第五話・「壊れた秤(3)」
推定五階建と思われる建築物の骨組みが
少しして砂煙が晴れる。
煙の晴れた先で俺が目にしたのは、先程まで黒い
運よく俺のいた位置には鉄骨が落ちていなかったが、すぐ目の前には何本かの鉄骨が落ちていた。そして背後を見ると、吹っ飛んで来たのか鉄骨が斜めに突き刺さっていた。
あと少し前後にいれば、確実に死んでいただろう。
少しその場で休憩した後、痛む体をゆっくりと起こし、力の入らない右足を擦りながら少し後退した。
コツン、後ろを振り向かずに右手で背後に突き刺さった鉄骨を叩いた。
よし――
深く地面に突き刺さった鉄骨を確かめた後、深く息を吐いて深呼吸。
ゆっくりと呼吸を繰り返し、ボロボロの体を少しでも動かせるようにする。全身に溜まった疲労と痛みが呼吸を繰り返すたびに鮮明になっていく、正直言ってこのまま横になってしまいたい。でも、それをするとそのまま永眠コースな気がするから、無理やり意識を保たせる。
泣き出したいほどの痛みがいい気付けになって、飛びそうな意識を繋いでいる。
ドッガン――――――ッ!
ひどい頭痛と耳鳴りの中、何かが吹き飛ぶような凄まじい音が聞こえた。
下を向いていた俺が顔を上げるとそこには――ズタボロになった黒い獣が立っていた。
「ハぁ――、ハぁ――、……タフ過ぎだ。今ので死んでおけよ」
あまりのしつこさに生きていたことの驚きよりも、呆れが勝ってしまった。
鉄骨に押しつぶされ、所々を欠損している獣。心なしか一回りほどサイズが小さくなっている気がするが、それはその姿が弱々しく見えたからだろうか?
獣は黒い血のようなものを飛び散らせ、まさに満身創痍という感じだった。
しかし――
っ――、……まじかよ。
そこにいた黒い獣を見ると、欠損した箇所が次々と再生していた。
自然法則から
ドシドシ、と少し力無さげな足取りで俺の方へ近づいて来る。
口元には黒い血と
「クソッ」
悪態を吐きながら思うように動かない右脚を殴った。
胸の中には今更になって強い恐怖が湧いて来る。流石に〝死〟が目の前に迫れば、俺はただの高校生である事実が強く
そうだ……俺はただの子供だ。怖いと思ったって別におかしくない。
のそりのそりと迫る獣。
先程と同じくゆっくりとした足取りだが、さっきと違うのはその心構え?だろう。まあ、獣にそういったものがあるのかは知らないけど、先程とは印象が違って見えた。
さっきまでのコイツは得物である俺を弄ぶようだった。だから途中、思い通りにならない
今のコイツは俺に強い怒りを向けると同時に、警戒心を向けている。
深く観察しこちらの出方を見る。ジリジリと距離を詰めながら、絶対に回避できない位置にまで接近する。一方、俺はまともに動かない両脚のせいで、その場から動けずにいた。
獣もそれに気づいたのか迫る速度が少し速くなる。
しかし、それでも一切警戒を緩めることなく、慎重に慎重に距離を詰めて来る。
ピタリ――ある地点で動きが止まる。
距離にして約二mほど、黒い獣はその位置に到達すると動きを止めて、こちらを観察するように覗いた。
死にかけの獲物と対する動物とは思えないほど、慎重な様子に苦笑いを浮かべる。確実に俺を殺すために最善を尽くしている、俺が――
「ふぅ――、
息を吐き、口元に笑みを浮かべ挑発するように言った。
獣は唸るばかりでこちらの言葉に反応する素振りはない。単に言語を理解していないのか、それとも理解した上で聞き流しているのか定かではない。
俺に判ったのは、冷静に獲物を狙っているということだけだった。
「ガルルルルゥ――――ッ」
