第149話 マルグリット

光の向こうの彼女が私に気が付き、手を伸ばして来るのが見えた。


彼女の感情が私の中に流れ込んでくるようだった。


ああ、彼女も私と同じだったのだなと理解した。


ただ、寂しかったのだ。


世界にたった一人取り残された気がして、孤独と空っぽな自分だけが存在する世界。


それを壊してやりたかったのだろう。


私は私を壊すことで世界をなくそうとした。


彼女は世界そのものを壊すことで、別の世界を作り上げようとした。


全く違うことなのにそこにある感情は同じなのだ。


私は手に持っていた剣を握りしめ、彼女の喉深くに突き刺した。


その瞬間、彼女の身体から溢れていた光魔法は薄れていく。


剣から滴り落ちる彼女の血液。


悲しそうな目で私を見つめる。


喉をやられてはもう声も出ない。


藻掻くように彼女は私に手を伸ばした。


私は息を整えて、彼女から刃を抜く。


彼女はそのまま地面に倒れた。


こんなのどう考えたって、ヒロインがやることじゃない。


正義の味方の仕事じゃない。


汚れ切った私にお似合いの悪役らしい仕事だ。


もしかして生かしておけば彼女も改心したのかもしれないなんて、普通なら考える。


でも、わかっていた。


彼女はもうそんな段階ではない。


彼女の心は悲しみで溢れ、麻痺していたのだ。


苦しいと藻掻きながら生きていたんだ。


まるで陸のない海に溺れているように果てしない苦痛に耐えていた。


それを強引に終わらせるのも悪役の仕事だ。


正当な理由なんてない。


彼女がそう望んだ気がしたから、私が望んだから、彼女の命を絶った。


彼女は息も出来ないのか、苦しみながら足掻いていた。


そんな彼女にリオがそっと近づいて来た。


そして、母親を見下ろし、聞いた事もない優しい声で話しかけていた。


「母様、ボクはただあなたに愛されたかった。それだけなんです」


その言葉を聞いて、私はそっとリオの顔を見る。


「信じてもらえないかもしれないけど、ボクはあなたの優しい歌声を聞いたことがある気がするんです。眠るボクにあなたの優しい声が包んでくれていた。それだけを信じてボクは生きて来た。だから……」


彼の目から涙が流れる。


私はこの時、初めてリオの泣く姿を見た。


「おやすみなさい、母様」


もう、マルグリットの耳には何の音も届いていないかもしれない。


苦しみしか感じていないのかもしれない。


そして、次第に命の灯が消えていくようにゆっくりと体中の力が抜け、動かなくなった。


命が絶えるという瞬間を見た気がした。


「ごめん、リオ……」


私は俯いたまま謝った。


リオは小さく首を振った。


「こうでもしなかったらこの人は止められなかった。君が謝ることはない」


「でも、もしかしたら……」


そんな都合のいいことをついつい考えてしまう。


すると彼は顔を上げて答えた。


「もしかしたらなんて世界はどこにもないよ。目の前にあることが全て」


「リオ……」


リオは私なんかよりずっと強い。


今までだってすごく辛かったはずだ。


それなのに弱音一つ吐かずに、最後まで戦って来た。


最後に彼女の命を奪ったのは私だけど、リオもそれに加担したのも事実だ。


きっと私は、今日の出来事を忘れることはないと思う。


この彼女の血で染まった手と彼女の抱えていた全ての罪を背負いながら生きる。


それしか、今の私には出来ることはないから。


そのために誰かを恨むとか悲観するとかそう言うことじゃない。


マルグリットが生きていて、そして多くの人が死に、多くの関わる人が悲しんだ。


その事実を忘れずに刻んで生きていくのだ。


だから、私はこの出来事を正しいとは思わないし、綺麗事にもしない。


目線を上げるとそこにはアメリアたちがいた。


なぜか目を覚ましているのが彼女だけで、後の四人は幸せそうに寝ていた。


「もしかして、マルグリットの魔法が解けてない?」


私は慌ててアメリアに近づいて尋ねた。


すると、彼女は聖母のような笑顔で答えた。


「大丈夫です。みんなただ寝ているだけ。きっと幸せな夢を見ているんでしょう」


すると、そこにリオも近づいて来て、目覚めたアメリアに話しかける。


「君は目覚めたんだね。君の光魔法で彼らを守ってくれていたの?」


彼女はゆっくりと頷いた。


「彼らが声を掛けてくれたから、私は目を覚ますことが出来たんです。どこか懐かしい夢を見ていた気がしたんですが、彼らの声を聞いていたら、この現実が恋しくなって、気が付いたら目が覚めていました。彼女が魔法を展開していたので、出来る限りの防御魔法を使ったのですが、完璧に防ぎきることは出来なかったようです」


