カワハラ法律事務所

虎之介

女神の殺人


「本日未明、埼玉県のマンションで20代女性が死亡しているのが見つかりました。容疑者は現場にいた元交際相手の20代男性とみられ、女性の不貞行為を理由とした仇討ちを主張しており、埼玉県警は殺人罪特例法の適用も視野に捜査を行う方針を固めたことが捜査関係者の取材で明らかになりました。同法が適用されれば容疑者は不起訴となる見通しです。」

「ったく、食い逃げより殺人のほうが罪が軽いなんて世も末だな。」


暇そうにテレビを見ていた中華屋の親父のぼやきを聞き流し、脂まみれのれんげで残りの炒飯を口に運ぶ。そろそろ来そうな気がする。


「ごっそうさま。」

「ハイ、毎度~。」


ポケットからいつもと同じ枚数の小銭を出し、店を出る。テレビからはスカッと仇討ちランキングなるものが流れていた。

初春のうららかな日差しを嗤うような身を切る風に、コートの襟を立て重たくなった胃に少々切なさを感じながら早足で戻ると、アパートの前で初老の女がたばこをふかしていた。


「わぁ、人気職の刑事さんじゃないですかぁ。」

「てめぇ殺すぞ。」

「古いなぁ。最近の若者は無価値っていうらしいですよ。その気になれば殺せるけどお前には殺す価値もないって。」

「殺人はゲームの切り札じゃねぇんだけどな、3年前から本当にたかが外れちまったなこの国も。」


急激な少子化は深刻な公務員のなりて不足を招いた。犯罪者を捕まえる人も裁く人も管理する人も、足りない。凶悪犯罪の増加を背景に自己防衛をと高まる世論にやがて政府は特別法を制定する。


