新しいスタート

長船 改

新しいスタート

 この僕、アベルこと杉山明はいわゆる "転生者" だ。

 ある日、交通事故によって死んでしまい、この世界に転生してきた。


 ……とまぁ、ここまではどこにでもある異世界転生もの。

 だけどこれからする僕の話は、たぶん他で見聞きするものとはちょっと違うだろう。


 なにせ今から8年前、この世界を恐怖のどん底に陥れていた魔王は、すでに僕の手によって滅んでいるからだ。


 そして今現在の僕が、自分自身について、どうしようもなく "日本人" であると感じているからだ――。


~~~


「おや勇者さま。今お帰りかい?」

「うん、お城からね。一年の最後だから王様に挨拶してきたよ。」


 隣村の入り口付近で、汗をふきふき気軽に話しかけてきたのは、村人のおっちゃんである。そんなおっちゃんに、僕もまた気楽な調子で言葉を返した。

 

 この世界の人々にとって、僕という存在は、魔王が倒れた今でも "勇者さま" だった。


「王様に挨拶かあ。いやぁさすがは元とはいえ勇者さまだ。

 ……あれ?でも勇者さまなら魔法使えば城まで一発だべ?ひゅーんって飛んでってひゅーんって戻ってこれるんだろ?」


 おっちゃんの指摘はもっともだった。

 お城からここまでの道のりは約1週間。魔法を使えばすぐさま。

 しかし魔法を使わなかったのには、一応の理由がある。


「移動魔法はねぇ、しんどいんだよ。ごっそり気力を持ってかれる感じがしてさ。」


 そう、僕の気力の問題である。 

 勇者を引退してからというもの、体力はともかくとしても、魔法を使う精神力の減退が著しいのだ。特に移動魔法のような大魔法は。

 そんなわけで、齢32歳にしてすっかり気分はジジイである。

 

「それに他の街や村にも、昔お世話になった人がいるからね。あちこち寄り道してきたんだ。」

「すっかり羽伸ばしてきたってわけだ、ハハハ。それじゃあ、後はもう新年を迎えるだけだなぁ。」


 羽は伸ばしてないんだけどなぁ……と苦笑いを浮かべつつ。

 僕はちょっと張っている腰をトントンと軽くたたきながら、背中を反らす。


「新年かぁ。さすがに長旅で疲れたし、このはダラダラとかな?」


 そう言ってしまってから、僕はしまったと思った。

 背中を反らしたまま、チラリと視線だけでおっちゃんを見やる。


「サンガニチ……?ネショウガツ……?」


 案の定、おっちゃんはポカーンとした表情を浮かべていた。


~~~


 僕がこの世界に転生した際、失ったものが幾つかある。

 数少ない友人。家族。当時ハマっていたアイドルのグッズ。などなど。


 そんな中で、地味に僕の心をエグってくるのが "日本の暮らし" だったりする。特にこの時期の。


 何度も言うようだが、ここは異世界だ。

 剣と魔法の、いわゆる王道ファンタジー世界。ドラ〇エのようなものだと思ってもらえれば十分だろう。


 そう、この世界にはないのだ。


    


 もちろん、新年を迎えるにあたって何もイベントがないわけじゃない。

 城では、王様の合図によって盛大に花火(火炎魔法と爆裂魔法を放ち空中でスパークさせると花火っぽくなるのだ)を打ち上げて新年を祝うし、親戚たちが集まる家庭もたくさんある。


 だけど、それだけだ。


 この世界には初詣もなければ、門松やしめ縄もない。和服というジャンルがないので、当然ながら振袖も袴も存在しない。

 そもそも時計がないので、という感覚すら怪しいのだ。

 さっきの王様の合図にしたって、なにか明確な時間の定義があるわけじゃなく、完全に王様のさじ加減だ。


 それになにより。


 こ た つ が ッ ッ ! な い ッ ッ !!

 お餅も!ないッッ!!

 だから雑煮もぜんざいも食えないッ!(特にぜんざい食えないのはヤバい!!)

 紅白歌合戦もないし、ジャ〇ーズカウントダウンもないないなーい!

 そして年が明けたら明けたで、今度は新年の東西初笑いが見れない!!


