第3話

 うふふっと微笑んだジュリアンヌは、暗器の役割も担っている扇子を自らの腕に当てる。

 瞬間、鮮やかな赤い雫がぽたぽたと純白のドレスにこぼれ落ちる。


「レアンドルさま、おめでとうございます。これで、わたくしたちの間で起こった浮気回数は100回となりました。そして、わたくしのリストカットの数も100本。わたくし、もうあなたのそばにいるのは限界です。なので、婚約破棄のご命令、謹んでお受けいたします」


 王子妃教育で叩き込まれた完璧なカーテシーを披露したジュリアンヌは、呆気に取られた表情のまま固まっているレアンドルとミュリエラを放って、バージンロードの出口に控える執事に頷きかける。


「行きますわよ、アレク」

「はい、ジュリアンヌさま」


 ジュリアンヌがレアンドルに背を向けて歩き始めた瞬間、彼女の腕に強い衝撃があった。


「………レアンドルさま。なんのおつもりですか?」


 鬼の形相で腕にしがみつく元婚約者に、ジュリアンヌは冷ややかな視線を送る。

 もう微笑みかける価値すら見当たらない虫ケラに絶対零度の視線を向けると、一瞬しどろもどろになった彼は、次の瞬間には何事かをぶつぶつと呟き、徐々にくちびるに笑みを浮かべさせ、自信満々に胸を張った。


「はは!そうか!そうか!!そうなのか!!よーしわかったぞー!!」


 そう言ったレアンドルは、ビシッと格好良く決めたつもりであろう痛いポーズを決める。


「ジュリアンヌ!僕に残る最後の君の記憶が縋り付く醜い女になりたくないからってそんな虚勢を張っても、ぜーんぶっ無駄だぞ!!お前がこの僕に婚約破棄されたことによって悲しみに暮れているのは、他ならぬ完璧な事実なのだから!!」


 ———こいつバカなの?


 一応不敬罪になりかねない言葉はお腹の中に飲み込んだジュリアンヌは、けれどこぼれ落ちるため息を飲み込むことまではできなかった。


「貴様!僕にため息とは何様なんだ!!」

「ジュリアンヌさまですわ」


 ギャンギャン地団駄を踏みながら情けなく喚く駄犬王子レアンドルににっこり微笑んだジュリアンヌは、玉座で項垂れ顔を覆っている国王と椅子の中で気を失っている王妃を確認し、同時に視界の端に映る碌でなし父公爵がこの茶番に一切の興味を持っていないことを横目に眺める。


「そもそもお聞きしますが、わたくしがあなたと結婚したいと願う要素がどこにあると言うのですか?」

「は?」

「いやだって、浮気癖がひどくて、物忘れがひどくて、勉強も運動も苦手で、苦手だからやりたくないって駄々捏ねた挙句、できなくても問題ないって言い切るようなドアホで、人望も人徳もなくて、泣き虫で、わがままで………、どこに救いようがあるんですか?と言うか、とりあえず俺様口調で話していれば、世の中は平和に過ごせるなんていうバカな思考はさっさと捨てましょうね。赤ちゃんじゃないんですから」


 顔を真っ赤にしたレアンドルは、やがてアクアマリンの瞳に大粒の涙を溜め込み始める。


「じゅ、」

「じゅ?」

「ジュリーが僕を虐めたああああぁぁぁぁ!!」


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