大雪の渋滞に巻き込まれた話

雲条翔

白く遠く、ひどく長い道のり

 雪国の冬をなめてはいけない。


 毎日、明日の天気予報(降雪予想)をチェックし、朝は1時間以上早起きして、家の前の除雪。

 早起きするつもりがなくても、日が昇る前から除雪機が除雪作業を始めるので、ゴゴゴと重く大きなその音で、目覚まし時計代わりに起こされる。


 多い時には、一晩で1m近くも積もり、1週間も除雪をサボっていると、雪の重みで車庫が潰れた、古い家の屋根が壊れた、なんてのもウチの近所で実際にあった話である。


 冬は、部屋のドアが開けにくくなる。

 屋根が雪の重みで押されて、家全体に上から圧力がかかり、ドアと壁との摩擦係数が上がるからだ。

 最近の家の設計ではそうでもないが、私が小さい頃は、雪が降る時期になると、いつもより強い力で押さないとドアは開かなかったし、開く時もキイイイとこすれる音を立てた。ドアも苦しそうな感じだ。


 中学校の社会の授業で、副読本的資料の中に、「豪雪地帯で屋根の雪下ろしをする人(○○県○○市)」というキャプションつきの写真が掲載されており、それを見たクラスメイトが一言。


「これ、うちのおじいちゃんだ!」


 と言ったのも、リアルな体験談。


 小さい頃、庭で雪遊びをしていると、親や、周りの大人たちから

「無邪気に雪を楽しめるのは、子供のうちだけだから。たっぷり楽しんどけ」

 と言われたのを覚えている。


 実際、豪雪地方で、雪が降って嬉しい大人なんて、スキー場の経営者か、ウィンタースポーツ好きくらいだろう。

 大人になれば、毎年降る大雪に苦しめられ、毎日除雪でヘトヘトになり、「今年こそは暖冬でありますように!」と祈るようになるのだ。


 そんな私が、心底、雪に苦しめられた話をする。


 去年の冬のこと。


「今年の冬、十年に一度の記録的最強寒波が予想されます。特に○○県の○○地方では一晩で1m以上もの積雪が……」とニュースでやっていた。


 その日、私は特殊シフトで、午後からの出勤だった。


 片道三十分以上の通勤ルートで、自家用車で通勤しているのだが、大雪であちこちの道路が渋滞すると考え、朝の「九時過ぎ」にガソリンスタンドに寄って燃料を満タンにしてから、出発した。


 大雪でノロノロ運転になり、いつもは三十分の道のりが二、三時間かかったとしても、朝の九時過ぎに家を出発すれば、いくらなんでも午後からの勤務には間に合うだろう。

 早く着いたら、暖かい事務所でぬくぬくと待っていればいいのだ。

 いや、「時間があるなら、外の除雪を手伝え」とシャベルを持たされるかな……。


 その時はまだ、そんな風に「気楽に」思うことができたのだ……。


 ガソリンスタンドを経由してから、会社に向かう。

 近所では、自分の家の前を雪かきしている人たちの姿が目に入った。

 

 大きな道路に出ると、いきなりの渋滞。

 まるで車が動かない状況に、周りのドライバーも不安そうに降りて、先へと歩いて情報収集。

 どうやらこの先、トラックが大雪ではまっており、道路を塞ぐように横向きになって、動けない状態らしい。

 スリップして、そこからタイヤが雪で抜け出せなくなったのだろう。

 

 この道はアウトだ。


 渋滞の途中で抜けてUターンし、遠回りになるが、山の中を向かうコースにした。


 こっちは人通りが少なく、雪も深いが、大雪に慣れている人が通る場所の方が、雪の対策もちゃんと出来ているはずだ、という発想。


 だが、自然というのはおそろしい。


 横倒しになった丸太が、道を塞いでいるのが見えた。

 何人かの作業員が、倒れた木を囲んで、作業している。


 雪の重みで、木が折れて、道路側に倒れたのだ。


 大雪による倒木。

 これも雪国ではよく見る光景だ。


 余談だが、雪国の自動車用信号というのは、横長ではなく、縦長になっている。

「縦長」の方が、信号機への積雪量が軽減されるからだ。「横長」の信号機にこんもりと雪が積もると、重さで折れて、壊れる可能性があるという。雪の重みというのは、馬鹿にできないのだ。


 さて、話を戻そう。


 私の目の前では、電柱レベルの木が折れて、道に横たわっているではないか。

 切断作業に着手してはいるようだが、通行できるのはいつになることか。


 車を降り、作業員に聞いてみたが「どれくらい時間がかかるかは、読めないですねえ」との答え。


 この道も諦め、他のルートを行くことにした。


 しかし、その先でも渋滞。


 この道は細い道で、雪で道幅が狭くなっているので、片側交互通行で順番に車を流しているのだが、今はこっちの車線を流したばかりだから、これから向こうの車線を通してあげる順番に切り替わったばかり。

