第4話 ヒロイン

ついにこの日がやって来た。


そう、私がオーディン魔法学園に入学する日だ。


私はそこに入学して、確かめなければいけないことがあるのだ。


私はオルガド王国の侯爵家の娘、エリザ・アレス・モエ・セネヴー・ヴァロワ。


無駄に長いから、侯爵家のエリザと呼ばれているけれど、この名前には覚えがあった。


それはこの『オーディン魔法学園』という名前も、婚約者の『ウィリアム王子』の名にもだ。


後、もう一つのパーツが揃えば、今の状況に確信を持てるのに。


私はそう思いながら、魔法学園に向かう準備を進めていた。


「ニア、準備は出来ている?」


私は学園に連れて行くお付きのメイドの名を呼んだ。


彼女はニア・リアリー。


元は商人の娘だ。


お家は既に取り潰しになり、家族は離散したそうだが、私の兄が情けをかけて彼女をヴァロワ領の使用人として起用した。


ニアは小さな体で大きなトランクを手に持ちながら笑顔で答えた。


「はい、お嬢様!」


いい笑顔だ。


他の使用人はとっくに目が死んでいるというのに、彼女だけは若いせいかまだ目に勢いがあった。


だからこそ、今回のお供に据えたのだけれど、エマは納得していないようだった。


「エリザ様、まだ間に合います。従者はもっとベテランのメイドをお連れした方がよろしいかと思いますが?」


ドアの前に立っているエマに向かって、私はきつく言い返した。


「くどい! 私がこの子がいいと決めたの。それとも何? あなたがメイド長の座を降りて、私について来てくれるとでも言うの?」


その言葉でエマは口を閉ざした。


私は意地悪だ。


エマが本心ではそうしたくても出来ないことを知っている。


このヴァロワ家に献身的なエマが、両親や兄上のことを見捨てて私について来るわけがない。


それはヴァロワ家に対する恩義を忘れることと同じになってしまう。


だから、私はエマが学園についてこないことを知っていた。


なら、何かと両親の言いなりになっているつまらない館慣れしたメイドより、新人に近いニアを連れて行った方が賢明だと判断したのだ。


それに私には野望もある。


これはエマが側にいたら出来ないことだ。


「心配しないで、エマ。私だってもう15歳、大人よ。自分の事は自分で出来る。それに侯爵家以下の貴族には専属従者などついていないのが普通なのよ。だから、エマは安心してこの家を守って」


私は満面の笑みで答えたつもりだったが、エマは全く納得していないようだった。


私のこと、全然大人なんておもっちゃいない。


エマは疑いの眼差しで私を見つめていた。


「私にはお嬢様が私のいないところで良からぬことを企んでいないか心配です。いいですか、エリザ様。学園とは勉学をする場所。毎日の予習、復習をかかしてはなりませんよ。それと、講師に対して敬意を払うこと。身分は低くとも教授してくださる方なのですから、失礼はないように。あと、制服のままベッドに寝転がるのは辞めてくださいね。エリザ様は疲れるとすぐベッドに横になる癖がありますから。そうそう、あのロマーンとかいう本もほどほどにしてくださいよ。教本はろくに読みもしないくせに、ロマーンなどと低俗な書物ばかり読みふけるのですから。それに――」


