第9話 夜

 火猿とティリアは日が暮れる直前まで歩き続けた。


 今までとは違う行動範囲を心がけ、かつ、町から遠ざかる方へ向かった。


 そのおかげなのか、まだ黒剣が動いていないのか、追手には捕まっていない。



「そろそろ休むか」


「は、はい……。ふぅ……。疲れました……」



 ティリアがその場にへたりこむ。メイドとして働いていたとはいえ、森を延々と歩き続ける経験はない。かなり疲れてしまったようだ。



「お前にはまだ、飯を作るという大事な仕事があるんだが?」


「そ、そんなぁ……っ。今から準備ですかぁ? もう疲れましたよぉ」



 ティリアはまた涙目である。



「……ならいい。もう休め。飯も勝手に食え。どうせ、料理するほど食材が豊富なわけでもない」



 それぞれ、鞄からパンと干し肉を取り出す。



「そ、それにしても、夜って大丈夫なんですか? 魔物が寄ってきて危なくないですか?」


「問題ない。俺の威圧スキルを使っておけば、格下の魔物はまず寄ってこない」


「なるほど……。便利ですね……」


「ああ」



 日が暮れると真っ暗になってしまうため、火猿は枯れ木を集めて火を起こそうとする。



「明かりとしての火なら、わたしが出せますよ?」


「へぇ、そんなこともできるのか。やってくれ」


「わかりました」



 ティリアが一度手を合わせ、それをそっと開く。両手の間に、豆電球のような明かりが発生した。もうかなり視界の悪くなっている森の中では、その明かりが随分と明るく感じられた。



「……便利なもんだ」


「生活を便利にしてくれる魔法ですからね。戦闘では全く使えませんが、日常生活はお役に立てます」


「俺としてはありがたいが、魔族の役に立ってどうするんだっていう話ではある」


「で、でも、あなたは魔族でも、悪いことを考えているわけではなさそうですし……」


「今のところは、な。しかし、この先もずっとそうとは限らんさ」


「そうですか……。それでも、わたしのことをなんだかんだ守ってくださってるのも事実で……」


「今のところは、な。強力な敵が現れれば、お前を囮にして逃げることもあるかもしれん」


「そ、そんなぁ……。守ってくださいよぉ。男の子でしょう? 男の子は女の子を守るものじゃないですかぁ」


「魔族と人間だろうが。人間社会における男女のルールを持ち込むな」


「もう……意地悪です……」


「魔族だからな」


「……魔族だって、人間の女の子に優しくしてくれてもいいと思います……」


「これが俺の優しさの限界だ」



 ティリアが溜息をつく。



「……わたし、何をやってるんでしょうね。覚悟を決めて冒険者を始めて、そしたら悪い人たちに騙されて……今度は魔族と一緒に行動して……。

 なんとなく生きても幸せになっていく人がいる中で、わたしは一生懸命頑張っても、なんだかよくわからない方向にしか進めない……」



(……子供っぽい愚痴だな。自分だけが辛いような気がして、自分だけが苦労しているような気がして、無駄に不満を募らせる……。

 くだらない、と切り捨てるものでもないか。こいつはまだ十四歳。子供っぽい愚痴を、もっとたくさん吐き出す時期だ)



「俺は人間の苦労など知らん」


「……知ってます。魔族ですもんね」


「ああ、そうだ。お前の苦労は知らんが……お前が俺を裏切らない限り、俺はお前を裏切らない。命くらいは守ってやるから、勝手に好きなだけ悩んでろ」



 火猿が言うと、ティリアがぽかんと口を開ける。



「……なんだ」


「……もしかして、今のってあなたなりのプロポーズですか?」


「なんでそうなるんだ。そんなわけあるか。人間と魔族だろうが」


「そうですけどぉ。でも、ちょっとかっこよかったです」



 ティリアが少しだけ微笑む。



(初めて笑うところを見たかもしれん。だから何だって話ではあるが)



 相手はまだ十四歳。それに対して、火猿はもう精神年齢二十歳。相手はただの子供だ。



「……とりあえず、さっさと飯を食え。そして寝ろ。明日も歩くぞ」


「はぁい。あ、そう言えば、今更ですけどまだ名前聞いてなかったです。名前……ありますか?」


「ああ、ある。鬼月火猿きづきかえんだ。呼ぶなら火猿と呼べばいい」


「キヅキカエン……。独特な響きですね……。わかりました。カエンさんとお呼びします」


「ああ」



 雑談も交えて食事を進める。


 特に豪華な食事でもないので、すぐに終わってしまった。



「……ときにカエンさん。わたし、小用を済ませたいのですが、どうすれば良いでしょうか……?」


「は? そんなもん、茂みに隠れて勝手にやれ。昼間もそうしてただろうが」


「ひ、昼間と夜は違いますよ! 暗いじゃないですか! 魔物がそこら中にいる気がして怖いんですよ!」


「はぁ? じゃあ勝手に漏らせ。俺は見て見ぬふりをする」


「それは嫌ですよ! ちょっと付いてきてください!」


「もうここで済ませろよ」


「今からここで寝ようって場所で済ませられません!」


「はぁ……。面倒くさい……」


「男の子は女の子に面倒くさいとか言っちゃいけないんです!」



(……本当に面倒くさいな、こいつ。連れてきたのは間違いだったか……?)



「ああ、もうわかった。さっさと行くぞ」


「始めからそう言ってください!」


「はいはい」



 火猿は溜息を吐きながら、ティリアと共に少し歩く。


 酷くわずらわしいとも感じるが、少なくとも、人恋しさなどはもう感じていなかった。

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