刑法第199条

人を殺したものは、死刑又は無期若しくは5年以上の拘禁系に処する


刑法第199条【特別法】

・但し犯罪の情状に相応の理由が認められる場合、一切の刑罰に問わない。

・この特別法の適用をされたものは、罰印を身体の一部へ残す。

・本法が適用されるのは、1度のみとする。

・未成年を殺したものは、この限りではない。


つまり、人を殺す相応の理由があれば無罪放免ということだ。

情状酌量の域を大きく外れたそれは施行後、犯罪者への復讐を動機にした殺人が立て続けに無罪となったことから、現代の仇討ち法と呼ばれている。

結果、殺人は増えたが犯罪は減った。それが正しいのかどうかは誰もわからない。


顔なじみの刑事はぎりぎりまで短くなった煙草を、かかとの高い靴底で踏みつぶす。


「たばこのポイ捨ては条例違反で50万円未満の罰金ですよ。」

「チッ、面会か?」

「えぇ。」

「この国じゃ犯罪者ばっかり優遇されやがる。そのせいで被害者が次の加害者だ。」

「犯罪者にも人権はありますからねぇ。」

「さすがは元・人権派の先生だ。」

「法が変わっただけで私は変わってませんよ。それでご用件は?」


肩をすくめた刑事がポケットから取り出したのは2枚の写真だ。


「昨日殺された被害者と加害者だ。知ってるよな?」


写真の中の男女には見覚えがあるので、うなずく。


「女がお前に会いたいと言ってる。事前に殺しの相談を受けてたんだろ?」

「同意書はありますよ。」

「お前のことだ、共謀罪にならねぇよう手をまわしてあんだろ。ちゃんと初犯だろうな?じゃなきゃ特例適用できないぞ。」

「それ、一本もらえます?」


しぶしぶ差し出された煙草を、ありがたくいただく。今じゃ庶民には手が出ない高級品だ。


「彼女に弁護、引き受けると伝えてください。」


細い煙とともに吐き出すと、刑事は深いため息をついた。


「あっ、それ例の性犯罪者!死にました~?」


背後から鈴を転がすような声がする。手の先まで隠れる白のパーカーに白いうさぎを抱いた金髪の小柄な少女は、不思議の国に迷い込んだアリスのようだ。


「あぁ。殺されたよ。」

「かたき討ち成功ですねっ!」


良かったと無邪気に喜ぶ少女をみて、刑事はため息をつく。


「江戸時代じゃねぇんだけどな。」

「犯罪者が淘汰されるのはただの自浄作用ですよ~?」

「バカいえ、殺人は殺人だ。」

「性犯罪は心の殺人なのに?そいつが生きてるだけで不安で怖くて死にたくなるのに?どれだけ訴えても死刑にならないなら自分でやるしかないでしょ?」

「刑罰がなくなっただけで、人を殺していいわけあるか。」

「今のほうがよっぽど法治国家ですよぉ?悪い人を殺す権利があるんだもん。」

「西森ちゃん、」

「あぁ、先生にお客様ですよ!激ヤバの!」


それだけ言うと少女はポニーテールを揺らし、アパートへ跳ねていく。


「お前んとこの客はみんなヤバいだろ。」

「すみませんね。外に出さないようにしてるんですけど。」

「妙な趣味だな。」

「依頼人の預かりもので。」

「まさか未成年じゃないよな?」

「……ウサギの話ですよ。」

「お前、案外なつかれやすいよな。」


眉間にしわを寄せると、女刑事は喉を鳴らして笑う。


「あんな若い子に『ぼくのかんがえたわるい人をやっつける券』なんて与えて、国は何を考えてるんだか。」

「この国の自己責任論の成れの果てですよ。」

「安全な場所から他人に生死の価値をつけるなんざ、へどが出るね。とんだ選民思想だよ、全部自分に跳ね返ってくるのにな。」

「ま、そのおかげで俺の商売も成り立ってるんですけど。」


俺の答えが気に食わなかったのか刑事が何かを言いかけると、金髪の少女がアパートの前から大声で叫ぶ。


「せんせ、歯磨きしてから来てくださいよー!」


片手をあげて応えると、刑事に背中を叩かれる。

裏手の桜の木からやってきた花びらが薄く積もった外階段をきしませ、裏口から部屋に戻る。少女の言いつけ通り口をゆすいでから応接室代わりにしている部屋の扉を開ける。


古いソファに、見覚えのあるマダムと黒髪の美女が浅く腰掛けていた。

分かっていれば戻らなかったものの。仕方なく愛想笑いを浮かべる。


「久しぶりね。」

「金城様、どうされたんですか。ようやくウサギを引取りに?」

「叔母様とお呼びなさいな。今日は彼女の依頼よ。」


隣の女が顔を上げると白く細いうなじが、小汚い部屋でひときわ浮かび上がる。掃きだめに鶴というか、白百合のような佇まいの清楚な美女だ。


「ウサギさんがいるんですか?お名前は?」

「どうも、お待たせしまして。弁護士のカワハラです。」

「っ、初めまして。黒野と申します。」


少し青白い顔をした美女はソファの狭い隙間にわざわざ立ち上がり綺麗なお辞儀をする。きちんと膝の前で揃えられたピンクの爪に、左手薬指にはダイヤの指輪が光っている。


「どうぞおかけください。」


ガラステーブルを挟んで向かい合うが、どうも落ち着かない。

名刺を渡しお茶が運ばれてきたところで、本題に入る。


「西森さん、ちょっとお願い。」

「説明させていただきますね!まずはじめに、正当防衛、復讐、人道的理由以外を目的とした殺人のご相談はコンプラ上、お受けしかねますのでこちらの同意書にご記入ください!こちらが価格表になっております!」


相場よりも高い価格表を見ても、美女は顔色一つ変えない。

差し出された安いボールペンを持ち、お手本のような美しい字で同意書にサインすると、思いつめた顔で話し始めた。


「実は、主人の書斎からこちらを見つけまして。」


華奢なハンドバッグを手繰り寄せ、中からレースのハンカチを取り出した。すわ女の口紅でも出てくるのかと思いきや、包まれていたのは鈍色の小型拳銃だ。

ガラステーブルの上に、冷たい音を立てて置かれたそれを手に取る。


「こちらは、本物ですね。えーと、配偶者の犯罪歴を調べてほしいというご依頼ですか?」

「主人は人殺しなんてしたことないですわ!」

「もしかしてこれから誰か殺そうとしてるんじゃない?」


叔母がささやくと、美女のまろやかな頬に真珠のような涙が落ちる。

まるで映画のワンシーンのようだ。

ティッシュを差し出すが、拳銃を包んでいたハンカチで涙をぬぐう。そうかそうか。


「きっと何か訳があるんですわ!」

「理由があって前科ないなら、仇討ち適用されるから問題なくない?」

「西森ちゃんはちょっと黙ってなさいね。ご心配はよくわかりましたが、あの、どうしてうちへ?」

「主人が何かあったら弁護士先生に相談しなさいって。」


大きな黒い瞳を潤ませ首をかしげている美女からは要領を得ない。叔母が慌ててフォローする。


「ほら、ご主人は黒薔薇御殿の黒野会長よっ。」


医薬品メーカー会長の薔薇好きが高じて黒薔薇の開発に成功したというのは、その筋では有名な話だ。主人ですと差し出された写真には、薔薇のアーチの前で鷹揚に構える醜い髭面の男と美女が写っている。