とにかくエマの小言は長い。


屋敷にいたころから勉強しろと毎日うるさく、外着でベッドに寝転ぶのをひどく嫌がるし、それに『ロマーン』ってなんだよ。


普通に小説って呼べばいいのに、エマは小説のような空想の物語を書いたものを煙たがる。


正直、この世界に小説がなかったら、私はまともに文字も覚えようとは思わなかっただろうな。


それほど、私にとって小説はこの世界の数少ない楽しみなのだ。


今の流行はやはり恋愛小説だけれど、私は冒険物が好き。


恋愛小説には戦うシーンが少なく、内容も細かく描かれていないから物足りない。


この世界では、架空の冒険小説や記録書は少ないけれど、軍記ならいくらでもあった。


伝説にもなっている劇的な軍記なら面白いものもあったが、ありふれた戦いを綴っただけの記録書なんてつまらない。


そんな私を幼い頃から見て来たエマだ。


私のことはなんだってお見通しなのだろう。


しかし、この企みだけはバレたくないのだ。


ここぞとばかりに小言を長々と語るエマの横で、荷物を持ったニアに私は耳打ちした。


「例の準備は出来ている?」


それを聞いたニアは力強く笑顔を作った。


「ばっちりです、お嬢様!」


さすが、ニア。


言いつけをきっちり仕上げて来てくれる、いいメイドだ。


あれは入学前に入念にニアと計画を練ったもの。


ここでエマに気づかれて没収されては今までの苦労が水の泡だ。


「ちゃんと聞いてらっしゃいますか? 私はもう側にいられないのですから、それを肝に銘じて、粗相のないようにお願いしますよ。何度も言うようですが、あなたは侯爵家の娘。学園に行けば今まで以上に注目される存在です。否が応でも人々の話題の的になるでしょう。お家の恥とならぬよう、日々鍛錬するのですよ」


エマの言いたいことは理解している。


しかし、この言葉を聞くたびに侯爵家という立場が嫌になる。


もっと身分が低ければ、王子の婚約者などにならなければ、今よりは気楽に生きられたのだろうか。


流行最先端の豪華な洋服も装飾品も香水もいらない。


殿方に捧げる綺麗ないい香りをする便箋も、見た目ばかりよいガラスのペンも必要ない。


もっと自由が欲しかった。


もっと自分らしくありたかった。


貴女という立場がここまで辛いものだったなんて、今の今まで知らなかった。


今度は私の横でニアに向かって、いろいろと私を世話する際の心得を語っている。


ニアは素直に聞いているけれど、そんなにたくさん話されてはいくら彼女でも覚えきれないだろう。


しかし、ニアはいつも返事だけはいい。


「そろそろ、時間ですよ、エリザ様。屋敷の前に馬車を用意してございます。荷物は他の使用人に持たせますから、お嬢様は早く馬車にお乗りください」


満足したのかエマが私にそう告げた。


エマの用意周到さには頭が下がる。


「わかった。行きますよ」


私はそう言って自室を出ると、階段を降り、玄関前に止まる馬車の前に立った。


私の後ろでは心配そうな顔で私を見つめているエマがいる。


本来ならここにこうして立っているのは母親であろうに。


エマがどんなに厳しい言葉を発しようが、私を想っていてくれていることはわかっていた。


そんなエマに私はぎゅっと抱きしめた。


急な事だったので、エマは驚き、慌てふためいている。


「え、エリザ様、何を!」


「今までありがとう、エマ。学園に着いたら手紙書くね」


最初は戸惑うエマだったが、ゆっくりと抱きしめ返してくれて優しい声で答えた。


「ええ、お待ちしております」


私はエマのこの声を聞けて良かったと思う。


私はそのまま馬車に乗り、見送るエマに手を振った。


いよいよ学園生活が始まる。


そう思いながら道中窓の外を見ながら、長く暮らしていたヴァロワ領にさよならを告げた。






もう、学園の正門まで目の前という所で馬車が突然止まった。


何事かと思い、私は馬車から降りる。


「どうされましたの?」


私が馭者に尋ねると馭者は私を庇うように腕を差し出した。


「お嬢様は中へ。この者の相手はわたくしめが致します」


何をそんなに慌てているのかと思い、馬車の前を見てみるとそこには一人の少女が転んでいた。


手にはバスケットトランクにキャノチェの帽子、履き慣らされたロングブーツに安物の布ではあったが丁寧に仕上げられた一張羅のワンピース。


この装い、この姿どこかで身に覚えがあった。


「危ないだろう! 轢かれるところだったんだぞ!!」


馭者はその平民に向かってそう叫んだ。


彼女は転んだ身体を起こし、申し訳なさそうに笑みを作って謝罪した。


「ごめんなさい。周りをよく見ていなかったもので」


この瞬間、私は彼女が誰なのか理解した。


しかも、以前にこれと同じシチュエーションを私は見たことがある。


そう、こうして直接に見たのではなくでだ。


私の目の前にはみーぽんが大好きだったあの乙女ゲー『あの日に恋して』、略して『あの恋』のメインヒロイン、アメリア・フローレンスがいた。


ゲームでは顔がはっきり見えなかったから知らなかったけれど、実際見ると男性に好感を持たれそうな愛らしい顔をしていた。


そしてこの時、初めて実感したのだ。


やはりここは乙女ゲー『あの恋』の世界で、私はそのゲームの世界に転生してきたのだと……。

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