もたないもののみちゆき
軽佻冗長
第1話 僕の将来、そして今
僕はこの先、どうすればいいんだろうか。
――冴えない僕の、冴えない悩み。こんな気持ちの時はさんさんと輝く太陽さえも恨めしく感じてしまう。今は夏が終わる頃、待ち遠しかった涼しさが漸くやってきそうな頃だ。そして収穫の時期、村のみんなは忙しなく働いている。
そんな時ほど現実逃避の如く、激しく自分の未来が不安になる。別に僕だけじゃなくてみんな自分の将来には思い悩むのはわかっている。うだつの上がらない人は特に。そのくせ夢なんてものがあればなおさらだ。
「エリー! どこだぁ、どこ行ったぁ! エリー!」
ああ、兄さんが僕を呼んでいる。今はまだここに居たい。将来について悩む年頃なのだから少しは多目に見てもらってもいいはずだ。
家の傍の丘の上、物思いにふける絶好の場所。ここに寝転がってぼんやり空を眺めていると不思議と気分だけは落ち着く。着古しでも洗濯したばかりのきれいなシャツとズボンに土がつくのはちょっと気になるけれど。
身を起して辺りを見やれば上に広がるは青いだけで何もない空、視線を下ろせばそれと同じくらい緑なだけで何もない森と畑。いつもこの村には何もない。何もなさ過ぎて自分の未来さえ無いようにすら感じる。
あまりに何も無いせいで月に一度来るかどうかの行商人以外は旅人も何もいない。ここに来る用事どころか、ここより先にさえ行く場所なんて無いと言わんばかりに。
「エリー、ちょっと頼まれてくれねぇか……ってあいつ、いつものとこか。おいエリー!」
兄さんのぼやき交じりの声が近づいてくる。現実の音だ。草を薙ぐそよ風の音に混じってザッザッと草を踏みしめる気配がもう近くに感じる。
「兄さんめ、もうちょっとそっとしておいてよ……」
何となく、いつも持っているお守りをポケットから引っ張り出して天に翳してみたくなった。本物なら今すぐ僕を救っておくれと、そう願いながら。もちろん本気じゃない。だとしても、これは僕の叶わぬ夢のきっかけだから。
昔、こんなにも何もない村だったからこそ、ひときわ輝くものを見たことがあった。僕は変わった旅人のことを——こんな小さい辺鄙な村に前触れもなくふらりと現れた奇妙な人を今も覚えている。後で知ったところによると魔術師と呼ばれる人で不思議な格好をしていた。それだけは奇妙に立派に見えたうねる木の杖、あとは色あせたつばの広い帽子、使い古しの傷んだ外套。それが印象的すぎてどんな顔かたちだったかとか、あんまりほかの様子は覚えていない。ただ、そんなにも印象に残らない人だったくせに妙に人好きする様子で、何故か村の大人にちやほやされていた。
今思えば路銀を得るためだったのだろう、その村に来た旅人はいかにも御利益がありそうに身に着けていた謎の装飾品や荷物から取り出した奇妙なものを売ったり、人が集まれば火や光を使った見世物をしていた。村はそんな人が来てちょっとした騒ぎになって、兄さんが母さんにせがんでそこに連れて行ってもらおうとした。そして小さかった僕だけを家に置いておけないからと僕も一緒に行ったのだった。
僕たちがその賑わいにたどり着いた時、ちょうど旅人は広げた荷物の後ろで片手に杖を構えているところだった。その人が何か短い言葉を唱えると杖の先から突然火がうねり、不思議なことに火が羽ばたく鳥の形になった。そしてまた何かの言葉を唱えながら杖を振り上げ、今は杖から離れて空へ飛び立とうとしている火の鳥に向けるとそれが突然輝きを増して弾け、キラキラと星のように空へと散った。いつもかまどで見ていたはずの火が嘘のように、その時の火は僕の常識に逆らうような揺らめきと光を放っていた。そんな不思議に興奮した僕は舞い散った輝きを捕まえようとして飛び跳ねて、もう一度見せてと魔術師にせがみ、再び出してもらった火に触れようとして母さんに慌てて止められるという恥ずかしい記憶も同時に忘れられないでいる。