「主人は薔薇が好きですの。こちらは先日、結婚10周年のお祝いをしたときのものですわ。」

「10年?その若さで?!」


少女の失礼な疑問に美女は長い睫毛をしばたたかせたが、叔母も気になるのかすました顔でお茶をすすっている。


「女学校を出てすぐに結婚いたしましたから。」

「それって、政略結婚?!」

「父が私が一番幸せになる結婚をと、主人と約束したのです。」

「約束?」

「えぇ。お互いの寝室には入らないこと。」


それを聞いた叔母がゴホゴホとむせる。よもや白い結婚か?

幸せそうに微笑む美女に陰りはないが。


「えーと、今回は離婚のご相談でしたか?」

「いいえ、私は家から出たら生きていけませんわ。」

「そうじゃなくて!ほら、この間みたいに秘密裡に黒野会長のトラブルを解決なさいな。」

「配偶者が抱えている何らかのトラブルを、法的に解決してほしいということでしょうか?それとも配偶者が殺人を犯した場合に、特別法が適用され無罪になるかのご相談でしょうか?」


叔母を無視して、依頼人である美女に確認すると、美女は戸惑いながら小さく首を傾ける。


「そうなると、ご本人から相談いただかないと法的には対処しようがないですね。」

「そこをなんとかなさいよ!」


叔母につつかれるが、うちはよろず屋じゃないんだぞ。


「提携している探偵事務所にご主人の身辺調査を依頼することは可能です。費用はかかりますよ。」

「多少の融通はききますので。」


美女は手付金の札束をテーブルに置き、振り返りもせず部屋を出ると、リビングの隅にいたウサギに目を止める。


「ウサギさん、ここにいたのね。お名前はなんておっしゃるの?」

「ウサギのですか。」

「えぇ。」

「ウサギです。」

「先生ってば、おかしいわ。」


なにがおかしいのか、叔母と美女はきゃらきゃら笑い、扉の向こうへ消えていった。

元の殺風景に戻った応接間で、少女はお茶の片づけをしながらほぅとため息をつく。


「あの女の人、いい匂いしたね!」

「これ、多田探偵事務所に依頼回しておいて。」

「あたしあの人きらーい!」

「いいからお願いね。」


再び、玄関のチャイムが鳴る。

忘れ物でもしたかと思い玄関の扉を開けると、立っていたのは先ほどの女性とは対照的な女性だ。艶のないはねた髪をひとつにまとめ、袖口が擦り切れた黒いパーカーを羽織っている。


「ここ、弁護士事務所ですよね?」


客が立て続けに来るなんて珍しい日だ。

応接室へ通すと、女は目も合わせず、席に着くなり話し始める。


「私、小学校のころ同級生をいじめていて。謝りたいんです。」


最近では、仇討ちされる前に示談で済ますケースも増えてきた。


「示談の調停をご希望ですか?」

「その子、今どこにいるかわからないんですけど。」

「受任すれば弁護士の職務上、相手の住民票の請求が可能になります。」

「そうですか。住所が分かるんですね。」


女は少し頬を緩め、唇をかんだ。


「どんないじめしたんですかぁ?」


お茶を持ってきた少女が軽蔑を隠さず、横から口を出す。


「…全部やりました。最初は無視したり物を隠すくらいだったんですけど、エスカレートして身体を傷つけることもネットで晒すこともやりました。男に襲わせたこともあります。」

「お一人で?」

「いえ、友人と。」

「いじめに加担していたご友人とは今は?」

「さぁ。消息不明です。」

「同意書の用意をしますので、少々お待ちください」


部屋の外に出ると、同意書の準備をしていた少女が口を尖らせる。


「今更謝るとかほんとサイテー。超落ちぶれてるのも自業自得って感じぃ。」

「西森ちゃん、さっきの刑事さん呼んできて。まだ商店街の中華料理屋にいるはずだから。」

「なんでですかぁ?」

「急用ができた。今日はもうそのまま帰っていいから。」

「はぁーい!」


刑事は油でテカらせた唇で、すぐにやってきた。


「警視庁です。」


部屋にいた女は警察手帳を見た瞬間、逃げようとテーブルをひっくり返し、ガラスが割れる。その場で器物破損の現行犯逮捕され、取り調べの中で、都内で起こった2件の殺人事件への関与が明るみになった。