 そんな生活が!もうすでに!


 1 0 年 !!


 ……それでも、魔王を討伐するために旅をしていた2年間はまだよかった。

 使命に突き動かされていたし、四六時中気を張っていて、日本を思いだす事もほとんどなかったからだ。


 魔王討伐後、初めて迎えた年末年始。その時に僕が覚えた喪失感はとてつもなく大きかった。ただ座ってボーッとしていただけなのに、ハラハラと涙が零れ落ちて止まらなくなったのを未だにハッキリと覚えている。


 僕の周りにいる近しい人たちは、僕の育ってきた文化に対して理解を示してはくれた。でも、それだけだ。


 分かっている。それが無いものねだりで、僕のわがままだという事は。

 それに僕にしたって、表向きはこちらの文化に合わせて生活しているが、こちらの世界に身も心も馴染んでいるというわけではないのだ。


 根っこに深く刻み込まれたものというのは、そう簡単に塗り替えられるものではないのだ……。

 

~~~


 隣村のおっちゃんと話したその日の夜、僕の姿はもう自分の住む村にあった。


 太陽は完全に沈み切ったものの、まだまだじんわりと汗が出るくらいには熱気が残っている。


 本当ならば隣村で一泊するつもりだったのだけれど、おっちゃんとの会話でなんとなく気まずくなってしまって、さっさと村を出てしまったのだった。

 おかげでだいぶ疲れてしまった。家に帰ったらのんびりとお風呂にでも浸かろう。この世界に湯舟が存在していたのは、長風呂派の僕としては幸いだった。


「今日はお湯にポーションを混ぜて、ついにで何か果実でも浮かべてみるか。」


 そんな事を呟きつつ、僕の今の住み家である、村長の家の離れの方まで歩を進めていくと……。


「……ん?」


 そこには、ちょっとした異変が起こっていた。

 僕の家の外で、誰か何かしている……?


 すると、その人物はこちらに気付くや否や、ブンブンと手を振りながら駆け寄ってきた。


「アベル兄ちゃーん!久しぶりー!!」


 僕には、その声と雰囲気に覚えがあった。


「……ジ、ジュリアン!?」

「お、良かった~!忘れられたかと思っちゃったよ~!」


 僕がジュリアンと呼んだその青年は、小柄な体をめいっぱいに使って喜びを表現した。目鼻顔立ちのハッキリした美少年そのものと言った風貌で、ポニーテールにした金髪が揺れる様は、まるでじゃれついてくる子犬のしっぽのようだ。


 ジュリアンはこの村の村長のひとり息子だ。僕が転生してこの村に落とされた時、最初に発見してくれたのがこのジュリアンだったりする。


 彼は僕が異世界から転生してきた事を知ると、僕の住んでいた世界……日本に興味を示した。四六時中、僕にひっついては、あれこれと日本の事を尋ねてきた。

 村長夫妻を含めた村人たちが僕の育ってきた文化に対して受け身だった事を考えると、ジュリアンは唯一の例外と言って良かった。


 やがて僕の手により魔王が滅び、世界が平和を取り戻したのが8年前。そしてその翌年の春、14歳になった彼は、夢だった建築家になるべくこの村から旅立っていったのだった。


 つまり、実に7年ぶりの再会というわけである。


 ちなみに7年の時を経ても、彼の見た目にあまり変化は見られなかった。多少、背と髪の毛は伸びたようだけれど、僕からしたらあの頃のジュリアンのまんまと言ってもいいくらいで、それがちょっと嬉しかったりする。


「あれからずーっと顔も出さずに……!」

「いや~ごめんごめん!学校は寮だったし、卒業してからは親方の元で修行積むのが楽しくってさ!まぁその親方にどやされたんだけどね。『たまには帰ってやれ!』って。」

「まったく……。でも、いい親方さんのようだな。良かったじゃないか。」

「へへっ。まぁね。」

「……ところでジュリアン。いったい何をやってたんだ?その家は今は僕が住まわせてもらってるんだけれど。」


 と、僕はちょいちょいと指をさす。

 ちなみにさっきは家の陰に隠れて見えなかったけれど、奥の方には一台の大きな荷馬車が停まっていた。


「ちょっとね~。」


 ジュリアンはいたずらっぽく笑いながら言った。変に悪だくみをする子じゃない事は知っているけれど、それでもやっぱり気になってしまう笑顔だった。


「まぁまぁ、兄ちゃん。とりあえずウチでひとっ風呂浴びてきなよ。それと僕が帰ってきたからって母さんがご飯作り過ぎちゃってさ。良かったらそれも。」

「え?ちょ、ジュリアン?」


 こちらの返答を待たずに、ジュリアンは僕の背中をぐいぐいと押していく。

 それは、まるで僕が自分の家に入ろうとするのを防ぐかのようで、僕としてはどうしても不審に思わざるを得なかったのだった。