小さい僕にはそのすべてが自分の今までをひっくり返すほどに特別な何かに見えた。その時、母さんにねだって買ってもらったすっかり古びたこのお守りは今でも僕の宝物で、これを持っている時は村のいつもの息苦しい雰囲気から切り離されて、あの時感じた世界の不思議に繋がっていられるような気分にしてくれる。
「この、返事くらいしろ。それで、薪割りは終わったのか? 終わってんなら研ぎに出した鎌を取りに行け。ほれ、さっさと行け」
兄さんの声だ。ついにここまで来たか。家の傍だし時間の問題ではあったけれど。僕の有様を見たからか、いつものように顔をしかめて見下ろしながら僕を怠け者扱いする。
僕と兄さんはだいぶ違う。ありふれた土色の髪を短くした後、しばらくして伸びてきた髪とか、この辺では珍しい紫がかった瞳とか、そんな同じ部分はあるけれど兄さんはとにかく大きい。僕より頭ひとつくらい背が高く、僕よりずっと日焼けした肌がたくましい。いつまでも子供っぽいと言われる僕と違って、すっかり大人な顔をしている。頑丈さでは村一番かもしれない。だから僕とは使える体力に差があるってことを知るべきだと思う。でも僕だって殊更小さいわけではない。ここらではそれなりな方なのに。まあ大きい方ではないけれど。ただ僕の白っぽい肌は少し劣等感を煽る。
それに僕はまだ髭らしい髭も無いのに兄さんはすっかり無精髭だ。前に一度、どうしてこうも違うんだろうとぼやいたら、気合いが足りないと小突かれた。
「薪割りは終わったけど……鍛冶屋のじいちゃん忙しいときは怖いし暇だと話が長いんだもん。他ならやるよ」
いやいやながら、黙っていると厄介なので起き上がって返事をしてみた。
「しょうがねぇな。じゃあ司祭様のとこへ行って収穫祭のことを聞いてくれ」
僕と違う強面を呆れたような表情にして兄さんはそう譲歩したけれど……あの人はあの人で僕と折り合いが悪い。やはり司祭様も僕を不真面目だと思っているようで事あるごとに小言を言われる。それに兄さん並みに大柄で、それでいて枯れ木のような深い皺のある厳しい顔なものだから司祭の癖に物語の悪魔のようですごく怖い。ともあれそう言われては仕方ない。試しにそれとなく嫌そうに拒絶の顔を兄さんに向けてみれば、さすがに軽蔑の視線が帰ってきたので「わかった」と返事だけして他に用事を言いつけられないようにできるだけのんびりと行くことにした。
僕はどうしても時間があると自分のことを考えてしまう。僕は農村の、それも開拓に行き詰った辺境の村、僕の三代前の先祖である当時の開拓団の長だったエルトの名前が付く村に生まれた。家族は四人、父母と兄、祖父母はもういない。開拓したばかりの頃は今よりずっと世の中が危険だったらしい。ただの獣はもとより、今はわざわざ特に危険な野山に分け入らないと遭遇しない「魔物」がまだ人の近くにいて、開拓という行為が命がけだったと言われている。そんな歴史がもう子供を怖がらせるだけの物語になって、今は家族四人が飢えず、恐ろしいモノに遭わず生きていけることに感謝すべきなのかもしれない。なんせ僕はそのどっちも知らないで済んでいるのだから。
とはいえ僕ももうすぐ十五歳、自分の未来について選択しなくてはならない時が迫っている。兄さんは農民として家を継ぐだろう。でも兄さんも、もちろん両親も、だからと言って僕をすぐに追い出すことはないはずだ。でもこのままでいいわけでもない。しかしこうも先が見えないとやる気も出ないものだ。かといって時間を持て余すといろいろ考えてしまう。まあそうやっていても良い答えが出るわけでもないのはただただ辛い。
正直な気持ちを有り体に言えば、昔から僕の胸に引っ掛かり続けていることがある。ただ子供の頃の思い出に縋っているだけなのはわかっているけれど、それでも、あの日からずっと続いている僕の夢は魔術師になることだった。
昔、こんな辺鄙な村に魔術師が来た後、僕もそれになりたいと母さんに言ったことがある。母さんはもちろんそれを聞いていた父さんも微妙な表情をして無理だと言った。それで当時そんな両親の態度に癇癪を起して両親を困らせたのは申し訳なく思ってはいる。