刑事はプリンターで刷った薄っぺらい感謝状を片手に、再び事務所を訪ねてきた。


「ほれ、犯人逮捕にご協力ありがとうございましたってな。どうして気づいた?」

「いじめ被害者が嘘をついて他人の住所を知りたがるのは怪しいでしょう。」

「なんであの人がいじめられていた側だって分かったの?見た目?」

「いくつか示談調停したことがあるけど、いじめって、いじめた側は記憶してないんだよね。いじめ被害者から訴えがあって、初めてあんなことで恨んでたのって驚くケースがほとんどだよ。だからあんなふうに自分がしたいじめを具体的に自覚している人はいないんだ。」


いじめ仲間のこと、音信不通じゃなくて消息不明と言った時点でもう殺してるなと思ったが。


「最悪~!あの人いじめで人生狂ったのかな。可哀そう。」

「それだって、一度でも人を殺しちまったらよ。」


肉の味を覚えた獣と同じだ。刑事はそんな言葉をお茶とともに流し込む。


「うまいな、このお茶!」

「えへへ、あたしが淹れました~!インスタのやり方そのままですけど。」

「SNSか。最近の殺しは素人がやたら手際がよくなったせいで中々足取りがつかめない。」

「動画で女でもできるかたき討ちとか見ると、できそうな気してくるよねー。」

「やめてくれよ。まぁ今回は3件目の殺人が未然に防げてよかった。」

「殺人も1人だけなら、死刑にはならないですしね。」

「おいおい、人は2人死んでるんだぞ。」

「いじめの報復なら1件は特別法適用されるでしょ?せんせ。」

「多分な。」


刑事は苦い顔で舌打ちをする。


「ったく、人類は長い歴史をかけて人殺しは罪だという道徳を積み上げたのにな。」

「いつでも殺せるって心の余裕が、殺伐とした現代社会で上手くやるライフハックなんですよ!」

「見えない銃口を向け合ってるだけだろ。」

「せんせは仇討ち法に反対なの?」

「私は法の中でのらりくらりやるのがお仕事だからね。いいも悪いもないよ。」


無意識に、目の前で山積みになっていた叔母の手土産の艶やかな林檎に手を伸ばすと可愛い声で叱られる。


「せんせ、それウサ丸のおやつ!」

「なんだウサギのほうがいいもん食ってんな。」

「刑事さんもいる?」

「毒は入ってないだろうな?」

「どうでしょ。知恵がついちゃうかもしれませんね~フフフ。」

「そりゃ好都合だ。」


刑事が林檎を齧りながら帰っていったのと入れ違いに、探偵がチャイムも鳴らさずに入ってくる。今日はミニスカートにブーツの私服姿だ。可愛いものが好きな彼女は少女の頭を撫でては威嚇されている。


「調べてきたよ。黒野権蔵、65歳。総資産は10億以上。」

「そんな人がわざわざ殺そうとするかなぁ。」


今や代理仇討ち権がフリマアプリで売買される時代だ。


「過去に元妻が2人いて、2人とも自殺している。」

「自殺?」

「当時は他殺の線でも調べられたらしいが、なにも出なかったそうだ。現代の青髭だね。」

「青髭って?」

「童話だよ。昔々、青髭の大富豪がいた。青髭は美しい妻に地下室には絶対入るなと命じ、鍵を託して旅に出る。だが好奇心に負けた妻は扉を開けてしまうんだ。そこには前の妻たちの死体が転がっていた。」

