市姫との約束

クラスが終了し、みんなを帰す。

次のクラスまで1時間空くからエアコンは付けたまま帰ってねと言われている。

と、いうわけでせっかくだし市姫さんのストレス発散に付き合ってあげよう。

ボディプロテクター(*1)を付けて市姫さんを呼ぶ。


「なにかしら?

もう終わりじゃないの?」


「今日市姫さんは初めてだったし、

周りの人との進行度が違うから気持ちよくできなかったでしょ?

最後に軽くやっていきなよ」


そう言ってボディプロテクターを叩く。


「好きに殴っちゃって。

俺の練習にもなるから」


「……そういうことならお願いしようかしら」


「あ、手首グキッてならないように気を付けてね」


「ハァッ」


忠告を聞いてか聞くまいか、左フックでボディを殴ってくる。

さっき教えたパンチだ。

腰の使い方が下手くそなので威力は弱い。

だが気持ちはこもっている。


「ハァアっ!」


跳び膝蹴りをされる。

危ないよ?

転ばないように手を腰にそえて支える。


「ッ!!」


そのまま左右のフックでボッコボコに殴られる。

よほどストレスが溜まっていたのか。

提案してよかったな。


「ふぅ、あ、ぁはあぁっ……」


1分程でへたり込んでしまった。

まあ普段運動しないならよく動けたほうだ。


「すっきりした?」


と聞くと、勝ち名乗りのように腕を上げた。

よかったよかった。







お互いの汗が引くまで涼しい部屋で休憩してからジムを後にした。

インストラクター初めてやったけどまあまあ楽しかったな。

また機会があったらやろうかな。


「思ったより楽しかったわね。

入会しようかしら」


「いや通うには遠いでしょ。

近場にしたら?」


「まあそれもそうね。

流石に市外の格闘技ジムなんて親も心配するでしょうし」


夏休みの今ならともかく、基本は夜クラスに行くことになるしね。

親が心配すること間違いなしだ。


「私アルバイトとかしたことないから、

クラスメイトが働いているのを見るのは新鮮だったわ。

本当に頑張ってるのね」


うちの学校は割と自由な校風なのでバイトokなのだが、やる人は少ない。

実家がお金持ちの人が多いんだろうな。

市姫さんもそうなのだろう。


「まあ、好きだからね」


「プロを目指すの?」


「どうだろう?

絶対ないとは言わないけど、やるとしても働きながらかな」


「へえ、どうして?」


「やっぱり才能の世界だからね。

怪我も多いし、生活の保障がある中で趣味としてやりたいよね」


格闘技で食べていくのは修羅の道だ。

理想は定時帰宅できる企業に勤めて格闘技を趣味で続ける道かな。

プロになる場合も、公務員以外ならいけると思う。


「なるほどね」


「市姫さんは何か趣味とかあるの?」


学校では勉強の話しかしないからな。

読書とか好きそうだが。


「特にないわね。

甘い物とかは好きだけど、趣味と言うほどでもないし」


「あーインスタにパフェとか上げてるもんね」


意外と普通の女子高生みたいなことをするんだなあと思ったのを覚えてる。


「……私って夢とか目標がないのよね」


「え?

でも勉強頑張ってるじゃん。

行きたい大学があるんじゃないの?」


自分も今はやっているが、夏休みにほぼ毎日勉強するのは凄い。

かなり意識高めだ。

なにか目標があるんだと勝手に思ってた。


「別に、少しでもいい大学にいこうと思ってるだけよ」


ため息をつき、足を止める市姫さん。

駅に着いた。

しかし、まだ話は終わらないらしい。

それならと日陰に移動する。


「夢がないから、

夢が出来た時手遅れにならない為にとりあえず勉強だけはしておこうってね」


「それであんなに勉強できるのはすごいね」


「まあね。

意思が強い自覚はあるわ」


それは付き合いの短い俺でも分かる。


「だからどうしてもストレスがたまるのよ。

モチベーションが無いから」


なるほど。

俺は格闘技が楽しくてやってるし、格闘技を続けるために勉強も頑張っている。

もし格闘技が無かったら勉強なんてしてない。

夏休みをだらだら過ごすだけだっただろう。


「何かストレス発散できるようなことはないの?」


「難しいわ。

食べるのは楽しいけれど、食べ過ぎると太ってしまうし。

読書や映画は途中で飽きてしまうの。

動物全般はアレルギーで駄目よ」


「……」


読書も動物も駄目なのか。

それはちょっと大変そう。


「普通に運動するのも別に疲れるだけですっきりしないのよね」


なるほどね。

まあ運動苦手そうだしね。

むしろストレスが溜まってもおかしくない。


「だから今日のは凄く楽しかったわ。

特に最後のやつ。

またやりたいなあ」


「……あー」


ちらりと俺に視線を寄越す市姫さん。

なにが言いたいか分かる。

俺の所属しているジムに入会は厳しい。

とはいえ他のジムではあんな風に付きっ切りの指導は難しい。

いや、下心ありなら全然いけるが、市姫さんはそういうのに敏感だ。

とても警戒心が強い。

その状況自体にストレスを感じてしまうだろう。


「勉強、私のおかげで調子良さそうよね?」


そしてこの殺し文句。

俺の負けだ。


「わかったわかった。

でもグローブとプロテクターは高いからちょっと時間頂戴」


中古でもそろえるのに1万ちょいは必要だ。

バイト代で柔術着を買うから、後3日くらいライブハウスのバイト行かなきゃ。

すぐには無理だ。


「え?

それは自分で用意するわよ」


当たり前でしょ?と首をかしげる市姫さん。

あ、そうなんだ。

じゃあ特に悩むことも無かったな。


「そういうことなら。

でも場所はどうする?」


「私の家にしましょう」


「いや、それは……」


得意の警戒心はどうした。


「今日こうやって二人きりになった時点で、

私としては結構信用しているのよ?」


そう言って俺に一歩近づく。

先程の膝蹴りの時くらい近い。

今はボディプロテクターを付けてないので、ほぼ密着している。

女子特有のいい香りと汗の匂いが混ざってクラクラしそうだ。

さらに市姫さんは追い打ちをするように、


「友だちでしょう?」


と耳元でつぶやいた。

人目のあるところでは偽装関係であることを言わないルール。

それを守る為なんだろうが、思春期の男としては社会的に死ぬところだった。

ジャージは生地が薄いんだ。

前かがみで家に帰るなんて冗談じゃない。


「変なことしないでね?」


そう言って市姫さんは俺から離れた。

そしてそのまま改札を通っていった。

魔性の女だな。

末恐ろしいわ。










*1:ボディ部分に着るプロテクター。衝撃を逃がせないので結構痛い。

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