そんな訳でこの世の神秘に興味はあるけれど、僕も将来について多少は現実的になった。多分、いつか諦めるときがくる。でも今は……まだその時じゃなくてもいいじゃあないか。
それにこの僕の将来の問題は自分にまつわることだけではなくて、この村の中にいたのでは全く外の出来事に触れる機会がないというのが厄介だ。ここは国の南の端の領地、その中でさらに南東の果てになるらしい。
東側は隣の国との境になるらしい大森林がすぐ横にある。それで向こうに行けない。というのもこの森、奥深くに行くにつれて危険になる。具体的にはじわりと森の雰囲気が変わる境目があって、大体の村人ならどこまでは安全かを知っている。それを越して奥まで行ったきり帰ってこない狩人なんかがいるほどには危ない。そんなだから村の人が奥深くに入ることは許されない。僕くらいの年になればほんの浅い場所なら怒られないくらいの微妙な決まりが村にはある。仕方なく生活に根差してはいるけれど、まったく信用ならない。そんな場所だ。
以前、隣の国との交易路の開拓、とかで珍しく村に来た傭兵か冒険者みたいな人たちが森の中にはいっていったけれど、何日たっても戻ってはこなかった。その後誰もここを道として使おうとしないのはそういうことなのだろう。そんなこともあって森の方、東への開拓は誰もやろうとはしない。
西は残念ながら僕はよく知らない。領主のいる場所がここから西の方、領地全体としては真ん中よりのところらしい。司祭様はそう言っていた。それ以外だと更に西の領主とあまり仲が良くないとかそんな噂があって、一瞬だけ戦争になるかも、なんて嫌な時期があったのは僕も覚えている。実際はそんなことにならなかった。
そして村の南側はというとほぼ荒野、村の東の森林の奥から村へ、村の中を通って荒野の方へと川は流れているが岩場が多くて農地には向かないらしい。
その先に昔、何かの用事で村から荷物を運ぶ手伝いで半日かけて行ったことがあるのだけれど、南のとても仲の悪いらしい国に備えた砦があるところまでは知っている。その先について僕は知らない。その南の国の名前さえも。
そんなわけでこの村は開拓の行き止まりにある。僕がここに残っても、同じような境遇のみんなでここの農地を広げるというのは難しい。
「町まで出てどこか遠くまで行く開拓団について行くか……傭兵になるか……どれも明るい未来って感じじゃないしなぁ……鍛冶屋に弟子入りでもするかな? いやそれは……」
自分の将来を案じると、思わず独り言が漏れる。仕方なく我がエルト村の辻を眺めながら歩いて気を紛らわせる。先祖の名前が付くくらいなわけで僕の家が村長をやっているけれど、周りと比べても僕の家が特段立派な感じはしない。僕はその方がいいと思う。無駄に気負わなければならないのは息が詰まる。
将来のことから今のことを考えるように、僕の意識は流れてしまっている気がする。ああ、ちょっと道草を食いすぎた、あまり遅くに行くと司祭様に怒られる。村の外から来た司祭様は夜に出歩くのを良しとしない。世界はいまだ危険である、というのは口癖なのか、それを定期的に言わないと死ぬのかと思うくらい聞いた。他にもガミガミとうるさい人だけれどみんな優しさからそうしていると言う。だからというわけではないが一応その意は酌んで僕も日が落ちてからはあまり外には出ない。将来を思い悩んだ末に自分が旅人になって、日の光の中を自由に歩き、夜闇の中で自由に眠る想像はもはや日課となっているけれど。僕にだって現実から逃げているだけだとわかっている。でも、先の不安からそういう気やすい考えが止まらない。
僕の良くない悩みは振り払っておこう。なんで村のはずれなんて面倒くさいところに教会を建てたのか、とびきり遠いわけではないにしてもひたすら煩わしい。昔からどうにも不便な場所にあると思っているが村にある教会はどこもそんなものらしい。
村の外の森をかすめるような道はいつも暗く、その影は恐ろしいものを隠しているようで今でもまだ怖い。小さい頃はやれ獣が出たなんて大人の会話に怯え、悪いことをすれば暗い森の怖いお化けが悪い子を連れ去るだのと脅かされたものだった。