「やだ~!それで?」


少女は耳を押さえながら続きをせがむ。


「青髭に約束を守らなかったと責められ殺されそうになるんだが、返り討ちにして女は幸せに暮らしましたとさ。」

「自分で鍵渡しておいて?試すような真似する男、無理なんだけど。」

「まぁ、好奇心も過ぎると危ないという教訓だな。」

「え~自己決定権の話でしょ。」

「ほかに不審な点は?」

「生活動線に怪しい点はないな。他に女がいそうな気配もない。」

「そうか。」

「どうする、許可が出れば自宅も探してみるぞ。」


黒髪の美女へ結果を報告すると、ぜひウサギと一緒に自宅へ来てほしいとのことで探偵と訪問することになったのだが。


「すごーい!お姫様のお城みたい!」

「西森ちゃんは来なくてよかったんだけどな。」

「先生じゃウサぴょんの相手できないでしょ~!」


緑に囲まれた白亜の豪邸に目を輝かせている少女に探偵が尋ねる。


「依頼人の黒野さんってどんな人?」

「んー。大事にされてきた感じ。育ちが良いってゆーか?天然美人だし、お金にも家族にも苦労したことなさそう。あーあ、人を殺したいなんて思ったことないんだろうなー。」

「実家もこの近くにあるそうで、父親も名士だね。」


話が途切れたところで白い門のチャイムを押すと、レースのストールを巻いた美女が出てきた。


「ようこそ、いらっしゃいました」


庭園が見える応接間で、カップには薫り高い紅茶が注がれる。芸術のような調度品に囲まれくつろぐ美女はたしかにお姫様のようだ。外では犬たちが走り回り、室内ではウサギが放し飼いになっている。少女は早速連れてきたウサギをゲージから出し、ウサギたちと戯れている。


「薔薇が見頃ではなくて、ごめんなさい。」


膝の上の白ウサギを撫でながら、美女はおっとりと微笑む。


「動物がいっぱいいるね!」

「えぇ、みんな自分の子どもだと思っているの。」

「すごい愛情注がれてる感じする~!」


少女の言葉通り、美女は慈愛のまなざしで動物たちを見守る。


「配偶者の方は今日のことご存じなんですか?」

「えぇ、ウサギのお友達が遊びにいらっしゃると伝えてます。」

「早速ですが拳銃を見つけたという、書斎を調べさせていただいてもいいですか?」

「ご案内しますわ。」


書斎は、飴細工のように美しい邸宅の地下にあった。

日光の射さない室内は重厚な机を中心に本棚が部屋を囲んでいる。


希少な薔薇の標本とともに飾られた写真立てには、美女が少女のころから現在に至るまでの様子が収集されている。変わらず清楚で可憐なままだ。何気なく眺めていると、美女が頬を染める。


「お恥ずかしいですわ。あまり見ないでくださいな。」

「不躾で失礼しました。」

「この部屋は自動ロックがかかるんですね。内からも外からも開かない仕様のようですが。」


部屋を調べていた探偵が声をあげる。


「普段こちらに出入りしているのは?」

「主人と私だけですわ。書斎の鍵は私しか持っておりませんの。こちらには機密書類が多いそうで、家にいる私が管理しておりますわ。」

「それではご主人が出入りされるときは?」

「呼び鈴がありますから、部屋から出るときはそちらで呼ばれます。朝起こしにいくこともありますわ。」

「この薬は?睡眠薬のようですが。」


探偵が本棚から見つけた大量の市販薬を掲げる。


「睡眠障害を抱えているという話は?」

「いいえ、聞いたことありませんわ。」


美女は頬に手をあて首をかしげている。

続いて探偵が盗聴器発見機を起動させると、絵画の裏から反応が出た。


「盗聴用録音機ですね。」

「まさか……。」

「再生しても?」


美女の同意を得て再生すると、男性の罵声と女性のすすり泣きが流れはじめる。

時折、物が壊れる音も混じっている。美女の顔が青ざめていく。


「もしかして家庭内暴力がありましたか?」

「いいえ、いいえ!」

「我々には守秘義務がありますからお話いただいても大丈夫ですよ。」

「本当に私ではないのです。男性の声は主人のようですが。」

「では何故このようなものが。」

「わかりませんわ。」


震える胸の前で鍵を握りしめる姿は、まるで祈りを捧げているかのようで。

録音機を元に戻し、念のため飲食時には睡眠薬の混入を気を付けるよう告げ、謎を残したまま豪邸をあとにする。


「拳銃に睡眠薬?やっぱり奥さんを自殺に見せかけて殺そうとしてるんだよ!」


少女の言葉に、運転席の探偵と目を合わせる。書斎からは狂気にも近い妻への愛情が感じられた。もしかしたら彼にとって年の離れた若くて美しい妻は、薔薇を育てているようなものなのかもしれない。


