちゃんが妄言を垂れ流しているけど、スラ丸視点では一瞥もされていなかったよ。

 それなのに、シュヴァインくんは恋人の妄言を信じてしまったのか、瞳を潤ませてワナワナしている。ヤキモチを焼いちゃったみたい。

 フィオナちゃんがそれを見遣り、ニマニマと勝ち誇ったように笑う。

 私には全く理解出来ないけど、高度な恋愛の駆け引きをしているのかもしれないね。


 ……それにしても、ニュート様はどうしてダンジョンに来ているのかな?

 実力的には格上っぽい騎士を従えていたから、彼らに手伝って貰いながら、レベル上げをしているとか?

 だとしたら、生まれの格差って残酷だ。ルークスたちがニュート様を妬んで、心を歪めてしまわないか、ちょっとだけ心配だよ。

 

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