~~~

 

「ふぁ……あぁぁふ。」


 着替えを済ませて大きなあくびを一発。

 

 しばらく前までご厄介になっていた家とはいっても、そこはやっぱり他人のテリトリー。湯舟にのんびりと浸かろうかな……だなんて思えるはずもなく。僕は結局、さっさとお風呂を済ませてしまったのだった。


 ちなみに晩御飯はすでに頂いた後だ。食事中、さっきのジュリアンの妙な行動について村長夫妻に聞いてはみたものの、明快な回答は得られずじまいだった。というか、どうにもはぐらかされてるような気がして仕方がなかった。まぁそれは僕の疑心暗鬼から来るものなのかもしれないが。


「お。アベルくん、風呂上がりに一杯どうだ?」


 リビングに戻った僕に、ソファに座った村長が話しかけてきた。見ると、テーブルの上には酒瓶と、ふたつのグラス。


 本当なら応じた方がいいんだろうけれど、眠気にやられそうな今のこの状態で酒なんか飲んだら、家に帰る前に寝落ちしてしまうだろう事は容易に想像がついた。

 あと、村長が不自然な作り笑顔を浮かべているのも気になった。


「すみません、せっかくですけれど遠慮しておきます。長旅で疲れましたし、今日はもう離れに戻って休もうと思ってます。」


 しかし僕がそう言って断ると、村長は立ち上がって「まぁまぁ」とやけに食い下がってきた。いつもならあっさりと引き下がってくれるのに。


「良いじゃないか、ちょっと一杯ひっかけるくらいは。ほらほら座って。」

「え、いや?あの、えっと……。」


 僕は半ば強引にソファに座らされてしまった。

 村長はと言うと、いつの間にかグラスになみなみとお酒を注いでしまっている。

 いや、その量は「ちょっと一杯」の量じゃあなくないか……?


「ささ。ほら、ぐーっと。」


 どう考えても怪しい。

 だけど村長にはそれなりに恩義もあるし、あまり邪険にするわけにもいかない。何より、この人は悪い事が出来る人じゃあない。

 僕は観念して、受け取ったグラスを一気にあおろうとした。


 ――その時だった。


「アベル兄ちゃん、いる?」


 廊下の方から聞こえてきたのは、ジュリアンの声。その声に、僕は思わず手の動きを止めた。幸い、お酒は一滴も口に含んではいない。

 ジュリアンは、リビングに入ってくると素早く僕を見つけた。


「あ、いたいた!ちょっとついて来て欲しいんだけど、いい?」

「あ、あぁ。まぁいいけど。」


 急かすジュリアンに引っ張られるようにして、僕はリビングを後にする。

 チラリと見ると、村長は申し訳なさそうな苦笑いを僕に送っていた。


(あ、なるほど。グルだったのね。)


 僕はそう心の中で呟いた……。


~~ 

 

 ジュリアンに連れられて、僕は、僕の住んでいる離れの家へとやって来た。


「なぁジュリアン。もう教えてくれたっていいだろ?さっきからいったい何をやっていたんだ?」

「まぁすぐ分かるよー。」


 僕が帰ってきた時と同じように、ジュリアンはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「さぁさ、どうぞー。」


 そう言って、ジュリアンは僕を家の中へといざなう。

 ……今ここは僕が住んでいるんだけどなぁ。いやでも持ち主は村長一家なわけだからおかしくはないのか?などと、そんな事をぼんやりと思いつつ、僕は、彼に従って家の中へと足を踏み入れた。


