価値ある人生の定義とは

きむさじ

この世界を動かすもの

「一度でいいから、イケメンと付き合ってみたいなぁ」

 それが一時期の私の口癖だった。いや、この言い方では語弊がある。正確には、一度でいいから、私的イケメン=タイプの男性と付き合いたい、と言うべきだろう。

 決して恋愛に縁がなかったわけではない。むしろ恋愛体質な方であった。振り返ると、恋人がいない時期の方が短かったのではないかと思うくらいだ。しかし残念なことに、良い思い出の方が少ない。

 断れない性格が災いし、気づけばとんでもない男に引っかかっていた…という屈辱を味わったこともしばしばであった。思い出したくもない過去さえある。


 これはまだ韓流ブームなどという言葉が生まれるずっと前のこと。

  当時、不本意にも会社を退職することになった私は、空いた時間を利用して、自分のルーツである韓国語を学ぼうと考えていた。若い頃、独学で基礎的な読み書きを習得していたものの、もうそれから何年も経ってしまっていて、うろ覚え状態。

 その頃とは違い、インターネットで海外の人と繋がれる時代の恩恵を受けるべく、ある翻訳付き文通サイトを開くとそこには、日本語を学びたい韓国人のプロフィールがずらりと並んでいた。数打ちゃ当たる精神ではあったが、文面には心を込め、日本語付きの韓国語で、気の合いそうな人たちにメッセージを送っていった。返信は、一度もない人もいたが、くれる人が多かった。

 しかし、だ。とにかく会話が続かない。どちらが悪いとかそういうことではなかったのだろうが、挨拶のみを数回繰り返し、どちらからともなく返事をしなくなることばかりで、ため息の出る日々がしばらく続いた。

 そんな時だった。

 

 見つけたのだ。彼を。


 プロフィール写真の笑顔がとても爽やかで、清潔感があった。何より、優しい目元に釘付けになった。…イケメン!

 彼こそまさに私のタイプではないか!

 …返事は来ないかもしれない。いや、来ないのを前提にしたとしても、メッセージを送るしかない!

 そんな思いに駆られ、一層心を込めたメッセージを、彼宛てに送信した。

 …送った… 体中の力が抜ける。ものすごい大仕事をし終えた気分であった。

 彼のプロフィールをもう一度見返してみる。添えられているコメントが、やはりとても誠実そうで、もう非の打ち所がない人のように思えた。こうなると不思議なもので、実はプロフィール写真は偽物なのではないか?などという妄想まで膨らんでくる。もはや防衛本能の一種であろう。

 そんなことを思いながら過ごし、どのくらいの時間が過ぎていたのだろうか。

…来た!!


 彼からの返事だった。

 一瞬にして心臓は跳ね上がり、全身の血液がホッカイロみたいで、冬なのに暑くてたまらなくなった。震える指先で開封すると、とても丁寧な返事が書かれていた。現実なのかさえ信じられないほどの驚きと共に、嬉しさがこみ上げてきた。早速返事を書こう!……すぐに書き始めたが、具体的に何を書いたのかまでは覚えていない。ただ、返事をくれてありがとう、嬉しいという気持ちを伝えたことだけは記憶に残っている。こんな大切な思い出を全部覚えていない私に、腹立たしささえ感じてしまう。


 彼とのやり取りは続いた。初めてだった。遠く離れた彼の日々の出来事は毎日の楽しみとなり、私は彼の優しさに包まれていた。彼が紡ぐ言葉を、そっとぎゅっと掬いながら、日増しに膨らむ私の中の感情を、もう認めるしかなくなった。

 それは、まさしく恋であった。

 いや、会ってもいない、ましてやプロフィールが本物かどうかさえも正直わからない人を好きになるなんて…私はまた過去の過ちを繰り返す気なのか?

 …過去の苦い記憶が引きずり出され、苦しくなった。自問自答した。また騙されるんじゃないの?傷ついてもいいの?

 戸惑いと恐怖は押し寄せるのに、何度尋ねても、何と尋ねても、私が答えてきた。「彼が好き」


 彼が書く世界がすごく好きだった。いつも温かい心を届けてくれた。 海をも隔てた向こうにいる彼が、とても近くに感じられた。私にはそれが幸せであった。

 思えばすでにあの写真を見た時、心射抜かれていたのかもしれない。平たく言えば『一目惚れ』なのだろう。…けれど。

 今はもう、もしも写真が嘘でも構わない。彼ともっと話したい 。もっと私のことも知ってほしい。

 「彼が好きだ」


 大好きな彼から届く文面は、当然のことながら韓国語だった。大切な宝物のような彼の言葉に自分で触れられないことがもどかしく、悔しかった。こんな無機質な翻訳にかけなきゃいけないなんて、一見便利で最高に不便!

 その頃から毎日10時間近く韓国語を学んだ。1、2ヶ月過ぎた頃には、彼の書く世界をほぼ理解でき、4ヶ月も過ぎる頃には、彼への手紙を書くこともできるようになっていた。   

 そしてその頃、彼と私の心はいつも繋がっていた。彼が私を好きになるなんて!

 私にとっては奇跡だった。もうそれは本当に夢みたいな毎日で、世界が、景色が、キラキラ輝いて、本当に、光あふれるものに見えたんだ。

 あの色は今でも忘れていない。

 私は間違いなく、人生で一番の恋をしていた。



 『人を突き動かす力』なんてものは、世界中のためだとか、そんな大きくて立派なものばかりじゃなくて、もっと自分勝手だったり、わがままなことから生まれるのかもしれない、と私は思う。

 人間なんてそれほど高潔な生き物だとは思わない。傷つけたり、 奪ったり、貶めたり、裏切ったり…この世を見渡せば、目を背けたくなるようなひどいことで溢れているじゃないか。

 いやそうじゃない、と心底言える人は、きっととても恵まれた人生を送れている、満たされた人なんだろうとさえ思える。 それはとても幸せなことで、その気持ちを否定する気もなければ、そんな権利もないけれど。

 不公平も不平等も、きっとなくならないだろう。理不尽と無念に打ちのめされ、立ち上がれない日もあるかもしれない。辛い現実に耐えきれなくなるかもしれない。

 それでも、たとえ一生に一瞬でも、人間も捨てたもんじゃないと思えるなら、その人生はもう、素敵なものだと言っていいはずだ。


 彼とはその後どうなったかって?

 それはまだ私の心の中だけで、独り占めしておきたい。

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