「いや、十分だよ。さすが、アメリアだね」


彼はそう言って、アメリアに優しく笑いかけた。


彼の表情はどこか憑き物でも落ちたかのようにすっきりしていた。


しかし、それがどこか悲しげで、必死に張りつめていたなにかも消えてしまった気がした。


リオがあんな風に気をピリピリさせていたのも、攻撃的な性格だったのも全て母親の影響だったのかもしれない。


何があっても泣かない、弱音を吐かない、強いリオだったのに、彼女の最後の瞬間だけは素直になれていた気がした。


私は彼の中にある悲しみが少しでも和らぐことを願って彼の手をそっと握った。


彼もその手を放すことはなかった。






生死をさ迷った後、無事に子供を出産したマルグリットは茫然としていた。


頭がぼんやりして、何も考えられない。


耳元で子供の泣く声が響いていた。


「マルグリット様、男の子です! おめでとうございます」


周りにいた産婆たちは嬉しそうに歓声を上げていた。


しかし、彼女には何も感じない。


それがどう喜ばしい事なのかも理解出来なかった。


「ほら見てください。マルグリット様そっくりの綺麗な赤ん坊です」


産婆はそう言って布でくるんだ赤ん坊を彼女に見せた。


彼女はゆっくりと子供の顔を見る。


自分にそっくりと言われて、笑ってしまった。


顔がくしゃくしゃの真っ赤な顔をした猿のような醜い生き物じゃないか。


そんなものは私の子供なんかじゃないと思った。


その後の記憶は覚えていない。


目が覚めた時には、使用人が何人かいただけで、いつもの日常に戻っていた。


出産後も体調のすぐれない日が続いた。


ベッドに寝た切りの状態が続き、ぼんやりとした時間を過ごした。


身体が少し動くようになってからは、乳母に何度か息子の顔を見に来るように勧められたが、行く気にはなれなかった。


そんなある日、乳母が珍しく彼女を叱りつけるようにキツイ口調で話しかけて来た。


「マルグリット様、辛い気持ちはわかりますが、一目でもリオネル様にお会いになって下さい。赤ん坊は母親を求めるものなのですよ」


「そんなこと言っても、私は出産してから一度も会っていない。乳だってやったことがないのに、母親なんて認識するかしら?」


すると、乳母は呆れた表情で彼女に告げる。


「何を言っているのですか? 赤ん坊はお腹にいる頃から母親の事を覚えているものです。会えばすぐにあなたが母親だとわかりますよ」


「でも……」


「マルグリット様、リオネル様の母親はあなただけなのです。赤ん坊にとって母親だけがこの世界でたった一つの確かなものなんですよ。どうか、顔を見せに行っていただけませんか? リオネル様もあなたを恋しがっています」


彼女はいまいち信じられなかったが、乳母に言われた通り息子に会いに行くことにした。


赤ん坊は豪華なベッドで寝かされていた。


跡継ぎになる男の子が生まれたと聞いて、王はとても喜んでいたようだった。


彼女はそっとベッドに眠る赤ん坊を覗いた。


そこには生まれたばかりの時の姿とは違い、真っ白な肌に綺麗な顔立ちをした美しい赤ん坊がいた。


「全然違うじゃない……」


マルグリットがそうつぶやくと、赤ん坊は目を覚ましたのか、身体をごそごそ動かしながら落ち着かない様子だった。


彼女はそんな彼を見て、小さな声で子守唄を歌う。


昔、彼女の母によく聞かされていた子守唄だ。


赤ん坊の耳に届くかはわからなかったが、彼女が今できる全てだった。


母親になったという実感も子供が愛おしいという感情も理解は出来なかったが、この子にとっていま必要なものが理解できたような気がしたのだ。


この日の子供部屋には、優しい子守唄だけが響いていた。

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