四肢に力が入る。四足は地面を砕くような勢いで踏み締め、全身の筋肉を隆起させる。獣は今、出せる最大駆動を開始しようとしている。
今すぐにでも襲い掛かってきそうな形相。
この距離であれば、手負いの人間一人何の問題もなく殺せるだろう。おそらく一瞬だ、反応なんてできないし、反応したところで
バキバキッ、地面が割れる音が聞こえる。
膂力の装填が完了する。それはさながら銃口に込められた弾丸のように――〝一点〟――目の前の存在を殺す為だけに込められた。
「ハぁ――――、覚悟は決めた」
肺の中の空気を吐き捨て、真っ直ぐ目の前の獣に視線を向ける。
泣き言も、弱音も、
――――命は秤の上に乗せた――――
なら、あとは自分を信じるだけだ。
バコンッ――銃口に掛けられたトリガーが引かれた音がした。黒い巨体が異様な速度で射出される、弾丸というより砲弾――そんなものが飛来する。
同時に死が確定した。
撃鉄が下ろされた瞬間に事実は決まってしまった。放たれた砲弾はどうしようもなく前へ進み、その命を確実に奪ってしまう。それが〝運命〟だ――
視界いっぱいに黒い獣の姿が映る。俺は回避する動作をせずに、ただそのまま後ろに倒れるように後退した。
目の前に迫る――〝死〟に心がザワついた。
そして、事が
「ああ、ありがとう。最後まで――しっかり用心してくれて」
そう言葉を残すと同時、後方に倒れる体を捻じって背後に鉄骨を避けた。
一方、弾丸のように真っ直ぐ突進してきた獣が、その鉄骨の存在に気づいた瞬間にはもう遅く、鉄骨は――黒い獣の胴を貫いて突き刺さった。
グサ――――ッ、と鉄骨が胴を貫通する。
黒い血液を撒き散らしながら暴れる獣。だがしかし、既にボロボロの体では、深々と刺さった鉄骨を壊すことも抜くこともできず、その想像を絶する痛みに苦悶の咆哮を上げた。
よし、成功――
作戦成功に喜びながら無理やり体を起こして、鉄骨に突き刺さった獣の背後に回り込む。
全身には酷い激痛が走っているが、最後にやらなければならないことがある。ここからは最後の賭けだ。
「
両腕に熱が巡り、歯車が組み変わり構造が変化していく。
「
ガチャン、と己という機構が組み変わり、両腕に異様な力が籠る。
今回の強化は腕力のみ、腕全体の強化は行っていない。理由は単純だ、
両腕の力を確かめ俺は、黒い獣の背中に抱き着くようにしがみつき――その首を絞める。
首絞め――殴ったりするわけでもない以上、負荷強化や耐久強化も付属する腕全体の強化は必要ない。それに今のボロボロな体じゃ、無意識にカウンタの出力を下げる可能性もある。なら、ここは締める腕力だけに意識を向け、強化を維持した方がいい。
暴れる獣、俺は必死になって首を絞め続ける。
通常、首を絞められた生物は
生物は頸動脈を締められると脳への酸素供給の遮断により、意識が強制的に落され、酸素の遮断が長ければ長いほど、脳の損傷や窒息の可能性が増加する。他にも首絞めによる頸部損傷など、様々な要因によって――死に至る可能性がある。
強化された俺の腕力であれば、おそらくだがコイツの頸動脈を押さえることも可能なはずだ。
しかし――それはあくまでこの獣が普通の生物と同じであればだ。
あの異様な再生力を見た時は心臓が止まるかと思った。もし仮に首絞めによる殺害が不可能の場合、俺は一つを除き完全に打つ手を失う。
これで本当に死ぬかはわからない。もし死なずに鉄骨から抜け出されでもすれば、確実に食い殺される。
だからここは――絶対殺す。
死力を尽くして絞め続ける。死ぬか死なないかは不明だが、俺が首を絞めてからの慌てようを見るに、苦しんではいるようだ。であれば、今はただ全力でこれを続けるしかない。
力を――入れろッ!!