 異変は、すぐに分かった。


「これ…………か?」

「当たり~っ!!」


 そう。家のリビングの中央にちょこんと設置されていたのは、いわゆる『置き炬燵ごたつ』と呼ばれるそれだったのだ。しかも、僕が日本で暮らしていた時に使っていた一人用サイズのこたつとほとんど同じサイズの。


 僕は少なからず興奮していた。少なくとも見た目に関しては、ほぼ完全再現と言っていい出来だったし、何よりこたつを目にするのは10年以上ぶりだったからである。


「どうしたんだ、こんなの……!?」

「兄ちゃんのために作ったんだよ。昔、そっちの世界の事を話してくれたじゃん?それで覚えててさ~。

 あ。そいつ一応、あったかくなるんだぜ。ほら、見てみてよ。」


 そう言いながら、ジュリアンはこたつ布団をめくってみせる。見てみると天板の裏にはヒーターやヒーターを覆う網はなく、その代わりに何か鉄のようなものが、ちょうど四隅から交差するようにして2本、張り付いていた。

 僕がそれに気付くと、ジュリアンは得意げに頷いた。


「それはね、魔力を当てると熱を放つ作用がある熱鉱石ねつこうせきを加工したものなんだ。」

「熱鉱石?聞いた事のない石だな……。」

「そりゃあね。

 熱鉱石自体は、東の方にある村で採掘できるんだけど、加工しないとまるで使えない代物なんだってさ。それに兄ちゃんが魔王を倒すまでは、その石と加工技術については門外不出だったらしいんだ。」


 そう言われてみれば、東の方には様々な鉱石の取れる村があった。ドワーフと人間が共存している不思議な村だった。でも……。


「でも、そんな熱鉱石をどうしてお前が?」

「親方と一緒に世界を飛び回っている時に、その村にも仕事で行ったんだよ。その時に教えてもらったんだ。なーんか村の人たちと仲良くなっちゃってさ~。」


 からからと笑うジュリアン。

 誰とでもすぐに仲良くなれるのが彼の魅力だ。それこそ異世界から転生してきた僕のような人間とでも。


「ま、あまりパワーのあるものだと燃えて火事になっちゃうから、かなり弱いものを選んで加工したけどね。でも、中に入って暖まる分には問題ないはずだよ。……試してみる?」


 さもありなん。

 僕はこたつの前に立つと、おずおずと腰を下ろし、両足をこたつの中へと差し込んで行った。


「で、魔力を当てるんだっけか……。」

「そう。実際に魔法を唱えなくっても大丈夫だよ。」

「なるほどね……。」


 僕はこたつの中に右手を差し込み、パチンと指を鳴らした。

 すると、熱鉱石は僕の魔力を受け取ったようだ。徐々に、こたつの中があったかくなってくる。


「お、おおおおお……!」

「どう?どう!?あったかい!?」

「あぁ……!熱そのものは微弱でも、布団が熱を逃がさないから、これでも十分にあったかいよ……!」

「やったーっ!!」


 ジュリアンは両手を高く突き上げ、歓喜の声をあげた。

 

 正直、僕は驚いていた。驚愕と言ってもいい。


 実は、過去にこたつを作ろうとした事が一度だけあるのだ。でも明治や江戸、要は電気がまだ使われていない時代の人たちがどうやってこたつの熱を確保していたのかなんて、学のない僕に分かるはずもなくて、結局、こたつ作りはその一度で断念せざるを得なかったのだった。


 それを目の前のジュリアンはこさえてみせた。何年も前に僕から聞いただけの情報をもとに。しかも熱鉱石という、世の中の人々の知らない技術を習得して。


「いやぁ本当はとかテレビとかも作ってみたかったんだけどな~。おいらは料理方面はさっぱりだし、テレビはの代わりになるものがないから、もう最初から無理だったもんな~。」

 

 うんうんと頷くジュリアン。その横顔は言葉とは裏腹に満足げに見えた。

 だけど、僕としてはどうしても気になる事があった。


「なぁ、ジュリアン。どうして……」

「え?」

「どうしてこたつを作ってくれたんだ?この熱鉱石にしたって、そんな簡単に使っていい技術じゃないだろ?」


 僕の問いに、ジュリアンは考え込む素振りすら見せずに言った。僕をしっかりと見据えて。


「だって、アベル兄ちゃんかわいそうじゃん。」


 …………は?

