第二章 塩牢城防衛戦 其ノ一

 城は煙と血の臭いに支配されていた。

「西は何とか持ち直しそうです。敵は南側へと移動を始めています」

「補給路を再び確保できるか」

「敵が一ノ山より後方、二ノ山近くまで退いてくれれば、あるいは」

 領主のカズサ(上総)を中心とした軍議室の空気は晴れない。この程度の知らせでは、通路を満たしている負傷兵のうめき声を和らげる事はできない。現在、塩牢城えんろうじょうはいつ陥落してもおかしくない状況にある。

「補給路が開けたとて、これでは……」

 カズサの前には一通の指令書がある。

 日高熾は、王家から領主に下される十七の領地と、敵国と交戦中、又は国境沿いで警戒が必要な六つの軍統括地からなる。塩牢領は日高熾の最南にあり、領地は南の水津国みなつのくにに対する国境とわずかに接しているが戦場からは遠く、五十万もの領民が豊かな農地と伝統工芸の収益によって穏やかに暮らしている。

 だが二月前、水津は突如として塩牢領の国境から攻め込んできた。近隣の領主と王都に援軍を要請したが一向にやってこない。丸一月が過ぎても水津の勢いは衰えず、補給路を断たれ兵糧も尽きかけ、やがて、水津軍は塩牢城目前まで迫った。

 カズサは賭けに出た。城内の残った戦力をかき集め、西への街道を取り戻すべく打って出たのだ。だが取り返した街道に援軍は現れずただ、鷹が一羽、書を運んできた。

「トウヤ王軍師の使用を許可する」

 たった一文と王印だけの指令書、そして王軍師宛の書簡。

 王軍師の「使用を許可」とはどういう意味か。どれほどの隊を率いてくるのか、いつ塩牢城に向かったのか。カズサの周囲に「トウヤ王軍師」の名を知る者はいなかった。

 ――暗に援軍はないという意味ではないのか。

 五年前、現王の焚宮タミヤが即位してから、国境近くの領地と軍統括地は王都からの支援もないまま苦しい戦を強いられている。塩牢は援軍を送る程度で免れてきていたが、仕掛けておきながら突き放すような軍策に、領主達は危機感を持っていた。

 しかし、王都からの命にわずかにでも異を唱えた者は皆、直ちに呼び出され、生きて帰った者はない。恐怖と焦燥で、軍議室に重苦しい沈黙が流れた。

 だが一人、声を上げた者がいる。

「恐れながら申し上げます。私は、軍師殿をお迎えに上がるべきだと思います」

 若き弓兵長、リジョウ(莉条)であった。

「以前、壊滅的な状況に陥った西部国境が持ち直したのは、トウヤ軍師殿が赴いてからと西部にいる友から聞きました。友は、トウヤ軍師殿が本営の采配を振れば大嵩崎国おおつきのくにを取れるとも」

 大嵩崎は日高熾の西にあり、隣国の中では最も軍事力が高く、取るどころか可能な限り戦を交えたくない国である。

「軍師殿が近くまで援軍と共に来ているのであれば、西への街道が開けたとお伝えする必要があります。どうか、私と部下二名がお迎えに上がるのをお許し下さい」

 カズサは何をしても無駄だと思いつつ、許可を出した。


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