限界な体に鞭を打って無理やり力を捻出する。
黒い獣は必死に暴れるが、鉄骨からまったく抜け出せない。
本来、この鉄骨がなければ俺は容易く獣の背中から引き剥がされていただろう。だからこそ、俺にはこの杭が必要だった。この獣を固定するための大きな杭が。
鉄骨に固定された今、獣はただ暴れることしかできない。
推定三十秒経過。獣の動きは確かに遅くなっているが、それでもまだまだ元気に動き続け、必死に暴れている。俺は振り落とされそうになりながらも、無理やりしがみつく。
そんな中――嫌な音がした。
ガキンガキンッと獣が自分を固定している鉄骨を叩き、切断しようとしている。チラリと見ると獣引っ掻きを喰らった鉄骨には大きな爪痕がついており、額から冷や汗が流れるのを感じた。
必死になって鉄骨を引き裂き続ける獣。
火花を散らしながら鉄骨を削っているその光景に今更に、この獣の怪物っぷりに驚愕した。
そして次の瞬間――バキンッ、金属が捩じ切れる音が聞こえた。
「な――っ!?」
地面に足を着ける黒い獣。
経過時間は推定五十秒、一向に停止する素振りを見せない獣が走り出す。
「そ、そっちは――っ!」
獣が走り出した方向に青ざめる。
目線の先は町を一面見渡せる崖。獣は崖から落して無理やり俺を引き離すつもりのようだ。
クソクソクソ!
首から手は離さないが、ひどく慌てる
黒い獣は一切の迷いなく崖へ駆ける。きっともう脳など動いていないのだろう、ただ生へのしがらみだけで体を動かしている。
しくじった――何も手がない。
全力を尽くした上で上回られた。これ以上のことは想定していなかった。
絶望して瞳を閉じた――その瞬間、
「――え」
ドンッ、と急に地面に倒れる獣。
予想外の出来事に動揺しつつも、生きているかも、という不安からしばらくの間その状態で首を絞めた後、完全に動かなくなったと確かめてから、地面に腰を着けた。
「はぁ~……、し、死ぬかと思った」
真横で力なく崩れた黒い獣を見ながら強く思った。
最後の最後まで凄まじい執念だったが、その執念が死を手繰り寄せた。俺への執念のあまり、周囲への警戒が
「ハぁ――、ハぁ――」
深い呼吸をしながら地面に俯いた
既にカウンタは全部外してあるせいか、全身の疲労感と痛みがピークに達する。今すぐにでもこの場で横になって眠ってしまいたい。
にしても……コイツは一体何だったんだ?
正体不明の黒い獣。助かったいま思うが、やはりあまりにも非現実的な存在に思える。超常的な身体能力や再生能力、明らかに自然発生していいものじゃない。
まあ、俺もそういう類のものなんだろうけど……。
そんなことを思いつつ、体を起こして避難所に向うことにした。今はとりあえず避難所に向うことが先決だ、この獣のことも全部後で考えればいい。
そうして重い体を引き摺って歩き出してすぐ――ある光景を目にして表情が凍る。
「そ、んな……」
震えた声で呟いた。
丘の上から見える
そんな町に――無数の〝怪物〟が蔓延っていた。
その怪物は大小異なるが、その相貌は俺がさっき殺した黒い獣と類似していた。
溢れかえるほどの怪物の数に絶望する。
たった一体で死にかけたのに、こんな数じゃどうしようもない。黒い獣より大きく強い個体が一匹いる程度ならば、何とかなったかもしれないのに、これじゃは無理だ。
絶望的な現実に挫けそうになった、その時――
「ヴァアアアアア――――ッ!」
「シッッッ――――ッ!」
目の前の崖から二匹の怪物が突如として現れた。
絶体絶命のピンチ――驚く暇すらなく大きな二つの口が開かれたのを最後に、目の前が光に包まれた。
正体不明の光に視界を奪われた。
何が起きた……?
理解出来ない状況に疑問を浮かべた瞬間、何者かに
「――君、危ないよ」
凛と透き通った声が耳に響いた。
次に雑に投げ捨てられた俺は尻餅を着くことになり、そんな俺が次に目にした光景は――
――真っ白な髪の少女、その背中だった。
不思議な感覚が込み上げる。
ここまで抱いて来た全ての思いを超過して、俺はただその姿に見惚れた。
暗夜の
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