 意外な返答に僕は呆気にとられた。額にうっすらと汗がにじむのを自覚する。


「わけの分からないままこっちの世界にやって来てさ。いきなり勇者だなんだって言われてさ。今までの暮らし全部捨てて、勇者の使命果たして。」

「……うん。」

「魔王を倒しても元の世界に戻れるわけじゃない。っていう事は、どうしたってこの世界で生きて行かなきゃいけないわけでさ。」

「……あぁ。」

「おいらだって自分の育ってきた時間は大事にしたい。だからせめてさ。兄ちゃんのいた世界の何かひとつだけでも再現して、浸らせてあげたかったんだよ。」

「……。」

 

 僕が抱いたこの感情を、いったいどう説明すればいいだろう。

 一言で言えば "喜び" なのだ。けれど、喜びにも色々あって。

 

 自分のやってきた事をこういう形で労ってくれた事への喜び。

 ひとりの少年の成長をこの身で感じる事のできた喜び。

 久々に日本を感じた事への喜び。

 元の世界に帰れないって再認識させられたのはちょっとグサッと来たけれど。


 それでも、嬉しかった。


「……ありがとな。ジュリアン。」


 僕は心からのお礼を言った。ジュリアンに見えないよう、こたつ布団を少し持ち上げて空間を作りつつ。一筋の汗が流れていくのを、やはりジュリアンに見つからないように拭いつつ。

 そしてそんな僕の行動に、もちろんジュリアンは気付かない。


「どういたしまして!あ、魔力を当てた熱鉱石はしばらくすると効果がなくなるから、その時はまた魔力当ててね。」

「あぁ。これくらいの魔力ならほとんど疲れる事もないから気楽に使えるよ。」

「すっかりお爺ちゃんじゃん。あの頃は『有り余るパワー!!』って感じだったのに。」

「うるさいよ。」

「あっははは!」


 ジュリアンは屈託なく笑う。

 ……昔っからそうなのだが、この子はちょっと抜けている所がある。それは今この瞬間、僕の取っている行動に気付かないというのもそうなのだが、それよりももっと根本の所の話だったりする。


「さて、と。それじゃあやる事もやったし、僕は帰って寝るよ~。」


 ジュリアンはそう言いつつ、気持ちよさそうに伸びをした。大あくびと共に。

 そしてお互いにおやすみの言葉を交わすと、ジュリアンは母屋へと帰って行ったのだった。


 バタンと扉が閉まり、家の中を静寂が包む。

 僕の体は、もう限界だった。

 

「…………っだああああああああっ!」


 僕は叫びにも似た苦悶の呻きを吐き、両の足をこたつから引き出した。

 そして足を抜き取った勢いそのままに、僕は立ち上がり、窓という窓をすべて開け放つ!

 

「……あづい。」


 あつい。

 熱い、ではない。暑い、のだ。


 だって冬じゃないんだから。


 むしろ夏に近いんだから。


 日本で例えるなら、梅雨に入る少し前くらいの季節感だ。


『へぇ~。そっちの世界の新年って、冬なんだね!』


 小さい頃のジュリアンの驚いた顔が脳裏に浮かぶ。


 日本での新年は、冬だ。冬は寒いから、こたつを使うのだ。

 決して新年だからこたつを使うわけではない。という事は当然、夏に使う代物なわけがない。


「冬、っていう部分がいっちばん大事なんだけどなぁ……。」


 辛うじてひんやりとしている夜風を浴びつつ、ぽつり呟く。


「まぁでも……。」


 くるりと振り向いて、約10年ぶりに再会したこたつを改めて眺めてみる。


「冬に使えばいいんだし、いいか。」


 僕は胸に手を当てる。心があったまっているのを確かめるように。そして、にやけてしまう。


「それにしても、こたつだよ……。」


 暑い時に体が暑くなるのは嫌だけど。

 心はいつだってあったかくていい。


 今年は、良い一年になりそうである。

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