「不貞の証拠は出なかった。何より殺す動機がない。」

「あっ、25歳以下の若い奥さんじゃなきゃダメとか!」

「前妻はどちらも会長より年上だ。」

「じゃあ誰を殺したいの?」

「さぁ。これ以上、調査は続けるか?」

「依頼人に確認して連絡する。つーか、それうちのウサギでいいんだろうな?」


バックミラーに映るケージの中身に少し不安になる。


「うん、この子がうちの子だよ!やっぱり先生に任せなくてよかった!」


少女は胸を張った。



次に美女に会ったのは、拘置所だった。

コンクリートに囲まれ、手垢まみれのプラスチック越しにみても、やはり匂い立つような美しい女だ。


「先生、ありがとうございます。」


たおやかに微笑み、律儀に立ち上がって場違いなほど優雅なお辞儀をする。


黒野薔薇御殿の怪死が世間を騒がせたのは、あれから数か月後のことだった。

経済界の重鎮が自宅地下室で遺体で発見された事件は連日ワイドショーで取り上げられ、美人妻の保険金殺人かと騒がれている。


「黒野会長が亡くなったそうですね。死因は餓死だとか。」

「えぇ。」

「書斎から出られず監禁状態だったとか。書斎の鍵はあなたが持っていた?」

「えぇ。」

「書斎の中に黒野会長がいたことはご存じでしたか。」

「えぇ。」

「なぜ鍵を開けなかったのですか?」

「……入ってきたんです、私の寝室に。」

「性行為を強要されたということですか?」

「いいえ。ただ入ってきたの。約束を守らなかったの。」


どういうことだ。


「約束が破られた結果、あなたになにか不利益があったのでしょうか?」

「だって、約束をやぶってしまったら、幸せになれないでしょう?」


まるでしつけのなっていない犬の話をするように、美しいかんばせをしかめる。


「だから扉を開けなかったの。」


楽園からの追放。殺人も、美女にとってはただそれだけのこと。


「ご主人のPCからあなたの殺害計画が発見されました。拳銃や睡眠薬など状況証拠もあります。自衛を目的とした仇討ち法が適用され、無罪になる可能性があります。」

「お任せします。主人が弁護士先生に相談しなさいって言ってたもの。」


黒髪の美女は曇ったプラスチックの向こう側で、あでやかに微笑んだ。


「先生、これでわたし、幸せになれますよね?」


その微笑みは、まるで大輪の薔薇のように女王にふさわしいものだった。



部屋に戻ると、探偵がソファを占拠していた。少女はうさぎを抱きしめて怒っている。


「先生、このひとやだ~!」

「よっ、邪魔してるよ。例の弁護引き受けたんだって?」

「あぁ。」

「黒木会長、周囲にはうまく隠していたが末期がんだったそうだ。」

「奥さんを道連れに殺そうとして逆にやられたってこと?!」

「いや、奥さんが自分を殺しても無罪になるようわざと証拠を作っていたと考える方が自然だな。」


状況証拠だけ見れば、日常的に妻をDVし殺害を企てる夫だ。


「なんでそんなことを?」

「さぁな。」

「あの女神様に人殺しなんてできたんだ。なんかショック~!」

「大方、箱庭のルールでも破ったか?」


探偵がソファから身を起こして聞くが、何も答えずジャケットを脱ぐ。もうすっかり汗ばむ季節だ。


「どうせ死ぬなら愛した奥さんの手で死にたかったのかなぁ?」

「まぁ黒野会長は分かってたんだろうな、妻に愛はないことを。」

「……どうしてそう思う?」


タイプが異なる二人は顔を見合わせて、クスクス笑う。


「だってあの奥さん見てたら。」

「ねぇ。」

「ほんと先生にぶいよね。」

「これで無罪放免になったら、あの豪邸も遺産も全部手に入れるのか~。うらやましいな。」

「男を殺し女は幸せに暮らしました、か。現代の御伽噺だな。」


被害者の男は人形のように無垢で完璧な妻の愛を求め、楽園から追放されたのか。それとも女を美しく花開かせるために、我が身をもって禁断の果実となったのか。

それは醜い男の仄暗い欲望か、はたまた歓びか。


いずれにせよ、もう彼女は用意された温室で咲く純潔の白百合には戻れない。



「先生はもう殺したい人とかって決まってます?」

「さぁな」

「殺したことあります?」

「さぁな」

「身体に罰印はなかったな。」


探偵が余計なことをいうので、少女が大きく舌打ちをする。


「せんせ、人殺したくなったら、先生の代わりに私が殺しますからね」

「なんでだよ。」

「愛の告白ですよぅ!」

「殺しても、私は弁護しないぞ。」

「大丈夫です、先生は一番最後に殺しますから!」

「なんでだよ。」

「それもあたしの愛ですよぅ」


こぼされた甘い蜜のような台詞に頭を振り、窓を開ける。

生温かい風に運ばれてきた遠くの教会の鐘がやたら耳障りだった。

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