そんなことを思い出しながら道を進んでいると不意に森の暗闇の奥から気配を感じた。もうこの時分に村の人が道を行くのは稀だ。現にもう誰ともすれ違っていない。それに木々が風に揺れる音は田舎者なら誰でもわかるけれど、それとは違う木々の間を過ぎ草むらにこすれる音が近づく。丸腰の自分。何が出ても嫌だ。ちょっとした獣でも怪我をするかもしれないし、ものによっては命にかかわる。
「ああ……お願いだから……」
思わず僕の口から声が漏れるし、全身にも嫌な汗がにじむ。音のした方、暗い森の木々の先に何があるのか。思わず向き直って身構えた。音が大きくなるにつれて可愛げのある大きさではないものがいるとわかってしまい、音に背を向けて逃げることさえもう怖い。今まで危ない目に合ったことはないし危ないものなんて出てくるわけがないと自分に言い聞かせつつも、森で調査隊が全滅、なんて昔話を思い出しながらついに迫る音に身を強張らせていると、目の前の草むらの先にゆらゆら揺れる何かが見えた。自分の張り裂けそうな鼓動と早い呼吸の音が耳に纏わりつく……ああ!待っ――
「……あー、やあ。その……ここはどこかな……?」
――森の木々の間、茂みをガサガサといわせていた長い杖を支えにしてふらふらと現れたそれは、どうやら運よく人間のようではあった。汚れた脂っぽい赤毛の、適当に切ったような長いとも短いとも言いにくい髪には葉っぱがくっついている。使い古しの寸足らずな革のマント、よれよれの元は白かったらしきすすけたチュニックに汚れた茶色のズボン、腰のポーチと片方の肩に引っ掛けて持っているズタ袋に、これだけは不釣り合いなほど立派に見える片手の長くてまっすぐな黒い杖。土埃にまみれて垢じみた顔は夕暮れ時の薄明かりと木の陰でよくわからない。とりあえずかけられた声と見た目から多分大丈夫な生き物かもしれないと思うと僕の全身から力が抜けはじめる。
「あの、もし? 言葉が通じないなんてことはないよな……あの、ここはどこかなー。どこかに宿はあるかなー? あー……」
いつの間にかすっかり杖にしがみつくようにした姿勢になったこの人に弱弱しい言葉でそんなことを聞かれた。何とも不安げに僕の様子を伺うものだからふと我に返る。僕をさんざん脅かして今にもちびりそうにさせていたモノの吹けば飛びそうな様子に変な安心と同じくらいの苛立ちを感じつつ、何でこんな辺鄙なところにいるかは別として、おそらく道に迷った旅人であろう赤毛の人に何もない村には碌な宿もないという残酷な事実を告げるべく言葉を選ばなければならない。と言うかこの人いったいどこから来たのか? 向こう側には行けないと言われているし、なら何で森から出てきたのだろうか?
「あ駄目だ、倒れそうだ。多分駄目だ」
僕がいろいろ考え始めているうちに、この赤毛の浮浪者は言葉の割にはっきりとした口調で言うと、同時にまるで予言だったように突然崩れ落ちるように倒れ伏してしまった。
「えっ、これ……どうするのさ? あっ、えっ、どうする?」
冗談かとも思ったけれど、どうもそうではないらしい。それではさすがに放置もできない。どうしようか狼狽えた後こういう時こそ教会に運ぶべきだと思い至って倒れた旅人をどうにか抱えようとして――
「あクッサい! なっ、あ、どうしよう臭い!」
思わずバッと顔を背けて身を引いた時に、抱えそこなった旅人がぐんにょりと地面に転がったので慌てて抱えなおした。それで僕は何日も野山を彷徨ったであろう野良人間はこんなにも危険な香りがするということを身をもって知ることになる。弱った様子で気づかなかったけれど、傍に寄って分かる僕より体格の良いこの人の重さもあって抱きかかえて運ぶのは諦めて、背中側から悪臭の赤毛の両脇に腕を通して抱え、嫌な臭いと気になる湿り気と妙な重さに涙目になりながらこの不衛生な流れ者のくたびれたブーツの踵をずるずると引きずるようにして何とか教会を目指した。
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