 近くの家の人が、親切に車を誘導しているので、事情を聞いてみると、「さっきは向こうで、1時間とか、待ったみたいだねえ」とおじいさんが愛想良く答えてくれた。


 1時間……これから待つのか。


 この時点で、もう十一時を回っており、家を出て二時間が経過していた。

 会社には「行くルートがあちこち塞がっていて、遅刻するかもしれない」旨を連絡済みだ。


「もうすぐ除雪車が来るみたいだよ」とおじいさんが言うので、それさえ過ぎれば道幅も広くなって、すぐに行けるようになるだろう、と私は1時間待つことにした。


 ……1時間経過。


 ……1時間半経過。


 ……2時間近く経過。


 まだ車は動かない。


 雪が積もっているせいで非常に視界が悪く、向こうで何が起きているのか、まるで見えない。


 会社に「雪で、もう辿り着けないかもしれません」と冗談めかして電話連絡を入れると、マジメな声で「何人もそういう連絡を受けている。無理して出社しなくても、自宅からのリモートに切り替えろ」との声。


 ありがたい話だが、そうもいかないのだ。


 私は、「会社に行ったら、大雪で帰って来られなくなる」ことを想定し、会社のすぐ近くのビジネスホテルに、今晩宿泊する予約を入れていた。

 だから、今から無理して出社しなくたっていいんだが、ビジネスホテルに辿り着かなくては、キャンセル料がかかる!


 大雪を乗り越え、ビジネスホテルに辿り着き、部屋でビールを飲み、ぐーすか寝て、翌朝は余裕を持って出社!というプランを練っていたのだ。

「お前、家が遠いんじゃないの、この雪で、よく遅刻しなかったな」

「すぐそこのビジネスホテルに泊まったからね! 出社時間は5分さ」

 なんて、得意気に答える自分を想像したものだったが。


 このままでは、ビジネスホテルにすら辿り着けない!


 片側交互通行の手伝いをしているおじいさんに「まだですかね?」と聞いてみると、「なんか、向こうで、やっと着いた除雪機が溝にはまって、動けなくなった、って連絡があったよ。当分ダメそうだねえ」とのこと。


 なにやってんの除雪機さん! 雪の上がお前の活躍の場だろー!

 溝にはまっとる場合かー!


 私は別の道を探して、さまよい始めた。


 どこも渋滞で動いていない。

 ゆっくりゆっくりと動いてはいるのだが、時速にすると、3mとか4mとか、そんな感じだ。

 窓から見える景色が、全然変わらない。


『こち亀』で記録的大雪が降ったエピソードで、「車のエンジンの熱で雪を溶かしながら進んでるんだ! 時速30㎝!」と車に乗った若者が言っていたシーンを思い出した。


 30㎝よりは、メートル単位で進むんだから、まだマシなのか……。


(国道に出るか……いや、国道は大渋滞になっているに違いない)

 

 そうこうしているうちに、時間はもう夕方近い。出発は朝だったのに……。


 会社に「今日はもう、出社は無理そうです、帰ります……」と連絡。


 そこで、親しい同僚に「ビジネスホテルを予約していたのに、キャンセルしなきゃだよ。当日キャンセルは、全額払わないといけないんだよな、参ったよ」と嘆きのメッセージを入れると、


「まだキャンセルの連絡はするな! 俺は朝から呼ばれて出社してんだよ。交代、休憩しながら除雪対応だ。大雪で家に帰れないから、どうしようか考えてたんだが、お前がビジホの権利を譲ってくれると、俺がそこに泊まれる。汗だくだし疲れたから、風呂に入りたいんだ。助かる。ありがたい」


 と言うではないか。


 なので、一応はビジネスホテルに「予約した者の名前と違いますが、代わったので」と一報入れて、その同僚に宿泊を譲ることにした。


 そして、なんとか方向転換して、大きな道に出て、帰路についたのだが……。


 そこで、完全な大渋滞。


 日が沈み、周囲が暗くなり、1時間経過し、2時間経過し……。


 今度は、車は最初の位置から、数㎝も動いていない。


 別ルートに行ける脇道は、近くにない。


 こうなると、家に帰れるかどうかも、分からない。


 今朝、満タンにしてきたガソリンは、既に半分近くまで減っていた。そういえば、家を出てから、十時間近く経過しているのだ。

 外は寒くて、暖房を強めにしているのも、ガソリンが早く減る原因ではあるのだろうが、このまま一晩、渋滞で動けないまま過ごすとなると、心もとない。


 私は暖房を切り、少しの寒さならガマンすることにした。


 救いだったのは、見える距離にコンビニがあったことだ。

 夜の闇の中、実際のルクス以上に明るく見える、コンビニの照明。

 いや、それは「救済の輝き」と呼んでもいい。ありがとうセブンイレブン!


