第16話 それぞれの家族

 夜が明け、辺りがすっかり明るくなった頃、東宮一行は早々に右大臣の屋敷を出た。夜通しで東宮を警護した舎人たちは、東宮御所から新たにやってきた舎人たちと交代し、御所へ帰っていった。共に寝ずの番をした行光と美緒は残ったが、二人とも疲れを見せずに牛車の側を歩いていた。

 昼前になって、都の外れの山麓にある大きな寺に着いた。その山門で、美緒にとってよく見知った男が待っていた。

「ご苦労だったな。美緒。この寺は俺の張った結界で守られている。安心して中で休め」

 ぶっきらぼうだが、不器用そうな目には身内への気遣いが見える。

「兄上……」

 兄の姿を見た瞬間、美緒は子どもの頃のように縋りついて泣きたい気持ちに駆られた。しかし、すぐそばに行光や舎人たち、そして東宮がいる。ぐっと堪えた。

「お気遣い、痛み入ります。まずは東宮様を乳母殿のところにご案内し、その後兄上にご相談したいことがございます」

「うむ」

 大きな寺の中に、いくつかの小さい寺があり、その一つが東宮の乳母、すなわち行光の母が暮らす尼寺である。東宮が牛車から降り、尼寺の板廊下に足を乗せた瞬間、尼寺の中から

「キャン! キャン!」

と元気のいい鳴き声が聞こえてきた。

「おお、獅子王! 元気にしていたか」

 東宮は目を細めて、足元に駆け寄ってきた白黒の狆を見下ろした。その子犬の後ろから、中年の尼僧が美緒と同じ年頃の女性に伴われて現れた。

「東宮様。お久しゅうございます。この度は災難なことでございますな。しかし、お元気そうで何より。ささ、中へ……」

尼御前あまごぜ、それに姉上、ご無沙汰しております」

 東宮は二人に会釈して、尼寺の中へと進みいる。

「わたくしの母と姉でございます。家族のように育ったものですから、東宮様は今でも姉のことを『姉上』とお呼びになるのですよ」

 と、行光がそっと美緒に耳打ちした。

 ふと足元を見ると、犬の黒はもう狆の獅子王と打ち解けてじゃれあっていた。猫の白はそれを遠目で見て、少し不満そうである。

「みんな、行くよ」

 と、美緒が声をかけると、黒と白、そして獅子王は競争でもするように寺の中に駆け込んで行った。

 尼御前の部屋では、行光とその姉、そして東宮が尼御前を囲んでくつろいでいた。きっと、東宮が幼い頃には、このように安心できる場所が、御所の中にあったのだろう。自分ばかりが団欒に入れない気まずさに、美緒は部屋を出た。

 廊下を出ると、庭先に兄がいた。

「随分疲れたようだな。相談があると言っていたが、先に休んだらどうだ。そこの部屋に寝床を用意してもらっている」

「いや、兄上、やはり先に聞いてもらいたいことがあります。実は、右大臣の屋敷で、少女の霊に出会ったのです」

 美緒は、兄に右大臣家で聞いた声、そして見た影について話した。

「なるほど、その娘は『華奈』と名乗ったのだな。そして大きな音がした後に、消えた、と」

「はい」

「で、その音がしたあたりはもちろん調べたのだろうな」

 そう言われて、美緒はあっと声を上げた。その後に起こった諸々のこと——東宮に抱きしめられ、行光に釘を刺された——の衝撃で、すっかり頭から抜けていた。

「えっと、その、南殿から出ると右大臣家の者に怪しまれるかと……」

 しどろもどろになった美緒に、兄は神経質にため息をついた。

「まったく、相変わらず抜けたやつだ。だが、仕方あるまい。ここのところの仕事はお前にはいささか重荷ではないかと、心配しておったのだ。父上には、何かお考えがあるようだが……」

 父の考えというのは、美緒には初耳だった。女の陰陽師は美緒一人だから、仕方なく東宮御所に送り込まれたと思っていたが、違うのだろうか。

「右大臣家の陰陽法師のこと、そして『華奈』と名乗る少女の霊のこと、陰陽寮でも調べを進めるよう手配しよう。

 だが、お前は今はとにかくここで休め。夕方に行光殿と我らで今後のことについて話す手筈だ。それまで寝ておけ」

 そう言って兄は、水の入った竹筒を投げた。飲むと、体の中が洗われた感じがして、途端に眠気と疲れが身体中に回った。そして、美緒は泥のように眠りについた。

 目覚めた時にはあたりはもう真っ暗だった。部屋の外から、キャンキャンと鳴き声が聞こえ、外に出てみると、黒と獅子王が二匹連れ立って美緒の着物の裾を引っ張った。二匹について行くと、東宮が、白を膝に乗せて夜空を見上げていた。

「新月の次の夜だけあって、よく星々が見えるな、美緒殿」

 東宮はそう言って、美緒を手招きした。

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