 現在、歩いて、コンビニまでは片道5分くらいかかるポジショニング。

 

 一時的に車を離れることになってしまうが、車が動く気配は、今のところまったくと言っていいほど、無いのだ。


「もしも、自分が離れている間に、渋滞が動き出したらすみません! すぐ戻りますので!」と内心で謝りつつ、車を降りてコンビニに行き、トイレ問題、食糧問題をクリア。


 私の他にも、同じような境遇で、動かないマイカーと、コンビニの間を徒歩で往復する人の姿は、あちこちで見かけられた。


「近くにコンビニがある」というのは、心理的にどれだけ救われたか。


 車のガソリンは満タンにしておいた方が良いのはもちろんだが、車中で膀胱が満タンになり尿意が限界になるのは、良識やモラルのある大人として、いろいろまずい。


 この状況が、いつまで続くのか、予測できない以上、スマホを使うのは不安だ。

 バッテリー残量の問題もあるし、時折、道路情報のニュースや天気をチェックするのと、会社とのやり取り以外では、使わないことにした。

 家にいて、wi-fi環境と充電のコンセントがあるなら、スマホのアプリゲームでいくらでも時間を潰しても構わないけれど、ここではそうもいかない。


 なるべく、温存しておきたい。

 この時、バッテリーは残り半分を切っており、46%を表示していた。


 それと、もうひとつの救いは、宿泊の準備の中に、「ポメラ」を持ってきておいたことだ。


 ポメラ。

 キングジムから発売された、ポケット・メモ・ライターの略。

 ノートパソコンをひと周りもふた周りも小型にした、パカッと開くと液晶画面とキーボードが出てくる軽量の小型ガジェットで、本当に「メモを取るだけ」に特化している。


 ビジネスホテルの部屋で使うつもりで持ってきたのだが、意外なところで役に立った。


 通勤用のカバンを、脚とハンドルに乗せ、そこを机代わりの台にして、ポメラを乗せて運転席でキーボードを叩いていると、ヒマが潰れるのだ。


 ポメラのバッテリーの持ちは良く、数時間使い続けても、全然減っていない。


 ……時刻は夜の八時を過ぎた。

 渋滞は、まるで解消されていない。


 寒くなると、少しだけ車のエアコンをつけたり、外に出て体を動かし、運動して体温を上げた。車の窓は、白く曇っていた。


 また車中に戻り、ポメラのキーボードを叩いていると、外から運転席の窓をノックする音が。

 窓を開けると、カモフラ服の人たちがいる。


「お疲れ様です。自衛隊です。食糧を配給しています。良かったらどうぞ」


 自衛隊! 自衛隊が食料を配給するような事態に、自分が巻き込まれている!


(それほどまでに深刻な状態なのだ、おそらく、動く見通しが、まるで立たないに違いない。車の中で明日の朝を迎えるかもしれんぞ……)


 現実を思い知らされ、私は、深いため息をついた。


 自衛隊の隊員から渡されたビニール袋には、水を入れて戻してある非常食料の乾燥米と、ペットボトルの水、体を温めるためのカイロ、非常時用の携帯用トイレが入っていた。


 コンビニで買ってきた食料は既に食べたけれど、頂いた非常食も、その場で食べた。


 会社には、

「まだ家に戻れないんです。今日中に、帰れるかどうか……。すみませんが、明日も休みます。今日・明日は、有給休暇という形で、休みにして下さい」

 と連絡を入れた。


 こうなりゃ、ハラをくくった。覚悟を決めるしかない。


 トイレ問題も食糧問題も、コンビニがあれば、長丁場もなんとかなるのだ。


 逆に、渋滞が動いて、コンビニが見えない位置まで進んでしまったら、という恐怖はあるけれど。


 その後、除雪が進んだのか、渋滞はゆっくりと動き出した。


 そして、私は日付が変わる前に、家に帰ることができた。


 朝、家を九時過ぎに出て、夜の十一時過ぎに帰ってくることになるなんて……。

 出社もしてないし、時々コンビニに寄っただけで、雪道を十四時間以上も運転していたのか……。


 さすがに、その日は風呂に入って、すぐに寝た。

 精神的な疲労もあり、ぐっすりと熟睡だった。


 翌日、会社の連中からは「どうせビジホを予約してあるなら、無理して出社して、除雪を手伝ってくれれば良かったのに」と無茶なことを言われた。


 雪というより、白い地獄。


 これは、そんな地獄の往復の話。


 白い地獄は人の心を疲弊させるのだな、と思った。

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